第29話 デート(3)水族館
桜木がまず向かったのは水族館だった。
本日の予定は何も聞かされていない。
行き先がわかっていないというのは、あらかじめ相手とすり合わせてから外出する早苗に取っては、不思議でもあり新鮮でもあった。
一応、入る前に、大丈夫かと聞かれた。
早苗は大丈夫だと答えた。生臭いのが駄目とかあるのだろうか。
入場券を買う列に並ぶ。
桜木が、イルカのショーやクラゲの
楽しそうにはしゃいでいるのが、なんだか可愛い。
列の先頭になり、二人が入場料を払う所まできた。
「大人二人」
言いながら桜木がクレジットカードを出す。
「私、自分の分払うよ」
「早苗さん……」
早苗が財布を出すと、桜木が悲しそうに
男に花を持たせてくれ、ということだろう。
「ごめん……」
今日の分を最後にまとめて払おう、と決めた。
最初に展示されているのは、近隣の海の魚たちだ。スーパーの鮮魚売り場にいるような、馴染みのある魚が泳いでいる。
「美味しそう……」
水槽を眺めて、早苗は思わずそう口にしていた。
「ぶふっ」
隣の桜木が噴き出す。
「水族館にきて、開口一番がそれって……さすが早苗さん」
「だ、だって本当に美味しそうなんだもん。あそこのスズキとか、クロダイとか」
「運動不足で丸々太ってますもんね。早苗さん、料理しない割に詳しいですね……と思ったら、カンニングしてる?」
「バレたか」
早苗がバシッと魚の名前を当てられたのは、水槽の下方に掲載されていた魚の紹介表示を見たからだった。
「普段見るとしても切り身だし、そもそも私、魚売り場ってお刺身しか見ないから……」
「早苗さんらしいです」
「マグロとか、カツオとか、サンマくらいならわかるよ。あとカレイ! あ、でもヒラメとどっちがどっちだっけ?」
「お腹を下に向けて置いた時に、左を向くのがヒラメで、右を向くのがカレイです」
「さすが。詳しいね」
「勉強中です」
ご飯作ってるもんね、とは言わなかった。泊まったときの朝ご飯を思い出してしまうから。
「わー! 桜木くん、見て! こっちには熱帯魚がいっぱいいる!」
「きれいですね」
「じっとしてて全然動かない魚もいるね」
水族館は子どもの頃以来だったが、意外に楽しかった。
デートスポットとして定番なのは知っていたが、わざわざ魚を見に行かなくても……と思っていた早苗は、全国の水族館にそっと謝った。
周りにも、子ども連れの家族に交じって、カップルで来ている客もたくさんいる。
薄暗いところがまた雰囲気があって人気なのだろう。
私たちも、カップルに見えるのかな?
