巡り廻りて
oxygendes
第1話 神のお使いの足の下
1.宮島桟橋
白い船体にオレンジのラインの入ったフェリーは十分ほどで宮島桟橋に着いた。乗降客で混雑するターミナルビルを抜けて、海沿いに広がる桟橋前広場に出る。広場の周りに作られた植込みのあちこちに鹿がいて、観光客がその周りにたむろしていた。
待ち合わせ場所の世界遺産記念碑の位置はすぐに分かった。石燈籠のように組まれた正方形の石に、大鳥居の方向に向けて丸い穴が開いている。その前に行って辺りを見回したが、瑞稀はまだ来ていなかった。
到着したことを伝えようとスマホを取り出した時、
タンタンタカカカ、タンタンタカタカ、タンタンタタタタ
着信音が鳴った。瑞稀からだ。
「はい」
「あたしよ。やっくん、今どこ?」
「記念碑の前に着いたところだけど」
「よかった。でね、ごめん、予定が変わっちゃった。みんなでやっくんの歓迎会をしようってことになっちゃったの」
「みんなって?」
「家族とか、あたしのこっちの友達とか」
「歓迎会って、俺のことはどう話したの?」
「ゼミの後輩がたまたまこっちに観光に来るから、あたしが案内してあげるのってゆったんだけどね。その後輩が男性で、一人で来るってゆうたら、状況は察しられちゃったのよね」
「まあ、そうだよな」
想定された展開というか、むしろ瑞稀の狙い通りなのかもしれないが仕方ない。宮島観光は瑞稀の家族とのご対面とセットになったと覚悟を決めた。
「それでね、歓迎会の場所までの案内を兼ねて、やっくんには宮島の謎巡りをしてもらうことになったの」
「謎巡り?」
「出題された問題を解きながら、この島のあちこちを巡っていくの。最後に到達するのが歓迎会の場所ってわけ」
「俺のためにわざわざその謎巡りのコースを作ったって言うのか?」
「だいたいはあたしの友達が作成中のクイズラリーの問題の流用ね。その難度テストも兼ねているの」
「それで、俺一人で回るのか?」
「宮島についての問題だから、あたしが一緒だと謎解きにならないのよ」
「はあ」
「ルールを説明するわね。問題を解くと、次の問題の隠し場所がわかるの。最後に到達するのが歓迎会の場所。そして、問題を島の人に見せてはだめ。島の人に尋ねていいのは、はいかいいえで答えられる質問だけ」
「うん」
「それじゃあ最初の問題をメールで送るわね。合わせて電話番号を送るわ。船での移動が必要な場合はそこに電話すれば大丈夫よ」
「了解」
「みんなやっくんに会えるのを楽しみにしとるけぇね。あんまり遅おならんうちに到着してもらえたらうれしいんよ」
「わかった」
「じゃあね」
最後のあたりの瑞稀の言葉は地元のしゃべり方が混ざっていたような気がする。地元に帰省している間はなじみのあるしゃべり方がすぐに復活するということだろうか。
すぐに瑞稀からメールが入った。最初の問題は『廻廊の入り口からすぐの処、神のお使いの足の下』だった。
2.神のお使いの足の下.
