空から落ちてきた少女

 一年前のあの日、王国の頭上に立ち込めた暗雲が、眩い光によって切り裂かれた。そしてその天に浮かんだ巨大な魔法陣から少女が落ちてきたのだ。


 一糸纏わず、天からゆっくりと降りてくるその姿は、人々の目にしっかりと焼きついた。


 うっすらと青みがかった髪の色といい、まとわりつく金の光の残滓といい、どこか厳かで神々しささえある少女。だが、その裸体は朝の慌ただしい時間の労働者や通学、通勤をする者たちにとって顎を地に落とすほどの衝撃を与えた。なにしろ空から落ちてくるのは、成長期の丸みを帯びた美しい少女だったのだ。若い男性は皆頬を染め目の色を変え、礼節のある夫人や貴人は眉を顰めた。


 天に浮かび上がった魔法陣の大きさも複雑さも常識を超えており、国も神殿も魔導士団も一斉に動き出した。


 本来なら緘口令かんこうれいを執行したいところだったのだが、王都の上空に、それも朝の忙しい時間帯だったこともあり、人々の口を閉じるには無理があり、野火の勢いで噂が広まった。そのせいで情報網が交錯し、学園は一週間の休園となった。


 少女は一切の記憶がなく、どこからか攫われてきたのか、召喚されたのかも分からず、自分の名前すら覚えていなかった。そこで国が保護し、教皇が急遽聖女に認定して、ティアレアと名付けた。主神レアーの雫という意味だ。


 教皇は神が遣わした聖女に違いないと興奮し、神殿で引き取りたいと言ったのだが、彼女自身が公衆の面前でそれを嫌がり、国の庇護下に入った。その地点で、教皇の求心力に影が差した。聖女に嫌がられる教皇とは、と疑問符が投げかけられたせいだ。


 メリアンとしては、当時はザマアミロとほくそ笑むところだったのだが。


 それから半年もしないうちに、婚約者を溺愛していた王太子をはじめとして、冷徹な黒魔術師として有名な魔導士団長の息子ジャック・バーモント、騎士団の有望株の護衛たち、そしてメリアンの婚約者である聖騎士のジョセフ・リー・セガールを含む聖騎士隊員達、十数名が聖女ティアレアに篭絡された。


 禁忌である魅了魔法でも使っているのではないかと言うほど、いとも簡単に次々と。


 あれほど「聖女だ」「奇跡だ」と騒いでいた神殿ですら、ティアレアには眉を顰めた。落ちてきて早々に聖女の称号を授かったティアレアだが、神殿のいうことなど全く聞かず、王宮内で蝶よ花よとおだててくれる殿方のためだけに聖魔法を使った。聖女認定をした教皇にとってはさぞ当てが外れ、歯噛みしたことだろう。


 半年も経たないうちに、聖女ティアレアの評判は地に落ち、忌まわしき悪女と呼ばれ、神殿も引きずられるように力を無くし、教皇は失脚した。そしてそんな悪女を天からよこした主神レアーに対する人々の信仰も失われ、あちこちから新興宗教が祭り上げられ、また無信教になる人々も現れ、国が荒れた。


 だが、籠絡された王太子や高位貴族の子息たちは一向に気にも留めず、神殿に仕えるはずの聖騎士であるジョセフでさえも落ちぶれた教皇を詰り鼻で笑い、神殿が力を無くしても全く動じなかった。その頃には聖騎士隊も当然解体となり、自分達が騎士どころか破落戸にまでに成り下がったと言うのにも関わらずだ。


 そして、国の力バランスが混迷を極める中、王宮の庭園で行われた王太子の二十歳の生誕の祝賀会の席で、メリアンは公衆の面前でジョセフから婚約破棄を言い渡されたのだ。


「お前のようなを婚約者にするつもりはない。侯爵家は取り潰し、婚約は破棄する!」


 婚約破棄は願ったりではあるものの、侯爵家の取り潰しなど、一介の騎士である貴方のどこにそんな権限が?と、メリアンは唖然としたものの、それを告げたのはジョセフだけでは無かった。


 王太子の婚約者である公爵令嬢も、騎士団長の子息の婚約者である辺境伯の令嬢も同等に、追随してそれぞれ婚約者である子息から次々と婚約破棄とお家取り潰しを言い渡された。


