9.三千世界の鴉
『監視室』――それは、廊下の最奥にあった。
素っ気ない金属の扉をキーラは無表情で見つめる。
乱れた赤髪を整え、コンパクトで軽く化粧を確認し、ブラウスやベストの裾を伸ばす。
そうして適当に身なりを整えると、扉を蹴り飛ばした。
けたたましい音とともに扉が開き、大量の数のモニターがキーラを迎える。
「……くっ、ひくっ……なんで……なんで……」
キーラの目にまず映ったのは、か細い声で泣いているオーレリアだった。
肩を抱きしめ、革張りのソファに身を埋めるようにして震えている。青く光るオマモリミズクラゲが数匹、寄り添うようにその周囲を浮遊していた。
向かいの肘掛け椅子には、黒髪の女が頬杖をついていた。
左手にはアイスピック。右手にはウィスキーのグラス。
キーラを見るなり、黒髪の女は――ナオミは片手を上げた。
「来たね、バケモノ」
「やあ、ひとでなし」
キーラは無表情で答えつつ、足早にオーレリアの側へと近づいた。
泣きじゃくる彼女の肩に触れると、弾かれたようにその体がソファの上で跳ね上がった。
「ひっ、なっ、なっ……キ、キーラ……」
「さっきぶりだね、オーレリア。もう安心してもいいよ」
震えながら彼女に視線を合わせ、キーラは素早くその状態を確認する。
可哀想なほどに脈拍が上がり、さんざん泣いた目が真っ赤になっている。しかしそれらを除けば、まったく健康そのものだった。
先ほどは折れていた首の骨にも問題はない。キーラは目を細め、オーレリアの額に触れた。
「どうやら無事なようだね。――不思議なことに」
「そ、それが……っ」
ちょうど脳幹のあるあたりに触れた途端、オーレリアは一際大きく震えた。
「わ、わたし……ふ、不死身、みたい、で……」
「不死身? 死なないってこと?」
「う、うん……今、先生がわたしのこと……刺したんだけど……」
「……刺されたの?」
「え、ええ……それで、真っ暗になって……でも、気付いたら……」
オーレリアは口を噤み、首を振る。
キーラは、ライダースジャケットをオーレリアに着せてやった。
そして、ゆっくりと振り返る。
「――で?」
ごく短い問いかけだった。
冷やかな声にナオミは鼻で笑って、肘掛けに頬杖をついた。
「……湖で、オーレリアが入水自殺を図った話は聞いているかね? 一回目の自殺だ。その時に、彼女はあるクラゲを身の内に取り込んでしまったんだよね」
キーラは何も言わず、オーレリアの隣に腰掛けた。
紺碧の瞳と、漆黒の瞳とがかち合う。それだけで周囲の空気は冷え、張り詰めていった。
「ベニクラゲというクラゲがいてね」
ナオミは語る。口元こそ笑ってはいるものの、声音はどこか冷やかだった。
「こいつは本当に小さなクラゲだけど、驚異的な特徴を持っていてね……簡単に言えば死に瀕すると、若返るんだ。この特徴から『不老不死のクラゲ』とも言われているんだよね」
「オーレリアが飲み込んだのが、そいつということか」
「そうだね。……実を言うと、私はここに来るまで三十二回ほど彼女を殺して、一回解剖もしてみたんだよね」
オーレリアの体がぐらっと揺れた。
とっさにキーラは手を伸ばし、ソファの肘掛けに縋り付く彼女の背中に触れる。しかしオーレリアはなにも目に入っていない様子で、頭を抱えて縮こまった。
「こ、殺した……? わたしを……? 殺して……かっ、解剖、したって……?」
「ああ、寝てる間に一回殺してね。どこまで復活できるか気になったから」
さらりとした口調で言いながら、ナオミはゆっくりと自分の胸元に触れる。
黒い爪をした指先を、ちょうど心臓の上まで滑らせた。
「驚異的だったね……君の透明な心臓は、手術痕さえ残さずに君を蘇らせた。心臓を摘出しようとしたら妨害に遭ったから、たぶん心臓を外したら流石に死ぬんだろうね」
「な、なんで……なんで、そんなこと、したの……?」
涙をぼろぼろと零し、髪を掻き乱して、オーレリアは声を引き絞る。
「わ、わたし、先生のことが好きだった……一番最初に、優しくしてくれたから……な、なのに……なのに、どうして……どうして、ひどいことするの……!」
「決まってる。君のことが好きだからだね」
オーレリアは息を飲む。
ナオミは組んだ指の上に顎を乗せ、心底愛おしげなまなざしでオーレリアを見つめた。
「ねぇ、オーレリア……私は、君のことが好きだ。これまで生きてきた中で。誰かにこんなに心を寄せたことはない。だから――」
ナオミは首をかしげた。艶やかな漆黒の瞳が、針の如く細められた。
「君の不幸も、幸福も……全て、私が与えてやりたくなった」
