第25話 「ステージ4」

騒ぎが静まるまで、おとなしくしているよう犬巻に釘を刺された。


学校以外、あまり外に出かけられない日が続き、僕とチビは2人で過ごす時間が増えた。


ずっと家で、朝から晩までそばにい続けた。そのせいで、発言や動作のシンクロが多くなり、僕たちは知らずのうち同じ行動をし、まるで一心同体のような錯覚さえ起こし始めるほどだった。






そして、ついにその時がやってきた。


きっかけとなったのは、夢を見たことだった。






お祭りの夢だ。


縁日の屋台がひしめく夜の境内。たこ焼き、お面、りんご飴、金魚すくい。ぶら下がった電球が人の波に揺れて、うす橙色の光に染まった風景もゆっくり揺れている。


僕の記憶がベースになって作られた夢なのだろう。チビは初めて見るお祭りに大興奮した。あれもこれもと、せがんだ。




「兄ィ、これやりたい!」




ヨーヨー風船釣りだ。


錨状に曲がった針を紙のこよりで吊るし、水風船についたゴムの輪をひっかけて捕るのだ。


「いっぺんに水につけちゃダメだよ。濡れたらすぐ切れちゃうから。」


「わかってる。」


「狙いをつけてから、水に浸ける。狙いをつけてから、浸ける。」


「わかってるって!」




”ボチャン”




言ったそばから、水中に手を突っ込んだ。紙こよりをどっぷり濡らしてから、輪っかを探すもんだから、えいやっとひっかけたとたんに切れてしまった。


「はははは。ほらね」


「うるさい。もう一回。」


「はいはい。おじさん、もう一回。」




その時、背後に何か感じた。


急いで振り向いたら、視界の端に何かを一瞬だけとらえた。行き交う人々の隙間だったけど、確かに見え隠れした黒い影。明らかに誰かがこっちを覗いていた。




あの”ヒトカゲ”だ。




間違いない。


チビと僕の夢に出てくる怪しいヤツ。また出てきやがった。一体なんだよ、何者なんだ?


いつもは恐れの感情だけが僕を支配してしまうのだが、今日は違った。むくむくと好奇心が持ち上がり、僕の弱虫を押さえつけ始めた。今なら正体を突き止められそう?そんな思いがよぎる。気がつくと、えいやっと走り出していた。


「チビ、そこにいろよ!」




僕は人混みをかき分け、ヒトカゲを追った。人にぶつかりなかなか前に進めない。夢の中ってのは両足に力が入らなくて、いつも思うように走れないのはなぜだろう。


まごまごする僕を置いて、やがて、ヒトカゲはどこか雑踏へ消えてしまった。




あきらめを引きずりながらヨーヨー釣りに戻ると、なにか変だ。


チビの姿が見当たらない。




どうせそのあたりにいるだろうとタカをくくって見回したが…、いない。


「おじさん、ここにいた子は?」


「さあね。」


行き交う浴衣と浴衣の隙間に、チビのあのボロくて黄色いTシャツが通り過ぎるのを期待した。あっちの方角か?それともこっちか?…わからない。はるか向こう、きらめく縁日の雑踏の先っぽまで見渡しても、いない。


どんなに探しても、いつまでたっても見つからない。




…しまった。見失った。ヒトカゲの仕業か?




今まで夢の中で、チビがいなくなったことはない。僕とチビで同じ夢を見る時は、必ず2人でいた。だって2人の夢だから。


だけど、今ここにいるのは僕の意識だけ。チビの意識は?どこへ行ってしまったのか?




たまらない焦燥感で途方に暮れたところで…、眠りが覚めた。






目を覚ましてあわてて横を見たら、チビが小さな寝息をたてていた。


良かった。夢だ。そりゃそうだよな、ほっと息をついてチビを揺り起こした。


「おい、チビ、もう7時半だよ」


起きない。いつものことだ。


「おい、チビ。起きろって」


なんだかいつもと違う。


何度揺り動かしても、目を開けない。チビが全く目覚めなくなっていた。息はしてる。脈もある。


これは夢か?いや違う、なんとかしなければ。




急いで猫ちゃんに電話し、リモートの遠隔操作で診てもらった。


「心配しないで。ユタカさんはシンクロしていませんか。気分は?」


「だいじょうぶです。」


画面に映る彼女から指示されたとおり、脈拍計や心電図の吸盤をチビの小さな体に設置すると、データが遠く離れたリモート先でもわかるらしい。あわてるから手が震える。


数値を確認した猫ちゃんは、


「健康ですね。寝ているだけのはずなんですが…」言いながらも首を傾げた。「とにかく念のため、救急車を呼びますね。」


手際よく連絡をしながら、問診する医師のような口ぶりで僕に尋ねた。


「最近、変わったことはありましたか?」


「学校でも寝てばかりいるようです。」


「寝てばかり…。今日はどんな夢を見ましたか?」


「お祭りの縁日です。屋台がずらっと。チビ初めてだったらくて、すごいはしゃぎっぷりでした。」


「もしかしたら、楽しすぎて一度にものすごい量の記憶を、自分の脳内に持って帰ってしまったのかも。」




思わず想像した。


図書館の本をしこたまカートに積み上げ、山からポロポロ落としながら、重そうによろけて運ぶチビの姿。




「持って帰ったけど、データ量が多すぎて、脳内で処理しきれていない可能性があります。」そこまで言って、猫ちゃんは自分の言葉を確かめるように、「…データ量が多すぎる…」ひとりつぶやく。




