第17話 蠢動③

「………はぁ」


 ぽつりと零れる溜息。

 そこは、新城学園の四階にある生徒会室。

 役員がまだ生徒会長だけのため、会長用の執務机ぐらいしかないその部屋にて御門翔子は一人物思いに耽っていた。同じく会長用の革張りの椅子に座ってぼーっとしている。


 この一週間。一人になるといつもこんな感じだった。

 少しでも気を抜くと、あの少年――悠樹のことばかり考えてしまう。


(……悠樹さん……)


 あの日、涙を流すほど落ち込んでいた翔子の前にいきなり現れた少年。

 同じクラスでありながら、これまで一度も会話をしたことがなかったクラスメート。そして初めての会話の後、なし崩し的に友人となった少年だ。

 とは言え、彼と友人になったこと自体は後悔など一切していなかった。

 むしろ、あの醜態を見られたのが彼で良かったとさえ思う。他の人間ならば、もっと厄介なことになっていただろう。その点は本当に幸運だった。


 ただ、その時はまだ、彼のことは『友人』という認識だった。

 嘘偽りなくそう思っていたのだ。


 だがしかし、一気に感情が変化したのは翌日のことだった。あの事件については、もうあらゆる面で油断していたとしか言いようがない。

 対戦相手であった鷹宮に対しても、そして悠樹に対してもだ。


「…………はあ」


 翔子は再び艶めかしい溜息をついた。

 あの地下練技場にて、彼女は悠樹に命を救われた。

 まるで彼女の存在を丸ごと強奪でもするかのように、翔子はあの少年に守られた。

 その時の感覚は一週間経った今でも、はっきりと憶えている。


 間近に聞こえる呼吸音。力強い心臓の鼓動。揺らぐことのない腕の力。

 ……どうやら、あの少年は着やせするタイプらしい。


 彼の細身の身体が、鋼の如く鍛え抜かれていることは服越しでも分かった。

 翔子の頬が、わずかに紅潮し始める。

 あの時は否応なしで、彼の存在が心に深く刻みつけられるのを感じたものだ。

 しかも、その直後のことである。いきなり彼はその逞しい腕で彼女の身体をさらに強く抱きしめてくるではないか!


 そう。まるでこの女は自分のものだと言わんばかりに――。


「~~~~~ッ!?」


 ボフンッ、と湯気が立ちそうなほど顔が赤くなる。

 両手で頬を押さえてみると、火傷をするのではないかと思うぐらい熱かった。

 ……ああ、完璧にしてやられてしまった。

 そもそも、いきなりのあのギャップは反則だと思う。

 翔子は三度みたび小さく溜息をついた。もはや疑うまでもない事実。

 間違いなく自分は今、あの少年に恋をしていた。


(うゥ、確かに、恋愛をしたいとは望んでいましたが……)


