第5話
まるで米俵を抱えるかの様に長峡仁衛は辰喰ロロに背負われて外へと繰り出す。
向かう先は学園の中庭だった。様々な花が咲く庭園に、じゅうじゅうと焦げる音が響き、花の香りが台無しになるダイナミックかつ野性的な匂いが薫っている。
「お嬢様、連れて来ました」
そう言って辰喰ロロは長峡仁衛を地面に下した。
横たわっていた長峡仁衛はゆっくりと体を上げる。
白いテーブルの上に座り、優雅な佇まいをする淑女の姿がそこにあった。
しかし、彼女が食しているモノは優雅と言うかワイルドなモノだが。
「はむ、はむ……はむ」
鮮やかな紫陽花を連想させる淑女。
髪は短めで少し童顔。服の上からでも分かるすらりとした体型。
学生服はオーダーメイドなのだろう。
袖が軽く指を覆い隠す程に長く、それでも袖を皿に付ける事無く、綺麗にフォークとナイフを持って肉を細かに切り分けている。
そう……肉だ。
切り分けられた肉、それを横にしたら直立出来る程に分厚く切られたステーキ。
じゅうじゅうと肉汁の飛沫が弾けるビーフステーキを、その小さな口に向けて運んで行っている。
その行為はなんらおかしいものじゃない。おかしいのは、テーブルの上に築かれた皿の数だった。
(うわ、凄ぇ、テラスでステーキ皿の山が出来てる……)
鉄板を覆う木の皿が何重にも重なっている。
一体、どれ程の肉を食べたのだろうか。
そして一体、あの体の何処に食べた量が治まっているのか。
「……ふぅう、ご馳走様でした。中々良き火加減です」
淑女が最後の一切れを食した。
口元を拭いて、首からナプキンを外すと辰喰が近づく。
「牛一頭分喰いましたね」
「えぇ、自然の恵みに感謝を……あら、長峡さん。ご機嫌よう」
そう言って辰喰ロロが注ぐ紅茶をゆっくりと飲んでいる。
(肉食った後に優雅に紅茶飲んでる……)
驚くべき所は其処じゃない。
が、長峡仁衛はそれを口にする事無く、挨拶には挨拶を返す事にした。
「どうも、えっと……」
余所余所しい言い方に淑女は首を傾げた。
それをフォローする様に、辰喰ロロが淑女に言う。
「お嬢様、長峡は現在記憶喪失です」
「あら、そうなの?大丈夫かしら?私の事、覚えていらっしゃる?」
紅茶をテーブルに置いて、淑女は心配そうに顔を見る。
覚えているかどうかなんて、記憶喪失なのだから分かるはずがない。
「いや、記憶喪失なんで……」
「そう、少し寂しいわ。けど仕方が無いのね。……じゃあまずは自己紹介でもしようかしら?私の名前は
許嫁。そう聞いて長峡仁衛は乾いた笑いが零れる。
「……はは」
流石に、何度も何度も恋人だなんだと言われていれば、それが嘘だと分かる。
だから冗談を、と言う意味で笑ったのだが……。
「あら?何故笑うのかしら?」
彼女の目は真剣だった。
まるでこの場で笑う事自体が許されていない様に。
「いや、だって……そう冗談言う人、多いからさ」
かたり、と。
黄金ヶ丘クインは席を立つ。
「……長峡さん。私、冗談は嫌いでしてよ?」
そして、長峡仁衛の方へと歩き出す。
真剣な目だ。その視線は向けられるだけで、剥き身の刃物で首を貫かれそうな緊張感が走る。
「未だ学生の身。若い内には様々な経験をと思い、私は貴方に対して行動を縛るつもりはありませんが……記憶喪失と言えどもご自覚を、貴方は何れ、黄金ヶ丘家を背負うお方なのです。その宿命を忘れる事は出来ませんし……忘れさせなどしません」
その言い方。
その迫真さは、決して嘘などとは思えない。
だからこそ、長峡仁衛は判断に困る。
それが本当なのか嘘なのか、見極める事が難しい。
(どっちだコレ……言ってる事、本当なのか!?審議が分からない、マジで分からないッ)
出来る事ならば許嫁など嘘だと思いたい。
それは長峡仁衛の頭ではなく、体がそう拒絶していた。
多分、記憶を失う前の長峡仁衛が、元から許嫁を否定しているからだろう。
だから記憶を失った長峡仁衛はその事実を否定したかったのだ。
「ですが、丁度良いかも知れませんね……記憶を失ったのならば、後顧の憂いなど無いでしょう。ならば今の内に祝言を行いましょうか……多少の自由は無くなりますが、それでもこれは貴方の幸せでもあるのです。長峡さん。黄金ヶ丘家に入れば……貴方の将来は安泰です。そして何より、貴方の傍には私が居ます……さあ、長峡さま、早々に式の準備でも始めましょうか」
けれど、記憶を失った事を逆手に。
黄金ヶ丘クインは都合が良いと彼の状態を許容する。
とんとん拍子で結婚をしようと提案してくる黄金ヶ丘。
ゆっくりと、彼女の手が伸びる。
袖の中からうかがえる、細い指が長峡仁衛に向かっていった時……。
「あぁあ見つけたッ!水流迫ッ!攫え!!」
そんな頼もしい声と共に庭園に入って来るゴスロリの姿があった。
そして同時に、学生服にネクタイ。黒革の手袋を装着した金髪も其処に居た。
「指図をするなッ、僕は優等生だぞ!」
振り向き、その二人を見て。
一人は永犬丸詩游だと分かったが……。
もう一人は、彼の記憶には存在しない。
一体誰だと思った矢先に、黄金ヶ丘クインが口を開いた。
「……
パンッ。と手を叩く音が響く。
それは水流迫と呼ばれた男の拍手だ。
その音に警戒する辰喰ロロ。
黄金ヶ丘クインは相変わらずの佇まいだ。
「お嬢様」
「よろしくてよ辰喰」
その「よろしくてよ」とは、一体どういう意味を持つのか。
黄金ヶ丘クインは袖を捲る。そして、白い手が見えると同時。
その手を地面に触れた。
(〈
(〈
水流迫の周囲に水滴が現れる。
その水滴が集まって、一つの水玉にへと変貌する。
対して、黄金ヶ丘クインが触れた地面は。ドロドロとした金色に浸蝕していた。
(〈
(〈
水玉が伸びる。細長く龍の様に空を奔る。
狙いは長峡仁衛に向けてだ。
だが、その水龍は長峡仁衛には届かない。
黄金ヶ丘クインが生んだ黄金の泥が、壁となって水龍の動きを遮ったのだ。
「ちッ!」
水流迫の舌打ちが響く。
目を疑う光景が繰り広げられていた。
最早それは人形を動かすと言った芸当の域ではない。
異能の類、彼らは一体、何者なのだろうか。
長峡仁衛の脳裏には、そう言った事が思い浮かんでいた。
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