気になって、


「多すぎると、なにかあるんですか?」


「もしかして…」


画面の中でも、思いを巡らす様子が見て取れる。


「もしかしてって、なにが?」


「あとで説明しますね。だとしたら、眠ってるだけですので安心してください。」


「そう言われても。」


「他に変わったことありませんでした?」


「あ、そういえば、ヒトカゲがいました。」


「ヒトカゲ?」


「いつも夢に現れるんです。顔は見えない影のような人間。」


「記憶データのバグのようなものでしょうか。」


と首を傾げた。




10分後救急車が来て、チビは奥多摩にあるいつもの遺伝子工学研究所へ運ばれた。




やがて1時間もしたころ、猫ちゃんの言った通り、チビはなにごともなかったかのように目を覚ました。




「うーん」


「だいじょうぶかい?」


大きなあくびをして、シャツの下から手を入れてお腹を掻いたチビは、「あれ、なんで猫ちゃんいるの?ここどこ?」と眠たそうに言った。


「のんきなもんだな。」思わずホッとして笑ってしまった。


「よかった…。」猫ちゃんは柔らかそうな指先で、寝ぐせのついた小さな頭を撫でる。


心配して損しましたよね、と軽口を言おうとしたけど、なぜか陰のある横顔に見えて何も言えなくなった。彼女はずっと頭を撫でていた。




「私にも年の離れた妹がいるんです。」




猫ちゃんがまるで独り言のようにつぶやいた。




「へぇ、妹さんが。」


プライベートを話すなんて珍しいなと、嬉しくて踏み込んでみた。「仲はいいんですか?」


「…長い間、体を悪くして寝たきりなんです。意識もなくて。」


意外な事情に、


「あ…すみません。」


「いえ。だから、おチビちゃんとユタカさんを見てると、私たちもこうだったかもなって。一緒にいられるだけで嬉しくて…」


「……」




そう話す横顔は、姉の淋しさと、優しさに満ちていた。




意識のない妹さん…。


猫ちゃんの背負っているものは、僕には思いの及ばないところにあった。僕とチビが兄弟のようにケンカしたり遊んだりする姿を、妹さんと重ねて見ていたなんて…。猫ちゃんのこと、あんまり知らないんだな僕。


美しい横顔に目を奪われながらも、今のやりとりを少し後悔していたその時、チビを撫でる猫ちゃんの手がピタリと止まった。




「ユタカさん。」




明らかにさっきとは違う声色。部屋の向こうで片づけをする研究員や看護師たちに聞かれないよう抑えたささやき声だ。


戸惑う僕に、


「時間がありません。今から私が言うことを聞いてください。」


「なんでしょう。あらたまって。」


空気を察して、窓外の緑の芝生を眺めているフリの横顔で答えた。


「このあと犬巻さんから説明があると思います。」


「説明?なんのですか?」


質問には答えず、


「決して、彼女たちの言葉に流されないでください。どうすべきかは、ユタカさんが自分自身の心に従って決めてください。」


「え?」


思わず見た。


「もう一度言いますね、どうすべきかは、ユタカさんが自分自身の心に従って決めてください。」


「え?なんのこと?」


「私の中でも結論が出なくて…。ユタカさんとおチビちゃんをずっと見てきて、これは他人が決めてはいけないことだと思いました。」


「どういう意味ですか?」


「今まで巻き込んでしまってごめんなさい。実は……」




”バタン!!”




その時、大きな音でドアが開いた。


「ついに来たってこと?」


犬巻が入るなりコートを脱ぎながら言った。


「そのようですね。」


ヤギヒゲ教授やツルタ弁護士が追いかけるように続く。


猫ちゃんは、僕との会話なんてなかったように仕事の顔に戻り、速やかに報告した。


「検査の数値はクラウドに共有しました。」


「ファイル名は?…」


「ステージ4です」


「ステージ4、ああ、これね。」


コートをチビのベッドの上に放り出し、老眼のアームを耳に差し込みながら、タブレットに指を滑らせる。「はい、きたきた。」早る気持ちか、古い指輪が画面に当たってコンコン音がする。慌ただしい大人たちに僕だけ置いて行かれながらも、チビの身になにかとてつもなく特別なことが起こっていることだけは感じた。


「ステージ4についての汐妻教授の論文もアップしました。眠り続けたのは兆候かと。」


父の論文?ステージ4ってなんだ?


ヤキヒゲ教授が興奮して「ステージ4か…こんな日が本当に来るなんて。」なんだか嬉しそうな感情をかみしめている。


だからステージ4ってなんなんだ?




