第十四話 絵筆は主人の元へ帰る

 昼休みの駐輪場で、碧と三田の目の前で。

 ハートの2のカードが輝いている。

 その光は、碧にしか見えない。

 トランプにも正位置と逆位置のあるカードはある。

 だがよりによってハートの2にはそれがない。


 トランプは、碧が校内に持ち込めないタロットの代用だ。ハートの2が現すアルカナは〝聖杯2〟。


 恋愛でも仕事でも、それは出会いのカードなのだ。

 


 その一瞬。

 いやあ、何を描いてんでしょうねえ、私はそっち方面はとんと詳しくないんですよ、ははは。なんて。

 軽くお茶を濁すのが大人の対応だったのかもしれない。

 仕事で来ているとはいえ、目の前にいる結城先生は社長の友人で地元の名士だ。

 そんな相手に自分の息子の話など、ここで引っ張っていいはずがないことは勇三も重々承知していた。

 だが。



——運命の分岐には、いくつかの種類がある。


 何かを始めなければ、いけない時。

 何かを変えなければ、いけない時。

 何かを捨てなければ、いけない時。

 そして。

 誰かと出会わなければ、いけない時。


 これまでの幾度とない鑑定の経験で。

 碧は、なんとなく知っている。

 時に人生における出会いのいくつかは、そこに〝仲介者〟を必要とすることがある。

 誰と誰かを。別の誰かが。

 引き合わせないといけないのだ。


——隠者を愚者が旅に連れ出したように見えるんだが——


 そうか。

「よしっ」「え?」

 カードを見つめて頷いた碧を、不思議そうな顔で三田が覗いている。

 その彼に碧がハートの2を差し出して。

「持ってて」「あ、ああ。うん」

 恐るおそるでカードを受け取る三田から目を戻して。

 もう一度だ。出るはずだ。

「来いッ」

 たんッ! と。左手首に箱を打ち付ける。

 二枚目のカードを引く。


 箱から〝ハートのキング〟が飛び出した。



 冴えない部長職で、いつもなら余計な雑談も控える自分が、どうしてそこで似合いもしない親馬鹿自慢をしてしまったのか、勇三にはわからない。


「いやあ、結構……私は好きでして。息子の絵を持ち歩いてんですよね」

「へえ。そうなんですか? それはまた」

「親の贔屓目ですよねえ、こんなやつでして」

 胸ポケットから出したスマホの写真をしゃっしゃっと繰って。

 その親馬鹿に付き合うように苦笑して、横から覗いていた初老の男性の、しかし。

 視線が。急に光が強くなって。スマホの画面を凝視して。


「——ちょっと、いいですか?」

 手を差し出す。

 少し驚いた勇三が、だが男性の真剣な表情に押されてスマホを渡す。

 

 画面に映っていたのは、なんの変哲も無い風景画だった。

 道は少し坂道で民家の石垣に沿った歩道に電柱が立っている。人が歩いている。横の車は徐行しているのだろう。それだけだ。

 画面をズームする。細部を指でドラッグして。

「これを、パソコンで?」

「え、ええ」

「……あいつら、こんな塗りはタブレットじゃ無理だって言ってたくせに」

「はい?」

 男性が笑って顔を上げた。

「いえ、こちらのことです。すごいな。ウチの連中にも喝を入れないといけませんなあ。ここまで描く子が出てきたんですねえ」

 そう言って男性がスマホを返す。あははと、意味もわからないがなんとなく褒められているらしいことだけはわかる勇三が頭を掻いた。

「まあ、下手の横好きなんでしょうかね」

「とんでもない。息子さんは——そうだ。これを渡していただけますか?」

「はい?」

「よろしければ一度、会社見学にでも」

 ほんとですかと勇三が目を丸くして、受け取ったのは男性の名刺だ。


 〝結城建築設計事務所〟と書かれているのだ。



◆◇◆



 その日の昼休みは、相変わらずぼおっと碧は教室の席で頬杖をついて、窓の外を見ている。

 スマホを触る八津坂が、たまにちらと視線を送るが、いつもより一段となにか彼は思いに浸っているらしい。


 三田は、あれからペンは見つかったそうだ。

 なぜか知らないが父親のカバンの中に潜り込んでいたそうだ。

 それに加えてちょっとした出会いがあった。

 地元でも有名な設計事務所の社長さんに会社見学に誘われて、いろいろと将来の話もしたと言っていた。そこで見た建造物のパース画や完成予想図に、ずいぶん思うところがあったらしい。

 少し興奮ぎみで喋る三田は最後に『俺、建築の勉強するかもしれない』と、目をきらきらさせて話していた。


 そこから先は彼の人生だ。彼が決めることだろう。

 でも。今回のことは、けっこう大きな分岐だったかもしれない。

 碧が思う。

 もし彼のペンが姿を隠さなければ、三田はひょっとしたらあの甲本という人間と今でも付き合っていたかもしれない。

 それはそれで、別の人生が拓けたかもしれない。

 どちらがいいのか碧には、うかがい知れるわけもない。


「——ね」「うん?」

 珍しく八津坂が話しかける。碧が少し視線をやる。スマホを見たままの八津坂が訊く。

「こないだの人、ひょっとして、知ってるの?」

 ああ、と。やっぱりこいつは鋭い。

「知ってる」「そうなんだ」

「学校にも何人かは居るよ、知ってる人」

「みんなナイショにしてくれてるんだ」

「まあね。お互い様だったりするし」

「ふーん」

 返事する八津坂の横顔を見ながら、ふと碧が訊く。

「あのさ」「なに」

「もう進路とか決めてる?」

「どうして……あ、じゃあそういう相談だったんだ」

「鋭いなあ」


「だったらさ」

 スマホの手を停めて、くんっと八津坂が肩を寄せて。

 どきっとする。窓際の二人、顔が近づいて。

「どんな仕事が向いてるか、みてほしい」

「八津坂の?」「うん」

 いつもより高い鼓動がなぜか心地よく感じる碧は頬杖をついたまま、彼女の顔をじっと見つめて。

「……今度さ。港でフリマがあってさ。田舎の方なんだけど」

「うん」

「僕も小さいブース出すんだ。手伝わない? バイト代出すから。その時に、みようか。一緒に」

 八津坂の目が、まっすぐ碧に向いて。

 うんうんうんと何度も頷いて。真剣な顔で言う。

「行く。やる。でも、なんで?」

「うーん。なんだろ」

 いつもは頬杖をつく腕で頭を抱えて。

「普通に観るのも、つまんないなあ、とか。そんな感じ」

 碧は机に丸まってしまった。


 そのさらさらした黒髪のつむじを見たまま。

「なんで丸まるの」「うーん?」

「ねえねえ」こんこん、と。

 スマホで叩かれて見せる碧の顔が少し赤くて。

「いいじゃん、なんででも」

 髪を垂らした八津坂が覗き込んでくる。

「ちゃんとみてね」

「わかってるって」

 それだけ言ってまた伏せる碧のつむじを、相変わらず八津坂が笑いながら指で突っついている。

 時折碧がぺっぺっと手で払う。


「……なんなんでしょおねえ」

「いんじゃね」

 ちょっと離れていつもの二人も呆れているのだ。

 窓の外はよく晴れている。



         ——鑑定3 隠者の絵筆 了——

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