運の良さを信じて頑張る!

 重苦しい雰囲気のなか、父さんが口を開く。


「で、いつ連れてくるんだ?」

「へっ?」


 完全に虚をつかれた。怒られると思っていたけど、全く違うようだ。ただし、意味が分からない。


「生田紫亜といえば芸能界のサラブレッド。その母はあのやすりんだろう!」


 やすりんというのは大女優の坂井靖子のこと。そういえば、父さんはやすりんの大ファンだった。中高年男性を中心に1000万人いるといわれる『やすリスト』を自称している。


「で、アドレス交換は済ませたんだろうな?」


 すごい圧だ。僕は正直に言う。


「グループだけどある。連絡がつかないこともない、かな……」

「よしっ! それでこそ運のいい息子だ。親子共々、連れてきなさい!」


 急にそんなことを言われてもどうしていいか分からない。困った顔を姉ちゃんに向けると姉ちゃんが立ち上がる。こういうときは頼りになる強い姉ちゃんだ。


「そんなの、ダメに決まってるでしょ。この、浮気者!」心強い味方だ!


「そもそもヘタレの天太郎にそんなことできるはずはないわ」放っといてくれ!


 姉ちゃんは僕の味方。そう信じて疑わない。疑わないが、僕が思っているよりもちょっとだけ利己的なようだ。


「親子ではハードルが高いわ。家族よ。家族ぐるみでお付き合いしましょう」


 その目は、猛禽類のようにギラギラとしている。姉ちゃんが超絶人気俳優で紫亜たんの兄の真田優作の大ファンなのを思い出す。


「天太郎、お呼ばれよ。家族ぐるみのお呼ばれを狙うのよ」狙いが分かり易い!


 姉ちゃんはそう言うけど、ヘタレの僕には、どうしていいか全くわからない。そもそも、どさくさ紛れにアドレス交換しただけの僕に、紫亜たんとはなしをするスキルなんてこれっぽっちもない。


 2人とも、どうかしている。


「……父さんも姉ちゃんも、何、夢見てんの? 僕なんかが……」

「何、甘ったれたこと言ってんだ、天太郎!」

「父さんの言う通りよ。ここが勝負どころじゃないの!」


 全く聞く耳を持たずに前のめりだ。冗談じゃない。うまくいけばいいけど、失敗したら傷付くのは僕だけで2人は無傷。こんなのフェアじゃない。


「冗談じゃない。連れてくるとかお呼ばれとか、無理だよ。僕は自信がない」


 「言われてみればその通りだな……」と、納得されると若干むかつく。


 「天太郎、恋愛スキルはゼロに等しいものね……」って、放っといてくれ!


 このあと、さすがの父さんと姉ちゃんも黙り込んでしまう。




 井田家の重苦しい沈黙ムードがピークを迎えるなか、スマホが高い音を奏でる。誰かからのメッセージが着信したようだ。こんな朝早くに一体、誰だろう。


 そっと画面を覗き、送信元の名前を2度見してしまう。紫亜たんだ! 慌てて本文も確認する。


——本日4時【カフェ・ド・ステーブル】に来てください(紫亜)


 カフェ・ド・ステーブルは銀座にあるコーヒーつうが集う喫茶店。これって、ひょっとしてデートのお誘いじゃないのか! だったらうれしい! 


 と、まるで僕の心を読んでいるかのようなタイミングで2通目が着信。


——勘違いしないでくださいね。デートじゃありませんから(紫亜)


 じゃないのか……残念だ……。がっくりと肩を落とす。


 僕の背後に父さんが回り込む。す、素早い! スマホを僕の手から奪い取り、続けて送られてきたメッセージを読み上げる。や、やめてーっ……。


「えー、なになに。『遅刻厳禁ですよ(紫亜)』っと。なるほどぉ……」

「なんだ。天太郎、自信がないって言ってたけど、そこまで進んでんじゃん」


 進んでると言われても……会えるってだけでうれしいにはうれしいけど。デートじゃないんだし、進んでいるという実感は皆無だ。


「進んでなんか。デートじゃないって書いてあるじゃないか……」


 それに、銀座に4時、遅刻厳禁とか無理ゲーだ。下校時刻は3時40分。走っても電車でも間に合わない。もう、いじけてしまいそうだ。


 そのとき「天太郎。あんた、何も分かってないのね!」と、姉ちゃんの恋愛講義がはじまる。


「いい? 『勘違いしないで』の後に続く言葉は反対に解釈すべきなの。『デートじゃないから』の反対は『デートだから』という意味。つまりこれは、紛れもなくデートの誘いってことなのよ!」


 そんな日本語の構文、知らない。聞いたことがない。にわかには信じ難い。


「ほ、本当かい? 姉ちゃん……」

「あたぼうよ! 天太郎、これは千載一遇の大チャンスよ。頑張んなさい!」


 僕が紫亜たんからデートに誘われるなんて普通だったらあり得ない。僕の恋愛スキルはゼロに等しい。運だけはいいが基本はヘタレだ。


 だけど、姉ちゃんは嘘をついたことが1度もないし、ウワサになった男性は枚挙にいとまがない。恋愛のエキスパートだ。


 そんな姉ちゃんが背中を押してくれるなら、信じてみよう!


「うん、姉ちゃん。僕、頑張るよ!」


 僕の恋愛スキルには一抹の不安が残る。けど、運の良さを信じて頑張る!

__________________________________

姉ちゃんの恋愛経験、どれくらいなものでしょうね……。


ここまでお読みくださいまして、ありがとうございます。

この作品・登場人物・作者が少しでも気になる方は、

♡やコメント、☆やレビュー、フォローをお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る