第4話 恋の苦しみ
数日が過ぎた。ヤナーギクには密かに計画している事があった。地球から持ってきた花の種を植物プラントに植えて育てるのだ。だが植物プラントは食料生産の為のプラントである。花など無駄な物を育てる余裕は無いかも知れない。恐らく船長に言っても許可は貰えないだろう。
ヤナーギクは皆の目を盗んでそっと植物プラント室へ入り込んだ。もちろんそこにはハルカが居た。ハルカはすぐにヤナーギクに気付いた。
「あら、ヤナーギク。何か用かしら?」
「う、うん……。いや、調子はどうかなと思って」
ヤナーギクはしどろもどろに答える。
「ええ。元気よ」
「いや、そうじゃなくて、植物プラントさ」
「順調だわ」
「そうか……」
しばらく沈黙が流れた。ヤナーギクはハルカの顔は見ずに、植物プラントを見つめていた。
「なあに? 言いたい事があるなら……」
「あ、あのさ。植物プラントにこれを植えてくれないかな?」
ヤナーギクは思い切って握りしめていた花の種を見せた。
「これは何?」
ハルカが不思議そうな顔をして訊く。
「花の種さ」
「花?」
「アネモネさ」
「どうして花を?」
「うん、実はさ……花が咲いたら、博士にプレゼントしたいんだ」
ヤナーギクは真っ赤になって答えた。
「ヤナーギク、貴方……」
ハルカはアネモネの花言葉を思い出した。それは
『恋の苦しみ』
「それ以上言わないでくれ。頼むよ」
「……分かったわ。良いわよ。先ずセラミック土で苗を育ててから植えてみるわ」
「有り難う」
ヤナーギクは礼を言うと、操舵室へ向かった。操舵室には不穏な空気が充満していた。
「何だと? もう一度言ってみろ!」
「何度でも言うわよ。あんたの体温調節機能は獣と一緒ね!」
「人間だって動物じゃないか。お前も同じだ!」
「あんたと私とじゃ、繊細度が違うわよ!」
「お前の性格の何処が繊細だ!」
「頭悪いわね。性格の事を言ってるんじゃ無くて、体感温度の事を言っているのよ!」
タイガとアリッサが激しく罵り合っていた。
「何があったんです?」
険悪な空気に
「エアコンの温度設定で揉めているのさ」
ニライがうんざりした顔で答える。
「二人とも、いい加減にしないか」
ミゲルが間に入った。
「でも船長。これじゃ私寒くて」
「どこがだ? 暑いだろうが!」
「アリッサの希望温度は何度なんだ?」
「最低でも二十五度は欲しいです」
「俺は十八度で十分だ。暑いと頭がボーッとする」
「じゃあ、間を取って二十一度だ。アリッサ、寒かったら服を着込め。タイガは暑かったらクールパッドを脇の下に当てろ。これで終わりだ」
ミゲルが有無を言わせない強い口調で二人に命令した。二人は船長であるミゲルに従った。
ニライがほっと胸を撫で下ろす。ずっと胃がキリキリしていたのだ。前にも述べた通り、ニライはこういう雰囲気は嫌いなのだ。大体二人とも大人げない。ここに博士が居ないのが幸いだった。居ればきっと
「まるで幼稚園ね」
とでも言っただろう。ここは操舵室なのだ。こんな所で喧嘩をするなどどうかしている。やるなら自室か食堂でやれば良いのに。ニライは苛立ちとも、呆れともつかない気持ちだった。
「あの、船長。博士は研究室ですか?」
気まずい沈黙を破ってヤナーギクが控え目に聞いた。
「そうだと思うぞ。何か用か?」
「い、いえ別に……聞いてみただけです」
「研究中に邪魔をすると機嫌が悪くなるぞ」
「ですよね」
ヤナーギクは博士の顔を思い浮かべた。知的な風貌に眼鏡が良く似合っている。液体コンタクトレンズのある現代に何故眼鏡を? と疑問だが、きっと博士なりの理由があるのだろう。多分、より知的な自分を演出するためとか、もしかしたら女性らしいお洒落心かも知れない。ヤナーギクは、普段は知性に固められたサライの、女性的な側面を想像してみた。正直良く分からない。直接聞いてみるしか無いだろう。
意を決してヤナーギクは操舵室を出ると、研究室へ向かった。ドアの前で立ち止まる。しばらく動物園の熊の様に辺りを行ったり来たりした。やはり邪魔をすると怒られるだろうか? そう思って
「全く、用があるならさっさと入れば良いでしょう?」
不機嫌そうなサライが仁王立ちしていた。
「す、すみません。あの……」
「良いから入りなさい!」
サライは足早に部屋へ戻るとデスクに座った。デスクの上には研究資料が散らばっている。サライは大きく息を吐くと、
「それで? 何の用かしら?」
とさも迷惑そうに訊いた。
「はい、あの、もし惑星が見つかったとして、先ずどういう事をするんです?」
「そうね……先ずは大気の成分調査と気候調査ね。人類が生存するのに適切な酸素濃度か、二酸化炭素や窒素のバランスはどうか、気候が人間の活動に適しているか、そういった事を調べるわ」
「それで条件が合ったら?」
「次は水ね。惑星の水分含有率がどの程度か、農作物の育成が可能かどうか。そういった条件が満たされていれば、今度は惑星に生物が存在しているのか調べるわ」
「なるほど、そうですか。それでその……博士は花についてはどう思われますか?」
「花? 花って植物の?」
「はい」
「そうねえ……植物は進化の過程で様々な特色を身に付けたわ。花を咲かせる植物は藻類や裸子植物に比べたらかなり進化した存在ね」
「いや、俺が聞きたいのはそういう事では無くて……つまりその……花の意味と言うか」
「色とりどりの花は受粉を成功させる為の植物の戦略ね。花弁を紫外線で見るとそこだけ目立つのよ。昆虫を引き寄せる為に進化したんだわ」
「いえ、俺が言っているのはそういう事ではなくて……もっとこう、ロマンの部分と言うか」
ヤナーギクは赤面しながら床の一点をじっと見つめた。
「貴方も船長に感化されたのかしら? 惑星探査にロマンは必要ないわ」
「はあ……そうですよね。失礼しました」
「用はこれだけかしら?」
「はい。失礼しました」
ヤナーギクは肩を落として研究室を出ると自室へ籠った。やはりサライに花を送るのは間違っているのだろうか? 昔から男が好きな女性に花を送るのは恋愛テクニックの一つだと思っていたが、気持ちが通じてくれなければ意味がない。アネモネの花言葉は
『恋の苦しみ』
果たして博士に通じるだろうか?
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