金塊の夢

平谷望

第1話 昔々、あるところに

 昔々、あるところに一人の魔王が居ました。


 世界を征服し、暴虐と支配の限りを尽くした彼を、人々はいくつものあだ名で呼びます。


 暁の征服者。

 破天の竜王。

 神殺しの金塊。


 とりわけ人々が口にする二つ名がありました。


 それは――金色の魔王。


 幾多の神を踏みにじり、自分以外を恐怖で締め付け、煌めく金髪を血で染め上げる魔王。文字通り神ですら恐れおののく存在であった彼ですが、悪というのはいずれ滅びる運命にあります。


 この世界を支配する十二の神の内、彼の手から運良く逃げ延びることができた八柱が力を合わせ、彼に魔法を打ち込んだのです。


 神々が文字通り死力を振り絞って放った魔法は、見事に魔王へ衝突し、彼から力を奪うと共に、時空の彼方へと吹き飛ばしました。

 こうして世界の平和は守られ、人々はようやく恐怖の無い朝日を見ることが出来たのです。



 ―――――――――



 誰も居ない砂漠のど真ん中で、一人の男が立ち尽くしていた。上等なよそおいとそれに見合う端正な顔。品のある金色の髪を、南中した太陽が照らしている。男は呆然と自分の周りを見渡し、小刻みに震え始めた。

 その震えが臨界に達した瞬間、男は整った顔を大きく歪めて空に叫んだ。


「あの……馬鹿共がっ!!」


 誰も居ない砂漠に男の声は良く響く。蜃気楼が驚いたように波打った。だが、そんなことなど眼中に無いとばかりに男は叫ぶ。


「最後の最後でふざけた真似をしよって! さっさと諦めていれば良かったものを!」


 下らない馬鹿野郎共の癖に、と悪態をつきながら男は自分の頭に触れて……驚愕した。


「なッ……!? つ、角が無い! そんな……尻尾も、竜眼も――我が偉大な魔力も消えているではないか!」


 砂漠の真ん中で自分の体に絶叫しながら飛び回る男は、はっきり言ってかなり滑稽だったが、男にとってそれらは文字通り体の一部。それが消失するというのは耐え難い出来事なのだ。

 白い肌を青くして叫んでいた男だったが、しばらくするとその心中にドロリとした怒りの炎が灯る。


「……情けない木っ端共めが、このヴァチェスタ・ディエ・コルベルトに逆らうのみならず、このような仕打ちを……殺すだけでは足りぬな」


 ヴァチェスタ・ディエ・コルベルト――つまるところ我は、無くなった体の感覚に苦い顔をした。まるで無理やり衣服を剥ぎ取られたような気分だ。耐え難い不快感を押し込めながら、自分の体をもう一度確かめる。


「……無い」


 竜眼、魔力、逆鱗、尻尾、角、剛力、敏捷……唯一竜鱗だけは消えずに存在しているが、それ以外はさっぱり消え失せていた。あの神共……辺鄙な場所へ飛ばすのみならず、我から力まで奪ったのか。これでは我が支配していた人間共とさして見た目が変わらないではないか……。


「魔力が見えぬ……すべての魔法を弾く竜鱗以外は消えてしまったか」


 今まで感じ取れていた大気中の魔力が一向に見えなかった。最悪なことに自分の体の中にも魔力をまったく感じない。これでは下級魔法の一つでも使えないだろう。


 山を打ち砕く筋力も、星を穿った魔力も、威厳の象徴である角や強靭な尻尾も消えている。唯一残ったのが神々の死力をも凌いだ竜鱗だが、これだけあっても流石に神への対抗はできぬ。舌打ちひとつに周りを見渡した。

 自分のことに集中したいのだが、いかんせんこの場所は暑い。先程から遠慮の無い太陽が我を突き刺している。


 いつもなら天気を曇りに変えていたが、そんなことは今となっては不可能だ。


「暑い……ええい! 太陽よ! 控えろ!」


 取り敢えず太陽へそう叫んだが、流石に無反応であった。大きくため息を吐いて右手を空に掲げる。この我が太陽ごときに遅れを取るとは……あの世に送ってやった太陽神はさぞ愉快だろう。それを思うとなんだか不快で仕方がない。


「……この際それは飲み込むとして――ここはどこだ?」


 砂漠は見る限り地平線の果てまで続いている。ここまで大きな砂漠となると……王城から南の大砂丘だろうか。それにしては砂の色が薄いような気がしなくもないが、気のせいだろう。……いや、そもそもここが元の世界と同じという可能性自体が少ないのか。

 あのバカどもは腐っても神なのだ。隣接する世界の何処かに吹っ飛ばされてもおかしくはあるまい。


 とにかく、今は前の世界で我の城があった北へ向かうとしよう。もしここが元の世界で、城に帰れれば、我の国民や兵士共が恭しく我を迎えるに違いない。無事を喜んで泣くものも居るだろうな。とりあえずこの態勢を建て直しさえすれば、後はどうにでもなる。


