私と僕

望月 栞

第1話

 残暑が厳しいこの季節に、私は通信制高校の通学コースに転入した。人数は全学年合わせて十人だけで、建物は校舎ではなく、ビルだ。

「担任の牛見浩之だ。今日からよろしくな」

「乾かおりです。よろしくお願いします」

 他の生徒たちに会う前に、牛見先生と顔合わせをした。けっこうイケメンだ。三十歳くらいだろうか。

 朝のホームルーム。通常の教室よりも少し狭い教室で牛見先生に促され、他の生徒の前で自己紹介をした。とはいっても、牛見先生にしたのと同じことを繰り返すだけ。男子からも女子からも視線を感じる。早く座りたい……。

 窓際の空いている席に座り、ホームルームが終わると多くの子から声を掛けられた。通信制の高校で人数が少ないこともあって、次に転入してくる子はどんな子と、興味を抱く人がほとんどのようだった。おかげで、私は初日から友達作りに困らずに済んだ。

「乾さんは兄弟いるの?」

「双子の弟がいるよ」

 私に両親はいない。私が小学生の時に事故で亡くしてから、祖父母の家で暮らしている。

 全ての授業が全日制の学校よりも早く終了し、最寄り駅まで仲良くなった子と一緒に帰った。その子と別れると、ふぅ、と息を吐き出した。今日は緊張しっぱなしだった。

 皮膚が火傷するんじゃないかと思うくらいの暑く眩しい日差しのなか、帰宅途中に小さな雑貨屋に寄った。気分転換にと思ったが、店内で色々見て回るうちに水晶を使ったブレスレットと、透明なブルーの香水の瓶に目が留まった。どちらもセールで安くなっており、衝動買いした。

