不審者が俺の姉を自称してきたと思ったら絶賛売れ出し中のアイドルらしい

春野 安芸

第1章

001.曇天――豪雨の下での出会い

 

 走る――――――――





 ただひたすらに走っている――――――――





 地面に溜まった水を踏み抜いても気にせずに。





 髪が濡れて逆立ってしまおうが服が雨によって下着にまで侵食してこようが構わない。





 この鞄の中にある”アレ”が無事ならばどうなろうが構わない。





 時折立ち止まり、辺りを見渡し何者も迫って来てないことを確認してから再度走り出す。





 目的地まではあと10分ほどだがそれまでアレは無事でいられるだろうか。





 いや、こんな考えをするのはよそう。今はひたすらに目的地まで走り切ることだけを考えるのだ。





 そう、俺が必死に守っているバッグの中身――――





 教科書と課題を守り切るのが今なすべきことなのだから。




 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――




「なんでこんな時に限って雨降り出すんだよ~~!!」


 俺は人気のない道路を駆けながら一人吠える。


 家で課題をこなしてから一人ティータイムでも楽しもう。そんな事を考えながら一人帰路に着いたその時だった。

 それまで快晴だったのに歩いて数分で一気に土砂降りに。まったく対策をしていなかった俺もぐしょ濡れに。帰るまで天気予報は晴れを示していたから、雨が降るのは夜とたかをくくったのが甘かった。季節外れの台風の接近のせいですべてが濡れてしまった。

 


 けれどまだ守るべきものはある。それがこのバッグの中身だ。

 この中には今日出された課題とそれをこなすための教科書が入っている。

 普段ならば濡れても乾かせばいいという軽い考えでいるのだが今回はわけが違う。この課題は成績に直結するのだ。

 今の俺にとってはどんな小さな物でも成績に関わることなら大問題。そんな課題が濡れてしまって破れたりした日には絶望に苛まれてしまうだろう。だからまだ表面だけ濡れて中にまで侵食していないこのバッグを胸に抱え濡らさないよう必死に走っている。


