女神からの贈り物

「危ない!」

「んぎゃっ!?」


 気がつけば、暴走馬車の場面に逆戻り。ゴロゴロ転がり頭を打ちつけてジャックの手の中に収まった。


「メリー!メリアン?大丈夫か」

「ジャック…」


 心配そうに抱擁から解かれ、顔を上げるとジャックの目がうるうると光った。


「よかった……!」


 先ほどの残虐でスプラッタな光景から蘇り、ぎゅうっと抱きしめられてメリアンは息を止めた。


 ――ちょっと、わたくし簡単に抱きしめられすぎじゃないかしら。


 それでも。ジャックに生きて再会できた事にメリアンは安堵と共に笑みを浮かべる。もう一度。この同じ時間を共有できるのだ、という事実に形容のつけがたい気持ちが溢れてくる。当然、メリアンは自分の気持ちに気づいている。だって、死に別れたくないと、つい先ほど思ったのだ。この手に触れて、この顔を間近で見ていたいと。


 だけど。


 ――婚約者ジョセフの方を先になんとかしないと。先には進めないわね。


「ほら!やっぱり戻ってこれたじゃないか!もう会えないとかいうから心配したんだぞ!このバカ!」

「バカ!?」

「何度一緒に死んでると思ってるんだ!メリーが死んだら俺も死ぬ!一心同体だろう、俺たちは!」

「わたくし、いったい何を聞かされてるの!?」


 気づいているのか、いないのか。まるで一世一代の告白のようにも聞こえるそれは、静かすぎる周囲に現実に引き戻された。


「魔法陣は!?」


 ジャックもはっと空を見上げ、異変に気がついた。


「メリー」

「……ええ」


 空を見ると、落下中のティアレアが空中で停止している。


 魔法陣もそのままはっきり浮かび上がったままだ。そしてメリアンを轢き殺す勢いで走り抜けた馬車も、目をむき出し口から泡を噴いた馬が空中で駆け足のまま止まっているし、幌馬車も傾いた状態で壁に激突寸前で止まっている。近くにいた人々も、鳥も噴水の水飛沫も、全て時が止まっているかのようにみじろぎひとつしなかった。


「時間が、止まってる…っ!?」


 ギョッとして周りを見回した二人だったが、メリアンは空に浮かんだ魔法陣を見上げた。時間が止まっているのなら、魔法陣を転写せずとも読み取れる。チャンスは今しかない。


「古代アルヴィン語で綴られているわ!外輪は神聖文字だわ。ジャック、解読できる!?」

「あ、ああ。くそっ。この現象については後回しだな。問題ない!外輪は神聖文字か。場所は天海、え?天海?の、はな、花園。花粉症の季節…。はぁ?天海の花園。花粉症の季節。アマリンダの花粉と現代召喚症候群。レアーリアン、マーマリアン、スヴェンリアン三姉妹の、うん?勇者と魔王の相殺召喚?!なんだこれは。さっぱりわからん。相殺されたのなら問題ないのか?ええと、内輪はアルヴァン語で……」


 外輪については全く訳がわからない。ティアレアが勇者と魔王の相殺で生まれて召喚されたのか?それともどこかの国で勇者が召喚されたのだろうか。どこかで魔王まで生まれてるとか、知りたくない。


 神聖文字が読めるジャックにただただ驚いたものの、書いてある内容は、なんだか神聖っぽくない気がする、とメリアンは首を傾げた。花粉症と勇者と魔王の繋がりはなんなのか。


 レアーリアン、とはひょっとして、女神レアーの真名だろうか。こんなところで、神様の真名なんて知りたくなかった。うっかりが過ぎないだろうか。これではジャックとメリアンはいつでもこの神様三姉妹を呼び出せてしまう。とはいえ、魔力が圧倒的に足りないのだろうが。召喚獣ならばいざ知らず、流石に神を召喚するような魔力は人間に供えられていない、と信じたい。


 しかも三姉妹という事は、後の二人は女神レアーのお姉さんではないだろうか。神々しさを真似たとか言って、えっへんと胸を張っていた気がする。


 こわいこわい。名前については忘れよう。ジャックは引き続き魔法陣を読み取っている。


「レアーリアン、の、鼻、飛沫……鼻飛沫?え?一切清掃、天心浄化。終焉の賛美?回避条件、帰天」


 ………つまり、何?


