第61話【バグーダへ向かう馬車とリリスの記憶力】
領都からの出発の日、僕達は乗り合い馬車の出発駅に来ていた。
今回の移動はサナールに戻る予定がないため独自に馬車を借りると返って高くなるので乗り合い馬車での移動を選択したのだ。
「そう言えば乗り合い馬車って初めて乗るんだよな。
カルカルから来る時は伯爵家から迎えの馬車が来たし、領都からカルカルに向かう時は独自に馬車を借りて往復したからな」
出発駅の建物や今から乗るであろう馬車を眺めながら僕が興味深そうにしているとリリスが手を引っ張って来たのでそちらに注意を向けた。
「どうかした?」
そう問う僕に笑顔で「お弁当を買いに行かない?」とお店を指差した。
(お弁当?)
その言葉に日本風の幕の内弁当をイメージしたが、お店に並ぶ品物を見て少しばかりガッカリした。
そこに並んでいたのは保存の効く干し肉から日持ちしそうだが固そうなパン、水を入れる水筒が所狭しと並んでいたからだ。
「リリス。これならばいつものお店で大量に仕入れた食べ物を簡易調理でもして食べた方が数倍美味いと思うんだけど……」
僕の
「それは分かってるけど、今回は乗り合い馬車での移動なのよ。
途中の村とかで泊まる日は問題無いけど野営日もあるんだから傷みの早い食べ物をほいほい使ってると周りの人達から白い目で見られる事になるわよ」
「ああ、なるほど。
だからカモフラージュのためにも手荷物の邪魔にならない程度はこういった簡易食料が必要な訳か」
僕が感心している間にもリリスはいくつかの食料品を選んで買っていた。
「このくらいで良いかしらね」
リリスはふたり分の簡易食料を背負いカバンに放り込むと僕の手を取り馬車へと向かった。
「――まもなく、バグーダ行きの馬車が出発します。
お乗りの方はお急ぎください」
馬車の前では乗車案内の女性が馬車に乗る予定の人々に呼びかけていた。
「早く行かないと乗り遅れちゃうわよ」
リリスの僕の手を引っ張る力が強くなる。
「ふたりお願いします」
リリスが案内の女性に運賃を手渡すと領収書がわりと目印なのだろう細身のブレスレットをふたつ渡された。
「向こうに着くまでは身につけておいてください。
それが乗車許可証明になりますので無くさないようにお願いします」
馬車が出発する時間になり乗車人の最終確認が行われた。
大体ひとつの馬車に最低限の荷物を乗せた場合、人が乗れるのは5〜6人が普通なのだそうだが、今回は
内訳は僕とリリス、のんびりとした老夫婦に小さな子供連れの母親、若い2人組の女性に深いフードを被った年齢のよく分からない男性の合計9名であった。
それに御者が2名と3人の護衛が乗った小さめの馬車が追随する形となった。
「こうして見ると大きな馬車だよね」
僕が率直な感想を話していると御者の男が「領都サナールからバグーダへはこの大型馬車が定期的に運行されているのですよ」と教えてくれた。
「それではバグーダ行きの馬車が出発致します」
御者の声に案内の女性が乗客全員に対して声をかけた。
「それでは皆様の旅のご無事をお祈り致しております」
そう言って女性はペコリと頭を下げた。
――旅はおおむぬ順調だった。
馬車ではそれぞれが簡単に名乗るとリリスに二人組の女性が話しかけていていた。
「あなた、ナオキ治癒士と一緒に旅をされてるんでしょ?
もしかして奥様ですか?」
今回の派手な治療のおかげで一躍有名になった僕の顔は領都では売れていたので当然ながら乗客の殆どが僕の顔を知っていた。
「『奥様』だなんで、嬉しい事言ってくれるけどまだなのよ。
あれだけ多くの女性を触って治してきたくせに実生活はのほほんとしているのよ」
「へえー、そうなんですね。
治療の時は凄く真剣な顔をしてるから格好よく見えたけどこうして普段出会うと普通のお兄さんに見えるのね」
「あら、あなた治療を受けた事があったかしら?」
リリスはギルドの受付嬢をやっていたころから依頼人として来た人を憶える習性を鍛えてきたので、あの数百人からなる患者も完全ではないが記憶していた。
「いいえ、私は付き添いで治療を受けたのは私の母でした。
母は腕の良い裁縫師でしたが怪我をしてからは手が震えて針を持つ事さえ出来なくなっていました。
それをナオキ治癒士に治して貰ってからは以前のように元気な母に戻りました。
本当に感謝しています」
コリアと名乗った彼女はナオキにお礼を言った。
「ああ、あの手に大きな傷のあった方の事ね。
それなら憶えているわ。
あの人の付き添いで来られてたのですか……」
リリスが記憶の引き出しから患者の情報を見つけて納得する。
「なあ、まさかリリスはあれだけ多くの患者を全員記憶しているのか?」
僕はリリスの会話を横で聞いていて気になったのでそっと聞いてみた。
「んー。全員は無理だけどそれなりには……ね。
今回は聞き取りの際に裁縫師をやっていたと聞いた記憶があったから思い出しただけよ。
何よ?その顔……そんなに驚く事じゃないと思うけど……」
リリスはあっさりとそう言うが不特定多数の患者が来たあの状況で人を憶えていられる彼女の記憶力は相当なものだと感心した。
「それでね……」
「そうなんだぁ……」
僕の感心を他所にリリスとコリア達の女子トークは弾丸のように暫くの間続いたのだった。
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