初めてできたエルフの恋人は、父さんの元カノでした

風親

前編 エルフの森にて

「いやよ」


 エディスは、エルフ特有の尖った耳にかかる金色の髪をかきあげながらあっさりと、そしてはっきりと拒絶した。


 僕の渾身のプロポーズだった。王都の中でも綺麗な夜景が見える場所を貸し切り、片膝をつきながら竜退治で得た報酬で世界でも最上級な指輪を用意して差し出したというのに。


(こ、こんなはずは……)


 潤んでいく視界の中で、まだその言葉を受け入れられない僕がいる。


 僕とエディスは、他の人から見ても完璧なパートナーだった。


 異世界から現れた戦士の僕と、守られながらサポートをこなし、最後には強力な魔法の矢を叩き込む見目麗しいエルフの美女エディス。


 最初こそ、お互いに下手くそなコミュニケーションの数々で何度も喧嘩もしたけれど、やがて僕たちはお互いを理解して、一緒に数々の困難を乗り越えてきた。そして、ついに今回は竜退治を成し遂げたところだった。


「……何故?」


「だって……人間って早くいなくなっちゃうじゃない」


 エディスはわずかに目を伏せながらだったけれど、はっきりとそう答えた。


「残りの人生を一緒にって言ったけれど、五十年後にあなたが死んだあとも私は十倍近い時間を生きるわ」


「でも……」


「……もう、あんな寂しい思いはしたくないの。ごめんね」


 追いすがる僕の言葉は聞いてもらえずに、エディスは美しい金髪をなびかせると走り去ってしまった。僕は追いかけようとしたけれど、数歩ほど走ったところで完全に意識が真っ暗になってしまった。巨大な竜の攻撃さえ受け止めた僕なのに、心が折れてしまうと体はまったく思ったとおりに動いてくれないということを知った。




(もう、あんな思いはしたくない……ということは前に人間の恋人がいたのだろうか……?)


 次の日、僕は王国が用意してくれた宿屋で、昼間っから人生で初のヤケ酒を飲んでぶつぶつと独り言を並べていた。


「イッペー。大丈夫だよ」


「寂しいって思うことは好きってことじゃん」


「エディスは面倒くさい女だから。きっと、近くの町でイッペーが追いかけてきてくれるのを待っているって」


 仲間たちは、僕を励ましてくれた。それどころか王都中の人が僕を励ましてくれていた。


 みんなの励ましに元気を取り戻した僕は、エディスを追いかける決意をする。


「もう一度、死ぬ気でプロポーズしてきます」


 昔は仲の悪かった衛兵や騎士団の人にまで盛大にお見送りされて、僕は王都を出てエディスを追いかける旅に出た。


 しかし、僕の噂を聞いた彼女はガチで逃げていた。


 わざわざ関係の険悪な外国を通って、ついにはエルフの森にまで帰ってしまった。


 僕が彼女を追いかける旅は一年ほども続いた。





 ついに僕は、エルフの森にある彼女のツリーハウスにたどり着き、木造の扉を勢い良く開けた。


「エディス!!」


「うわああ。イッペー?」


 優雅にテーブルに飲み物をおいて、椅子に腰掛けながら魔導書を読んでいたらしいエディスは、僕の姿を見て、慌てふためきながら立ち上がった。


「追いかけてきた」


 それは分かるとでも言いたそうだったけれど、他のことを言おうと悩んでいるかのようにちょっと目線が泳いで体も落ち着かないように揺れていた。


「なんで人間のあなたがエルフの森に入ってこられるの?」


「長老さまに入れてもらいました」


「長老が人間を? そんなことがありえるの?」


「無理難題を言われ続けたけれど、三ヶ月頑張ったら認めてもらったよ」


 長老との一度殴り合ったあとの心温まる交流を自慢気に話したけれど、エディスの方は呆れ顔だった。


 僕は、今が竜退治なんかより遥かに大事な一戦のつもりで、一歩前に踏み込んでエディスの体を抱きしめた。


「エディス。結婚してください」


 僕はエディスの真正面に立ち直すと、両手を僕の両手で包みこみながらそう言った。


 一年かかったプロポーズのやり直しだ。


「確かに、君に比べれば長生きはできないけれど、僕の残りの人生をすべて君に捧げると誓うよ」


 ちゃんと、真正面から目を見て僕のプロポーズを聞いてくれたエディスだったけれど、その後は酔っ払ったかのように頭がふらふらとしていた。でも、僕はもう手を離すつもりはなかった。


