第46話 朝2[メリュジーヌ視点]

「このストールを差し上げます。よかったら使ってください」


 冷たい風が吹くこの時期、自分でも肌寒いけれどびしょ濡れの彼の方がもっと寒いだろうから、と迷わずほどけかけのストールを差し出した。

 貸してもらっただけなのに、勝手に渡してしまって叱られるかもしれないけれど、人としてこれは放っておけない。しかし彼は首を振ってがんとして受け取らない。


「私は大丈夫だから、君が羽織ってて」

「でも……」

「この近くに家があるから、だから大丈夫だよ」


 そう言って、私の肩に渡そうとしたストールをあべこべに巻かれてしまっては、無理に押し付けることもできなくなった。


「なんでこんなところにいたんですか? 危ないですよ」

「ランプをもっていたのだけれど、中で落として壊してしまってね……」

「この洞窟は潮の満ち引きに影響を受けていて、満ちたら水没するのですよ。いくつもの穴が水を保っていて臨界点を突破したら、先ほどのように一気に放出するのですが、そのタイミングがわからないのです」

「そうだったのか」


 その彼の顔は驚きに満ちていて、初耳だと言っている。それなら、この近くに家があるというのはウソなのだろうか。

 

「貴方はこの辺りの土地の人ではないのでしょう?」


 地元の人間なら必ず知っている知識から、そう決めつけるように言うと、その男はごまかすかのように乾いた笑い声をあげている。

 もしかしたら洞窟を抜けて隣の国から来てしまった密入国者だろうか。

 いや、隣の国の方でも同じような常識は伝わっているだろう。

 そうだとしても、密入国するために隣の国からこちらに来るには軽装過ぎるだろう。

 あちらの国で洞窟探検としゃれこんでいたら、迷い込んでこちらの国に入ってきてしまった旅行者だろうか。

 こうなった場合、彼はどうやって隣の国に帰るのだろう、とその男を憐れみの目で見てしまった。


 彼の持つ蜂蜜のような濃い色の金髪は、自分の母、メルローゼをどこか思い出す。

 砕けた口調でも、どこか漂う品の良さも、不思議と母を思い起こすようだった。

 彼の着ているシャツも上質のもので、仕立てもよい。襟の端の飾り刺繍も細かくて、男物のシャツでこんなに手の込んだものを見るのは初めてかもしれない。

 思わず凝視をして、その刺繍の図柄を覚えようと必死になってしまった。


「礼をさせてくれ」


 その言葉で、はっと我に返り、自分がじろじろとぶしつけなまでに彼を見つめていたことに気づいた。

 慌てて首を振って彼の言葉を拒絶する。


「そんな、礼なんて……」

「いや、命を助けてもらったのに礼もしないなんて、そんな礼儀知らずなことはできないよ。君まで巻き込むところだったのだから」


 言われてみればそうだけれど、目の前で助けを求められたから、自然と体が動いてしまっただけだ。

 逡巡する自分に、彼は優しく問いかけた。


「君の名前はなんて言うんだい?」

「えっと……」


 きっと、見知らぬ誰かに自分の名前をみだりに教えてはいけないだろう。もちろん、家名も。

 自分は公爵家の娘で、ここでこんなことをしたのがばれてしまったら、公爵家に迷惑がかかるのではないだろうか。

 それに、洞窟の中に入ったことを知られたら、リリアンヌは絶対に烈火のごとく怒るだろう。

 あああ、と頭を抱えていたら、目の前の男は私の様子を見て察したのだろう。あ、ごめん、と苦笑いをしていた。


「見知らぬ男に名前なんて教えられないよね。怪しいもんね。私の名前は……エドモント。エドと呼んでくれ」

「エド様、ですか?」

「ああ。様もいらないけど、ね」


 でも、エドモントは敬語を崩してはいけないような気にさせられる人だ。

 彼は家名を名乗っていない。ということは平民であるはずだ。

 しかし、家名を名乗ってはいないけれど見るからに貴族としか思えない。着ているものの仕立ての良さも飾りも、あと、言葉遣いも。


 この公爵領は違う言語の文化圏である隣国に国境を接していて、しかも中央から離れているので、言葉にやや訛りがある。

 しかし、彼の話しているのはリャルド王国の王都付近で話されている言葉に近い。

 となると彼が王都付近で育っているとかでない限り、教育でもってこのリャルド王国の言語を習得しているのではないだろうか。

 リャルド語を学ぶとしたら標準語を学ぶはずだからである。


 いろいろと考えれば考えるほど、彼は隣の国の人で、しかも貴族ではないだろうかと思えてきてならない。

 彼の持つ濃い色の金髪は隣国ではよく見る色で、隣国から嫁いできた曾祖母もエドモントのような色だったはずだ。その血を引くからこそ、母もその髪色をしていたのだから。


「お礼はいらないので、絶対にこの中に私が入ったことは言わないでください。叱られてしまいます」

「わかったよ。じゃあ私もここにいたのは内緒にしてほしいな」

「わかりました……」


 なんとなく秘密を共有したかのようで、顔を見合わせて笑ってしまう。


「じゃあ私はそろそろ行くよ。早く温まらないと風邪をひいてしまう」


 ぶるっと体を震わせて、彼はズボンをぎゅっと握りしめる。そうすると、握りしめた指の隙間から水があふれ、ばちゃっと足元に滴りおちていった。


「また、君に会いたいけれど……ここで、会える? まだ聞きたいこともあるし」

「え? でも」

「君が会ってくれるというまで、ここにいるよ?」


 そんなこちらが全然困らない脅迫までしてくる。まるで子供だと呆れてしまうが、お人よしのメリュジーヌはこういうのに弱ってしまう。

 はぁ、とため息をつく。


「それなら明日の朝に、ここで……」

「うう、私は早起きは苦手なのだけれど、頑張って起きてくるよ……じゃあ、明日の朝にね」


 約束、とほほ笑むと彼は鮮やかに笑い、迷いない足取りで歩いていく背中を、黙って見送った。

 そしてその姿が見えなくなると自分も屋敷に戻ろうと歩き始める。


 ――歩き始めてようやく、自分の体も冷え切っていることを思い出した。 







「メリュジーヌ様!?」


 玄関をこっそり開ければ、中が朝の支度というだけでなく、やたらと騒がしいようだった。

 マチルダに入ってきたところをすぐに見つかり、彼女はすっとんできた。


「どこに行かれていたのですか! 皆で探していたのですよ」


 私を探す?

 普段、公爵邸で自分はいないものと扱われているので、探されているということがピンと来なくて、どうしてだろうと思ってしまった。

 自分を探して屋敷が騒ぎになっていたのだとその時にようやく気づいた。


「えっと、ごめんなさい。散歩をしていただけなの」

「なんでそんなに濡れてらっしゃるのですか!?」


 エドモントに比べたら自分が濡れたのは些末なもの、と思ったけれど、やはりスカートの裾はぐっしょり濡れているし、足もびしょびしょだ。

 歩きながら水が切れてしたたることはなくなってはいたが、わかる人にはわかったようだ。


「ちょっと水たまりで転んでしまって……」

「湯あみの準備をいたします!」

「あ、あのストールのことだけど…」


 無残なまでにほどいてしまったストールのことを早く謝らないと、と思っていたのだが、自分のために走り回るマチルダに、声をかけることができなくなってしまった。

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