「何故ならば、我は金色の魔王であるからな」


 くはは、と笑って前に進む。途端に向かい風が吹いて砂が口に入った。


「ぐぬっ……我の高貴な舌が……」


 舌に入った砂を素早く吐き出した。全く、幸先が悪いにも程がある。ため息と共に、我はもう一度目の前の砂漠を踏みしめた。



 ――――――――――



 あれから何時間が経ったのだろうか。三時間か、四時間か。正直、時間はどうでもいい。問題なのは――


「喉が渇いた……景色が殆ど変わっていないぞ、どうなっている」


 皮膚を焼く透明な熱波と足元から襲い掛かる砂の熱が、上下から我を苦しめ続けている。さながらオーブンで焼かれる魚のように、足の裏を熱されながら太陽の光を手で防いでいるのだ。


 最初の内はなんともなかったが、今では耐えきれないほど蒸し暑い。おまけとばかりに喉が非常に乾いてきた。この砂漠の空気は堪らなく乾いているのだ。砂混じりの空気を吸う度に喉から水分が消えて、体から力を奪い去っていく。

 外的攻撃の全てを防ぐ竜鱗も、流石に太陽光までは遮ってくれないのだ。


 問題はもうひとつあった。この砂漠は、思っていたよりもずっと広いようだ。先程から数えられぬほど砂丘を乗り越えてきたが、未だに我の向かう先には煽るような蜃気楼が揺らめいている。

 どうにか我慢してきたが、両足が限界だ。


「ぬぅ……誰でもいいからさっさと我を見つけろ。全く、無能共め」


 背中に受ける太陽光は凄まじい熱を産み出している。流石に幾らか重ね着をしていると砂漠では堪えるな。城の近所で沸いた、良くわからんが強い狼で作ったマントは黒いので、どうしようもなく光を吸い込んでいるのだ。


 我はもう一度自分の体を見下ろした。背中にはマント、胴体には動きやすさを重視した赤と黒の戦闘服。その下に鎖帷子と肌着。砂漠で戦うことを想定していなかったので、とてつもなく蒸れる。だが、最強の魔王たる我がまさか太陽の暑さ程度に根を上げることはあり得ない。

 故にこれらを脱ぐという選択肢は存在しないのだ。


「暑い……ええい! 水は無いのか! 見聞によるとオアシスというものがあるらしいが、一向に見当たらぬ!」


 地団駄を踏んで叫んだ。が、誰も答える物は居ない。後に残ったのは肉体的疲労と行き場の無い精神的負荷だけだ。耐えられない屈辱と怒りに歯軋りをしながら、我をこんな目に合わせている神へと愚痴を吐く。


「あの馬鹿共め……力が戻ったら真っ先に皆殺しだ。血祭りに上げてやる。特に光の神……名前は忘れたがこんなことを考えるのはあいつくらいなものだろう。存在の根底ごとり潰して星の渦に投げ込んでやる……」


 惨めな怒りを吐き出しながら進む先には、当然のごとく地平線まで砂丘が続いていた。


 渇きと熱に耐えながら二時間ほど進むと、驚くべき事に、我の体力も限界に近づいてきた。喉が渇きを通り越して痛みを訴え、嫌な空腹感が満ちていく。何年ぶりなその感覚に大きく焦り、思わず間抜けに顔を歪めてしまった。


「まさか、この我が……こんなところで……」


 我は魔王なのだぞ? 世界最強であって、神ですら手出しを恐れた男。それがこんな砂漠で1人死んでいくのか? 絶対にあり得るはずの無い予想が頭に過った時、我の優秀な両目が遠くに何かを捉えた。


 それは五つの人影で、砂漠に同化するような体色をしている。異様に背が低い事から見て、それらは人間ではないだろう。ともすれば、捜索隊であると解釈して良い筈だ。


 サンドゴーレムか、デスワームの幼体……もしくは砂ゴブリンかもしれぬな。ようやく魔物に出会うことができた。


「……一時はどうなるかと気を病んだが、これで一件落着というやつだな」


 笑うようにため息を吐いて、目の前の人影に近寄る。砂丘を下って近づいた相手は、予想通り砂ゴブリンの一団だった。この砂漠に同化するような黄土色の肌、黄色く濁った瞳、砂まみれの腰布。正直我はあまりゴブリンという種族を好いてはいないが、この際それはどうでもいい。さっさとこの砂漠からおさらばしたかったのである。  


 目立つ黒色のマントをはためかせる我に気がついたらしいゴブリン達が驚きのあまり硬直する。うむ、このような下々の魔物では我へ謁見することも叶わぬからな。感動と驚愕で手足が凍るのも分からなくもない。 