「うーーー」


 エディスは、しばらくそう唸ったあとで真っ直ぐ立って、僕に向かい合ってくれた。


「分かったわ」


 彼女の目に美しい力が戻っていた。そう、僕と一緒に戦ってくれる時の彼女の目だ。


「できるだけ長生きするのよ。あと、危ないところに一人で行っていなくなるのもなしよ。それだけは誓って!」


 厳しい目で、厳しい口調で勢いよく指を指しながらエディスは言ってきたけれど、僕はもう完全に舞い上がっていた。


「もちろん、誓うよ。いつだって僕たちは一緒さ」


 僕は、真正面から豪快に彼女を抱きしめた。小さな可愛らしい悲鳴が聞こえた気がするけれど、気にせずに密着し続けて唇を唇に近づけていった。もう嫌がる様子はない。彼女も目を閉じて静かに待ってくれていた。




 晴れて僕たちは夫婦となった。


「ん~」


 鼻をつままれた気がして、僕はベッドの上で一回転がった。もう朝日が、木々の間をすり抜けて窓からかなり差し込んできていて、一度開けた目をまた閉じる。


「イッペー。おはよう」


 朝日が眩しいのでなかなか目を開けられませんということにして、エディスの声がする方に手を伸ばした。


「わっ、こら」


 エディスの腰に抱きついて怒られた。ただ、まだ、昨晩のまま、裸で横に寝てくれると信じていたのに、目を開けて確かめるとすでに服を着てベッドに座っていた。


「ぐううう」


「何を悲しんでるのよ、まったく、人間の男の子は元気よね」


 必死な僕を見て笑っていた。


「エルフの男どもは、死期でも近づかないと伴侶を探そうとしないからね」


 ちょっとこの森の男性に対して不服そうにそう言った。


「そう言えば、イッペーは異世界から来たのに魔石が埋まっているのね」


「へ? 魔石」


 全裸でベッドの上で正座をしている僕の姿を、じっと見ながらエディスは謎の言葉を口にした。


「え? これよ。自分で知らないの?」


 エディスは、僕の胸の真ん中に対して人差し指をそっと伸ばしてきた。


「ん? そう言われると何か光っているね。何なのこれ?」


「自分で覚えがないのね?」


 エディスは僕の胸の真ん中に指を当てながら、たまに魔力を送っているのか僕の胸が光っていた。


「うわ。何か自分の体に灯りがついたみたいに」


「魔石を体に埋めるのは、魔力を効率的に使ったり、いざという時の予備の魔力タンクとして使ったりするため。この森のエルフだと、生まれたらすぐに埋め込むの。私にもあるわ」


 そう言いながら服の胸元を引っ張って、エディスは自分の胸の谷間を見せてくれた。


 改めてじっくり見ると、胸の谷間に魔石の一部だけが点のように体の外に出ているのが分かった。エディスが自分で魔力を送ると胸の谷間全体がぽわっと光を放った。


「なるほどね。こんなのが僕の胸にも埋められていたんだ。全然知らなかった」


「でも、魔力の無い異世界から来たのだと、そんな習慣はないはずだし……。覚えがないってことは変なのよね」


 じっくりと僕の魔石を確認しようとエディスは、ベッドの上で四つん這いになって、僕の胸に顔を近づけた。


「ん?」


 普段は冷静なエディスからは、想像もできない面白い驚きの声が僕の胸に対して向けられていた。


「うーん。うーん?」


 どうしたのかと聞く暇もなく、可愛らしい唸り声とともに僕の胸を色々な角度から観察していた。


「なんか……見覚えがあるわ。この魔石」


 そんなまじまじと僕の胸を見られて息がかかると、なんか照れてしまう。


「『拡大』」


 エディスは、もう一度指を光らせると空間に魔石を投影させた。スクリーンに映し出すかのように、エディスの指先に大きくなった魔石の映像が映し出された。


「え?」


 魔石にはずらずらと長い文章が刻まれていた。反対側から見ていることもあって、下の方の長い文章は僕には難しくて、読めなかったけれど、一番上の大きな文字は、はっきりと読むことができた。