「要約すると天海の花園は花粉症の季節の真っ只中、アマリンダとかいう花の花粉にやられた女神三姉妹がうっかりくしゃみをしたところ、鼻飛沫をこの世界に落としてしまった。一切清掃、天心浄化。つまり神の心として地上を全てを無に帰す鼻水ってわけだ。回避するには天に帰すしかないってことだな」

「女神の鼻水の回収……」


 魔王と勇者と鼻水の関係性はどこに……?


 女神レアーの雫ティア=レアって、確かに雫でしょうし、言い得て妙な名前だけれど。正確に表現するなら女神レアーの鼻水ピトウィタ=レアの方があってたわね。


鼻水回収そんなことのためにループ地獄に送り込まれたの……わたくし」


 そんなこと、っていうほど単純なことじゃないのよーと女神の声が聞こえてきそうだが。


「言うなれば、女神の体液だから…。人間ごときが太刀打ちできないのは当然だったな」

「そう、ね。渾身の一滴ってとこかしら……。人間じゃ対応できないのは当然、か。……はぁ…ほんッと良い迷惑」


 ゴッメーン、とか手を合わせて軽く謝り倒してきそうな軽い神でもある。鼻水如きに人の人生変えるとか。


 でも、そのおかげでジャックと知り合えたこともある。忌々しい魔石も浄化?消化?できたようだし、魔力も戻ってきた。今ではフルチャージだ。これを使いこなせればメリアンの人生は薔薇色な気もする。


 それに、この時間停止の状態というのが、女神の贈り物である事はわかった。今なら魔法陣も空にはっきり浮かんでいる状態で、誰の邪魔も入らず書き換えもできるかもしれない。


「書き換えは、聖魔力じゃないと無理よね…なんたって神様の落とし物なんだもの」

「いや、神聖魔力じゃないと無理なんじゃないかな」

「ええっ!?そんな、神聖魔力なんて誰が……まさか、ジョセフに頼めなんて事はないでしょうね!?」


 ニヤついた毛むくじゃらの男が頭に浮かんだ。どこかネジが抜けまくった殺人鬼である。


「ああいいとも!代わりにお前の貞操をもらおう」とか言い出しそうな猿だ。


「いや、それはない。あんなやつが神聖魔力を持っているなんて神にクレームをつけてやる。それより神殿に頼むのは癪だが、女神の恩恵を受けた聖女なら、神聖魔力を持っているだろう?」

「あんな大きな魔法陣に送る神聖魔力を持ってる聖女がいたら、今頃大聖女になってるでしょう!?その前に誰一人として動いてないのよ?」

「……そうか。じゃあメリー。やはり君しかいない」

「はい?」


 ジャックがメリアンに向き直り両肩を掴んだ。


「君は女神の恩恵を受けて死に戻りループにいるんじゃないか!女神はきっとメリーに力を授けてるはずだ。君がやるしかない」

「そんな!」

「大丈夫だ。俺が補助する。おそらく少しは俺も恩恵をもらってる。だからこそ、メリーとの記憶を共有しているんだと思う。俺の魔力と君の魔力なら、神聖魔法陣の一部改竄かいざんくらいできるはずだ!やって見よう」

「え、えぇ〜……」


 ジャックは魔導士としてのスイッチが入ってしまったようだ。子供のように瞳を輝かせて、未知の挑戦にワクワクと期待を寄せている。


「幸い外輪はあちら側、神々の内輪の問題のようだから、俺たちが触れる必要はないだろう」

「そうなの?」

「ああ。だって勇者とか魔王とか、数百年前ならまだしも今はいないはずだろ?」

「確かに。女神にしてみたら人間界の数百年なんて瞬き一つ分の誤差かも知れないわね…」


 もしかするとティアレアはその時代に落されるべきだったのでは。うっかり落ちた鼻水だったとはいえ。


「メリーはアルヴィン語はいけたよね?」

「ええ、一応勉強は続けていたから…」

「よし、じゃあ、いつまで時間が止まっているともわからない状態だ、早速試してみよう。これでうまくいけば、もう死に戻る事もないはずだ」


 そうだ。これさえ終われば、ループ地獄は終わる。……次の使命までは、とか言われた気もするが、思い出すのはやめよう。


 そういえば、亜空間に保存した書類は一式残っているのだろうか?もし残っているなら、とっとと教皇を締め上げてこれまでの悪事を白日の元に晒さなければ。簡単にジョセフに殺される前に、あの狂った猿も止めないと。それから、婚約解消とこれから先の未来へ。


「わかったわ!やりましょう、ジャック」

「よしきた」



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