第12話
Cutting Knife
遊園地をでた。ここは、入場だけなら無料で、中で乗り物に乗るたびに、お金を払うシステムだから、観覧車だけで終わりにしたのだ。
それに、幣原はこの後、塾があるという。要するにその恰好も、塾に行く前に図書館に行く、といって出てきたからのようだ。
自ら語っていたように、勉強をして、いい大学に行く……。それが彼女の目標であり、両親の願いであり、それに向けて努力する姿勢は、常に変わらないようだ。あんなことがあっても、それは絶対に変えない。
「また今度……。絶対だから……」
彼女の『絶対』は恐ろしい気もしたけれど、逆にそれが田口先生との関係をつづけさせた理由かもしれない。それがぷつんと途切れたら、やはり自殺未遂を起こしてしまうほどに、彼女は想いが強い人間なのかもしれなかった。
塾へと向かう、彼女の姿がみえなくなるまで見送って、オレはふり返った。
「でてきて下さいよ。田口先生」
「気づいていたのか……」
物陰からゆっくりと現れたのは、田口先生だった。
「観覧車に乗る前に、ちらっと姿をみかけたんですよ。まさか、偶然に会うような場所じゃないし、まして謹慎中の教師が一人でくることもないでしょ? つけてきているな、とピンときましたよ」
「別に、オマエのことなんかつけてない」
「彼女にまだ未練があった、と……?」
「ここに来るまでは、そのつもりだったんだが、考えを変えた」
彼も、もしかしたら時の強制力に導かれて、ここに来たのか……? この観覧車が彼女と、彼が初めて関係した場所だとすれば、先ほどの彼女の積極性も、あながち不自然ではなくなってくる。
「今日、記者が訪ねてきた……」
田口先生がそう言ったとき、すぐにピンと来た。記者は、記事にする前に事前に本人へ確認をとるのが決まりだ。一方的な記事にならないよう……との配慮でもあるのだが、それは取材をうけた側にとって、決断を促すような結果を導く可能性もあるのであって……。
自分のことを好きでいてくれる幣原なら、分かってもらえる……そう考えて、この場で言い寄ろうとするため、つけてきた。そのターゲットを、オレに変えた理由は、あまり考えたくなかった。
「オレも、先生に聞いておきたいことがありまして……」
急にそういわれて、田口先生も戸惑ったように「何だ?」と、そこは教師のように応じた。
「先生は、幣原さんと付き合おうとしたのですか? それとも体だけの関係?」
「三年生で、そんなことを気にするか……。当然、体目当てさ。あの子はオレに気があると思っていたからな」
つけこもうとしたか……。でも、妙に正直に答える点もきになるけれど、今は聞きたいことを聞こうと考えた。
「何で携帯電話を?」
「キッカケさ。指導室で二人きりになるには、携帯電話を盗むのがちょうどいい」
真面目な彼女は、学校で携帯電話をとりだすこともないから、没収もされない。だから盗んだ……? 「盗んだのは、携帯電話だけ?」
「スパッツも入っていたから、一緒に盗んだよ。その方が攪乱できるから。写真に映っていた黒いのが、それだ」
不鮮明だったので、何を盗んだのか分かりにくかったけれど、なるほどスパッツに携帯電話をくるんで盗めば、すぐに見つかることもない。体育の授業中でもあり、スパッツを脱いで、体操着に着替えていたから一緒に盗んだ。だから彼女は、スカートをめくると、その下はパンツだったのだ。
「なるほど……。色々と分かりましたよ」
「そうか、それは良かった。これで安らかに死ねるな」
田口先生は、ポケットからカッターナイフをとりだした。
「それで、彼女を脅して無理やり肉体関係を結ぼうとしていたら、それがオレへの凶器に代わった?」
「察しがいいな。もっとも脅すのは最終手段だったが……」
「さっき、観覧車の中をみていたのでしょう? 後ろに乗っていましたからね」
「その通りだ。オレは処女が好きなのに、オマエに奪われてしまったら、もう興味はない。オレを貶めた、オマエを殺すことに決めた」
「淫行なら懲役刑ですが、殺人だと死刑もありますよ。もっとも、この国では一人を殺してもまず死刑にはなりませんが……」
「その大人びた口調……。キサマのような生意気なガキは、昔から嫌いなのさ。大丈夫、精神異常を装って、謹慎になってから病院に通っておいた」
「また携帯電話で、通話中とか考えないんですか?」
「彼女と別れてから、一度もポケットに手を入れていないだろ。もっとも、これだけ離れていたら、こちらの声は入らないさ」
なるほど、大学を卒業しているだけに、それぐらいの知恵は回るようだった。
「時間稼ぎをしている……のか?」
「田口先生……。あの日、オレがあなあを嵌めたのは、証拠をみつけないといけないからですよ。今、オレがしているのは時間稼ぎじゃない。ただ、彼女がうけた被害を、心の傷を、確認しておきたかっただけです」
「パンツをみただけだよ」
「そうみたいですね。だから、オレとしては先生へのお仕置きを、少しだけにしてあげます」
「ふん! 子供風情がッ! その減らず口を叩けないようにしてやる、死ねッ‼」
カッターナイフを手に、田口先生は襲い掛かってきた。
しかし七十七歳まで生きれば、複数を相手に喧嘩したことも、ナイフをもった相手とも対したことがある。殺される……そんな不安よりも、怒りの方が勝っていた。それはいい大人が、女の子を自分のものにしよとし、それが叶わなかった、という嫉妬と、自分を貶めた、という逆恨みで簡単に人を殺そうとする、その短絡的思考に、である。
オレが死んだのも、ナイフに刺された傷が元だった……。負けるもんか、という意地が勝って、むしろ向かっていく。
田口先生も、まさかナイフをもった相手に向かってくるとは思っていなかったのだろう。慌ててナイフをふり回すも、それをかわして、逆にナイフをもった手の甲を思い切り殴りつける。
体の小さいものの方が、実は素早く動けるのだ。これは単純に、身長が倍になると、体重も倍、胴や腕、足周りも倍になるけれど、そうなると体重は8倍。でも胴や腕、足周りは倍にしかなっていないし、筋肉量は4倍にしからならい。
スウィフトの描いたガリバー旅行記でも、小人はせかせか動き、大人はゆったりと動くのも、時間間隔が異なるのと同様に、筋肉量がそれだけ違うからでもあるのだ。
でも、子供が大人より動けないのは、体を動かすための反射、連動というくり返し入力することにより、頭で考えずとも体を動作するその仕組みが、まだ未成熟であるからでもある。
でも、オレは七十七歳まで生きて、そのときの経験が肉体にも宿っているらしい。ふだんはバレないよう、さほど運動でも目立つことはしていないけれど、いざとなればナイフを叩き落すぐらい、造作もないのだ。
田口先生はナイフを取り落とすと、慌てふためいて逃げて行った。どうせこの後、週刊誌報道により社会的に抹殺されるのだから、あえて追うことはしなかった。
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