第38話 月が見ているから
なんとか逃げ出さないと。
そうは思っても、見張りはいるし、連れて行かれたところは地下室。
ああ、無理だわ、コレ。
うちには牢屋というものなく、これは、その代わりに作られたものだと聞く。
実際に来たのは初めてなんだけどね。
そこには、これといって何も置いてない。空気穴のような、鉄格子のつけられた小窓があるだけの、質素な部屋だった。
弟はかなり怯えていて、私にぺっとりと張り付いている。大丈夫だよ、と床に座ってデルマを膝に乗せて抱きしめた。
……全然、大丈夫じゃない。
だけど、今ここで私が弱音を吐くわけにもいかない。
上を見あげると、小窓から夜空が見えた。
そっか、今日は満月なんだ。
こんな時だというのに、仮面舞踏会のことを思い浮かべる。
手紙は置いてきたけど、何も言わずに出てきてしまった。
怒ってるって言ってたな。
彼もこの丸い月を見て、それを思い出したりするのかな? ううん。きっと……忙しいレンヴラント様の事だから、見てもいないかも。
黙っていなくなった、ただのメイドの手紙なんて、捨てられちゃったかな。よく考えれば、少しの間いただけの存在だもの。そんなのすぐに忘れられてもおかしくない。
……………………彼の記憶から、私がいなくなる?
そう思うと、途端に怖くなった。
「お姉ちゃん、震えてる。怖いの?」
「ううん、寒くて。でもあなたを抱っこしてるから大丈夫よ」
多少は防寒されているのか、凍え死ぬというほどではないのに、ひんやりとする空気が心を凍えさせる。
私は温もりを求めて、ギュッと弟を抱きしめた。
私はレンヴラント様の専属メイドに、運良く選ばれただけ。良くしてもらったのは特別だからというわけじゃなく、彼という人物が優しかったからだ。
頼めば手を貸してくれると分かっていて、自分が拒んだんじゃない。それなのに、きっと心のどこかで救い出してくれる事を期待してるなんて。
……おかしい。
目の前のつむじがぼんやりと滲んだ。
毒を取り込んだ体は、まだ完全に回復してはいない。アネモネに魔術で飛ばしてもらったからといって、隣の街から移動してくるだけでも、体は思ったより疲れていた。
こういう時はつい弱気になってしまう。しっかりしなくちゃ。
「もう寝ようか」
デルマの目をこする姿を見て、レティセラはそう言って壁に寄りかかった。
今はどうにもならない。冷たさを背中から感じながら目を閉じる。明日、ここから出て移動する時。それしか逃げるチャンスはないだろう。
だから、できるだけ体力を回復しておかなきゃ。
弟の体温。建物の匂い。それは、母がいた時と変わらなかった。今は嫌いだと思っても、どうしようもなく、ここが自分の家だと思い知らされる。
クスッと笑みをこぼした。
私の中では、どうしたらいいのか、どうするべきかなんて、本当はまだ答えはなくて、迷いばかり。
親の言いなりになるのも気に入らない。
路頭に迷う事になるなら、大人しく連れて行かれたほうがいいと思う気持ちもある。
大切な人達も巻き込みたくないのに、誰かに助けてもらいたい。
それでいて…………こんな姿は見られたくないのだ。
その中から、どれも欲しくて、どれも、選ぶことが出来ない自分がおかしかった。
いつだったか、レンヴラント様に『辛いなら辛いって言えばいいだろう』と言われたな。
今となっては、彼に届く事だってないこの気持ちは。本当は、ずっと前から気づいていて、見ないフリをしてきただけ。
お月様。もし私の事が見えていたら、彼に伝えてくれる?
ふふっ、なんてね。
ふぅ、
静かに息を吐き出す。その後は、考えることを放棄するように、レティセラは眠っていた。
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「起きろ!」
知らない声がして目を開けた。
……あ
小窓から差し込む日差し。なぜか、幸せな夢を見ていた気がする。現実に引き戻されて、寄りかかっていた体を起こすと、とんでもなく体が重かった。
それに、頭もズキズキする。
どうも熱があるっぽい。だけどそんな弱みは見せてはダメ。この人たちは敵なんだから。
言われるまま、立ちあがって荷物を持たされる。ここから港までは魔術で飛んでいくらしい。私たちは、数人の男たちと魔法陣の上に乗せられた。
どうにかして逃げなきゃ。
それだけを考えて、大人しくしていたけど、とてもそんな隙はない。あっという間に港につき、乗せられるであろう船の前に立つ。
これに乗ってしまえばもう手遅れだろう。
「立ち止まるな。早く乗れ!」
「…………」
もう……分かってるよ。心の準備くらい、させてくれてもいいじゃない!
クラクラして、鉛のような熱い体。それに弟もいる。こんな状態じゃ、とても逃げられっこない。
船に渡った桟橋が、
ちゃぷん……
ちゃぷん……
穏やかに打ちつける波が、騙すように優しく誘っている。それを眺め、私は何も言わずに口を結んだ。
ここに来てようやく、なりふり構わず助けを求めておけばよかった、という答えに辿り着く。だけどそれはもう、遅すぎた願いだった。
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