第14話 奪われたドレス
今日休みをいただいているのは自分を含め数人だけ。いつもは休みだとしても比較的屋敷にいて外に出ない私が今日は外出しているということで、シシリーが癇癪を起したりしていないだろうか。
休みだとしても、呼ばれて仕事を手伝わされるなども珍しくなかった。
屋敷に戻ったら、ちょうど玄関のところで顔なじみのメイドに行き会った。
「マイナ! 入れ違いにならなくてよかった! 今日は自宅に戻る日?」
「ええ、お帰りなさい、リリアンヌ」
たいていが住み込みのメイドだけれど、中には通いや、週末だけ家に戻る人もいる。そういう人は家庭の事情を抱えている人が多い。そのうちの一人、マイナが着替えて外に出ようとしているところに行きあった。
「これ、お子さんたちにどうぞ」
急いで持っていたバッグから街で買ってきていたものを取り出した。
マイナは女手1つで子供を三人養っている、いわゆるシングルマザー。彼女がここで働いている間、子供達は彼女の年老いた両親が見てくれているらしい。
彼女の手に街で買ってきたナッツのクッキーを一袋を渡し、そしてもう一つのものは彼女のポケットにねじ込んだ。それはちょっと小じゃれた大人用の琥珀糖。濃度の高いお酒の香りが品のいい代物だ。
「こっちは貴方用。いつも頑張っているお母さんは、お菓子もらったら自分の口に入れないで全部子供にあげちゃうでしょ。たまには自分も甘やかしてあげてね」
耳元でこっそりと囁き、彼女のためにドアを開けてあげる。
「え、リリアンヌ?」
「気を付けて帰ってね」
人は施しを受けていると思うと受け取るのは嫌がるが、こういう時は子供にとすれば案外受け入れてもらえるのを知っている。
あえてお酒入りのにしたのは子供に渡すにしてもためらわれるかなと思ったから。もし彼女の口に入らないとしても彼女のお母さんたちの口にでも入ればいいと思う。
こんなことをするのも、もちろん好感度稼ぎだ。
周囲にはなるべく愛想よくして、笑顔を絶やさない。地道だけれど基本だ。
大ボスは奥様だとはわかっているけれど、陰の実力者とか、中ボスとか、ムードメーカーとかまでは把握しきれていない。
だからまず、この屋敷にいる人の全員の名前と顔と性格や趣味を押さえる。
幸いリリアンヌはこの屋敷でも古くから仕えているベテラン勢に入るのだけれど、全ての人間の趣味や好みまでは把握しきれていない。噂話はあくまでも噂話だから確実ではないしね。
なるべく時間を見つけては話しかけたりするようにはしているのだけれど、今までもリリアンヌが物静かで真面目だったらしく、あまりいきなりのキャラ変は難しいだろう。
人の心をひきつけるのに金品をまいたりするのは有効なのだけれど、基本的に使える金が自分にはそれほどない。この後、セイラ先生に授業を受けたりした時にいくらかかるかもわからないのに。
あー、金が欲しい。
セイラ先生みたいに自分で事業を起こせたらいいのだけれど、一介のメイドができることって何があるだろう。かといって副業で金が稼げるとしても、メリュジーヌお嬢様を連れてこの家から出ることもできないし。
私服のまま邸内を歩くのもはばかれるので、急ぎ足でメリュジーヌお嬢様のお部屋の屋根裏部屋で上がる。
「メリュジーヌお嬢様、いらっしゃいますか?」
いつものようにノックをしてからきしむドアを開ければ、暗い部屋にお嬢様がうずくまっている。
お嬢様の目に残る涙の痕と、頬が赤く腫れあがり、口の端も切れたのか血がにじんでいるのに驚いた。
「どうなさいました?!」
持っていたバッグをそのまま投げ飛ばして部屋に入り込むと、お嬢様の傍まで駆けよった。
「な、なんでも……」
「嘘をおっしゃい。お嬢様。そんなに頬を腫らして! こんなことをするのは奥様でしょう? 何を言われたんですか!?」
すぐに奥様の仕業だとわかった。メリュジーヌお嬢様に手をあげることをしそうな人間は他にもいるが、ドロテアお嬢様は基本的にお嬢様に無関心だし、エルヴィラお嬢様はああ見えても気が弱いから殴るにしても、ここまで強く殴れない。そしてシシリーお嬢様は怖がりだから昼でも薄暗い屋根裏部屋に来ないからだ。