「『エディスから、文彦へ。愛をこめて』」


 僕は読み上げた。『文彦?』


「えっ!」


 当然、エディスにもその文字は見えたのだろう。


 でも、しばらく理解不能で、意識がどこかに飛んでいったまま帰ってこないように放心状態みたいだった。


「エディス。しっかりして、下の方はなんて書いてあるの?」


 僕はエディスの肩を揺さぶって、意識が戻ってくるように促した。


「はっ、お、落ち着きましょう」


 どう見ても、エディスは全然落ち着いていなかった。引きつった笑いは、竜との戦いでも見ることができないものだった。


「時期的にも、この世界に来てから埋め込まれた可能性はない……とすると……?」


 しばらく考え込んだあとで、エディスは『やはりその結論しかない』と顔を上げて僕の目を見た。


「イ、イッペー。この文字、『フミヒコ』って読めるの?」


「うん。僕の世界の文字だから」


「……そして、フミヒコって名前に心当たりは?」


「父さんの名前だね」


 エディスが砕け散る音がした気がした。ショックを受けて、崩れ落ちてうなだれていた。


「もしかして……父さんって、この世界に来てたの?」


 僕の問いにはしばらく答えずに、気合いを入れたかのようにエディスは顔を上げて僕の顔をさっきの魔石のようにじっと観察をはじめた。


「ああ、改めて見ると目元がそっくりね」


 僕の頬に、そっと手を添えて感慨深そうに微笑んでいた。


「そうね。あなたのお父さんフミヒコは、この世界に来ていた」


 エディスは断言した。


「父さんと恋人だったの? 前に話していた、すぐにいなくなってしまって寂しい思いをしたって父さんのこと?」


 僕の質問は、エディスの心の傷を抉ったようだった。しばらくダメージを受けて仰け反っていたけれど、何とか心を落ち着けたのか、ベッドの上に座りなおして僕と向かい合って話を続けた。


「ええ。そうよ。この百年間で好きになった男性が、人間の親子だったなんて、想像もしてなかった。……不快に思ったらごめんね」


「驚いたし、僕が最初で最後の恋人になりたかったけれど……。まあ、他の知らない格好いい人が恋人だったと言われる方が嫌かなと思う」


 だから気にしていないと伝えた。まあ、ちょっと変な気持ちになってしまうけれど。


「そうか! でも、じゃあ、フミヒコはあの事故で亡くなってはいなくて、自分の世界に戻れたってことよね」


「聞いたことはないけれど、そうなんじゃないかな」


「そう。良かったわ」


 三十年前のことだというのに、嬉しそうに、そしてちょっと目には涙を浮かべながらエディスは喜んでいる。そんな姿を見るとやっぱりちょっと嫉妬しちゃうなと思うのだった。


「そういえば、さっきの魔石の文章に何か書いてあったわ」


 両手を叩いて思い出すと、また僕の胸に指を伸ばして魔力を送り込んだ。


(僕の体はプロジェクターか何かか)


 そんな感想を持つくらいに、簡単かつ鮮やかに再度、空中に拡大された魔石の映像が映し出された。


「これは……異世界転移する方法が書いてあるみたいね。すごい! こんなことができるなんて! これはエルフの森にも伝わっていない魔法ね」


 エディスは興奮気味に、魔石に書かれた文字を解読しているようだった。エディスは戦う時は基本弓で、魔法は補助でしかないのだけれど、そこはエルフの血が騒ぐのかもしれない。


「これを使えば、イッペーも元の世界に帰れる……かも……よ」


 最初、興奮気味に捲し立てたけれど、僕が戻ってしまった時のことを想像して悲しくなってしまったらしい。かわいいなと思いながら、エディスの手を握った。


「大丈夫、帰ったりしないよ。もうエディスのいるところが僕の家だから」


 そう言うと、ぱああっと笑顔になるエディスだった。いちいち、かわいい。


「で、でも、一応、ちゃんと繋がるか、確認はしておきましょうか」


 そう言うと、また魔石に書かれた文字を熱心に解読しはじめた。


 五回目の呪文の後で、魔石が大きく反応した。そして、拡大した映像とかではなくて空間に小さな穴が空いているかのように見えた。魔石は僕の胸に埋まったままなので、僕からすればこんな光景怖くてたまらないのでエディスの腕をぎゅっと掴んでいた。


「大丈夫。大丈夫。どうやら本当みたいね。これ、広げちゃう? 広げちゃおうか」


 掴んだ腕の先で魔導書を広げたままでエディスは、興奮していた。


「あれ? でも、この先の空間って……死後の世界なのでは……?」


 エディスは魔導書を確認しながら、何やら恐ろしいことを言っている!


「うわあ。ちょ、ちょっとストップ。止まってえ!」


 エディスは叫んでいた。


 でも、もう遅かった!


 空間の穴は急速に広がっていって僕たちを包んでいった。

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