 生誕祭の余興にしても笑えない事態だ。重要な貴族位を取り潰して尚、自分が王太子でいられると思っているあたり馬鹿じゃないのかと呆れるばかりだ。


 舞踏会場ボールルームで会話を楽しんでいた有権者おとな達も、王太子が声高々に婚約破棄を告げる事の異常さに気がついて庭園に出てきた。


「ティアレアを貶めるようなはこの国に相応しくない!全員、国外追放だ!逆らう者は斬首の後、晒し首にする!」


 それを聞いた王と王妃もぽかんと間抜けな口を開け、王座から動けないでいた。いきなり宰相の娘である公爵令嬢に婚約破棄を言い渡した上、この場で対立している貴族令嬢たちに向かって、全員国外追放だ!晒し首だ!などと自国の王子が叫んだのだ。


 しかも我が国には打首や晒し首などの死刑はない。一体どこから晒し首などと、100年以上も前の残虐な行為を促す言葉が出てきたのか。


 王太子の言葉に、あたりは静まり返った。公爵令嬢は泡を吹いて倒れ、誰かが「王太子殿下が乱心した!」と騒ぎ立てたその時、メリアンが一歩前に出た。その顔には優雅な笑みを浮かべていたものの、瞳は怒りで怪しく燃えている。わずかに小鼻がぴくぴくと膨らんでいるのを見ると、メリアンがいかに怒りを抑えているかよくわかるというものだ。


「お言葉ですが、王太子殿下。ティアレア嬢を貶めるとはどう言ったことでしょうか?王宮でも学園でも、一流の教師陣から教育を受ける場を与えられて居りながら勉学に励まず、見境なく男子生徒を見かければ、授業中にもかかわらずしなだれかかり、授業妨害をしないで欲しいと言ったことでしょうか。それとも、場所を選ばず婚約者のいる貴族男性を何人も侍らせて、常識がなく見苦しいと言ったことでしょうか。あるいは、『聖女』などと元教皇から認定され、優遇されておきながら母とも言える主神レアーを祀る神殿にも赴かず、民を助けることも無く、怪我人や病人は『死にゆくものの定めなり』と慈愛も情けもなく。聖女としての役割を欠片も果たしておらず、ただただ神聖力を余興として見せひけらかし、聖なる力の無駄遣いをしていると言ったことでしょうか。よもや次期王妃として完璧な所作と能力を持った公爵令嬢のアデル様を差し置いて、王太子殿下のお手を煩わすとは何事かと詰め寄ったことでしょうか。まさか、それら全てを”貶め”とみなされていらっしゃるのでしょうか?」


 婚約を破棄された令嬢たちもメリアンと共に立ち上がった。王太子の国を傾けるような爆弾発言にも驚いたが、それに対しメリアンの怯む事なく一息で要点をまとめる度胸に、大人たちは目を丸くした。思わず納得してしまうものの一国の王子に対して不敬とも言える反発した言い分に、今更ながらメリアンの両親は青褪めてカクカクと震えていた。


「殿下を含めまして、そちらに侍っていらっしゃる殿方はご自分が不貞をし、醜態を晒しているとお気づきの上で、そのような発言をなさっていらっしゃるのですか。そしてわたくしたちのみならず、古くから国を支え、繁栄のために身を粉にして働き続けてきた貴族家すべてを取り潰すなどと言う戯言は、国王並びに王妃殿下の同意を得てということでしょうか」

「なっ、なんだと!この私を誰だと思っておる!次期国王は私だぞ!?不敬罪だ!!切り捨てろ!」


 顔を真っ赤にして喚く王太子に、我に返った国王が慌てて立ち上がったものの、口を開くより早くメリアンが対抗した。


「不敬で結構!殿下に諫言を申し上げるのも、私たち臣下の務めと愚考したまでの事!臣下の声すらも聴かぬ愚王に従わなければならないのでしたら、ここで斬られた方がマシでございます!祖国の崩壊など生きて味わいたくなどございませんわ!」


 ひょぇっ、とおかしな声をあげメリアンの母が卒倒したが、傍観していた大人たちも次々に声を大にした。「娘を馬鹿にするな」「息子よ、目を覚ませ!」と言った具合に。王が鎮まれ、落ち着けと声を上げるも、混乱した人々の耳に届かない。


