【IFルート連載開始】偶然助けた女の子が俺が激推ししている大人気バーチャル配信者だった
遥透子@『バイト先の王子様』書籍化
本編
木崎菜々実との出会い
ガタン、ゴトン。
心地よい揺れがいい感じに眠気を刺激する。今日は運良く椅子に座れたから余計に眠い。
すっかり乗り慣れた都営地下鉄。
三年前に故郷・東北から東京に出てきたかつての田舎者、俺こと
嘘だ。
都会に住んではいるが、シティボーイになってはいない。
やりたくもない仕事をしに会社に行き、無難に人間関係をこなし、こうして電車に揺られ寝るだけの家に帰る毎日。
こんな生活を三年も続けている。気が付けばもう二十五歳。期待に胸を膨らませて上京してからこの三年間、何一つ変わっていない。
かつては光り輝いていた瞳も今ではすっかり東京のくすんだ空気に染まってしまった。パリパリだったスーツも持ち主に似てすっかりへたへたになってしまっている。
「はぁ……何のために生きてんだろ、俺」
満員電車の中でうっかり声に出してしまう。瞬間恥ずかしさに襲われるが周りの人間は全くの無反応。イヤホンをしているか、聞こえていても気にしていないか。これがコンクリートジャングル東京。誰も他人に興味なんかないんだ。
俺は車内モニターで次の到着駅を確認すると、ポケットからイヤホンを取り出して耳に装着した。降りる駅まではまだ大分時間がある。
すっかり身に染み付いた手つきでスマホをノールック・指紋認証解除をし、これまた慣れた手つきで動画サイトのアイコンをタップする。
仕事終わりは『
去年の夏から活動しているバーチャル配信者で、ここ最近急に伸び始めたバーチャル配信者の一人でもある。
クールな見た目と話し方、そしてそれに似合わぬ甘々ボイスのギャップが妙に中毒性があって、企業に所属していない個人勢ながらじわじわとチャンネル登録者数を伸ばしていた。年末にはチャンネル登録者数一万人を達成し、記念に開催されたお祝い年越し配信でコメントを読まれたことを今でも昨日の事のように思い出せる。色褪せた去年における一番の思い出と言ってもいい。
それがここ最近爆発的に流行っているFPSゲームの腕前がとても高いことからバーチャル配信者の大会に呼ばれるようになり、そこで一気に知名度が向上。今ではチャンネル登録者数三十万人を突破して個人勢の中では名実共にトップ配信者の一人に躍り出た。
俺はこおりちゃんが登録者数五百人の頃から知っている、名実共にトップ古参。だがそれをひけらかしたりしない。
きっかけはたまたま何かの検索ワードに引っかかって発見し、何かの気の迷いで配信を観て、その声に一目惚れならぬ一耳惚れしてしまった。
それからというもの俺は純粋な気持ちでこおりちゃんを応援していた。
こおりちゃんはほぼ毎日配信をしていて、その時間が俺の退勤時間と重なっていたから恐らくほぼ皆勤と言っていいくらい彼女の配信は生で視聴しているし、当時細々と販売していたグッズも全て所持している。
しかしそれで最近現れた新参たちにマウントを取るつもりは無い。純粋な気持ちで俺はこおりちゃんを応援しているし、彼女が有名になって自分の事のように嬉しい。そこに一抹の寂しさなどは存在しない。してはいけないのだ。
氷月こおりを推す。
目下それが俺の生きている意味であり、こんな下らない毎日をギリギリ送れている心の支えだった。
『皆さんこんばんは、今日も観てくれてありがとう。今日の配信も大会に向けてFPSの練習をするよ』
イヤホンから脳が蕩けそうな甘々ボイスが発信され、俺は体力が回復していくのを体全体で感じた。
こおりちゃんのクール甘々ボイスはバナナより速く糖分を身体に届けると言われている。
この落ち着いた話し方で幼女のような可愛い声なのが本当に堪らない。なんだか不思議な気分になってくるんだよな。
FPSゲームのロビー画面がこじんまりしたスマホの画面一杯に映し出される。その下部には青髪ロングのこおりちゃんの姿。最近3Dモデルが新しくなって以前より格段に動くようになった。これも有名になったから出来たことだ。