早苗は桜木と繋いでる手を見た。
手を繋いでいるのだから、見た目が釣り合わないと思われていたとしても、カップルには見えるに違いない。
そう思うと、どうしても口元が緩んでしまう。
視線を桜木の腕から肩、顔へと移していく。
本当に格好いいな。
好きだと自覚しながら改めて見る桜木は、これまで以上にイケメンに見えた。
引き締まった体。整った顔。無造作に散らされた毛先。
なのにキラキラとした子どもみたいな目で水槽を見ている。
そのギャップにきゅんとする。
「どうしました?」
「格好いいなーって思って」
早苗はぽろりと本音をこぼしてしまった。
途端に桜木が天井を
「あー……抱きしめたい……」
「え、何?」
「いえ、早苗さんに格好いいってまた言ってもらえて感動してます。早苗さんもすごく可愛いです。俺とのデートのためにお
「べ、別に、桜木くんのためじゃ……っ」
桜木が、本当に嬉しい、というように
お世辞だとしても、頑張ってきてよかった、と思った。
「照れてるのも可愛い。あーキスしたい」
「えっ!?」
今度の桜木の
桜木が体を寄せて、早苗の前髪にそっとキスをする。
「桜木くん!」
「今はここまでで」
人前で何てことをするのか、と早苗が前髪を押さえて抗議したが、桜木は悪びれることなく笑っている。
「そろそろイルカのショーが始まりますから、先に行きましょう」
「もう、誤魔化さないで!」
文句を言われるのさえ嬉しい、というように、桜木はにこにこと早苗をショーの会場へと連れて行った。
水族館を満喫したあとはお昼ご飯に行く。
桜木が向かったのはお洒落なカフェだった。
日曜日の昼間だというのに、並ばずにすんなり入る事ができた。
「できたばかりのカフェで、穴場なんです」
「へぇ」
さすがのリサーチ力だ。SNSですぐに拡散してしまう今、そんな穴場があるだなんて信じられない。
店員の案内で、丸テーブルの二人席に向かい合って座る。
「わぁ。美味しそう」
メニューの写真はどれも美味しそうだった。
オープンサンドにハンバーガー、ワンプレートランチ。野菜カレーまである。どれもサラダバーがついていた。
「どれにしようかなぁ」
迷ってしまう。
「エビとアボカドのサンドがおすすめですよ。早苗さん好きでしょう?」
「うん。よく知ってるね」
「トレーニーだったころに、一度職場近くのカフェにランチに連れて行ってもらったんで。好みが変わってなくてよかった」
「そうだっけ?」
一緒にカフェに行った事なんて、全然覚えていない。
「作った資料を当時の課長代理にぼろくそに言われて
「えぇー……」
くすくすと桜木が笑う。
二十代前半の男性に、好きな物を食べろ、と言いながらカフェにつれて行ってどうするのか。そこは焼き肉か居酒屋だろう、と早苗も思った。
我ながらそのチョイスに呆れてしまう。
「たぶん先輩は、そのとき自分が食べたかった店に行ったんですよね」
「申し訳ない……」
「いえいえ。おごってもらった身ですから。ごちそうさまでした」
「じゃあ、お詫びにここは私が」
「それは駄目です。今日一日は俺が出します」
「そんな悪いよ」
割り勘ならまだしも、後輩に払わせるなんてできない。
「俺が頑張れる所なんてそこ位しかないんですから、させて下さい。早苗さんは甘えてくれてればいいんです」
「でも……」
なおも早苗が食い下がろうとすると、店員がやってきて、ご注文はお決まりですか、と聞いてきた。
「早苗さん、決まりました?」
「えっと、あのっ、えっと……」
心の準備をしていなかったから、店員に話しかけられて一気に頭が真っ白になってしまった。
「さっき言ってたのでいいですか?」
桜木が助け船を出してくれる。
「うん」
「エビとアボカドのオープンサンドお願いします」
「お飲み物はどうされますか?」
「えーっと……」
「オレンジジュースありますよ」
セットのソフトドリンクはどこだろう、と早苗が目を
「じゃあ、それで」
「オレンジジュースですね」
桜木はもう決めてあったようで、ハンバーガーを頼んだ。フライドポテトがついているボリューム満点のメニューだった。
だが早苗もぺろりといけそうな気はする。
「交換しますか?」
そっちにしてもよかったかな、と思っていると、その心を見透かしたように、桜木が言ってきた。
「なんで分かるの!?」
「早苗さんはすぐ顔に出るから」
「うそー……」
恥ずかしい、と早苗は両手で顔を挟んだ。
「で、交換しますか?」
「ううん、大丈夫。アボカドも美味しそうだから」
「足りなかったらあとでデザートを食べましょう。近くにソフトクリームの美味しい店があるんです」
「ソフトクリーム!」
早苗が目を輝かせると、それを見た桜木が嬉しそうに目を細めた。
うわ……。
この顔は苦手だ。好かれているように勘違いしてしまう。
落ち着け落ち着け、と早苗は胸に手を当てて、話題を切り替えた。
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