元お飾り王妃は侯爵令息の危うさを感じる

「ふぅ、あの二人にも困ったものですね。……フライア様、あの二人に何もされませんでしたか?」

「はい、ちょっとお話をしていただけですよ」


 ……とてもではありませんが、本当のことは言えませんでした。


 シリル様の女性関係のお話を一方的に聞かされていた、など真実を述べてしまえばあの二人が危ないと思ったからです。


 しかし、何もしていないなどという完全な嘘を言うわけにはいかず、私は少しばかり言葉を濁しました。


「だったらいいですよ。……フライア様、ディールス公爵家の屋敷まで送って行きます。御者も回復したようですが、念には念を。グレーニング侯爵家の馬車で送って行きましょう」

「……ありがとう、ございます」


 シリル様の提案を、無下にすることは出来ませんでした。それに、御者のことも心配ですから。まだ病み上がりなのに、無茶をさせるわけにはいきません。だったら、シリル様の提案に乗った方が絶対にいいです。


「素直なのはいいことですよ。……フライア様。馬車の準備が出来るまで、少しばかりに庭を見ていきませんか? こんな路地裏の先ですが、魔法で隠してあるので比較的きれいな状態は保っていられるのです」

「そうなのですね。では、お言葉に甘えて」


 別にお庭が見たいわけではなかった。ただ、私はシリル様のことを放っておけなかった。だから、シリル様のお誘いに乗ったのだ。


 窓の外を見れば、雨はすっかりと止んでいて。少しばかり虹が出ている。どうやら、空は晴れる方向に向かっているようだ。


 その後、私はシリル様に案内されてグレーニング侯爵家のお庭を散策しておりました。


 とてもではありませんが、路地裏を抜けた先にあるとは思えないほどの美しさに、私は圧倒されてしまいます。


 ディールス公爵家にも負けず劣らずのお庭はとても美しくて。特に薔薇園が素晴らしく、私は見惚れてしまいました。ここが路地裏の先だなんて、言わなければわかりませんよ。


「……フライア様は、薔薇がお好きですか?」


 私が薔薇に見惚れていると、不意にシリル様に声をかけられる。なので、私は静かに首を縦に振りました。


 私は薔薇が好きです。特に桃色の薔薇が好き。真っ赤な薔薇は私には似合わない。そう思っているのもありますし、桃色の方が可愛らしいというのもあります。


「そうですか。俺はあまり好きではありませんね。この薔薇園は母が管理しているものです。……兄が生まれた際に、母が作ったもの」

「……シリル様」


 何故だろうか。今のお言葉の裏に隠された思いが、私に伝わってきたような気がした。


 隠された思いは……きっと、憎悪。そして、この憎悪という感情がこの人の危うい雰囲気の根本的な原因のような気がした。ただの、勘だけれど。


「フライア様には、年の離れたお兄さんがいるそうですね。お兄さんのことを

どう思っていますか?」


 そして、この質問だった。シリル様は薔薇に視線を向けたままこちらに視線を向けてくださらない。でも、答えない方が良いことは、私にもわかっていた。


 お兄様の、こと。……私はお兄様のことを何とも思っていない。疎まれているとわかってからは、自ら近づくこともなかった。だから、特に何の感情も生まれない。


「何とも思っていませんよ。好きでもないですし、嫌いでもないです。ただの同居人っていう気持ちが、強いです。……私、あまりお兄様と仲が良くありませんので」


 自分で言っていて、悲しくなるような言葉だった。


 昔の私は、お兄様に『愛されること』を望んでいた。でも、いつの間にか疎まれているということに気が付いて。


 それ以来、どうでもよくなった。お兄様はきっと私よりも家督の方が大切なのだ。お兄様は、私のことよりもディールス公爵家の跡継ぎになることの方が、大切なのだと知ったから。


「……そうですか。でも、その方が良い。俺みたいに、兄に対して憎悪にも似たような感情を抱くよりも、母に対してあきらめにも似た感情を抱くよりも、ずっといい。そっちの方が、平和ですからね」

「平和、でしょうか?」

「えぇ、平和ですよ。無駄な争いをしなくてもいいではありませんか。俺みたいに憎悪を持っているよりもずっとマシ。憎悪は争いしか生まない。……昔はただ、嫌いっていうだけだったはずなのに」


 何処か遠い場所を見つめながら、シリル様はそう言った。憎悪。確かにそれは争いしか生まないかもしれない。だけど、好きの反対は無関心なのだと私は思う。もしも、それが正しいのだとすれば……私の方が、ずっとひどい。


「……シリル様」

「おっと、馬車の準備が出来たようですね。では、行きましょうかフライア様。……今日は、俺が貴女の護衛役を務めさせていただきます」


 でも、シリル様は私の言葉を遮ってそう言った。


 そして、私の腕を取るとそのまま歩き出される。私はそれに逆らうこともなく、ただついて行った。今は、拒否するときではないと思ったから。


 シリル様とシリル様のお兄様の間に何があったのかは、分からない。ただ一つわかるのは――。


(私とお兄様よりも、ずっとこじれた関係なんだろうな)


 たった、それだけのこと。

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