四之十三

 市蔵は、翌々日にはもう、あらかたの調査を終えてしまっていた。

 買い物、と称して外出してきた鶫を、雑踏ひしめく錦市場にしきいちばの端でつかまえた市蔵は、調査の報告を、まるで世間話でもするような雰囲気でしてきた。

 短時日でよくもここまで、と鶫が舌を巻くほど、その内容は詳細を極めていたのだった。

 幸徳井祥馬と鬼巌坊が様子をうかがっていたあの屋敷は土御門家の屋敷であった。

 彼らが狙っているもの、それはおそらく、

「魂魄石であろう」

 と市蔵は云った。

 土御門家には、代々受け継がれてきた、

 てい――、

 という祭器がある。

 丸い器の底に三本の脚がついている青銅の祭器であるが、それに緑色の宝玉が嵌め込まれているという。

 それがおそらく、魂魄石であろう、ということまで老人忍者は調査していた。

 そして、市蔵は幸徳井祥馬自身についても、ことこまかに調べてきた。

 かつて彼の一家は、大和の奈良の東大寺の近くの村に居を構えていた。

 彼の父は、幸徳井という血族の再起に執着していた。というより自分自身の立身を激しいほどに渇仰していた男であった。

 そのために安倍晴明の再来を望んだ。

 そしてその伝説通りに、狐に子を産ませようとたくらんだ。

 ほんとうに狐から赤子が生まれたかはわからぬ。

 だが、父は森に踏み入って、必死に霊力を持った狐を探した。そして実際白い雌の狐をみつけたというのだからその妄念は凄まじい。

 その後の経緯は当人しか知らないのであるが、一年後、赤子を抱えたひとりの女を連れて父は村へともどってきた。

 赤子が祥馬であり、女は祥馬の母であった。

 が、やがてどこからか、父が狐を犯したという噂が村にひろがった。その狐の化身が母であり、祥馬は狐と人間の間に生まれた化け物である、と。

 母は噂などまるで気にもとめない様子で、温かい愛情をもって祥馬を育てた。

 その母は彼が十の頃に亡くなったし、父も数年前に死んだ。

 家が持ち家でなかったこともあり、一家を嫌っていた村人たちは祥馬を追い出しにかかった。

 ――狐の子供め。

 ――もののけめ。

 ――気味が悪い、出てゆけ。

 村人たちは彼を追い出すだけでは満足せず、口を極めて罵倒したという。

 その時の祥馬の心情はいかばかりであっただろう。

 つらかったであろう、苦しかったであろう。

 鶫は聞いていて胸がしめつけられる思いになった。

 祥馬は十代なかばで家を失った。放浪のすえ、父の知人で、今住んでいるあばら家の持ち主である寺の住職にすがりつくようにして、ああして暮らしているのだった。

「お手数をおかけしました」

「いやいや、気にせんでよろしい。将来の孫の嫁の頼みじゃからの」

「やめてください」

「で、これからどうするつもりじゃ」

「どうする……?」

「その陰陽師をどうとめる。いざとなって、お前はその男を斬れるのか?」

 市蔵は、先日ふたりがああいう関係になった――なりかけたことをまるで知っているかのような眼をして、鶫に問うのだった。

 鶫は何も答えなかった。

 ただ、流れてゆく人波を、黙って眺めていた。

 いつの間にか、市蔵は姿を消していて、我に返った鶫は、なにか夕食のおかずになるものを探して歩き始めた。

 しかし、その眼は何も見てはいなかった。店先に並んだ魚の干物も、詰まれた野菜も、桶に入った漬物も、ただの空疎な景色として眼にうつっていただけだった。

 ――お前はその男を斬れるのか?

 市蔵の言葉だけが、想念をかき乱すように、何度も反復されて鼓膜を揺さぶるのであった。

 ――私は斬れる。なんのためらいもなく斬れる。

 彼女は自分に云い聞かせるように、市蔵の言葉を押しつぶすように、心でつぶやくのだった。

 私は祥馬を愛してはいない。ああなったのは、ただ任務の流れのようなものだ。私は愛してはいない、恋心など持ってはいない――。

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