 突然すぎて、流石に少し困惑してしまう。

 その上、この初めての恋はあまりにも広く知れ渡ってしまった。

 すでに翔子達の三角関係・・・・は周知の事実だった。

 あれだけの数の生徒達の前で、あんな乙女チックな態度を見せてしまっては隠すことなど不可能だ。翌日、お礼のつもりで悠樹に昼食を用意した時も散々茶化されてしまった。

 まあ、そのお陰で翔子に対する冷たい空気もかなり緩和し、今では何人かの女生徒は普通に話しかけてくれるようにもなったのだが。

 そう考えると、それも間接的には悠樹のおかげになるのだろうか。


(もはや完全に恩人ですね。ええ、だからこそ・・・・・彼の容疑を・・・・・晴らさなければ・・・・・・・


 ふうっと大きく息を吐くと、翔子は真剣な眼差しで執務机の上に置かれた書類の束に目をやった。その表情はすでに御門家の次期当主のものに変わっている。

 執務机の上にある書類は全校生徒・三百二十二名のプロフィール。三週間かけて御門家の諜報機関が調べ上げた生徒達の経歴だった。

 神刀の防衛と並ぶ翔子のもう一つの任務――《魔皇》捜索のための資料である。


 最近とみに聞く、全身に獣衣を纏うという異例の《追跡者》――《魔皇デモノ・ドラゴン》。

 かの者の補縛こそが、翔子のもう一つの任務だった。


「……しかし、やはり信じがたいですね。全身に獣衣を纏うなど。五百年の年月を経たおじい様の契約霊獣 《紅猿》でさえ、右腕までが限界だというのに」


 椅子に寄りかかり、天井を見上げる翔子。これは以前、祖父にもぶつけた疑問だった。


『そうだな。確かに獣衣は片腕分を覆うのが限界だと昔から言われている。……けどな翔子よ。目撃者の話だと《魔皇》はその事実を覆しているらしい』


 あの時の祖父の言葉が脳裏に浮かぶ。さらに、祖父はこんなことも言っていた。


『……どうも《魔皇》の野郎には、あの・・禁呪法を使っている噂があるんだよ』


 その言葉を思い出しただけで、翔子は不快感で眉をしかめてしまう。

 祖父が語った呪法は、《追跡者》の間では最悪の禁じ手とされている呪法だった。

 使えば問答無用で外道の烙印を押されるような禁呪法である。


『……しかし、おじい様。あの・・禁呪法以外にも方法はあるのでは?』


『まあ、確かにそうなんだが……』


 獣衣を全身に覆うことが可能な禁呪法は他にもある。

 例えば、荒ぶる御霊――『神獣パドス』との契約だ。ただの動物霊である霊獣ではなく、伝承に記されるような神獣や魔獣と契約できたのならば、獣衣も全身を覆うだろう。

 しかし、《神獣契約》は神獣を召喚するだけでも贄となる命が必要になるらしく、仮に降臨したとしても契約にまで至ったという実例に関する文献もない。

 リスクと代償があまりに大きすぎる方法であった。


『《神獣契約》もそうだが、他の禁呪法はリスクが大きすぎんだよ。だから、この噂には結構信憑性があるんだ。恐らく一番現実的な方法だな』


 と、祖父は言う。


「……まあ、それもすべて捕縛すれば分かることですか」


 ふう、と息をつく翔子。彼女の拳は緊張から自然と固くなっていた。

《魔皇》がいかなる呪法を用いたのか。それはまだ分かっていない。だが、それがどんなものであったとしても、外道の行いであることに違いはないだろう。


 だからこそ、今回の補縛に乗り出したのだ。

 ――《魔皇》にまつわる、もう一つの噂を当てにして。


『ああ、何でも噂じゃあ《魔皇》の野郎は《救世具アークス》を求めているらしい。力に溺れ、更なる力を求めたのか……。いずれせよ、これを利用しない手はねえ』


 闇雲に《魔皇》を探すより効率がいい。祖父は不敵に笑ってそう告げた。

 その時は、翔子も妙案だと賛同したのだが――。


「……ですが、おじい様。もしかすると今回は徒労に終わっているのかもしれませんよ」


 書類の束を一瞥し、小さな溜息をつく。

 《魔皇》は生徒の中に紛れ込む。

 そう読んだ御門家の諜報機関は徹底した調査を行った。

 その結果、ほとんどの生徒の経歴はあらかた調べ上げることが出来た……のだが、その中でたった二人。どうしても経歴を洗い出せなかった者達がいるのだ。

 翔子は机に置かれた書類の束から、『最重要』と押印された二枚を手に取る。

 その二枚には、彼女のよく知る名前が記されていた。


「……四遠悠樹と、鳳由良、ですか」


 ――そう。この二人の経歴だけは洗い出せなかったのである。どうやら彼らは学園に入る前は二人ともはぐれ《追跡者》をしていたそうだが、それ以上のことが分からない。

 悠樹は二年半前、由良は三年半より前の経歴が一切分からなかったのだ。


 どこで生まれたのか、どう育ったのか、親族はいるのか、そのすべてが不明。

 まるでその時いきなり誕生したかのように過去がない。


 普通はどれだけ過去を隠蔽・捏造しても完全に消すことだけは出来ない。何かしらの生きてきた痕跡が残るものだ。これは極めて異常なことだった。

 だからこそ、御門家の諜報機関はこの二名を要注意人物として――はっきり言えば、この二人のどちらかが《魔皇》ではないかと疑っていた。


(そう……御門家はあの二人を、特に悠樹さんの方を疑っている)


 翔子は悠樹の資料を凝視し、目を細めた。無意識の内に拳を握りしめる。

 噂に聞く《魔皇》の風貌は、身長が二メートル級の《妖蛇》並みの巨体。思うに全身顕現というのは相当な重装甲なのだろう。実際には百七十~百八十センチぐらいか。武具はまだ不明なのだが、一説では剣を使うとか。まさしく地獄の王のような姿だ。


