#08 少しずつ、1歩ずつ
テーブルに突っ伏したままのありさを横目に、私は裕樹くんと話した時のことを思い出していた。
イケメンなのに、三枚目な所もあって親しみやすく、仕事も出来る男が、どうしていまだに独りなのかを本人に尋ねたことがあったが、その時は適当にはぐらかされてしまって。
(裕樹くんが、ありさのことを気にかけているのは事実だとしても、まさか、本当にあっち系だったりして……)
そんな事を考えていた。その時、ありさがゆっくりと顔を上げて、小さく息をついた。
「よくわかんないけど、最終的に私とは付き合えないってことなんだよね」
泣きそうな顔で、カクテルグラスを見つめるありさの横顔は哀愁に満ちている。
(私が間に立って、二人の言いにくいことを伝える? それか、また斉藤さんに相談してみるとか……)
「私が裕樹くんに直接、聞いてみようか? 付き合えない理由を」
「いや、やっぱり自分で聞いてみる」
ありさは残りのカクテルを飲み干し、少し厳かな表情を浮かべた。
「斉藤さんが言ってたじゃない?私なら、あいつの『もう一つの想い』に寄り添えるかもしれないって……」
あの夜、相談した斉藤さんがそんなことを口にしていた。 ありさなら、裕樹くんのもう一つの想いに答えられるだろうと。
「そうだね。結局は、二人の問題だもんね」
私がスマホの時刻を確認して溜息をつくと、ありさもスマホを手に何やら
しばらくの沈黙───
「送信するぞぉぉ……」
「なんか、私までドキドキしてきた」
裕樹くんへのLIMEメッセージ。 認め終えたありさの親指が、軽く送信アイコンをタップする。
「明日、また話したいって。そう送ってみた」
「……うん」
私はただひたすら、ありさのスマホ画面が点滅するのを待った。
(裕樹くん。返事だけでも頂戴)
それから、私達は裕樹くんからの返事を待ちつつ、お互いに好きだった人のことや仲の良かった女友達とのことなどで盛り上がっていった。
「学生の時に好きだった人のこととか、たまに思い出すんだけどさ。なんで、あんなにも好きだったのか、疑問に思う事ない?」
酔って来たのか、少し舌足らずに話すありさに、私は苦笑しながら頷く。
「確かに、あの頃と今とではだいぶ好みが変わってきてるねぇ。ありさは、裕樹くんのどんなところが好きなの?」
「ああ見えて、“俺についてこい”的な男らしい部分もあるから。かな」
「そう言われるとそうかも」
「ま、中村さん程じゃないけどね」
と、ありさが微笑みながら呟いた。その時だった。
ありさのスマホが暗がりの中で点滅し、ブルブルとテーブルを小刻みに揺らした。
「裕樹くんから?」
「……うん」
確認するありさに寄り添い、ドキドキしながら画面を覗き込んで間もなく。ありさの指先がゆっくりとその画面をスクロールしていく。
そこには、ありさに心配かけてしまったことを後悔していたということ。明日の夜、7時に『MIRA』で待ち合わせはどうか、という裕樹くんの想いが
「今度こそ、彼のもう一つの想いに寄り添えるといいね」
「うん」
頷くと、ありさは薄らと微笑みながら返事を認めはじめる。
私は、ゆっくりでいいから二人がお互いの愛を育んでいけますようにと、心の中で祈りながら、ありさの、少し緊張の解れた横顔を見つめていた。
・
・
・
AM:1:04
女子会後。最終電車に乗って家に辿り着いた私は、ベッドに横になりながら先ほどまでのことを思い返していた。
(それにしても、裕樹くんの抱えている問題って何なんだろう?裕樹くんが、斉藤さんにだけ話しているであろう悩み)
斉藤さんとも話せないまま、疑問だけが募っていくばかり。でも、こういう事は時間が解決してくれると思い直し、私はこれからの二人が幸せになれますようにと、願った。
・
・
・
────翌日。
PM 9:26
遥香の自宅
一日の業務を終え、裕樹くんに会いに行くというありさを見送ると、早めの帰宅をすることにした。
帰宅途中も、家にたどり着いてからも、考えることといえば二人のことばかり。今もなお、自分のことのように一喜一憂している。
裕樹くんとの話し合いの後、ありさからLINEを貰う予定なのだけれど、気晴らしにでもと、久々に作った本格パンケーキも、心配で残す始末。
「ご馳走様でしたぁぁ……」
力なく呟いた。途端、ありさからのLIMEメッセージを受けとる。
「え、はやっ」