眠気で麻痺した頭でぼんやりとこおりちゃんのボイスを浴びていると、いつの間にか戦闘が始まっていた。
『この敵……しっかり遮蔽を使ってきますね。かなり上手な方です。でも負けませんよ?』
こおりちゃんは華麗なキャラ操作で敵の弾を掻い潜ると、ショットガンで相手を倒した。そのまま流れるようにハンドガンに持ち帰ると、遠くにいた二人目を精密な操作で撃ち抜く。
『ふう……二人目が離れたところにいたのが幸いでしたね』
このゲームは二人一チームで多数のチームが一つのマップに降りるバトルロイヤルというジャンルのゲームだ。よって二人の連携、コンビネーションが戦闘に勝つための秘訣と言っていい。
しかしこおりちゃんはこの手の一対二の戦闘を余裕で勝ってしまう。
俺もこおりちゃんの配信がきっかけで最近このゲームを始めたから分かる。このゲームは基本一人で無双できるタイプのゲームではない。自分の倍強い人相手でも一対二なら勝ててしまうようなゲームバランスになっているんだ。
だから一人で相手部隊を壊滅させるというのは、相当な実力差がないと出来ないことだ。
プロも顔負けとはいかないが、プロと一緒に最上位ランクマッチに潜るくらいにはこおりちゃんはこのゲームが上手だった。
『あら……カフェオレが切れてしまいました。このマッチが終わったらコンビニに買いに行ってきますね』
急な糖分摂取による強烈な眠気と戦いながら配信を観ていると、こおりちゃんはその勢いのまま危なげなくチャンピオンを取った。俺はこのゲームを始めて一月経つが、まだ数えられるくらいしかチャンピオンを取ったことは無い。それも味方におんぶにだっこだ。
いつかはこおりちゃんくらい上手くなって一人でぶいぶい言わせてみたいな。
『じゃあ皆さん、ちょっと行ってきますね。始まったばかりなのにごめんなさい』
こおりちゃんがカフェオレを買いに離席する。こういうことは度々あって、こうなると十五分は帰ってこない。
顔を上げると丁度車内モニターが最寄り駅への到着を告げている。
俺はスマホを音楽再生に切り替えると、少し疎らになった乗客の間をすり抜けて電車から降りた。
スマホ、定期入れ、小銭入れよし。
ポケットを軽く叩いて落し物チェックを済ませると、寝に帰るだけの家に向けて歩き出した。
昨日と同じ今日が終わり、そして今日と同じ明日が始まろうとしている。
◆
俺の最寄りの町はとにかく街灯が少ない。
家賃重視で少し閑散とした町を選んでしまったせいもあるが、夜は本当に東京なのかと突っ込みたくなるような暗さになる。女性が一人で歩くには些か危険がすぎる町だ。
ほぼ真っ暗で足元も覚束無いような道を特に意識もせずスタスタと歩いていく。住み始めた最初はおっかなびっくり歩いていたが今では目を瞑っても帰れるようになった。
これもシティボーイのなせる技か。
駅から十分ほど真っ暗な道を歩き、俺の住むマンションが見えてきた。八畳一間のワンルーム。バストイレ別。家賃七万五千円。
俺の部屋は十階建ての九階で見晴らしは最高だ。まあ部屋から外を眺めることなどないが。ここには寝に帰るだけである。
イヤホンからは甘々ロリボイスでしっとりと歌い上げられたこおりちゃんの曲が流れている。
そう、こおりちゃんはこの前ついにオリジナル曲を配信したのだ。これがまたいい曲で、バラード調の曲がこおりちゃんのシュガーボイスとパーフェクトにマッチしていると言っていい。勿論リピート再生中だ。
「ん……?」
俺はマンション前の歩道に何か大きな物が落ちているのに気がついた。暗くて良く見えないが、マンションのエントランスから漏れる光を薄く浴びたそれは、なんとなく人のように見えた。
イヤホンをポケットに突っ込み、俺は瞬間駆け出した。
近付くとそれはやはり人だった。白いワンピースを着た髪の長い女性が足を押さえて蹲っている。どうやら怪我をしているようだった。
「あ、あの……大丈夫ですか? どこか怪我をしているんですか?」
俺は女性に近付くと声をかけた。声が若干上擦ったが気にしている場合じゃない。声をかけながら頭をフル回転させる。何せこんなことは上京してから初めてのことだ。
こういう場合どうすればいいんだ?