 軽く頷きながら、我はたっぷりと威厳を込めてゴブリン達に言葉を掛けた。


「我の高貴な姿に見惚れるのも無理はない。だが、今は時間が惜しいのでな。ゴブリン共よ、水と食糧を差し出して、我を北の城まで案内せよ。我に出会えた幸運、その身をもってして我に返すと良い」


 荘厳な笑みを浮かべて言い放った言葉は、砂ゴブリン達を動揺させた。ふむ、やはり下級の魔物には刺激が強すぎたか。とはいえ今は本当に急いでいる。我とて余裕が無いのだ。

 ざわめいて汚い喚きを上げるゴブリン共にため息と共に繰り返した。


「命令が聞こえぬのか? さっさとせよ。我は気が長いほうではない」


「……グギャ」


「……発言を許可した覚えは無いが? まあ良い。こんな辺鄙な場所の魔物に品性など求めぬよ。早く指示を――おい、何故武器を抜く」


「ギギギ……」


 指示とは裏腹に、目の前のゴブリン共は錆びた武器を構え始めた。更に、信じられぬ事だがそれを我に向けているのだ。全くもって予想外な行動で、鸚鵡返しのように全身が固まってしまった。言葉が理解できていないのか? それとも、世界に名高い我の名前を知らない異分子どもか?

 混迷した思考をなんとか押し留めて、武器を抜いたゴブリンどもに聞いた。


「……一体どういうつもりだ?」


「ググギァ」


「本当に話が通じぬのか……どれだけ低能なのだ」


 砂ゴブリンが短剣や棍棒を構えてじりじりと距離を詰めてくる。その瞳には本能的な殺意と、純然たる敵意が滲んでいた。間違いなく、このゴブリン共は我を殺す気だ。

 ……とても正気とは思えないが、我の状況を見て下克上でもするつもりらしい。


「……チッ、どいつもこいつも馬鹿ばかりか」


 舌打ちと共にゴブリンに右手を向けて、適当な魔法を放とうとしたが……そこで自分の魔力がゼロな事に気がついた。加えて言えば俊敏性も筋力も殆ど奪われている。


 ……不味い。


「おい、落ち着け。我が分からぬのか? 我こそは金色の魔王、ヴァチェスタ・ディエ・コル――」


「ア゛アァァ!!」


 交渉決裂というやつだった。ゴブリンどもは我を囲むように位置取り、鈍い刃物を振りかざして突っ込んできたのだ。とりあえずその場から飛び退きながら、飛び退いた先のゴブリンの短剣を叩き落として……と考えていたのだが――


「ぬ……!? 遅い――くっ!」


 二本の短剣が我の体に突き立てられ、三本の棍棒が叩きつけられた。その気になれば避けることなど簡単な筈の、もはや止まっているに近い一撃だったが、我の体の俊敏性はそれを更に下回っていた。もはや呪いを受けてしまったように、まともに体が動かない。なんだこれは……闇の精霊王の呪術を受けた時の方がまだ動きやすかったぞ。


 驚きに目を見開いた我に続いて、乾いた鉄の音と枝が折れるような音が砂漠に響いた。


「……弱体化の度合いは予想外だったが、竜鱗はいつも通りだな」


 音の正体は、砂ゴブリンの武器が一斉に壊れた音であった。我が竜鱗は神の拳ですら砕けぬ至宝の楯。勿論、防御せずに山を崩すような攻撃を食らえばただでは済まぬが、このゴブリン共にそんな攻撃ができる訳がない。

 つまるところ、我の敗北はあり得ないのだ。


 自分達の武器が軽く破砕された事実に、砂ゴブリン達は慌てふためいている。素手で立ち尽くす姿は実に滑稽だ。


「ふはは、馬鹿共め。貴様ら程度では魔王である我を狩ることは出来ぬ。絶望して……死ねッ!」


 かつて神をった拳が目の前の砂ゴブリンへと吸い込まれ……軽く避けられた。  


「何ぃ!?」


「ギギ……?」


「グキァ」


「キキキ……」


 クソ、予想はしていたが我の拳も当たらぬ。当たりさえすれば恐らく仕留められるだろうが、当てられる気が全くせぬ。それだけの貧弱さを今の我からは感じるのだ。

 最弱と名高いゴブリンに拳を避けられたという屈辱に顔をしかめていると、我の動きを見たゴブリン達が馬鹿にするような笑みを浮かべた。


 ……大方、『なんだ、この程度か。驚かせやがって』という事だろう。戦意を取り戻したゴブリン達は、続々と拳を構え始める。ああ、そうか……我程度拳で十分と……。


「舐めるなよ、ゴミクズ共がッ!」


 どちらにせよこいつらに我を殺すことは絶対に出来ぬ。ならば、持久戦だ。固さが売りの鍛冶の神でも、我が一億回殴れば普通に死んだのだ。あのときの天界と同じことを、同じように繰り返せばいい。

 たかぶる戦意を拳に込めて、我はこの世界での強敵へと一歩踏み込んだ。

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