第13話 セフレ(7)セフレ

 その日の午後、試験結果の報告会はあっさりと終わった。


 早苗の代わりに結果の説明をした奥田が、さらっと前の試験結果を訂正したことを謝罪し、顧客も特に引っかかることなく受け入れたのだ。


 ほっと一息である。


 会社に戻ったあと、桜木にメールでそのことを報告する。


 返事は「お役に立ててよかったです」の一言だった。


 もちろん「皆瀬さん」「お疲れ様です」といった定型文は書いてあったのだが、本文はそれだけで、ずいぶんあっさりとした内容だ。


 会社のメールでプライベートな事は書けない。


 だとしても、もう少し何かあってもいいのではないか。


 そう思ったが、かといって、では何が書いてあれば満足だったのか、と自分に問えば、他に書きようがないとしか思えない。


 ふぅ、とため息をついてそのメールをアーカイブフォルダに移したあと、奥田が話しかけてきて、早苗は仕事モードに頭を切り替えた。





 残りの試験項目も大きな問題は起きずに消化し終わり、最終的な試験結果の報告も終わった。


 あとは顧客側の試用試験が終われば、残すはサービス開始リリースのみだ。


 その裏で、今度は次期システムの提案活動が佳境を迎えていた。


 本来であれば、もっと早く提案活動を終え、そろそろ顧客の要求を聞き取ってまとめる要件定義工程フェーズに入っていてもおかしくない。


 だが、顧客内での予算確保が長引いてしまい、なかなか契約が結べていなかった。


 受注できないと、開発メンバーを確保しておくための費用が下りない。


 このままでは、サービス開始を迎えたあとは、協力会社のメンバーを他のプロジェクトへと回さなければならなかった。


 しかし一度手放したメンバーはそちらのプロジェクトに抱え込まれてしまうため、戻せる可能性は非常に低い。


 今まで一緒にやってきた気心きごころ知れたメンバーを簡単に放出するわけにはいかず、契約を結ぶことが急務だった。


 遅れている理由は、顧客のキーパーソンである橋本はしもと執行役員が、次期システムの構成に納得しないからだった。


 早苗たちは、様々な事柄を考慮し、システムをクラウド上に構築することを提案した。


 クラウドであれば従量課金制となり、新しくサーバーなどを購入するよりも初期費用がおさえられるからだ。


 顧客側の担当者である川口かわぐちはそれで納得しており、後は社内稟議りんぎを通すだけとなった段階で、新しく就任した橋本が、システム利用者の個人情報をクラウド上に乗せることに難色を示した。


 その気持ちはとてもよく分かる。


 個人情報の流出は誰でも怖い。


 だから早苗たちは、今まで通り、顧客が自前で用意するサーバー上でシステムを動かす構成の見積もりも行った。


 利用者から得られる収益を計算し、最初から大人数の利用者を見込んで過剰性能オーバースペックでサーバーで構築するよりも、利用者が少なくても赤字の出ない従量課金制のクラウドの方が、リスクが少ないと説明した。


 それでクラウドシステムにはいったん理解を示してもらえたのだが、今度は早苗たちが構築する人件費が高すぎると言い出した。


 そう言われても、人が働く以上は費用が掛かる。早苗たちの給料はそこから発生するのだ。


 目に見えるサーバーという物理的な買い物やシステム利用料とは違い、システム開発はその過程が目に見えにくい。


 だから、こういう顧客はままいる。


 それを説得するのが営業の役割で、説得に足る根拠資料を提出するのが早苗たち開発チームの役割だった。


 どれだけの作業があって、それにはどれだけの人手が必要で、だからこれだけの費用が掛かる、という詳細な見積もりを作る。


 なんとか顧客の言う予算内に収めようと、この機能はなくてもなんとかなる、その試験は絶対に必要だ、と川口を交えて費用削減の検討を重ねていった。


 連日終電で帰る日々が続いた。


 営業である桜木もそれは同じで、開発部隊と一緒になって提案資料を作った。


 席が離れているのは効率が悪い、と開発チームの近くに座席を移した程だ。


 新人の頃に指導していたからなのだろう、桜木の仕事のやり方や思考の課程は早苗とよく合っていて、これまでずっと一緒に仕事をやってきたかのように、やりやすかった。

 