「――――っと!あぶなっ! …………よし!」


 考えにふけっていたからか道を横切る車に気づくのが遅れてしまった。俺は十字路に差し掛かる直前で気づいてブレーキをかける。

 車が通り過ぎるのを見送ってから左右を見渡し、何者も迫ってきてないことを確認し再度駆け出す。

 こんな事で事故を引き起こしていたらすべてがオジャンだ。


「ここは……」


 広めの公園に差し掛かったところで走っていたスピードを減速していく。

 ここからでは木々に囲まれて中が見えないがたしか奥の方に屋根付きのベンチがあったはず。

 まだ家までは走って5分ほど掛かりそうだ。それまでにバッグの中身が無事だという保証はどこにもない。それならば少し雨宿りをして雨が弱まる時を待ったほうが得策だろう。

 俺はこれからの予定を変更して方向転換し、公園へと足を踏み入れた。







「うっわぁ…………失敗したかも……」


 俺は地面を凝視しながら一人泣き言を漏らす。

 ここから屋根まではあと10メートルもない。ほんの少し走るだけだ。しかしそうも言っていられない事情もある。

 それがこの地面だ。ここに来るまでは砕石で快適な道のりだったがここからは違う。


 残り10メートルの道のりはすべて土になっていた。それも雨を吸ってグチョグチョの泥となった状態の。

 今履いている靴は先週買ったばかりの新品だ。それが泥で汚れるのをためらう事は当然だろう。

 けれどだからといって家まで走るわけにはいかない。雨宿り地点はすぐそこにあるのだ。


「…………ええい!!」


 俺は意を決して泥の中に足を踏み入れる。その際グチュッ!という音とともに柔らかい感触と、靴が汚れた絶望感に陥るが必死に考えないようにして屋根までの道を駆けていく。




「はぁ……はぁ……」


 なんとか……ようやく雨宿りをすることができた。

 ホッとするのもつかの間、俺は慌ててベンチにバッグを置いて中身を確かめる。

 …………中は少し湿気っているものの致命的なダメージには至っていないようだ。手触りでも無事を確認してようやく一息つけるとベンチに座り込む。



「な……何よそれ!!」

「!?」


 突然の大声によって俺の体は一瞬震え上がってしまう。

 恐る恐るその声の方向……後方を確認すると人が居たようだ。自分の事に夢中で気が付かなかった。


「なんだ……………?…………!?」


 とりあえず原因が判明した事に安堵し前方を向いたのも束の間。ふと先程の光景に違和感を感じて二度見すると絶句してしまう―――――――


 その声の主――――声的に少女だろう。

 背格好的に中学生入りたて……いや、下手すれば小学生でも通る彼女はスマホを耳に当て通話をしているようだ。

 ここまではまだいい、問題はその後。彼女はもう6月だと言うのにその全身がスッポリと入るロングコートを羽織ってサングラスを掛けていた。せめてもの麦わら帽子が年相応にも思えるが、ロングコートとサングラスのせいで不審者にしか見えない。


「それじゃあ私はどうすればいいの!?――――ホテル!?そんなお金……私今3000円しか無いのよ!!」


 こちらにまで丸聞こえな内容からして泊まる場所の打診でもしてるのだろうか。

 今夜は台風最接近で荒れるみたいだし宿がないと大変だろう。


「――――わかった!もういい! せいぜい私が風邪引いて狼狽えるといいわっ!じゃあねっ!」


 そう言葉を残して通話を終わらせたようだ。明らかに不機嫌な様子が見て取れる。


「…………なによ?」

「いえ、すみません……」


 つい彼女に睨まれて謝ってしまう。正確にはサングラスのせいでわからないが雰囲気的に絶対怒っているだろう。年下相手なのに……


「ふんっ!」


 彼女は俺とは逆の端側に腰かける。

 未だ台風がもたらしたであろう大雨は勢いを衰えることなく怒涛の勢いで地面に打ちつけていた。



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



 俺がここに足を踏み入れてから10分。未だ豪雨は弱まる気配も見せず健在だ。

 そして隣に座っている彼女の怒りも健在。触らぬ神に祟り無し、俺と不審者の間に会話は一切なかった。



 そんな空間の居づらさが限界に達し、濡れてでも家に帰ろうとバッグに手をかけたその時だった。



 クゥ~。



 と、隣からそんな可愛い音が聞こえてくる。


「!…………なによ?」


 そんな音の発信源である彼女はお腹に手を添えてこちらを睨みつけてくる。大きなサングラスで見えにくいが耳が真っ赤になっているのが見て取れた。


「いえ……あの……これ、食べます?」


 俺はバッグの中から雨の被害を回避したラスクを彼女に見せつける。購買で今日のティータイム用にと買ったものだが仕方ない。


「……いいの?」

「ええ」


 恐る恐るといった様子で手を出したり引っ込めたりしていたのを無理矢理その手に押し付ける。いくら不審者でも年下なのだからこれくらいは当然だ。


「あ……ありがと」

「どういたしまして」


 彼女は明らかにサイズの合っていないロングコートから小さな手を取り出しラスクに手をつける。

 その小さな口が小さく開いて一口加えたが最後、その手は勢いを増してどんどんと袋に入ったラスクを口に放り込んでいった。無理もない、学校でもこのラスクは名物になるほど美味しいと話題に上がるほどだ。


