六之四

 橋のたもとでは、人足たちが、

「こりゃあかん」

「おい、娘たちを助けろ」

 おうよ、おうよ、と一斉に大勢の人足たちが橋の両側から集まって来て、橋上はたちまち砂塵がうずまく大混乱の坩堝と化した。

 その隙に、碧は角力男の持つ風呂敷包みに飛びついた。

 風呂敷がほどけて中の袱紗に包まれた三通の書状が、ばらばらと橋板にまかれ落ちた。

 角力男があっと慌てて拾おうとするが、人足たちがその巨体に飛びついて行動を阻止した。

 痩身男にも人足たちが組み付いている。

 即座に碧は一通をひろったが、他の二通は混乱のなか、見失ってしまった。

 そこで、轟音。

 空に撃った銃の怒号が、その場の一同を正気に戻した。

「やかましいっ、余計な真似する奴は容赦しないよ!」

 大柄女の大喝が、辺りを硬直させた。

 そうして、どさくさに紛れて彼女の胸や尻にしがみつく数人の人足に拳骨や肘鉄をくらわせて失神させた。

 女はすぐに弾丸を込めなおし、その銃口を人足たちに向けつつ、そろりそろりと動いて、一通の書状のもとまでくると、そっと拾い上げた。

「いいね、動くんじゃないよ!」

 凄みのある声で周囲を制して、尻さがりに橋を降りて、北のたもとまでくると、さっと身を翻して走り去っていく。

 あわてて、痩身男と角力男も後を追う。

「なんやあれは」

おっそろしい女やったなあ」

「お嬢ちゃんら、大丈夫やったかいな」

 人足たちは橋に座り込んでいた碧と菜美を助けおこしてくれた。

 と、菜美がきゃっと悲鳴をあげた。

 碧が見ると、足袋の上からでもわかるほど、菜美の足首が腫れあがっている。角力男に転ばされた時に、足を挫いたものらしい。

「ああ、痛そうやなあ」

「誰ぞ、はよう戸板でも持ってこんかいな」

「云うとるお前がいけちゅうねん」

 碧が何を云う暇もない。

 人足たちは持ってきた戸板に菜美を乗せて担ぎ上げると、碧に家の場所を訊いて、えっさえっさと掛け声も高らかに運んでくれた。

 伏見屋敷の管理をしている虎太夫とちょうど京から連絡に来ていた市蔵は、主家の娘が二十人あまりの人足に囲まれて帰ってきたものだから、眼玉を飛び出さんばかりに驚いていたが、そこは熟練の忍たちで、冷静な手際で、菜美を奥に運んで布団に寝かせ、人足たちに酒手をやって帰らせた。

 そして、碧の話を聞くと、すぐさま配下にその三人組みの盗賊を探させた。

 騒動が落ち着くとすぐに、

「じゃあ、わしは高台寺まで行ってくる」と市蔵が云った。「このお女中さんの怪我がある程度よくなるまであずかる旨と、書状についても我らがかわりに届ける許可を得て来よう」

「いろいろとご造作になりまして、なんともうしていいのやら」

 菜美が心底もうしわけなさそうに謝るのへ、

「いやいや、これがわしらの仕事ですから」

 と云って市蔵は出て行った。

 この屋敷から高台寺までは、二里ほどの距離であるから、老いているとはいえ市蔵の脚なら、陽が暮れるまでに帰って来られるだろう。

 菜美の怪我は、虎太夫が診ていた。

「うむ、骨には異常はないようだが、ひどく腫れてしまっているな。伊賀忍特性の塗り薬を使っても、五日ほどは安静にしていたほうがいいだろう」

 黄土色の鼻に刺さるような匂いの軟膏を布に塗って右足首の患部に貼って、包帯でぐるぐる巻いて固定した。

「ほ、ずいぶん痛みが和らぎました」

「そうでしょう。わしらの仕事は怪我がつきものですからな。伊賀の薬は天下一品。ですが門外不出の代物ですから、この薬を使ったことを他言なされてみよ、すぐにお命を頂戴にうかがいますぞ」

「え、そそそ、それは……」

 本気でおびえる菜美に、碧が、

「冗談ですので、ご安心ください」

 虎太夫は笑って退出していった。

 心底安堵した様子で吐息をもらして、

「あ、そうでした、これを」

 と菜美は懐から袱紗包みをひとつ取り出して、碧にわたした。

 書状の最後の一通であった。あの混乱の中、怪我した脚をひきずりながら、菜美が懸命に拾いあげたものであった。

 碧は押し頂くように受け取った。

「では、しばらくお休みください。私は隣の部屋におりますので、なにかありましたら、ご遠慮なさらずお声をかけてください」

「はい。あ、もうしわけありませんが、そこの障子は開けておいていただけますか」

「しかし、寒くはありませんか」

「いえ、なんだか身体がほてって暑いくらいでして」

 云われるままに、碧が縁側に面した障子をあけると、午後の緩やかな陽射しとともに庭から冷たい空気がいっぺんに流れ込んできた。

「ああ、南天なんてんが綺麗ですね」

 菜美の声にうながされて碧がみると、小さな庭の隅に植えられた南天の木の、赤々とした小さな実が房のようにたわわに実っていて、周りの葉を落とした木々のなかで、そこだけがまぶしいほど輝いているようであった。

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