銀の風切鳥
顔を押さえて大きく息を吸い込み、カッと目を開いたメリアンの視界に入ってきたのは、空に浮かんだ魔法陣と2度と見たくなかった素っ裸のティアレアの姿。
「な…!?」
人々の悲鳴と、馬の
「まさか」
「危ないっ!」
タックルを受けゴロゴロと転がる体とゴンッと衝撃を受ける頭。
目の前には、赤毛のジャック・バーモント。
「また!?」
「はぁ、危なかった。大丈夫か?」
メリアンはガバッと跳ね起き、ジャックの両肩を握りしめ睨みつけた。
「なんの冗談かしら、ジャック・バーモント!?ループ魔法の実験でもしているの!?」
「えっ?」
「それとも嫌がらせ!?そんなにわたくしが憎い?言っておくけど、あの雷はあなた方の信じるティアレアが出したものであって、わたくしではなくてよ?!あなたの魔法もわたくしの結界も通用せず!わたくしも同じように死んだのよ!いい加減に……」
「死?」
「……っ」
自分で言って、気がついた。
「わたくし…そうだわ、確かに死んだはずなのに……なぜ、今、またここに戻って」
(待って……?わたくしが死んだのって今、何度目?)
「ジョセフ…ジョセフにわたくし……」
「君、頭を打ったのか?怪我は?」
心配げに声をかけるジャックの声はメリアンに届かず、死ぬ前に響いた言葉が頭をよぎる。
『あなたに
「あれは、女神…?」
「女神?あれは女神の降臨だというのか?」
メリアンの呟きを拾ったジャックが、空から落ちてくる少女は女神なのかとメリアンの肩を掴んだ。
「アレは違います!」
ぎっと睨みつけ即答で否定するメリアンに、思わず両手を上にあげてのけぞり、降参のポーズを取るジャック。婚約者でもない貴族令嬢の肩を勝手に掴んだことに対する反応だ。
「あれは……あの女は聖女ティアレア、ですわ。聖女と言っても、教皇が舞い上がって勝手に認定しただけの名ばかり聖女で、聖魔法で
「!?待て待て。聖女?誰が召喚したんだ?
「いえ。召喚に教皇は絡んでいないと思います。……でも
「
「ええ。でも……」
「あの女がそれを使うと?いつ、どこで?なぜそんなことを君が知っている?」
まさかそれは過去の話で、やり直しをさせられているなんて言えば、悪魔つきが復活したなんて言われかねない。神殿に隔離させられてあの卑しい教皇の説教を聞くのは二度とゴメンだ。
「え、と、その。て、天啓を受けたのです。あの者を放っておいては……えぇと、王国が滅びると」
本当はそうではない(かもしれない)が、嘘でもない。事実、あのサイズの魔法陣では王都民は全滅に等しかっただろう。誤魔化すにはこれが限度だ。
「天啓……?」
「わたくしはメリアン・ドリュモア・ガーラント。侯爵家の長女で学園生ですわ、ジャック・バーモント様」
「…君、もしかして
「え?」
「……覚えてないか。はは、そうだよな。ずいぶん小さい頃だったし、俺はあの頃、魔導士でもなかったから…まあいい。情報提供に感謝する。真実かどうかは別にしても、危険人物のようだからな。俺はひとまず王宮に向かってその聖女ティアレアとやらの回収を急ぐから。他にも覚えていることがあったら連絡をくれ」
ジャックはそれだけいうと、さっさと立ち上がり、メリアンをその場に置いて駆け出してしまった。
「あっ!ま、待って…!」
転移魔法であっという間に消えてしまったジャックに手を伸ばしかけて、メリアンは力なくその手を地面に落とした。
ジャックは、メリアンのことを知っているようだった。もしかすると記憶を失う前に出会ったことがあるのだろうか。自分は憧れの魔導士ジャック・バーモントと顔見知りなのだろうか。
「え、お、お友達だった、とか?」
ジャック・バーモントは、魔法使いなら誰でも知っているほどの存在だ。魔力が膨大で、次期王宮魔導士団長と言われている、メリアンの憧れの人でもあった。
ジャック・バーモントが残した論文や魔法哲学書、研究百科をこっそり読み漁り、自分の魔力さえ安定していれば試すのに、と何度羨んだかわからない程の魔法陣構築の祖でもあった。ジャックはメリアンが尊敬する魔導士でもあったのだ――ティアレアに篭絡されるまでは。
学園ではメリアンが入学する年に卒業しており、接点はなかった。ただ、ジャックが結界論や魔導定義について学園に講師として派遣された時に遠目に見ていただけだ。もし子供の頃に知り合っていたのだとしたら、声くらいかけられてもおかしくなかったかも知れないが、それもなかった。
それがぶち壊されたのは、彼がティアレアに籠絡されていたと知った時。
少し浮ついた気持ちが浮上したのも束の間、過去を思い出して熱はスッと覚めた。
過去。……あれは何度目の過去だったのか。
「何が起こっているというの…!」
混乱して泣き出したくなったメリアンだったが、うずくまっていても何も変わらない。まずは頭を整理しないと。
