八之九
ぜんたい栄次郎がなぜこんな辺鄙な場所に住んでいるのかはわからないが、ともかく人嫌いで世を捨てている風ではある。
最初、碧が宿を請うたとき、
――納屋でもいいのでしばらく……。
と云ったら、本当に納屋があてがわれた。
納屋ではあったが、ただ、整頓はされていて、三畳ほどの広さの土間に鋤や鍬や鎌などの農具が整然と並べられていて、同じくらいの広さの板敷き間は、むしろや草鞋などを編む作業場のようで、藁くずがところどころに落ちていた。
この農家は、根来寺から南へ一里ほどの距離にあって、紀の川の南の山の斜面に立てられている。山の北面だから日当たりは悪いし、春なのにもうずいぶん蒸し暑いし、立地ははなはだ悪いものがあった。
碧はこの納屋を拠点に、根来寺周辺の探索にあたっていた。
基本的には、周辺の百姓娘のふりをして、住人と世間話をしながら情報を訊き出していて、一揆の進行具合を調査するのはもちろん、真田のあぐり姫の消息もさがしていた。
服部半蔵の云うには、伏見にかすみという女を送りとどけた男は根来から来たと云ったらしい。
そして、あぐりをさらった
どうもこのふたつの事柄にはつながりがあるように、碧には思えた。
なんらかの方法でかすみを人間通信機にしたことや、あぐりをさらった殃狗を飼いならす技術を持っていることを考えあわせれば、敵はそうとう妖術や魔術にたけた者、または複数の者達であろう。そしてそういう技術を持っている者というのは、やはり根来寺に関係があるように思われる。
碧は立って土間におり、慎重に外の様子をうかがってから、戸を開けた。
「よう見つけてくださいました、小吉どの」
「お嬢、ずいぶんさがしましたよ」
普段は伏見で探索任務に従事している小吉は、人の好さそうな顔で笑いながら皮肉っぽく云った。
探索にあたっての拠点にするおおよその場所と目印(今回は軒下に手ぬぐいをかけてある)を決めていたので、小吉はそれを目当てに探して碧を見つけたのである。
小吉を中にいれると、彼は板敷にあがって、入り口から陰になる場所にすわった。人が来た時の用心というわけである。
碧はさっそく、自分が集めた情報を彼に伝えた。
「この付近では、大野修理の命を受けた北村という男が土豪や百姓たちを扇動をしているようです。私もここの東の村で杉谷善珠という大野配下の傭兵を見ました」
「ということは、一揆の背後にいるのは大野修理で間違いはなさそうですね」
「あともう少し、根来寺の関与もさぐってみようと思います」
「はい、お気をつけて」
小吉はそれらの情報を、和歌山に伝えるそうだ。しばらくはここと和歌山城下を、何度も往復することになるだろう。
「浅野のほうでは、一揆勢を一挙に殲滅したい考えのようです」
という彼の言に、碧は眉をひそめて、
「というと、一揆を押さえるのではなく、勃発させてしまうのですか」
「勃発させてひとからげして処分したほうがてっとりばやいと考えたのでしょうね」
残酷なことをする、と碧は不快になった。一揆の発生を未然にふせげば、処分するのは指導者格の者たちだけでよいはずで、浅野の企てを遂行してしまえば、先導され利用された多くの百姓たちも処断されてしまうということだ。
「それと手間を増やしてもうしわけないのですが、真田のあぐり姫の行方も道々さぐってもらいたいのです」
「わかりました」
うなずいて小吉は小屋を出ていった。
――明日にでも根来寺に潜入してみようか。
ひとりになると、碧は考えた。任務のための潜入ではあったが、一方で、あぐりの消息がまるでつかみたかった。ほうぼう訊きこんでみたが目撃した者どころか噂すらも入手できなかったのである。敵がなぜ真田の姫をさらったのか見当がまるでつかない。年端もいかない少女に手荒なまねはしないと思いたいが、ともかくも、早々に居場所を突き止めるのが目下の急であった。とすれば、監禁されている可能性が高い根来寺に潜入し、捜索する必要があった。
ぱたりぱたりと、屋根を叩く音がする。雨が降りはじめたようである。
――いや、明日と云わず、今夜にでも決行しよう。
雨が気配を消してくれるはずだ。
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