「はむっ……!はむ……! なによこれ……美味しいじゃない……!」

「それはよかった」


 そこまで気に入ってくれたのなら俺も嬉しい。彼女の小さな手はラスクを運ぶ動きを一切休めることなく、5分とかからず一袋を空にしてしまった。




「ふぅ……ありがと。さっきは睨んで悪かったわね」

「いや、電話の雰囲気的に仕方ないよ」


 ラスクを食べ終わったと同時にこちらに頭を下げてくる。空の袋をこちらに押し付けるかと思ったらポケットに入れていて好感が持てる。


「そう、電話よ電話! どうしようかしら……」

「……何があったか聞いても?」


 さっきまで謝るためとはいえしおらしくしていたのに、今度は電話の事を思い出して頭を抱えている。表情がコロコロと変わって面白い子だ。


「ええ……明日から用事があって飛行機で向かうつもりだったのよ……それなのに台風のせいで…………」

「欠航になっちゃったと」


 そこまで話してくれたら俺でも察しがつく。

 今夜は6月なのに季節外れの台風が最接近する。今でさえ豪雨がとんでもないのだから飛行機など動きやしないだろう。


「そのとおりよ!なら仕方ないと電車で帰ろうとしてもそっちも運休だし!タクシーやホテルを使おうにもカードも忘れて2000円しか持ってないのよ!どうすればいいの私はぁ…………」


 段々と語気が弱くなりガックリと項垂れる不審者。サングラスやロングコートからしてリストラに遭ったサラリーマンかと幻視してしまう。


「えっと……お金貸そうか?」

「…………いいの?」

「うん、まぁ5000円くらいしか難しい上に一旦家に行かなきゃならないけど」


 5000円といっても高校生からすれば大金だ。

 けれど年下の少女が浮浪者になるのは寝心地が悪い。それくらいあればホテルに一泊くらいはできるだろう。小学生一人で利用できるかは知らないが。


「そのくらい貸してもらう身なのだから付き合うわよ!ありがと!」


 彼女は突然立ち上がり、俺の手を取って無理矢理握手をし始める。俺はただされるがままで居ることしかできなかった。


「いや~、一時はどうなることかと思ったけどこれでどうにかなりそうね!あとはこの辺りのホテルを調べて――――――あっ……」

「あっ……」


 そう呟きながら俺の周りをウロチョロと回りだしたその時だった。

 台風の影響か突風が俺たちを襲い、見た目からして体重が軽い上コートという風の影響をモロに受ける服を着ていた彼女は風に押されて―――――――落ちた。



「~~~!!  痛った~! もうっ!最悪!!」

「……平気?」


 俺も座っていたせいで反応が遅れ、助けることは叶わなかった。風に押されて落ちた彼女は見事屋根の外に追いやられ、そのまま泥の地面に尻もちをついていた。


「平気じゃないわよ~! 雨に濡れるし服は泥で汚れちゃうし~!」

「と、とりあえず早く戻って!」

「え……えぇ、そうね――――あっ」


 俺の差し出した手に引っ張られ再び屋根の中へ入っていく彼女。

 しかし俺たちをまたもや突風が襲い、彼女が被っていた麦わら帽子を吹き飛ばす。



 ―――――帽子から飛び出したのは金色だった。

 黄金、金箔、ゴールデンオーラ。どれも金色で美しいがそれよりも美しいと思えるようなライトゴールド。

 そんな美しい髪をたなびかせた彼女は、肩甲骨まで伸びたその髪を隠すようにその場にしゃがみだす。


「どうし――――」

「なにか隠すもの無い!?」

「へ?」


 突然、俺にそんな事を問いかけられて聞き返す。


「髪を隠せるもの!なにか無い!?」

「えっ……あぁ……!」


 その言葉を受けて急いで身にまとっていたカッターシャツを脱ぎ彼女の頭に被せる。それを受け取った彼女はようやく落ち着きを取り戻して頭にシャツを羽織ったまま椅子に腰掛けた。


「ありがと…………もう、このサングラスも不審ね」


 そう観念したかのようにサングラスを片付けだす少女。そうして初めて見る彼女の瞳が俺を射抜く。

 彼女の顔立ちからして外国の……ハーフだろうか。スラッとした顔立ちに宝石のような碧い目、そしてその金髪をおさげのように二つに纏めて前に流している。


「キミは……!」

「ふふんっ! どう?ここに私がいた事に驚いたでしょ。 いいのよ?泣いて喜んでも」


「…………誰?」

「知らないのぉ!?」


 俺の素直な感想に、今日一番の叫び声が公園内に響き渡った――――

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