第17話 ニライの不安
「ねえ、今日は何をするの?」
アリッサが食堂でハルカに聞いた。ミゲル達が井戸を完成させるまで、アリッサ達には大してやる事が無かった。かと言って、井戸掘りに参加しても恐らく足を引っ張るだけである。
「そうねえ。インパラ肉のソーセージを作ろうかな」
「ソーセージ? どうやるの?」
「この間船長が解体したインパラの小腸に挽き肉にしたやつを詰めるのよ」
「面白そうね。私も手伝っても良いかしら?」
「ええ。一緒にやりましょう」
ハルカとアリッサは調理室へ入った。ハルカは冷蔵庫からあらかじめ挽き肉にして味付けしてあった物を取り出すと、クルクルと巻いてあるインパラの小腸を持って来た。以前ミゲルが取り出した小腸は二十数メートルもの長さになるため、肉が詰めやすいように三メートルおき位に切ってある。
「なるほど、これに詰めていく訳ね」
「ええ。私が詰めるから、アリッサは捻ってくれる?」
「分かったわ」
ハルカは小腸の端を糸で縛り、スプーンで挽き肉をすくうと、少しずつ詰めていった。詰め終わった小腸の端を糸で縛り、真ん中で二つに折る。折り目から十五センチ位の所をアリッサが捻った。
「何だか楽しいわね」
アリッサが笑う。こういうのは学校の家庭科の授業を思い出す。
しばらく作業を続けていると、ドアに何かがぶつかる音がした。
「何かしら?」
ハルカは怪訝そうにドアを見た。音は何度か続き、とうとうドアのレバーが下がってドアが開いた。ムサシが顔を出す。ムサシは飛び上がってドアのレバーを下げ、ドアを開けたのだった。
「あら、ムサシだったの。ドアを開ける事を覚えたのね」
アリッサが感心する。
「肉の匂いにつられたのかしら? でも調理室へ入られると困るわ。衛生的に」
「まあ、良いじゃない? 少し位平気よ」
ムサシは二人の足元でお座りをすると、ジーッと穴の開くほど挽き肉の入ったボウルを見つめた。鼻からフンフン甘えた声を出す。
「分かったわ。ちょっとだけよ」
ハルカは挽き肉を少しムサシに与えた。ムサシは挽き肉をゴクン、と飲み込むと、まだ貰えないかとお座りを続ける。
「駄目よ、ムサシ。ご飯はちゃんとあげたでしょう? これで終わりよ」
ハルカはそう言うとムサシを抱き上げて通路へ出した。ドアの鍵を閉めると、手を洗ってアリッサを手伝った。
「終わったわ。これで完成ね」
パンパンに肉の詰まったソーセージを見て、アリッサが嬉しそうに声を上げた。
「そうね。思っていたより上手く出来たわ。これで一つ、保存食が増えたわね」
ハルカはソーセージを冷蔵庫にしまった。食料のバリエーションが増えるというのは嬉しいことである。大した娯楽の無いサバイバル生活に於いて、食事は皆の重要な楽しみになるに違い無かった。
ニライは医務室に居た。といっても治療を受けに来たのではない。マムルとチェスに興じる為である。
「ドクター手強いですね」
ニライはチェス板を見つめたまま、身動き一つせずに頭を抱えていた。
「学生時代にチェスは散々やりましたからね」
マムルのナイトがニライのポーンを取った。
「うう……またしても」
「ホホ。まあ終わってみるまで分かりませんよ」
マムルはサイドテーブルに置いてあったコーヒーのマグカップを掴むと、ゆっくり味わってコーヒーを飲んだ。個人的にはチェスをやりながらのコーヒーが一番旨いと思っている。
「ところでドクター、本当に二年半待てば地球から迎えが来るんでしょうか?」
「さあ、それは何とも言えませんね」
マムルの言う通りだった。迎えが来るかどうかは地球側が決める事であり、決定がどうなるかはマムル達には分かりようも無い事である。
「もし来なかったらどうします?」
「そうですねえ。まあ私は医者ですからね。地球に居ようがタラゴンに居ようが治療をするだけですよ」
「はあ。でも、地球へ帰りたいとは思わないんですか?」
「思いますがね。だからと言ってどうしてみようもありませんしね。ニライはどうなんです?」
「もちろん僕は帰りたいです。船長やアリッサはすぐにタラゴンに順応したようですけど、僕はサバイバルには向いていないと思うし、やっぱり地球の文明生活が恋しいですよ」
「船長はね……。ありゃあ、月に捕らわれたんですな」
「月ですか?」
「ホホ。地球でも昔から月に捕らわれる人は居りましたよ。月の神秘の力に魅了されたんですな」
「良く分かりませんが」
「ほら、狼男伝説とかありますでしょう? 詩人も沢山月に
ニライは不安げな目でマムルを見ると、その不安を振り払うかの様に強い口調で返した。
「でもそれは大昔の話でしょう?」
「おや、信じませんか?」
「僕は信じませんね。原始時代の人間ならともかく」
「ホホ。私は医者ですからね、人間のどんな側面を見ても驚きませんよ。はい、チェックメイトですな」
「あっ。やられた」
「私で良ければ何時でもお相手しますよ」
夜、ニライは外へ出て月を眺めてみた。巨大な月はまるで世界を支配しているかのように空にふんぞり返っている。
「確かに、凄い月だよな」
だがニライにはミゲルやアリッサが感じ取ったような神秘の力は理解できなかった。大体、その様な非論理的な思考はニライは持ち合わせていなかった。だからこそ優秀な航海士になれたとも言える。それでもニライは一抹の不安を感じた。全てを理屈で片付けるにはタラゴンの月は余りに強力なエネルギーを放っていたからだ。仮にあの月が人を捕らえるのだとして、そこには一体どんな結末が待っているのであろうか? 地球の昔話では、月に捕らわれた人間は多くが狂気に陥っているではないか。そう思いつくと、ニライは急に怖くなり、足早に部屋へ戻った。こんな時どうすれば良いのかニライは分からなかった。以前マムルは神を信じたいと言っていた。自分も信じればこの様な不安な気持ちから逃れられるのだろうか? だがタラゴンの神はどんな神だろうか? ニライはこんな所に長居するのは御免だった。都市で生まれ育ち、高度な教育を受けて念願の航海士になったニライにとっては、大自然の中自給自足生活を送るなど、耐え難い事である。だが今は取り敢えずそうするしか無い。早く二年半経って迎えが来る事をニライは祈った。
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