「なっ、ど、どういう……」
「言葉通りだね」
ナオミは微笑を深め、ゆったりと背もたれに体を預ける。
「何度となく思ったよ。君に、花や小鳥や宝石なんかを贈って……それを潰してやりたい。そうして泣きじゃくる君を、魂が融け落ちるまで慰めてやりたい……とね」
ナオミはウィスキーを飲み干すと、ロックグラスの内で氷を転がした。
丸く透明な氷が硝子とふれあい、ころころと音を立てる様を愉快そうに見つめる。
「君の全ての喜びは私によって与えられるものであってほしい。同じように、君の全ての嘆きは私によって与えられるものであってほしいんだよね」
言いながら、ナオミはグラスにウィスキーを注ぐ。透明な氷が、琥珀色の酒にたゆたう。
「君の快楽も、君の苦痛も――その全てを、私のものにしたいのだ」
「そ、そん、な……どうして、そんな、こと……」
ぼろぼろと瞳から涙を零し、オーレリアは頭を抱え込んでしまった。
その途端、ナオミは破顔した。目を細め、頬を染め――さながら花束を与えられた少女の如く、心底幸福そうに笑い声を立てた。
「今、言ったよね? ――君を愛しているからだ、オーレリア」
「……だから、ホテルはここにあるんだね」
泣きじゃくるオーレリア、それを見て笑うナオミ――その全てを無機質な瞳に映して、キーラはゆっくりと言葉を発した。
「誰にもオーレリアに干渉させないために、君はホテルをここに留めたんだ」
「……ほう」
ナオミが笑みを消し、試すような視線を向けてくる。
漆黒のまなざしを群青の瞳で受け止めつつ、キーラは淡々と言葉を続ける。
「君が全くの無関係ではないことは予測がついていた……オーレリアが『強い』と断言したのに、真っ先に死亡したからね。そのうえ、君の部屋だけ監視されてなかった」
その言葉にオーレリアは眼を見開き、壁に並ぶモニターを見る。
『三〇二』――『三〇三』――『三〇五』――『四〇一』――キーラの言葉通り、三〇四号室のモニターだけが存在していない。
「それに最初の夜だ。あのお喋りなロバートが、君の前では静かになった」
『貴女は――』
ナオミが姿を現した瞬間、ロバートの【色】に緊張の震えが走った。その後は取り繕うような態度を取ったが、それでもナオミの前では明らかに言葉数が少なかった。
「それは君が自分と同じ組織の……それも自分よりも遥かに高位の人間だったから」
キーラは両手の指を突き合わせ、ナオミを見据えた。
対するナオミは頬杖をつき、能面のような表情でキーラを見つめる。
「手帳を見たよ。『私のレノーアは永遠だ』――レノーアは、オーレリアだね」
「……わ、わたしは、オーレリア・ティアフォード以外の何者でもないわ……よ、ね……?」
オーレリアは、自分が何者かさえ疑わしくなっているようだった。
青い顔で震えるオーレリアの肩を撫でつつ、キーラはナオミから視線を逸らさない。
「大鴉の詩……あれに出てくる美しい娘にオーレリアをなぞらえた。詩の中ではレノーアはすでに死んでいるが、オーレリアは死なない。まさしく
ナオミは相も変わらず、試すような目でキーラを見つめている。
それを真っ向から見つめ返しながら、キーラは抑揚のない声で言葉を続けた。
「君はオーレリアを独占したくなった。そうなると、ドアーズは脅威となる。進化なんてものを目指した連中が、不死の存在に興味を持たないはずがない」
「だ、だから……ホテルをこんな状態にしたの……?」
オーレリアは呆然と、ナオミを見つめた。
「わたしを……閉じ込めておくため……?」
「違うね。君を守るためだ。誰にも干渉させな――」
「――戯れ言はもうたくさんだ」
ナオミの声を、キーラの声が遮った。
同時に銀の閃光が放たれ、まっすぐにナオミの顔面へと突き刺さる。
頭蓋を撃ち抜く音がはっきりと響いた。
ナオミは大きくのけぞり、肘掛け椅子のヘッドレストに後頭部をぶつける。その額には、一本の彫刻刀が深々と突き刺さっていた。
オーレリアは声にならない悲鳴を上げ、ソファから腰を浮かせる。
しかし、キーラはそれを手で制した。
「今度はどうする、ジグザグ先生? また体を増やすのか?」
「――ひどいことをするねェ」
ため息とともに、ゆっくりとナオミの体が動いた。
右手が持ち上がり、突き刺さっていた彫刻刀を引き抜く。それを投げ捨てると、ナオミはがたがたと震え出すオーレリアに笑いかけた。
「驚かせてすまないね、オーレリア」
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