 王宮の庭園に咲き誇る深紅の薔薇より顔を真っ赤に染めた王太子が「不敬だ!謀反だ!切り捨てろ!」と叫び、聖女ティアレアの親衛隊、もとい騎士たちが剣を抜いた。ジョセフも例に漏れず剣を抜き、目を細め冷ややかに微笑みながら、元婚約者であったメリアンにその剣先を向けたのだ。この時を待っていたのだ、とメリアンの耳にジョセフの呟きが届き、目を見開いた。


 この腐れ外道ジョセフは、殺したいほどメリアンを憎んでいたのだ、と初めて気がついた瞬間だった。




「みんな、待って!私のために争わないで!」


 直後、それまで王太子に守られていた聖女ティアレアが声を張りあげた。体にピッタリと張り付いた光沢のある純白のドレスには腰までの深いスリットが両サイドに入っている。その足にはストッキングも何もなく生足を晒していた。まるで舞台に上がる踊り子のようだ。「はしたない」「なんと破廉恥な」と、ほとんど全ての大人達も眉を顰める。これは王太子の趣味だろうか。国王も王妃も王太子のこの様な性癖を認めていたのだろうか、と。


 夫人達が扇を広げ、ティアレアを守るように張り付いている青年たちを見渡す。その中に自分の子息が含まれていたのを見つけたのか、まさか、と声をあげる人物も何人かいたようだ。国王夫妻は真っ白になり言葉もない。品行方正だと思っていた息子が、公爵令嬢を溺愛していた息子が、ジプシーのような女にここまで入れ上げているとは思っても見なかったようだった。


 そんな空気も読まずにティアレアが両手を天に広げた。


「そんなに私の聖魔法が見たいんなら、見せてあげるわ!<慈愛の雨ベルシング・レ・ライン>!」


 慈愛の雨ベルシング・レ・ライン。瘴気を浄化し、大地を癒すための聖魔法。それを聞いた全ての人間が息を呑み目を見開いた。


 だが次の瞬間、王都を包むほどの魔法陣と共に天空に現れたのは、神々の雷グーデルシン


 創世記の中に出てくる魔王との戦いで使われた神の技とされており、神聖魔法だった。創世記では、神々の雷グーデルシンは暗雲を取り払い、すべてを更地に変え1からやり直す究極の魔法、とある。


 全てを無に帰しておきながら、誰がその魔法を記録したのか。創世記そのものが人間によって作られた、神殿にとって人々を畏怖で縛る道具だったのではとメリアンは思っているが、ティアレアがその神の力を持っていることはこれで証明されたと思われる。


「ティアレア!?」


 王太子が、慌てた声でティアレアに詰め寄る。自身も巻き込まれる事に気が付いたのだろう。


「えっ?やだ、何これ?間違えた!?うそ!取り消し!取り消し!」


 例えどんな高名な魔導士であろうと究極の聖魔法を防ぐ魔法は知らない。存在しないのだ。聖魔法はそもそも人々を守るもので、攻撃するものではないと教えられていた。だから聖女は守られなければならない存在なのだとも。


 その聖女が神の怒りである神聖魔法を人々に向けたのだ。それほどまでの罪を私たちは冒したのか?神を信じていないメリアンもこればかりは青ざめた。


 阿鼻叫喚の中、メリアンは慌てて結界魔法を構築したが規模が大きすぎる。メリアンの安定しない魔力ではとてもじゃないが、守れないどころか足しにすらならない。だがその中にもう一人、魔法を構築している人物がいた。


「ジャック・バーモント!?」


 魔導士団長の子息だった。真っ赤な髪を炎のように乱し、先ほどまでティアレアの横でメリアンたち令嬢に敵意を向けていたはずのジャックは、流石にまずいと思ったのか両手を天に向け、天空に打ち上げられた神聖魔法を睨みつけ、魔法を放った。


「<暗黒結界メリケ・バリアッラ>!」


 ジャックの練り上げた魔力、暗黒結界メリケ・バリアッラ神々の雷グーデルシンの魔法陣を包むようにぶわりと広がったが、強大な神聖魔法の威力に敵わず、そしてメリアンの結界魔法も、降り注ぐ電光の前にあっけなく砕け散り、あたりは真っ白に染まった。



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