救急車を呼ぶべきなのか?
救急車ってこういう時も呼んでいいのか?
いやそもそも呼び方が分からん。
というか事件に巻き込まれた可能性とかはないのか?
俺が一人でいっぱいいっぱいになっている事など知る由もなく、女性は俺に顔を向けると小学生でも分かるような嘘をついた。
「えっと……大丈夫です。ちょっと挫いてしまっただけなので」
そういう女性の額には玉のような汗が滲んでいた。今は六月半ばの夜。汗をかくには少し早い時期だ。
「…………」
めちゃくちゃ美人だった。こんな時に不謹慎だと思うが反射的に目を奪われてしまう。
歳は俺より下だろうか。だが成人はしていそうだ。冗談みたいに大きな二重の瞳に、すらっと伸びた鼻筋。花びらのような唇は果実のような潤い湛えていて、肌はシルクのように滑らかだ。
あまりの美貌に不意打ちをくらい、一瞬言葉につまってしまったが直ぐに思い直す。今はそういうことを考えている場合ではない。
「それ……どうみても大丈夫じゃないですよね。めちゃくちゃ痛そうじゃないですか。立ったり出来ますか?」
女性は俺の言葉を受け色々体勢を変えてみているが、どうにも立てないようだった。
「うーん……ちょっと厳しいかもしれないです。でも時間が経てば痛みも治まると思いますから」
「それまでここで蹲っているつもりですか? 自慢じゃないですけど、この通りは夜一人でいるのは相当危ないですよ」
「うっ……そうなんですよね……。この通り、街灯が少なすぎます……」
会話しながら俺は強烈な違和感に襲われていた。彼女の声をどこかで聞いたことがある気がする。
声というか話し方か。イントネーションが誰かにめちゃくちゃ似ているような……?
ダメだ思い出せない。まあこんな綺麗な女性に会ったら二度と忘れないだろう。彼女とは初対面のはず。きっと気のせいだ。
「はあ……もういいです。あなたの家ってここから近いですか?」
俺は彼女のそばの地面に転がっているコンビニの袋に目をやる。ロゴから最寄りのコンビニだと推測できる。中から顔を覗かせているのはペットボトルのカフェオレとお菓子のようだった。つまりは歩いてそこのコンビニにおやつを買いに来た地元民の可能性が高い。
「えっ……あー……まあ……そう、です。……近くのマンションです」
彼女はかなり歯切れが悪そうにその言葉を絞り出した。まあ見知らぬ異性に住んでいるところを教えるのはかなり抵抗があるか。彼女くらい可愛ければ異性関係のトラブルも多そうだしな。
「なるほど。じゃあおぶっていきます」
「えっ!?」
驚く彼女を無視し、俺は背負っていたリュックをお腹側に回すと彼女の前に背中を向けて跪いた。
「ほら、はやく」
「えっ、でも流石にそれは……あなたに悪いですよ」
「このままあなたを一人置いていくのも目覚めが悪いし、かといってあなたに付き合って痛みが引くまでここにいるのもあれなので。それとも救急車を呼びますか?」
早く帰らないとこおりちゃんの配信が再開してしまう。もしかしたらもう始まっているかも。確かにこの女性は可愛いし一緒にいるのもやぶさかではないが、そんなことよりこおりちゃんの配信の方が大事なんだ。
「救急車はちょっと……。うーん……じゃ、じゃあ……おじゃま、します……?」
そういうと彼女は俺の背中におぶさってきた。
アホみたいに軽い。背中当たっている柔らかい感触は、努めて気にしないようにする。
「えーっと、どこのマンションですか?」