 そして、早苗は金曜の夜は桜木の家に泊まるようになった。


 部屋に来ないかと誘ってきたのは桜木だったが、その次からは自然と二人でタクシーに乗っていた。


 くたくたになった頭で桜木の部屋に行き、セックスをして泥のように眠り、翌朝は再びシャワーを浴びて桜木の朝食を食べて帰る。早苗がそのまま休日出勤することも多かった。


 体だけの関係だ。


 キスもセックスもするけれど、愛の言葉はない。


 外ではそういう態度は取らない。


 桜木の部屋に入れば始まり、部屋を出れば終わる。


 早苗はそれで満足していた。


 桜木とのセックスはとても気持ちがよく、優しくされると心が満たされた。


 別に恋人がいるわけでなし、少しくらい遊んでもいいだろう、と思っていた。


 


「先輩、今日は休日出勤ないんですよね?」


 ある日、一緒に朝食を食べていたとき、桜木が聞いてきた。


 今朝のメニューはご飯と焼き魚と味噌みそ汁だった。


 早苗が手伝うと申し出ても、いつも桜木が先に起きているし、遅れて台所に入ってもかたくなに拒まれてしまうので、早苗は手伝ったことはない。


 桜木は私服、早苗は昨日と同じスーツを着ていた。


「ううん、奥田さんが出るって言ってたから、私も出るよ」

「奥田さんが……」


 桜木が眉を寄せる。


「昨日資料はできましたよね? 今日は行かなくてもいいんじゃないですか? うちでゆっくりしませんか?」

「なんで?」

「なんでって……」


 桜木は言葉に詰まった。


「出社しないんだったら家に帰るよ。スーツじゃ落ち着かないし。――このお味噌汁いつもよりさらに美味しいね。まさか出汁だしから取ってたりしないよね?」


 早苗に美味しいと言われた桜木は、口元を緩めた。


「出汁は粉末ですけど、二種類使ってて。あと味噌も白味噌と赤味噌を混ぜてます。――じゃなくて」

「秘密は出汁とお味噌じゃないの?」

「いや、そうじゃなくて」


 早苗は首をかしげる。

 

「せめて、荷物を置いて行きませんか?」

「荷物って?」

「化粧品とか、服とか、下着の予備とか……。洗濯なら俺しておきますよ」

「なんで置くの?」


 早苗が聞き返すと、桜木はショックを受けた顔をした。


「いちいち持ってこなくても、置いておけば楽じゃないですか」

「別に持ち歩けるし、きボトル買ったからいつもの使えるし、困ってないよ?」

 

 セフレが相手の家に荷物を置くのはおかしい。


 金曜の夜はいつもあいているようだが、桜木はきっと他の日には別の女性も連れ込んでいるに違いないのだ。


 取っ替え引っ替えな生活を送っていた桜木が、早苗だけで満足するとは思えない。


 そういう時に、早苗の痕跡こんせきがあったら困るだろう。


 それとも、綺麗さっぱり片付けるのだろうか。


 洗面台の下をあされば、そういうのが見つかるのかもしれない。そんなことはしないけれど。

 

「先輩が、そう、言うなら……」


 渋々といったように桜木が引き下がった。 


「あの、先輩、俺の名前、知ってますか?」

「当たり前でしょ」


 何を突然言うのか、と早苗は笑った。


 桜木さくらぎ遙人はると。覚えていない訳がない。


「そう、ですよね」

「どうしたの、急に」

「いえ、なんでもないです。――えと、さっきの味噌はですね」


 首を振った桜木は、味噌配合の説明を始めた。

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