#10 好き……なのかな?
翌朝。
外食やお弁当の日が増えていると聞いていたので、中村さんたちの分のお弁当も持参して家を出た。
電車を乗り継ぎ、紅葉がほんの少し色付き始める並木道を通って、この近くにあるであろう目的のスタジオへと急ぐ。
地図を頼りにスタジオに辿り着くと、エントランス兼休憩所で、ノートPCと格闘している裕樹くんを見つけ声を掛けた。
「おはよう!」
「おう、迷わなかったか?」
「ちょっと、迷っちゃった」
「やっぱりな……」
少し呆れ顔の裕樹くんに、おどけたような笑顔を返す。と、すぐに奥へと案内された。
昨年、完成したばかりの新しい音響スタジオ。外観は、まるで海外映画などに出てくるバーの様で、中もカントリー調な造りになっている。
大人2人が横に並んで歩くと、少し狭く感じる長めの通路を歩き始めて間もなく、地下へと降りる階段が見えてくる。
地下1階にある録音スタジオにて、シーンごとの音楽やSEの編集作業中だという。
今日の予定は、これまで収録されたものを編集する作業のみで、スタジオに缶詰状態になるだろうとのことだった。
「当たり前の事なんだけど、それぞれの価値観が一致しない限り、永遠に続くんじゃないかと思える討論がさ。これがまた、結構大変だったりするんだよな」
「そ、そうなんだ……」
「ほんと、音響担当ってやり甲斐があるけど、大変な仕事だと思うよ」
階段を下り終り、自動ドアを抜けた先にいくつかブースがあり、そのうちの一か所を借りて、収録し終えた俳優さんたちの演技に、SEや曲を合わせていく作業。
監督、演出家、原作者、音響担当(監督)、プロデューサー、クライアントらが合流して行われている。
「あと、中村さんが例の如く、『こき使ってやるから覚悟しとけ』だってよ。習うより慣れろ、だな」
「あ、あはは……そうだねぇ」
(嬉しいような、恐ろしいような……)
でも、それは中村さんから期待されているという証拠でもあるのだから、自分なりにやれることをやり遂げよう。と、改めて思えた。
そんな風に思いながら、ロビーに差し掛かった。その時、二人がけ黒皮ソファーに寛ぐ女性と目が合った。
容姿端麗なことから、女優さんだろうか。薄めの朱色半袖ニットの胸元には、小粒ながらもダイアが輝いていて、白黒チェックのロングスカートで決めている。肌の艶といい、綺麗な外ハネミディアムボブヘアといい、全身から上品さを醸し出している。
挨拶をすると、女性はすっくと立ちあがり、柔和な笑顔で返してくれた。
「真部さん、そちらの方は?」
「今日から、俺達の補佐を頼むことになった者です」
裕樹くんから紹介され、私が再び挨拶をしながらお辞儀する。
と、目の前のブースの重そうな扉がゆっくりと開き、今回の演出家と共に中村さんが現れた。
数日ぶりの中村さんは、少しやつれたように見える。そんな中村さんに声をかけようとして、すぐに女性にさえぎられた。
「お疲れ様です。今回もコーヒーでいいですか?」
「……お構いなく」
「そう言わずに。用意して来ますね」
そういうと、女性は中村さんに微笑み、足早にその場を後にした。
すぐに隣にいる裕樹くんから、今の女性が例のプロデューサーさんなのだと説明を受ける。と、中村さんからは、さっそくお昼の手配等のマネージャー的な仕事を振られた。
「あの、それなんですけど。今日は、普段食べられないだろう煮物とか、栄養バランスを意識したお弁当を作ってきました」
「俺たちの分も?」
少し呆気に取られたような裕樹くんに頷いて、三人分のお弁当を用意したことを伝える。と、中村さんの、『マジか?』と、でも言いたげな視線と目が合う。
「……食えるのか、それ」
(むぅぅ。相変わらず遠慮のないお言葉…)
「それは、まぁ、大丈夫かと。あの、すっごく美味しくは無いかもしれないですけど、まずくはないと思いますので……」
中村さんの疑いの目がさらに深まるも、私はお得意の苦笑で返すしかなかった。
その後、中村さんたちにコーヒーを用意して戻って来たプロデューサーさんと、改めて、自己紹介を交わした。
彼女は、
本来ならば、プロデューサーが音響担当の世話をすることは珍しいことなのだけれど、松永さんの、中村さんを見つめる瞳は、聞いていた通り。私から見ても、好意を抱いているように思えた。
それから、私は裕樹くんと共に中村さんのディレクターぶりを見守ることとなった。
ここは、アニメや映画の吹き替え収録なども行えるスタジオで、16畳ほどのブース内には、大きめの液晶テレビが三台設置されており、その前にスタンドマイクが4本、横一列に、ある程度の間隔をとって立てられていて、モニターの周りには、頑丈なパイプ椅子がいくつも並べられている。
私たちがいるのは、ブース内の後ろに設置された音響スペースであり、透明な防音ガラスで隔てられているこの場所に、スタッフ一同が勢ぞろいしている。
こちら側は、7畳ほどのスペースしかない為、私と裕樹くんは後方に立ったまま。
いつだったか、あるバンドのボーカルがブース内でレコーディングしているのを、テレビで初めて目にしたとき、ものすごい音響設備だなと、感動したことがあったのだけれど、いざ、足を踏み込んだそこは、私にとって聖域のよう。
「このシーン、もう少し明るめの曲がいいかな」
と、映画監督さんが中村さんを見ながら言った。中村さんは、その意見をいったんのみ、少し考えてから自分の意見を返す。
「そのほうがいいかもしれませんね。では、これではどうでしょう?」
すると、また映像と共に中村さんが選び直した音楽が流れる。それを聴いた監督がOKを出すと、今度はクライアントさんが注文を出してきた。
そのやり取りを聞いているうちに、さっき裕樹くんが言っていた言葉を思い出して、私は小さく息をついた。
(これが、例の……)
何の気なしに、チラリと隣にいる裕樹くんに視線を遣る。そんな私に、彼は『これだよ、これ』と、目で訴えてきた。
あとから聞いた話だけれど、同じシーンに三十分以上かかる時もあれば、すんなりと決まってしまう時もあるのだそうだ。
でも、よく考えてみれば、SEや曲というのは役者の演技を引き立て、左右させるものなので、なかなか決まらないのは当たり前なのだと思えた。
黒いオフィスチェアーに座ったままの、中村さんの背中は、いつもよりも頼もしく見える。当たり前なのだけれど、言葉遣いも丁寧で、普段とのギャップにどうしたってキュンとしてしまうのは仕方のないことであって……。
(え、いま……なんて??)