すぐに読み始める。と、そこには、『今からそっちへ行ってもいい?』と、一言あるだけだった。
*
*
*
それから、40分くらいしてありさを迎え入れた。
その顔は、どこか吹っ切れたように清々しい。
「で、どうだったの?!」
と、私が尋ねる。すると、ありさはこちらで用意したホットココアの入ったマグカップを手に、小さく頷いた。
「ちゃんと話し合えたよ……」
裕樹くんよりも早くMIRAに着いたありさは、いつものカウンター席で斉藤さんと話しながら時間を潰し、裕樹くんがやってきてからは、奥の席へと通され、二人だけで話したらしい。
「どんなことを打ち明けられるのかな。なんて、思っていたんだけどね。想像以上の話に、最初は唖然としちゃった」
今までは、斉藤さんしか知らなかった裕樹くんの過去。 裕樹くんから直接聞いて、ありさは、どうにかその想いを受け止めたいと思ったという。
それは、七年前の初夏まで遡る。
裕樹くんがまだ高校2年生の頃、自分から告白してお付き合いをしていた同級生がいたそうで、お互いに気取らず、ありのままの自分をさらけ出せる唯一の存在だったらしい。
共通の趣味も、アウトドアだったことから、よく土日を利用して登山に出かけたりしていたという。
そんなある日のこと。
いつものように、万全の準備をして臨んだ登頂だったが、足場の悪い小道に差し掛かった時。不意に、彼女が足を踏み外した。次の瞬間、崖下へと転落し、打ちどころが悪かったせいで、帰らぬ人となってしまったのだそうだ。
最愛の人を助けられなかったという、後悔の念に苛まれる日々。
余程、好きだったのだろう。未だ裕樹くんの中から当時の記憶が消えることは無く、自分の意思で彼女と別れた訳ではなかったからか、ありさの事を意識しながらも、彼女への罪悪感から、付き合うまでは考えられなかったのだという。
「もしも、あたしが
ぎこちなく微笑むありさに、私は勇気づけるように微笑み返す。
「大変だろうけど、二人なら大丈夫」
「うん。そうだよね」
ゆっくりでいいから、お互いに寄り添って生きて行こうと、伝え合って別れたらしい。
その時の様子を話すありさの柔和な微笑みは、今までの中で一番ってくらい素敵で、幸せそうだった。
そして、今回の二人の件で、分かったことがもう一つある。それは、私の斉藤さんへの疑問だ。
ありさから聞いた時、私はダブルパンチをくらったように凹んでしまった。
なぜなら、斉藤さんもまた、裕樹くんと同じ立場にいたから。
私が偶然、コンビニ前で斉藤さんを見かけたあの日。じつは、お付き合いしていた女性の七回忌で、一緒にいた男性は、彼女のお兄さんだった事が判明した。
生前は、ご自身の亡きお父様が経営されていたBAR、『MIRA』を継ぐ為、高校卒業後、迷わずバーテンダーの道に進んだという。
順調に愛を育んでいたお二人だったが、斉藤さんが大学1年の冬のこと。
突然、真優さんが重い病に冒され、入退院を繰り返すようになり、斉藤さんは真優さんを最期まで愛し励まし続け、真優さんは斉藤さんに最期まで甘え、その愛を受け止め続けた。
真優さんとの思い出が溢れている『MIRA』を潰したくない。そんな想いから、剣道を極め、後に教員として子供たちを指導する。という夢を捨て、『MIRA』のオーナーとして生きることを決断したという。
ご本人から直接聞かなければ分からないけれど、私が思うに、きっと斉藤さんは真優さんの為に、その想いごと『MIRA』を手放すことが出来なかったのではないだろうか。
どんなに辛く、寂しかったことだろう。
裕樹くんも、斉藤さんも。そんな悲しい過去があったなんて、これまで微塵も感じさせなかった。
だから、二人でいることが多かったんだね。
だから、中村さんは直接斉藤さんに訊け。と、言っていたんだね。
日々のお付き合いのなかで、自分が知らない彼らを知ることによって、私も考えさせられた。
大好きな家族や友人たちとの時間は、
真剣であればあるほど、大好きな人のいない現実が、どれほど切なくて虚しいものか。きっと、誰もが知っているはずなのに。
だからこそ、私は裕樹くんや斉藤さんが幸せになることを願わずにはいられなかった。
それと同時に、自分自身にも言い聞かせていた。
後悔のないよう、今の出会いを大切に生きなさい。と……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます