第1093話◆閑話:黄金の竜は明昼に目覚める――弐

「グランッ!!」


 シュペルノーヴァの顔の上に乗っかっていた赤毛の体がグラッと揺れて、その先に起こることを予想した宿主がグランに手を伸ばしガッシリと掴んだ。

 宿主の体の中から見ていたその光景が、決して忘れたくないはずなのに時と共に曖昧になりつつあるあの頃の記憶を鮮明に蘇らせた。


 本当によく竜の背から落ちる男だった。

 俺の背からも、テムペストの背からも、それ以外の竜の背からも、何度も何度も。

 その度にその手を掴んだ。


 だけど本当にその手を掴みたかった時、俺の手は何も掴むことができなかった。


 グランという人間のくすんだ赤毛が、シュペルノーヴァの魔力に照らされいつもよりも鮮やかな赤に見え、長い時の中だんだんと曖昧になりつつある大切な記憶の中に在る親友と重なり、助けを求められる前にヒョロヒョロで頼りない宿主に力を貸していた。


 あの日掴めなかった手を、今度こそ掴んだ気がしたから。


 わかっている。

 グランという赤毛とヴァルが別人であることも、かつての友人の面影をグランに重ねることが彼にも彼の親友である宿主にも礼を欠くということも。

 かつてシュペルノーヴァの野郎が、古い友人に似ているからといって妙な耳飾りをヴァルに付けた時は、ヴァルを誰かの身代わりにするなと憤りを覚えたというのに。

 なのに今の俺は――。


 あの時はその感情を理解できず、シュペルノーヴァの行為に不快感を覚えるだけだった。

 宿主の中から見る宿主と赤毛の日常と流れて込んでくる感情が自分とヴァルとの関係を思い出させ、ヴァルよりもずっとくすんだ赤毛に懐かしさを抱いた。

 そしてそれがあの時のシュペルノーヴァを思い出して己に嫌悪感を覚え、胸が痛くなるほどの懐かしさはすぐに封印した。


 その時ようやくあの時のシュペルノーヴァの気持ちがわかったような気がしたが、それはそれで悔しくてその気持ちもまた心の奥底にしまっておくことにした。

 ただシュペルノーヴァが赤毛の左耳に付けたあの耳飾りを見て、自分も赤毛に力を貸す機会があればあんな耳飾りより役に立ってやろうと思った。

 ヴァルのことを思い出させられたのも、何かの縁ということで。


 そして、宿主と共に日々飯の世話になっている礼に。

 赤毛は気付いていないが、たまーに宿主の体を拝借して宿主が収納空間の中に貯めている赤毛作の料理や赤毛が自宅のあちこちに保存している料理を摘まんでいる。

 その礼を兼ねて、赤毛に力を貸すのは惜しまないつもりでいる。


 人間の命なんて、ほんの百年足らず。

 無限の寿命を持つ我ら古代竜にとっては、ほんの一瞬。

 ああ……今ならシュペルノーヴァが、ヴァルにあれやこれや伝説の品を渡していたのも理解できる。

 違うと自分に言い聞かせても、何となく今は亡き友人を思わせるその色に親しみが湧いて世話を焼きたくなってしまう。


 ほんの百年ほど――この世にはもういない友に似た赤毛が、少しでも長く、少しでも穏やかに、少しでも幸せに生きていて欲しいと、つい過保護に囲い込みたくなる。

 

 そんな俺の気持ちは宿主に筒抜けで宿主にチクチクと嫌味を言われてしまうが、宿主の赤毛に対する気持ちもまた俺に筒抜けである。

 そしてその気持ちと伸ばした手が、あの日救えないまま掴んだあの手を思い出させた。




 かの神の言葉に誘われ最期、気付いた時にはもう人でも竜でもない者となり、死を失ってしまった体からヴァルの持っていた性悪の魔剣を使い魂を切り離すことしかできなかった。

 古代竜の血の力により生命が暴走し無限の再生を繰り返すヴァルの体を性悪魔剣で貫き、ヴァルの魂が体から離れる直前、何者でもない体となり理性を失っていた目に正気の光が戻ったことに気付いた。

 性悪魔剣の作用で肉の塊から人の姿に戻ったヴァルが、申し訳なさそうに眉を下げた。


 それはほんの一瞬。


 反射的に伸ばした手は、その命を繋ぎ止めたいという叶わぬ願い。

 もう間に合わないとわかっていても、その手を掴まずにはいられなかった。


 倒れていくヴァルの体に手を伸ばし掴んだ時にはもう、その目から光は消え大切なものはそこにはないことを理解した。


 それが俺とヴァルとの最後の思い出。




 宿主の中から見える光景が、あの日の記憶と重なる。

 脆弱な人間の体で無理矢理俺が力を行使したため、宿主の体はもはや限界を超えていた。


 それでも自分の力でグランを助けるという強い意志。

 本当はすぐにでも力を貸したかったが、その気持ちをぐっと抑え付け、シュペルノーヴァの上から宙に放り出されたグランの手をしっかりと掴む瞬間を見守った。

 あの日の自分と宿主を重ねながら。


 シュペルノーヴァにもカメにも、他の誰にも邪魔はさせない。

 ダメならばいくらでも力を貸すし力を貸すだけなら簡単なことだが、グランを助けるのは彼であって欲しい。


 あの日、ヴァルを助けることができなかった俺をやりなおしているような気がして。

 それが身勝手な自己満足だとしても――。


 あの頃は暑苦しくて鬱陶しかったシュペルノーヴァの気持ちが少しだけわかったから、奴が酔っ払って寝ている隙に蹴っ飛ばすのやめてやろう。

 いつか俺の本体が目覚めた時にはヴァルの思い出話をしよう。

 奴の古い友人だという赤毛の話も聞いてやろう。

 きっとその頃には、グランとの思い出――俺とシュペルノーヴァの共通の思い出もたくさんあるはずだから。


 伸ばした手がしっかりとグランの手を掴む感覚が俺にも伝わってきた時、俺の心に絡み付いて消えることなかった重苦しい感情が軽くなった気がした。

 ずっとあの日の自分が許せず、後悔を抱え千を超える時を過ごし、終わることのない時の中ずっと抱えていくものだと思っていた思い出が少しだけ軽くなり、ずっと億劫になっていた目覚めがほんの少しだけ待ち遠しくなった。


 目覚め後、やりたいことを見つけたいという気持ちになって。

 前に向いて時を歩める気がして。

 そして目を逸らし続けてきたヴァルとの思い出を、辿ってみたいような気持ちになって。


 宿主と赤毛にほんのりと感謝をしながら。



 ――が、宿主がグランの手を掴んだ瞬間、その手から力が抜けようとしている感覚とそれに必死で抗おうとする感情が伝わってきた。


 強い意志があろうとも体はやはり人間、強い意志だけでどうにもならぬことは無限にある。

 だが大切にしている者のためという理由なら、意地を張らず素直に俺に助けを求めてくるところは好感が持てる。

 何が本当に大切か理解しているから。

 宿主が俺の力を求めるのは、自分のためではなく大切な者達のためだから。


 そんな宿主のことを、俺は大層気に入っている。

 だから俺は彼に力を貸すことを戸惑わない。


 だけどそのヒョロヒョロで軟弱な体は鍛えた方がいいな。

 赤毛だっていつもそう言っている。 

 帰ったら鍛えてやろう。

 あの穏やかな日常へ皆で帰ろう。



 グランの手を掴んだ後、限界をとうに越えていた宿主が俺に助けを求めた時にはすでに体の主導権は俺が握っていた。

 そのことに安心して気が抜けた宿主の意識が沈んでいくのがわかった。

 赤毛もまた、偉大な古代竜の魔力に翻弄されすでに意識を失っていて、その目は閉じていた。


 のだが、俺と宿主が入れ替わった直後。


 閉じられていた目が突如開き俺と目が合った後、それが微笑むようにスッと細められた。


 吹き付ける風に煽られその目の上にかかる髪が、いつもよりもずっとずっと鮮やかな赤で、何度も何度も否定して心の奥底に押し込んだ想いを引っ張りだそうとする。


 何度も何度も違うと言い聞かせたのに、この時のグランがヴァッサーフォーゲルの姿に重なった。



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