「あの…」


邪魔しないよう気を使いながら、僕は思い切って聞いてみた。


「ステージ4ってなんですか?良くないことでも…?」




皆ピタリと止まった。


ヤギヒゲとツルタが僕を一瞥し、互いの顔を見つめ合った。やがて猫ちゃんに目線をパスする。猫ちゃんが意を決した表情で犬巻を見ると、観念したように、


「そうね。予定より早いけど、仕方ないわ。」


とタブレットを置いた。




僕とチビたちは長い廊下を歩かされた。


黙々と進む犬巻の背中を追いかけながら、ぼんやりと白く光る通路に並ぶたくさんの研究室を通り過ぎた。窓から覗く光景はさまざまで、まるで美術館に並ぶモダンアートの絵画のようだった。


液体の入った透明の大きなガラスチューブが何十と並び、小さな気泡がたくさん立ち上ってゆくのを研究員がじっと見つめる部屋。


象ほどの巨大な顕微鏡のモニターを数人が頭を突き合わせながらのぞく部屋。


真っ暗な中、針金の先から火花が飛び散るたびに、ゴーグルした研究員が浮かび上がる部屋。




どこへ連れて行く気なのだろう。


犬巻たちが口を開かないのは、どうせこれからイヤというほど長い話になるからなのだろうか。どこまでも続くサイエンスアートな風景を眺めながら、猫ちゃんのさっきの言葉を思い返していた。




"決して、彼女たちの言葉に流されないでください。"


"どうすべきかは、ユタカさんが自分自身の心に従って決めてください。"




どういうことだろう。




どんな選択をせまられるというのか。猫ちゃんの様子を盗み見たが、何もなかったように無機質な横顔だった。




突然、何かの塊とぶつかりそうになった。


あわわわわ、と避けると、スーッと滑るように音もなく動く丸い物体に「シツレイ」と言われた。球体ロボットの白くつるんと丸いボディを、一行は当たり前のように受け流したが、チビはうわあと喜んで付いて行ってしまったので、慌てて連れ戻したりした。


物珍しそうにはしゃぐチビを、犬巻はチラリと見た。


「気を付けて。その辺を触ると黒焦げに感電しましてよ。」




「えっ」


「えっ」




チビと同時に驚くと、


「おっ、シンクロ。」


とヤギヒゲ教授が喜んだ。


「冗談ですよ。繊細な装置もありますのであまり触らないで下さいね、って意味です。」と猫ちゃんが優しくフォローし、「ここは広いので、迷子にならないようちゃんと付いてきてくださいね。」


とだけ付け加えた。




人知れずいろんな研究が行われている。


僕とチビのようなクローン実験なんて氷山の一角なのかもしれない。




階段を降りたり上がったり、置いて行かれないよう速足でついて行くと、やがて廊下の一番奥らしき場所にたどり着いた。




そこには、窓もなくドアだけがぽつんと佇んでいた。




犬巻が首にぶら下げたIDカードをスライドし、瞳をかざして虹彩認証チェックを行うと、カチリと小さく音がする。


"覚悟は?"とばかりにこちらをうかがい、ゆっくりレバーのノブを動かし重そうなドアを押しながら中へ入る。近未来的なデザインのこの建物には似つかわしくない、少し古臭い建材の匂いがした。


壁のスイッチを入れると、電灯が部屋を照らした。思ったほど広くはない。昔ながらの木製デスクや時代物のランプ灯で揃えられており、古い大学の研究室をそっくりそのまま移植したことを感じさせる。




「お父様、汐妻教授の研究室です。」




目に飛び込んだのは、部屋の中央にそびえる大きな透明のガラスチューブがひとつ。樽ほどの大きさだが、中は空っぽだ。水族館でクラゲを見た水槽に似ている。


天井からたくさんつながっている管たちが、ここに何かが入っていただろうことを物語っている。観賞用のクラゲや熱帯魚ではなさそうだ。




冷たいガラスの表面にそっと赤紫のネイルの手を添え、思い出すようにつぶやいた。


「この部屋です。ここでクローンの実験が行われました。」


「じゃあ、チビはここで…」




チビが走り出し、


「これ!兄ィとぼくだよ。」と指さした。


デスクには研究機材とたくさんの本が整頓されて並んでおり、その傍らに写真が2枚飾られている。


これ僕?チビ?同じ顔でどちらか見分けがつかなかったが、幼い頃に撮ったものらしい。「兄ィとぼくだって。」チビには違いが分かるようだ。写真の日付を確かめると、一枚は5歳の僕の写真、もう一枚は5歳のチビだった。




「さ、座ってください。


ご希望どおり ”タネあかし” のお時間ですわ。」




タネあかし?…ってなんだ?




「別に秘密にしていたわけじゃありませんわよ。あなたたちのステップが進むと同時に、計画されたプログラムの順番で、適正なタイミングでお伝えしているだけ。何度も言ってますけど。」言い訳がましく眉を上げる。「これで全部よ。今からお話しすることは、私たちが分かっているすべての情報になります。ツルタ弁護士の立会いの下、あなたにきちんと説明責任を果たしたとして正式に記録されますので、そのおつもりで。」




事務的な言葉を受けて、後から入ってきたツルタ弁護士。


汗で少ない前髪がへばりついた頭を、どうもと下げた。






(つづく) あと9話…

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