ずっと会えなかったことで、会いたい気持ちが深まっていたのだろうか。そんなふうに意識しながらも、私は中村さんたちのやり取りに集中した。
・
・
・
PM 8:15
BAR MIRA
その後。
現地解散となった私は、まだ打ち合わせが残っているという中村さんと、裕樹くんに一声かけて、スタジオを後にした。
そして、すぐにありさを誘い、MIRAへとやって来ている。
ここのカクテルが恋しくなったから。と、言うのもあるのだけれど、一番の理由は、斉藤さんに会いたかったからだ。
いつものカウンター席にて、斉藤さんが作ってくれたカクテルを頂きながら、その後の報告を済ませた。
「わざわざ忙しいのにありがとう。なんか、俺も自分の事のように嬉しいよ」
満面の笑顔で言う斉藤さんに、ありさが嬉しそうに、今の想いを素直に伝える。
「あの時、斉藤さんから聞いていなければ、裕樹のこと、諦めていたかもしれない。本当にありがとうございました」
「いやいや。俺が相談にのっていなくても、二人なら上手くいってたよ」
斉藤さんの柔和な微笑み。
それは、いつもの斉藤さんで、私にもありさに伝えたように、真優さんとのことを話してくれるという。
「真優は、生まれつき身体が弱くてね。将来、結婚しても子供は諦めなきゃ駄目だろうって、言われていたんだけど、『やってみなければわからないじゃない』って。なんていうか、そういう逆境に負けない強い人だったんだよね。だから、この
誰もが、一度は経験しているのではないだろうか。
『この人といると、幸せな気持ちになれる。』
そう、思える人との時間はかけがえのないものだ。
「夢であってくれたらと、彼女を失って間もない頃は、現実を受け止めきれなくてね。毎日が虚しすぎて、生きる意味さえ見失いそうになってた。でも、優さんから剣道を諦め、この店に留まることを報告した時、『お前の進むべき道を信じて、やり遂げろ』って、励まして貰ったことがあって……」
「中村さんが……」
「あの人は、ほんと、ああ見えて凄く面倒見がいい人だからね」
私の呟きに、斉藤さんはそう言って薄らと微笑む。
(さすが、中村さんだなぁ。言うことが違う。)
その後、斉藤さんは真優さんへの想いはそのままに、バーテンダーの道を極めようと猛勉強したらしい。
そして、『MIRA』を引き継ぎ、新しい仲間たちと共にこれまで守り抜いて来た。
「それに、やりたい事が出来なくなった時こそ、何かに挑戦する最大のチャンスかもしれない。そう思い直したら、踏ん切りがついたというか……」
真優さんと出会ってから、どちらからともなく想い合い、お付き合いするまでにそう時間は掛からなかったそうで、斉藤さんが大学を出て就職し、一人前になったら真優さんにプロポーズするつもりだったらしい。
そう語る斉藤さんの、少し憂いを滲ませたような眼差しを前にして、なんて声をかけたら良いか考えあぐねてしまう。
きっと、そのままの想いが顔に出てしまっていたのだろう。斉藤さんは、私とありさを交互に見ながら、また静かに口を開いた。
「後悔はしていない。真優と出逢い、好きになれたことを…。彼女との時間は永遠に潰えたけれど、こうして、みんなと出逢えたから……」
そう呟くと、斉藤さんは周りにいるメンバーを見遣った。その視線に気づいた何人かが、斉藤さんに微笑み返したり、親指を立てて小さく頷いたりと、思い思いに気持ちを返している。
「いつまでも独りじゃ真優が心配するからと、優一さんから言われて。それもそうだなって思ってね」
確かに、亡くなった家族や友人たちを想い過ぎてもいけない。と、聞いたことがある。
生きている者達は、見送った人の分も、幸せになった方が良いのだと。
斉藤さんは、真優さんのお兄様である優一さんの想いを受けて、少しずつだけれど、外に目を向けてみることにしたという。
「……彼女以上に好きになれる
と、今度は可愛く苦笑する斉藤さんに、私は同様に返しながらも、いつの日か、斉藤さんの想いが誰かに届くことを願っていた。
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