第3話 気を回す令嬢、気が揉める王子

 エリザ嬢の滞りない手配のおかげで、ミカエル王子は軽やかに片付いた執務状況のもと、二人でカエル慰問に出立する次第となった。

 王子というのは供たちへの気遣いも当然しなければいけない立場で、もちろんエリザだけに気を配るわけにはいかないものだが、内心何が気になるといえばエリザのことだった。

「陽射しが強いから、体調が悪いときはすぐに伝えるように。何度か休憩を入れるが」

「ご心配なく。私は辺境育ちですので」

 エリザはそう言うが真夏に馬に乗って移動するのは慣れていないと厳しいわけで、だから当初ミカエルは反対したのだった。エリザをミカエルの名代として各地に派遣したことは何度かあるが、辺境でカエル駆除に当たっている屈強な兵士たちでも音を上げる今年の暑さは異常で、心配するなという方が無理だった。

 一方、ミカエル王子が言いづらそうに暑さのことを告げるたび、考えを巡らせるのはエリザの職業病だった。

 今日は、口うるさいと思われるのを承知でエリザがミカエルに進言するいつものパターンの逆だ。自分の立てた計画に不備があったのではと不安になった。

 エリザが供たちを見回すと、まだ一刻ほどですでに疲れが見え始めていた。王都を囲む関所を越えたら馬を走らせて夕方には目的地に到着しようと思っていたが、配慮が足らなかったかもしれない。

「申し訳ありません。早急に対応します」

 エリザが物事をまっすぐ進めるわりに王宮という複雑な世界でやって来れたのは、方向転換も早いからなのだった。すぐさま馬上で手紙をしたためると、伝書鳩に託して南の方角に飛ばす。

「全体的に休憩を増やして、今日の夜は一晩休んでから目的地に向かいますが、よろしいでしょうか?」

「構わないが、宿は目的地にしか取っていないのではないか?」

「宿に当てはあります」

 伺いを立てたエリザにミカエルは首を傾げたが、彼女は自信を持ってうなずく。

 エリザは供たちの間を回って、一人ずつの顔色を確認しながら言葉をかけた。

「みなさん、強行軍を組んで申し訳ありませんでした。今晩はゆっくりできるように手配しますので、もう少しがんばってくださいね」

「は! ……恐縮です」

 普段つんとしているが案外気配りさんであるエリザ嬢に、兵士たちは一瞬でれっとしそうになったが、後ろでミカエルが睨んでいるので慌てて顔を引き締めた。

 関所を越えて田園の中に入ると、馬は走りやすくなって風を感じることができるようになった。ミカエルがふとエリザを見やると、彼女は少し頬を緩めていた。

「エリザ?」

「すみません。久しぶりの王都の外ですから」

 エリザは短く答えただけだったが、ミカエルは彼女がいつも辺境の実家に帰りたがっているのを思い出していた。

 彼女は日々筆頭仕官の仕事に尽力しているが、その地位で権力を振るうことには執着がない。それと同じで、ミカエルに仕えることに手を抜いたことはないが、王子の婚約者という地位にも執着がないように思う。

「トマト畑、変わらないかな」

 ぽつりと独り言をこぼしたエリザは、その言葉にミカエルが焦ったのは気づかず、頬を染めて旅路の向こうを見た。

 それから一刻ごとに水を飲んで休憩し、馬の足も休めながら進んだために行程は遅れたものの、夕刻には一行は無事今晩の宿泊地に到着した。

 ミカエルがトマト畑を横目に入城すると、居城の扉の前でその城の主が出迎えて言った。

「ミカエル王子。我が城へよくお越しくださいました」

 ここは比較的王都にも出入りする辺境伯、ハリス・エル・グヴィンの城だった。まだ二十代半ばと若く、黒髪に少し浅黒い肌をした野性味のある青年で、ミカエルに挨拶するとすぐにエリザに目を移して気さくに笑いかけた。

「エリザも、よく来たな。今日は暑かっただろう」

「突然宿を借りたいなんて言ってごめんなさい」

「気にするな。……何ならずっといてくれてもいいぞ」

 ミカエルがグヴィン伯は独身だったことを思い出して目の色を変えると、彼はポーカーフェイスでミカエルに向き直って言った。

「先に湯殿の用意をしております。休憩いただいた後、夕餉をお召し上がりください」

「気遣い感謝する」

 個人的には気に入らないが突然の来訪を快く受け入れてくれることには感謝せざるをえなくて、ミカエルは素直に礼を述べた。

 供たちを連れて入城して、ミカエルがいつものようにエリザを振り向いたとき、彼女が膝をついていることに気づいた。

 ミカエルがどうしたと声をかける前に、グヴィン伯がひょいとエリザを抱え上げて言った。

「変わらないな、エリザ。令嬢が兵士と同じペースで走ったらきつくて当然で、別に悪いことじゃないだろう。ちょっと別室で休みな」

 まるで保護者のようにたしなめた彼にエリザはこくんとうなずいて、その構図にミカエルの心中は荒れた。

 婚約者の立場で言ったとしてもエリザが同じように安心して自分の腕に身を任せたとは思えなくて、ミカエルはグヴィン伯に連れられて行くエリザを止めることができなかった。

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