第一に、記憶にあるメリアンは学園に通う17歳の生徒で、高等部の2年生だ。
第二に、ティアレアが降臨したのは1年前だった。メリアンが16歳、高等部に上ってすぐの時。そして、先ほどメリアンを殴り殺した三つ年上のジョセフ・リー・セガール伯爵令息と、12の時から婚約をしている。そのジョセフは18歳で卒業して聖騎士になり、ティアレアの降臨後、彼女の専属騎士にとティアレア本人から望まれて選ばれた。
第三に、王太子の二十歳の生誕祭で、そのジョセフに婚約破棄と侯爵家のとり潰し(全くその権限はないけれど)を言い渡されて、王太子殿下が公爵令嬢のアデル様を悪様に言い、挙句その他の令嬢もティアレアに侍る令息たちから次々婚約破棄を言い渡された。そして国外追放だの晒し首だのと言われ逆上し、王太子に言いたい放題返した。
「今思うと、あれは流石にまずかったわ……」
それから、王太子の命でジョセフ達が剣を抜いて令嬢たちと敵対し、ティアレアが
「あれは絶対、誰一人として生き残れなかったわよね」
メリアンの持てる力を全て使い結界を作ったけど、まるで役に立たなくて。そこで素面に戻ったと思われるジャック・バーモントが――。
「メリケ・バリアッラ……って何よ?」
メリケ・バリアッラなんて魔法は聞いた事がない。純粋な魔力の塊のような、何もかもを飲み込むような真っ黒な空間だった。学年首席のメリアンは、魔力が安定しないことから魔法科は選考できなかったが、実は魔法が大好きで基本構造や魔法陣の構築は魔法科の生徒以上に勉強していた。使えなくとも、古代語や魔法用語もバッチリ覚えた。独自に魔法陣を作り出すのも大好きで暇さえあれば、魔法陣の構築を考えているほど。ジャック・バーモントの考える魔法陣はバランスが良く簡潔で美しく、うっとりと何時間でも眺められたほどだ。
「メリケ…暗雲?いや、暗闇?バリアッラは結界のことだから、暗黒結界?え?闇魔法?……まさか
王太子の側近のジャックは、卒業後すぐに魔導士団に入り活躍していると聞いていたし、次期王宮魔導士団長なのではとの噂もあるから、新しい魔法の可能性もある。けれど、
「まさかとは思うけど、暗殺部隊とかで活躍していたんじゃ……?」
どちらにせよ、あのメリケ・バリアッラを使ってもティアレアの神聖攻撃魔法を止めることは出来ず、王都にいた人間はおそらく一人残らず槍の餌食になった――
「…はずだった?時間が巻き戻ったということかしら。それにあの声…。ふしの命…。不死?正しい道を選びなさい?これは……やり直せ、という事?」
メリアンはよろよろと立ち上がった。全く信じていなかったわけではないが、信じていなかったはずの神の存在がメリアンの中で明らかになった。もし、神ならば、ではあるが。
信じていなかった罰なのか。
まさか悪魔なはずはあるまい。悪魔だったらやり直せとは言わないはず。あの状況こそ、悪魔が望みそうなものである。
「一度目はこのまま学園に向かおうとして、馬車に轢かれて死んだ、わね。二度目は路地から出て来たジョセフにぶつかって、撲死……わたくし…あそこで、また死んだのね……」
頭蓋骨陥没あるいは
「不死じゃないじゃない!」
死んでますわよ、速攻で2回も!と叫びたくなるのを抑え、スーハーと息を吸う。わたくしは侯爵令嬢、わたくしは侯爵令嬢、と呟き、心を落ち着かせる。少なくとも、痛みは覚えていない。それだけはありがたかったとはいえ殺された記憶があるだけに、ジョセフには絶対会いたくない。
「決めたわ。この騒ぎで学園はどのみち休園になるはずだし、まずは味方を探そう」
ジャックを追いかけるべきか。
そう言えば、今日は一度も息切れもなければ、常に感じている頭痛もない。こんなに体が軽く感じるのはいつぶりだろう。前回の死に物狂いの
切り刻まれて血だらけになったジョセフを思い出し、身震いをした。不安定な魔力は暴発するよりも発動しないことの方が多いのに。
「あの間抜け顔ったら…」
目が皿のようにまん丸になって、あのいつもいけすかない嘲笑したような笑顔を貼り付けたジョセフがとんでもない顔になっていた。ほんの少し笑ってしまう。その後は全く笑えない行動をとられたが。
「……女神の恩恵かしら?」
自分で言った言葉に、フッと歪んだ笑みを浮かべるメリアンだったが、久しぶりに気分がいいこともあり、魔法も使えるような気がしてきた。
「<
メリアンが唱えると旋風が起こり、ふわりと体が宙に浮いた。メリアンは魔法の成功に感動を覚え、思わず握り拳を作り、宙で足踏みをした。
「成功だわ…!」
たんっと地面を蹴り、そのまま風に乗る。人混みを避け、流れるように走り抜けた。笑い出したいのを必死で我慢しながら。
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