 そんな《魔皇》と悠樹は一致する点が多い。

 彼も武具には剣を使い、獣衣の色は紫。身長も該当の範囲内だ。


 しかし翔子は、彼が《魔皇》ではないと思っている。

 恋する乙女の盲信ではなく、御門家次期当主としての判断で、だ。

 理由を上げると、まず武具である剣だが、そもそも獣衣の武具は変幻自在なので当てにならない。何よりも《魔皇》が剣を使うこと自体が信憑性のない未確認情報だ。

 次に獣衣の色。獣衣はそれぞれ主体となる色を持っているが、同一色も存在する。特に紫に似た系統は結構多く、学園内だけでも五十人はいるだろう。

 身長も同じだ。百七十~百八十センチ前後の者などいくらでもいる。


「まあ、それ以前に、悠樹さんは優しすぎますし……」


 と、呟きながら、翔子はパサリと悠樹の資料を机に置いた。

 それらの否定要素以上に、翔子に確信を抱かせるのは悠樹の心の在り方だった。

 一週間前のあの日。悠樹は危険な目に遭った翔子を本気で心配していた。

 あの一件だけでも、彼が優しい人間であることは疑うまでもない。厳しく言えば、お人好しすぎるとさえ言える少年に、禁呪法のような外道の業が使えるとは思えなかった。


 だが、そうだとすると……。


 翔子はもう一人の候補者の資料に目をやった。

 鳳由良。現在、校内で噂される悠樹・翔子を含めた三角関係の一角を担う少女。

 消去法で考えるのならば、彼女が《魔皇》ということになる。


(しかし、流石に彼女を《魔皇》であると考えるのには無理がありますね。体格が違いすぎます。……ですが、それを別にしても、彼女は一体何者なのでしょうか……)


 思わず眉根を寄せる翔子。と、同時に由良の資料も机の上に置く。

 翔子は由良のことをほとんど知らない。知っていることと言えば、やたらと古風な口調を使うこと。悠樹と入学前から知り合いだということ。図々しくも悠樹に名前で呼んでもらっていること。そして、明らかに悠樹に好意を抱いていることだ。

 何とも悠樹尽くしだが、他にも気になることはある。


「……神宮寺の《雪の髪》ですか……」


 何世代にも渡り《追跡者》を務めてきた家系には、稀に異能や異相を持つ者が生まれることがある。神宮寺家の《雪の髪》はその代表的な異相の一つだ。


 ――紫水晶の瞳に、雪の如き白い髪を持つ女児。


 神宮寺家には何世代かに一度、そういう娘が生まれるらしい。その異相を持つ者は《妖蛇》が放つ妖気を感知する異能を有し、歴代すべてが強力な《追跡者》になったという。

 初めて由良と出会った時、翔子はこの娘は間違いなく神宮寺家の者だと思った。

 姓が違うのは、神宮寺家の現当主の隠し子だからといったところか。

 彼女の素姓を調べるのはきっと簡単だろうなとさえ思っていた。


 しかし、結果は経歴不明アンノウン


 由良はあの異相でありながら、三年半前まで世間に一切の足跡を残していないのだ。

 今の時代ならば、カラーコンタクトや、髪を染めて容姿を変えるのは難しくないと思うかもしれないが、異相も異能の一種だ。小細工程度で完全に隠せるものではない。

 由良がどうやって過去を抹消したのか、まるで分からなかった。


「……まったく。彼女といい、悠樹さんといい、一体何者なのでしょうか……」


 翔子は深い溜息をついた。

 どうやら、《魔皇》云々以前に調べなければいけないことが多いようだ。




「……ふう」


 十分後、湯気の立つ湯呑みを手に、翔子は一息ついた。

 玉露の香りと、咥内に広がる苦みのある甘さが、心を落ち着かせてくれる。

 やはり思考に詰まった時は熱い玉露に限る。


「……はあ、落ち着きます」


 と、その時、生徒会室のドアがノックされた。

 翔子は少し驚いた。生徒会室への来客など初めてのことだ。


(一体誰でしょうか? あっ、もしかして悠樹さんでは……)