「あ、そこの茶色のマンションです」
彼女が指さしたのは少し歩いたとこにある高級マンションだった。去年完成したばかりで、確か謳い文句は「都会でも、森の中のような静寂を」みたいな感じだったはずだ、防音性が非常に高く、騒音に悩まされることがないらしい。夜中に掃除機や洗濯機を使う隣人に悩まされないで済むというのはめちゃくちゃ羨ましい。だが家賃は確かうちの約2倍。到底住める金額じゃない。
この子はお金持ちなんだな、でもそういうのを考えるのは良くないか、など思いながら歩いていく。一分ほどでそのマンションに到着した。徒歩一分。めちゃくちゃご近所さんだ。
「あ、ここで大丈夫です」
マンションの玄関前で彼女がそう言った。
「本当に大丈夫?」
聞き返しながらも俺はまあそうだろうな、と思っていた。俺も流石に部屋の前まで行くつもりはなかった。プライバシー的に。
「ええ、すぐエレベーターがありますから」
「そっか。じゃあ降ろすね」
俺がしゃがみこむと、彼女はゆっくりと降り立った。怪我している方の足に体重をかけないように器用に立っている。
「大丈夫そうだね。じゃあ俺はこれで」
いつの間にか砕けた口調になってしまったが、特に何も言われなかったのでそれで通す。どうせもう会うこともないだろう。
「あっ、待ってください!」
踵を返し来た道を引き返そうとする俺の背中に声が投げかけられる。
「ん? どうしたの、やっぱり無理そう?」
「いや……えっと……その……れ、連絡先っ! 教えてください!」
そういう彼女の頬は赤く染まっていた。
「連絡先?」
「お礼を、させて欲しくて……」
「別に気にしなくていいよ。近かったし」
「そういう訳にはいかないです! 受けた恩は返すのが私の主義ですから」
「うーん……まあそういうことなら」
俺としてもこんな可愛い子と知り合いになれるなら断る理由はない。
俺たちはチャットアプリのルインを交換した。
「岡……千早さんと言うのですね。私は木崎菜々実といいます。今日はありがとうございました」
そう言うと彼女はお辞儀をした。片足立ちしているから重心を保てないのか、ちょっと変なお辞儀だった。
「ううん、気にしないで。じゃあおやすみ」
「はい、おやすみなさい」
軽く手を振り俺はマンションを後にした。こおりちゃんがカフェオレを買いに行ってから二十分は経っている。きっともう再開してしまっているだろう。急いで家に帰らなければ。
早足で家に帰り、点けっぱなしのPCを素早く操作し彼女のページにアクセスする。
「ん……?」
どうやらこおりちゃんはまだ帰っていないようだった。画面にはFPSゲームのロビー画面が表示されたままだ。
俺はスマホでSNSアプリのツブヤッキーを開くと、こおりちゃんの呟きを確認した。
「マジかよ……」
彼女の呟きが更新されていた。そこにはこう書かれていた。
『急用が出来てしまったので今日の配信は終了します。本当にごめんなさい』
三分前の投稿だというのに『大丈夫だよ!』『気にしないで!』『次の配信を楽しみに待ってます』などといったコメントが百件近くついている。
どうやら今日はもう配信しないらしい。
「適当に過去の配信でも観るか……」
俺はリュックを部屋の隅に放り投げると、夕飯のインスタント食品を漁りはじめた。
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