「本当になんでもないのよ……お義母様が部屋にいらして、王女のドレスを持って行ってしまわれて……」
弱弱しい声でお嬢様がおっしゃる。
「ええ!?」
メリュジーヌお嬢様の部屋には貴重品どころかモノ自体があまりない。この部屋に押し込められる時に、めぼしいものはほとんど取り上げられてしまったからだ。
その時にとっさに隠した身の回り用品やいくつかの形見の小物類は持ちこめたのだが、メリュジーヌお嬢様が産まれた時に準備されたものや、公爵家由来の貴重な家具類はほとんど公爵夫人の部屋の方に使われている。
王女のドレスは箱の中に入っていたためにその希少性に気づかれずにこの部屋に持ち込めたものの1つだった。
そのドレスは元はといえば降嫁なさったメリュジーヌお嬢様のおばあ様のもので、アンティークの布と見事な縫いの技術の傑作で、ヴェールも金の細い糸で織られていてもう二度と作ることはできないと言われている。素材の希少性も技術も絶えてしまったものだからだ。
それ自体が価値が高いものではあるが、それよりも、お嬢様からしたらお母様とおばあ様の形見なのだ。
ただ一人のために作られたものなのでメリュジーヌお嬢様でも微妙にサイズが合わなくて綺麗に着ることができないが、見るだけでも本当の美というものを教えてくれる逸品だった。
「仕立ても染めも刺繍もレースも見事なものだから、たびたび見返してモノづくりの参考にしていたのに」
「まさかあれにハサミを入れるような愚かなことはしないと思いますが、不安ですね……後で様子を見に行っておきますね」
あれはヴェールが金属部分が多いためにレースをひっかけたりしやすく、管理が難しい。ヴェール以外は自然素材の部分が多いため、虫食いなどおきないように丁寧に手入れをしなくてはならないのだ。
お嬢様が事ある毎にチェックして、補修をしたり手入れをしていたようだが、そのタイミングで部屋に入り込まれて見つかってしまったようだ。
慌てて水で布を浸し、お嬢様の頬にそっと当てる。やはり、少しでも触れると痛そうだ。こんなにひどく女の子の顔を叩くなんて……いや、男だったとしてても腹立たしいだろうけれど。どれだけ強く叩いたんだろうか。時間が経ってもっとひどく腫れなければいいけれど。
「なんでそんなにひどく叩かれたのですか?」
「ドレスをお渡しするのは構わなかったのだけれど、扱いがあまりにも乱暴だったので、注意を申し上げたらそれが気にくわなかったようで……」
それが生意気に感じて癇に障ってひっぱたいたという事か。
あのババア許さない。
「普段はこの部屋にきたりしないくせに。元々何しにきたんですか、奥様は」
「昼にアーク夫人がいらしてて、教会でバザーをするから何かを寄付してほしいという話をされたようなの。それでお忙しいドロテアお姉さまやエルヴィラお姉さまの代わりに売り物を何か縫って出すように、とのお話だったわ」
ドロテアやエルヴィラが忙しいという話は聞いたことがない。単に面倒ごとを押し付けたということか。
メイドとしてこき使ったらさすがに外聞が悪いのはわかっているのか、お嬢様は侍女はつけられてなかったり、家族の集まりに呼ばれなかったりはしても使用人のように働かせるような扱いはこの家では受けていない。
体が弱いということで、出かけることは禁止されているし、ほとんど閉じ込められているメリュジーヌお嬢様には、こういう用事を言いつけるのにはピッタリということだろう。
「そうですね……お嬢様。ここはお嬢様の腕の見せ所ですね」
「ええ、そうね。こんな見事な糸と布を見られたのは久しぶりだわ。頑張って作らなきゃ」
メリュジーヌお嬢様は目を輝かせながら奥様が置いていった刺繍用の糸や布や作らなければいけない物の図を見ている。
「そうではなくて……ま、まぁ、お嬢様には同じですかね」
きょとんと大きな目をぱちくりさせている純粋なメリュジーヌお嬢様とは別に、中身は汚い大人の私は、メリュジーヌお嬢様の才能と存在感を見せつけるため計画を立て始めていた。
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