 帰宅すると、おばあちゃんがリビングから顔を出した。

「おかえり」

「ただいま」

「大丈夫だった?」

「うん」

 私は二階に上がって自室に入った。私服に着替えると買ったばかりのブレスレットを取り出して身に着け、香水の瓶は西日の差す出窓のスペースに置く。どちらも綺麗だ。

「やっと家に帰ってきたね」

 カオルが声を掛けてきた。私は頷いた。

「ちょっと疲れたよ」

「それ、どうしたの?」

「綺麗でしょ? 雑貨屋さんで見つけたの」

「ふぅん。確かに綺麗だね。ねぇ、疲れたなら少し休んだら?」

「……そうしようかな」

 私はベッドに倒れ込んだ。昔は眠ったら、すぐに朝がきてしまって眠ることが嫌だった。でも今は、眠っている間は何も考えなくていいからとても楽だ。

「僕がもっと綺麗にしてあげるよ」

「えっ?」

「……おやすみ」

「うん」

 私はウトウトしてきてそのまま眠ってしまった。カオルが薄く笑ったような気がした。

 眠りから覚めたら、ひどい惨状が目に入った。私は驚いて飛び起きる。

「何で……」

 腕に着けていたはずのブレスレットが切れて水晶が床に散らばっている。それと同じように香水の瓶も割れ、破片が散乱していた。

「綺麗でしょう?」

 カオルが微笑んで言った。私は賛同なんて出来ない。

「また、やったの?」

「またって?」

「前にもやったじゃない。私が綺麗だと思って買ったカーネーションの花びらを全部取ってばらまいたよね」

「あぁ、やったね。あのときはベッドだったけど、あれは花びらだからお風呂の方が良かったかなって、あとでちょっと思ったんだよな」

「どうしてこんなことするの?」

「どうしてって、綺麗だから」

「綺麗じゃない!」

 私は思わず叫んだ。

「せっかく買ったのに」

「かおりが綺麗だって言っていたから、もっと綺麗にしようって思ったんだよ」

「壊しただけじゃない」

「そうだよ」

 カオルは詫びれもせずに笑った。

「美しいものは、壊した方がより美しくなるんだよ。花びらだって、あの後に窓から外に落としたら、風に舞って綺麗だったでしょう」

 その時のことを思い出して、何も言えなかった。実際にカオルが落とした花びらが風に舞っているのを見た時は、不覚にも綺麗だと思ってしまっていた。

 私は悔しくて部屋を出た。あれは私が全て片付けなきゃいけない。

 リビングに下りると、おばあちゃんが心配そうに聞いてきた。

「大きい物音が聞こえたけど、どうしたの?」

「何でもない」

 私は冷蔵庫から麦茶を取り出して、コップ一杯分を一気飲みした。


 今日も問題なく一日を過ごせた。転入してから順調に進んでホッとしている。

「乾、授業は大丈夫そうか?」

 私は教室を出ようとしたところで、牛見先生に訊かれた。

「はい」

 むしろ、通信制の学校は全日制の学校よりも授業内容が緩くて助かっている。

「そうか。気をつけて帰れよ」

 私を気遣ってくれているのはわかったが、私は学校生活には不自由していなかった。

「先生」

「ん?」

「先生は兄弟いますか?」

 私の急な質問に先生は目を丸くした。なんだか、かわいい。

「姉が一人いるよ。乾はいるのか?」

 私は頷いた。

「弟がいます。双子の。先生は兄弟ゲンカってします?」

「子供の頃はしてたけどな。乾は弟とケンカ中か?」

「ケンカって言うほどでもないんです。私の弟、カオルっていうんですけど、カオルが私の綺麗だなって思ったものを勝手に壊すんです」

「壊す? 何でまた?」

「綺麗なものは壊した方がより綺麗だからって」

 先生の眉間に皺が寄った。

「カオルはちょっと感覚がズレているんです。本人は悪いことをした意識がなくて」

「そのカオルくんは、他に何かするのか?」

「いえ、特には。私が気に入ったものにだけ、そういうことをするんです。だから、おじいちゃんやおばあちゃんは気付かないけど、私は困ってて」

「壊すのは参っちゃうよな」

 その時、トイレに行っていた友達が戻ってきた。

「じゃあ、先生、さよなら」

「あぁ、気をつけてな」

 学校を出ると、友達が言った。

「牛見先生って人気なんだよね」

「かっこいいもんね」

「噂じゃ、彼女いないらしいよ」

「そうなんだ」

 駅まで牛見先生の話題が続いた。ホームで友達と別れて家に帰ると、カオルが挨拶なしに唐突に言った。

「牛見先生のこと、気になるの?」

「何、急に……。そもそも、何で牛見先生のこと」

「友達と話していたでしょう?」

「えっ、聞いていたの?」

「もちろん。かおりが新しい学校で上手くやれているかなって思ってさ」

 私が口を開こうとしたら、おばあちゃんの声に遮られた。

「かおり? 帰ったの?」

 お祖母ちゃんがトイレから出てきたところだった。

「あ、うん。ただいま」

 私は靴を脱ぎ、急いで自室へ向かった。机の近くにある姿見の前に鞄を置いてから、カオルに言う。

「大丈夫よ。友達も出来たし」

「それなら良かったけどさ。気になるなら、友達だけじゃなくて牛見先生とも一緒に帰ってみたら?」

「私は別に……。だいたい、そんなこと出来ないよ」

「何で?」

「先生は私達生徒よりも帰りが遅いだろうし、先生は他の子にも人気みたいだし」

「誘ってみるだけしてみればいいじゃん。人気だっていっても他の子も交えて帰ればいいと思うし。帰るだけなんだから問題ないでしょ?」

「そんな簡単にいかないよ」

「出来ないなら、代わりに僕がやろうか?」

 カオルの提案に対し、私はとっさに拒んだ。

「そんなことしないで」

「……そんなに勢いよく言わなくてもいいと思うんだけど」

 そう呟いてカオルは拗ねた。


 いつも閉じこもっていることの多い僕は、気分転換に外に出ることにした。昨日のかおりの反応も面白くなかったし。

 無地のシャツにカーディガン、ジーンズと楽な服装で髪を束ねる。本当は映画でも見たかったけど、アルバイトをしていないからお金の問題があった。美術館もいいけど、展示してある作品によっては壊したくなるから、かおりから美術館の出入り禁止令が出ている。

 結局、僕はチェーン店のカフェに入った。Sサイズのコーヒー一杯だけなら、かおりも許してくれるだろう。彼女のお年玉を使ってお金を払った。隅の空いている席に座り、コーヒーを片手にかおりの私物である小説を読んで過ごし、その後は本屋に立ち寄った。色々見て回っていたら、時間があっという間に過ぎた。

 もう帰るかと本屋を出たところで、思わぬ姿を見つけた。牛見だった。スーツ姿でいる。恐らく、休日出勤なのだろう。

 気付かれないように牛見を尾行したが、スーパーに向かっているのがわかってやめた。家に帰る前に寄るんだろう。そこまで時間を掛けて尾行を続けるつもりはなかった。僕は牛見に近付く。

「牛見先生、こんにちは」

 牛見は振り返ると、僕の姿を見て「あっ」と声を漏らした。

「乾か」

「休みの日も出勤なんて、大変ですね」

 僕は薄く笑った。牛見は気付いていない。

「あぁ、まあな。乾は遊びにでも出かけていたのか?」

「遊びというほどじゃありません。息抜きにカフェで読書していたんです」

「へぇ、優雅だな」

「先生は彼女、いないんですか?」

 突然の質問で驚いたのだろう。牛見は目を瞬いた。

「彼女? 残念ながらいないが……」

「ふぅん。そうですか」

「美人な彼女でもいそうに見えたか?」

 冗談で言っているようだ。

「何とも言えませんね」

 牛見は苦笑した。

「そこは嘘でもいいから、はいって言ってくれないと」

「それはすみませんでした。牛見先生に会うのは初めてで、よく知りませんから」

「えっ?」

 僕の言葉に牛見は固まった。僕を凝視している。

「かおりから聞いていませんか? 僕のこと。カオルです」

 牛見は目を見開いた。牛見が何か言うまで間があった。

「双子の弟の……乾カオルくん?」

 僕は頷いた。牛見は戸惑っていた。

「あぁ、そうか。申し訳ない。てっきり、お姉さんの方だと」

「いいんです。僕らはそっくりですから、よく間違われるんです。むしろ、僕はそれが楽しかったりするので。イタズラしてすみません」

「いや、こちらこそ、最初に確認するべきだった。でも、どうして俺のことを」

「かおりから学校のことは色々聞いていますから、牛見先生のことももちろん伺っています」

「……そうか」

 何て言われているのか気になるのか、牛見は何か言いたそうにしている。

 僕は牛見の意見を直接聞いてみようと、空を見上げた。オレンジ色に染まった夕焼け空だ。

「牛見先生はこの空を見て、どう思いますか?」

 牛見を横目で見ると、僕と同じように見上げていた。

「綺麗だなと思うよ」

「それだけ?」

 僕が首を傾げて訊くと、牛見は空から僕に視線を移動させた。眉間に皺が寄っている。

「それだけって?」

「僕はね、今すぐ嵐になってしまえばいいと思うんです」

「どうして?」

「綺麗なものが壊れる瞬間が、一番美しいから」

 牛見は僕をじっと見た。

「君はそう思うんだね」

「はい」

 僕はにっこり笑った。

「それじゃあ、僕は帰ります。牛見先生もお気をつけて」

「あぁ」

 僕は踵を返して、歩を進めた。

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