最終決戦
「はぁ……はぁ……」
平田は息を切らしながら、夕暮れ時の住宅街を走っていた。引きこもり生活でなまった体に、全力疾走はとてもこたえた。スポーツマンだった頃の体力は、すっかりなくなっている。
鈴木は今どうしてるだろうか。バットの一撃が全く効いていなかった以上、よほどの奇跡が起こらない限り助からないだろう。
いい加減、疲れてきた。平田はバットケースに入ったバットを杖代わりにして持ち、そこに体重を預ける形で一休みした。
秋野の遺体が見つかった後、平田の所に警察がやってきた。警察はいじめのことについて全貌を把握しているわけではなかったものの、平田とその周辺が以前秋野に暴力を振るったことがあるのを知っていて、疑念の目を向けているのは明らかであった。
警察の聴取はすぐに終わったものの、平田はあまりの緊張に冷や汗をかいていた。いつか、捜査の手が伸びてくる……そうなれば、少年法があるといっても殺人犯だ。その後の人生に暗い影を落とすであろうことは、簡単に想像がつく。
それからしばらくは、怯える生活が続いた。けれども、警察はなぜか秋野の死を自殺として片づけ、それ以降何の捜査もしなかった。
――多分、親父の圧力だ。
平田の父は、県会議員をしている。恐らく父が圧力をかけて警察の手がこちらに伸びないようにしたのではないか……確たる証拠はないが、平田はそう考えていた。
警察が捜査を打ち切ってからというもの、平田はすっかり日常へと戻っていった。何にも怯えなくていい、普通の生活が、ようやく手元に戻ってきた。秋野はいなくなったが、それ以外は何も変わらない、平穏そのものな日常が……
でもそんな日常は、今村の惨たらしい死体が発見されたことで、音を立てて崩れ去った。友人と彼女が相次いで殺され、平田自身も逃げ惑う羽目になっている。
いつの間にか、鈴木との待ち合わせ場所だった公園まで来ていた。もう子連れの姿はなく、公園には平田一人だ。木の上から聞こえるカラスの鳴き声はどこか寂しげで、吹き寄せる冷たい風が乾いた砂の地面を撫でていた。
ここからあと少し走れば、商店街にたどり着く。そこは一番賑やかな場所だから、あの怪人も手出ししてこない……かも知れない。取り敢えずそこを目指そう……平田は体を起こし、走り出そうとした。
その時であった。西の空から、何かが空を飛んでこちらに向かってきているのが見えた。カラスにしては大きい。いや、カラスどころか、トビよりもずっと大きい……
「うわぁ! 来た!」
空を飛んでいたのは、あの鷲頭の怪人であった。恐ろしい鷲人間が、大きな翼を羽ばたかせて飛行している。沈みゆく真っ赤な太陽を、まるで後光のように背に負って――
駄目だ、もう逃げられない――平田はバットケースから金属バットを取り出して構え、立ち止まった。鷲人間を迎え撃つという、一か八かの賭けに出たのだ。
砂の地面に着地した鷲人間は、右手にバットを持っていた。鈴木が持っていたのと同じものだ。その先端は赤く染まり、何か肉のようなものがこびりついていた。鈴木が殺されたことは明らかであった。
「死ねえええ!」
平田はバットを持って突撃し、ぶるんとそれを振り下ろした。鷲人間もそれを迎え撃つ形で、下からバットを振り上げた。バット同士がぶつかり合い、かつーんという鋭い金属音が響き渡った。
「ああっ!」
平田の持っていたバットは強い力でかち上げられ、そのはずみでバットから手を放してしまった。平田のバットは、そのまま後方に落下した。手持ちの武器は、早々に失われてしまった。
鷲人間はバットを振るい、平田の左脇腹を殴打した。平田が体勢を崩した所に、鷲人間はさらなる追撃を加えるべく、剣道の突きのようにバットの先端で平田の腹を打った。
「ぐあっ……」
後ろに吹き飛んだ平田は、そのまま仰向けに倒れてしまった。バットを投げ捨てた鷲人間は、そのまま平田の方へと近づいてくる。
――鈴木を見捨てて逃げたのは、間違いだった。二人で一斉にバットで襲いかかれば、万に一つでも勝機はあったかも知れない。だがあの時、我が身可愛さで腰が引けてしまい、逃げ出してしまった。今、その判断ミスのツケとして、絶望的な一対一を強いられている。
平田は地面に手を突いて起き上がろうとしたが、そこに鷲人間が飛びかかってきた。
「くらえっ!」
平田は転がっていたバットを拾い上げて、鷲人間の腹を横なぎに打った。先ほど自分が手放してしまったバットだ。不意打ちが功を奏したのか、鷲人間の体がほんの少しだけよろめいた。平田はその隙を見逃さない。バットの二撃目が、鷲人間の顔面を思い切り打ち据えた。
鷲頭の顔面から、ぽろっと何かが落ちた。地面に落ちたそれは、鷲の頭を模した仮面であった。面食らった平田が正面を見ると、目の前に立っていたのは鷲頭の怪人などではなかった。
露わになった鷲人間の素顔……それは女の顔をしていた。どことなくヨーロッパ系の顔立ちをした、美しい女であった。
女は顔面を手で押さえながら、指の隙間から血走った目を覗かせて平田を睨んでいた。激しい怒りのこもった視線が、突き刺すように平田に注がれている。
――そうか。こいつはそこまで、俺を恨んでいるのか……
もう逃げることはできないだろう。この女を倒して生き延びる。平田にはその道しかなかった。
「……お前、秋野なのか? 死人のクセに生きてる人間サマに暴力振るうなんてよ、何様のつもりなんだお前は。いい加減にしろよ」
平田はいら立ちを含んだ口振りで吐き捨てた。女は相変わらずの無言のまま、白い砂を蹴って飛びかかってきた。
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