 現在この部屋に訪れる来客は限られている。悠樹である可能性は高い。

 翔子は手元の資料を素早く引出しにしまうと立ち上がり、ドアに向かって返答する。


「――はい。ドアは開いています。どうぞ」


 もしかしたら、想い人が会いに来てくれたかもしれない。

 そんな淡い期待を込めて声をかけたのだが、残念ながらドアの向こうから聞こえてきたのは「ああ、失礼する」という悠樹とは似ても似つかない野太い声だった。

 ガラガラガラッ――とドアが開かれ、翔子はわずかに眉根を寄せた。

 入室してきたのは一人ではなかった。

 ぞろぞろと入って来たのは男女混合の生徒達。全員で七人もいる。


「えっと、あの、皆さん? どうかされたのですか?」


 瞬く間に人で埋め尽くされた生徒会室で、翔子が困惑の声を上げる。


「ああ、実は話したいことがあってな……」


 そう答えたのは、先頭に立つ精悍な顔つきの男子生徒だ。

 少年と言うよりも、二十代後半ぐらいの青年のように見える人物である。胸ポケットの組章から1組の生徒であるのが分かる。どうやら彼が七人のリーダー格のようだ。

 他の生徒達の方にも目をやると、全員クラスが違うようで、6組や8組など普段なら翔子とあまり接点のない生徒達もいる。

 ――が、そんな中に見知った生徒もいた。


「え? 赤神さん? あなたもお話が……?」


「――ぐあッ! ああ、やっぱ見つかっちまったかぁ……ちくしょう、記念すべき御門さんとの初トークがこんなんかよォ……情けねえ……マジで泣きそうだ」


 そう言って肩を落とすのは、翔子のクラスメートである赤神賢二だった。

 すると、彼の横に立つ女生徒がしかめっ面で少年の腹を肘で突く。


「もう! 何言ってんのよ! そこは香山君に説得されて了承済みでしょう! 情けないのはみんな一緒なんだからね! 覚悟してここに来たんじゃない!」


「いやいや、そういう覚悟とはまた別でな。ううぅ、分っかんねえかなぁ」


 何やら愚痴のようなものを零す赤神に、翔子は首を傾げる。

 一体、彼らはどういった集団なのだろうか。


「……あの、それで皆さんはどういったご用件で生徒会室に? お話というのは皆さんそれぞれが、ということなのでしょうか?」


 翔子の率直な問いに、六人の生徒の視線が中央に立つリーダー格の生徒に集まった。

 注目を浴びたことに気付き、彼はコホンと喉を鳴らす。


「話とは俺以外のメンバー共通のことだ。と、その前に一度自己紹介しておくか。俺の名前は香山猛。1組の生徒だ。縁あってこいつらの相談を受けることになった」


 と、香山が名乗るのを皮切りに、赤神を除く生徒達が続けて自己紹介をする。

 全員が名乗り終えるのを見届けてから、香山は本題に入った。


「それで話――というより依頼に近いんだが、今、こいつら六人は非常にまずい状況に陥っているんだ。このままでは最悪、こいつらは退学になるかもしれない」


「―――え?」


 あまりにも重々しい内容に翔子は唖然とした声を上げた。困惑した眼差しで他の生徒達の様子を窺うと、全員が苦悩の表情を浮かべていた。香山の言葉に真実味が増してくる。


「……一体、彼らに何があったのですか?」


 神妙な声で問う翔子。後ろに立つ全員が視線を伏せ、香山は深い溜息をついた。


「少々言いづらい話になるんだが、原因は一人の生徒にある」


「……一人の生徒、ですか?」


 香山の台詞に、再び翔子は他の生徒達の様子を見た。この中にその原因となった生徒がいるのだろうか? しかし、生徒達はそれぞれ否定の仕種で返してきた。


「その生徒はここにはいない。率直に言うと、俺達の依頼ってのは御門生徒会長、君にその生徒を説得してもらうか、もしくは力尽くでどうにかしてもらいたいんだ」


 何ともきな臭い話を告げてくる香山。翔子は面持ちを鋭くする。

 どうやら、ただ事ではなさそうだ。


「……それは物騒なお話ですね。詳細をお聞かせ願えますか」


 噂に名高い《瑠璃光姫》の迫力の前に、思わず後ずさる赤神達。

 だが、その中で一人だけ。よほど肝がすわっているのか、香山だけは一切動じず、どこか不敵にも見える笑みを浮かべると、おもむろに会話を切り出した。


「ああ、今から詳しく話すよ。まずはその生徒の名前だが――」


 そして、香山から詳細な事情を聞かされて。


「……え?」


 思わず翔子は目を丸くするのだった。

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