失われた記憶
教皇の悪事を暴く鍵。
そう聞いてメリアンは慎重に頷いた。
7歳までの記憶は失われたが、神殿に監禁された5年の記憶はある。監禁されていた間の侯爵令嬢に対する仕打ちはあり得ないものだった。鞭打ちや食事制限、冬の滝行など拷問はあげればキリがない。おまけに埋め込まれた魔石も証拠になるだろう。悪魔との関わりを断ち切るといいう名目で体に傷をつけられたのだ。もちろんそれをいえば、自分が傷物令嬢というレッテルを貼られることにはなるが、どうせ悪魔付きと呼ばれているのだから大した違いはない。
そのことだけでも神殿を陥れることはできるかもしれないが、メリアンは自分の受けた所業について誰にも告げていなかった。両親は教皇を敬愛し神殿に洗脳されている状態だし、「悪魔付き」で「貧民街を壊滅させた犯人」である哀れな「罪人である子供を救済した」教皇を庇う声は多いだろう。
メリアンが批難の声を上げれば、また悪魔が蘇ったと言われかねない。そうなったらきっと今度は神殿ではなく牢に入れられるかもしれないし、処刑だってありうる。それに、何よりもあの地獄へ逆戻りはしたくないのだ。いかに反抗しようとも神殿の力は強く、メリアンは教皇の一言でどうとでもなるおもちゃなのだ。
「手はあるの?」
「ああ、大丈夫だ。さっきは油断したが、何が起こってるかわかっているだけに、打つ手はある。メリーは先ほどと同じように妊婦を助けて、
「……わかったわ」
「なんだ?不満か?」
「いいえ。ただ…その、メリーって…」
「あ…す、すまない。馴れ馴れしかったな……」
「う、いえ、その。別にいいのだけれど。わたくし、やっぱりあなたにあったことがあるのね?ジャック」
「……子供の頃の話だ。覚えていなくても別に構わない」
「あのね、わたくし……7歳までの記憶がないの。だからもしあなたに出会っていたのだとしたら、きっとその頃なのかと思って」
「記憶が、ない?」
まじまじとジャックに顔を覗き込まれたメリアンは、視線を泳がすとコホンと咳払いをした。なぜ、と聞かれたら過去を話さなければならなくなる。もし自分が貧民街を壊滅させた罪人だと知られたら。あるいは、傷物令嬢だと知られたら。
せっかくお近づきになれると思ったのに。またあの刺すような視線で睨まれたら。
「ええ…また今度詳しく話すわね。今はまず、この状況を打破しないと!」
「あ、ああ……」
話を誤魔化し、メリアンは風魔法を纏い、再度妊婦を助けることに集中した。盗人を捕縛し書類を風魔法で吹き飛ばして妊婦を助け、ギーの壺を割らないように店頭へ、と既に目を瞑っていてもできるとばかりに慣れた手つきでこなしていった。
ジャックも今回は素早く書類を集め直し、男に声をかける前に結界で捕縛、自爆の原因を探索魔法で素早く探した。その男は何重にも用意周到に自爆魔法を纏っていた。自爆というよりは、強制的にそうされていたのかもしれない。
ジャックは男の奥歯に仕込まれた爆破スイッチと体に書き込まれた自爆の魔法陣を無効にし、義眼に埋め込まれた情報伝達魔法陣を義眼をくり抜くことで解除した。この義眼の魔法陣を辿れば、黒幕がわかるに違いない。
視覚を奪われ、服を剥かれて無防備に晒された男は下履きと靴下に革靴という恥ずかしい格好で盗人ともども衛兵に手渡されたのだった。
一連の出来ことはおそらく5分とかかっておらず、何が起こったのかわからない人々は動きを止め、キョトンとしてその様子を見ていた。ジャックはそそくさとメリアンの背を押しその場を後にする。
「……なんて言うか、容赦ないわね…」
「すまないな。レディの目前で見苦しかったが、ああしないと魔法陣の解除に時間がかかりそうだったのでな。また同じことで死に戻りたくはなかったし」
「まあ、そうだけど。今回は死なずに済んだから、作戦は成功ということね」
「そうだな。では、王宮へ急ごうか。時間のロスはそれほどでもないはずだが、ルイ殿下があの落下物に出会うのだけは何としても阻止しなければ」
「そうね。行きましょう」
「今回は捕縛魔法は使わないから、メリ…メリアン嬢も身体強化を使ってほしい」
「ふふ。メリーでもいいわ。そう呼ばれていたのでしょう、わたくし?」
「……そう、だな。じゃあ、メリー。手を」
「ええ」
出された手にメリアンはそっと自身の手を乗せた。
エスコートではなく、子供のように手を握る。ジャックの手は思ったよりも大きく、メリアンの手をすっぽりと包み込んだ。少し気恥ずかしくて目を伏せたメリアンは、ジャックの耳が真っ赤に染まっていることに気が付かなかった。
再びフォンと耳鳴りがして、二人は王城の前にいた。ティアレアはまだ降りきっていないが、衛兵や騎士は降下地点で待機をするため、上へ下への騒ぎになっている。
メリアンはその集団をざっと見渡してみたが、その中にジョセフの姿はない。今回もあの路地裏の情婦の元にいるのだろう。今頃慌てて空を見上げているのに違いない。
――わたくしを殺す機会は失ったけど。
あんな破廉恥暴力男、誰がなんと言おうと絶対婚約破棄だわ、とメリアンは再度心に誓った。
魔導士達も聖女降臨のハプニングでバタバタしているところで、ジャックが声を張り上げた。
「団長!」
「おう、ジャックか!あれを見たか?」
「ええ、それについて話があります!緊急です!降りて来るのは建国かつて無いレベルの厄災の危険性があります!」
バタバタと走り回っていた騎士達も、魔導士達もギョッとして動きを止めた。
「あの
よく通るジャックの声は、その場にいた全員を硬直させた。僅かに拘束魔法を感じさせる。なるほど、とメリアンはチラリとジャックを見るが、ジャックはしれっとした顔で団長を見つめていた。
「王家と神殿は接近禁止令を今すぐ出してください!」
「ジャック、何を……っ」
魔導士団長は、顔を歪めて僅かに口を動かした。やはり拘束魔法を使っているのか。総勢100人はいるであろう騎士や魔導士を前に、メリアンは背筋が凍る思いだった。どれだけ魔力を保持しているのか。メリアンも魔力は多いし魔術にも理解もあるが、流石に魔導士を含めた100人に拘束魔法をかけることはできないだろう。ジャックが言った通り、拘束魔法は自身の魔力も使うのだが、団長ですら拘束されているのだ。いかにジャックの魔力が多いかわかるというもの。
「信じ難い話かもしれませんが、ここにいるメリアン・ドリュモア・ガーラント侯爵令嬢が今後起こる厄災の可能性を説明します。俺は陛下と王太子殿下に謁見を求めますので、彼女から詳しい話を聞いてください」
「その令嬢が落ちて来る人物を知っていると?」
「そうです。メリー、できるか?」
そこまではっきり答えたジャックは、メリアンに振り返り後を任せると言った。メリアンはこくりと頷き、魔導士団長と向き合った。
「初めまして。騎士、魔導士の皆様、魔導士団長様。わたくしは、メリアン・ドリュモア・ガーラントと申します。ガーランド侯爵家の長女でございます。これからお話しすることは、信じ難いかも知れませんが事実です。是非お時間をわたくしめにくださいませ」
メリアンは侯爵令嬢らしく優雅なカーテシーをした。
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