最初の問題は、『廻廊の入り口からすぐの処、神のお使いの足の下』だった。
俺はターミナルビルに戻り、観光案内所で案内絵図をもらった。いろんな観光スポットが絵地図で描かれている。絵地図の建物で、周りに通路が描いてあるのは厳島神社だけだった。はいかいいえで答えられる質問はいいそうなので、観光案内所で訊いてみる。
「すみません。宮島で廻廊と言えば厳島神社でしょうか?」
「ええ、拝殿と高舞台を取り囲む廻廊は素晴らしいですよ。ぜひご覧になってください」
職員は笑顔で答えてくれた。
場所は厳島神社でよさそうなのでそちらに向かう。海沿いに続く参道を進み、みやげ物店が並ぶ商店街を通り過ぎ、再び海沿いの道に出る。石の鳥居をくぐると参道の脇に石燈籠が並び、左にカーブした参道から海に浮かぶ深紅の大鳥居が見えた。観光客の間を縫うように進んで、厳島神社の参拝入口にたどり着く。左右に人の背丈の二倍はある巨大な石灯篭が並んでいた。
拝観は一方通行でと書いてあったので、廻廊の入り口はここで間違いないだろう。あたりを見回して神のお使いを探す。参道の脇のあちこちに鹿がいた。座り込んだり、首を傾げて観光客の様子を窺っていたりしている。
鹿が神のお使いなのだろうか。でも、数が多すぎる。いったいどれが? それに自由に動き回る鹿は問題の隠し場所には適していない気がする。
それでも、一匹ずつ様子を見て回ったが、足の下にあるのは黒くて丸いフンばかりだった。
改めて問題文を見てみる。『廻廊の入り口からすぐの処』だから、神社の内側かもしれない。拝観料を払って境内に入った。
檜皮葺の屋根がかかる廻廊は、柱や棟木、欄干が朱色に塗られ、
左の奥が小さな神社のようになっていて、神様が祀られている。右脇に掲げられた木の札に神様の名前が書いてあるのだが、それが五つも並んでいた。
「何かお困りですか」
後ろから声をかけられた。振り向くと小袖に緋色の袴の巫女さんがこちらに笑顔を向けていた。二十歳くらいだろうか、長い髪を頭の後ろで水引で結って、小さな紙包みがたくさん載った
「いや、ちょっと調べものをしているんですけど、なんか難しくって……」
「はい?」
巫女さんは首を傾げた。
「あの、あなたはここの巫女さんですよね?」
「はい、うちの神社では巫女のことを
巫女さん……じゃなくて内侍さん、は答えた。
「ここの神様たちは神のお使いだったりしますか?」
「こちらは
内侍さんは言いよどむことなく答えた。
「ご存知と思いますが、厳島神社の主祭神は宗像(むなかた)三女神です。天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の誓約(うけい)で、剣からお生まれになったのが宗像三女神、勾玉からお生まれになったのがこちらの五柱の男神です。いわば対になる神様ですのでこちらでお祀りしております。神様ですので、神のお使いとゆうことは無いと思います」
どうも違うみたいだ。でも……、
「もしかして、あなたが神のお使いだったりして?」
俺の言葉に内侍は笑顔に戻った。
「残念ながら違います。私たち内侍は神にお仕えする身であって、神のお使いではありません」
これも違った。
「わかりました。変な質問をしてすみませんでした」
「全然かまいませんよ。悩み事を持って神社にお参りされる方もたくさんいらっしゃいます。こちらの神々もお力をお持ちですが」
内侍さんは通路の先を手で示した。
「宗像三女神にお参りし、素直な気持ちで悩み事を見つめ直せば解決の方法はきっと見つかると思いますよ」
内侍さんは一礼して歩き去って行った。
廻廊は直角に二度右に折れ、建物の外、海上に広く張り出したロの字型の板張りの空間につながっていた。中央に欄干で囲まれた舞台がある。海側の廻廊の中央から海上の鳥居に向かってまっすぐな通路が伸びていた。その先端に青銅製の灯篭が立てられている。そこまで歩いて行って周囲の景色を眺めた。正面に大鳥居があり、潮が引いていて大鳥居の下まで歩いて行っている周り観光客の姿が見えた。
振り返ると、ロの字型の廻廊には屋根掛けをされた小さな本殿が二つと、青銅製の狛犬が二体あった。狛犬が神のお使いかもしれないと思い、おすわりの形をしている狛犬の正面に回って眺めてみる。
「おお……」
一対の狛犬が雄と雌であることは知っていたが、具体的に作り分けられている狛犬を見たのは初めてだった。だが、狛犬の足の下に次の問題らしいものは何もない。もう一匹の狛犬の前に回ったが、作り分けられていることが確認できただけだった。こちらも足の下に特別なものはなかった。
困った。神のお使いが見つからない。その時、内侍さんが宗像三女神にお参りすれば、と言っていたのを思い出した。困った時の神頼みだ。お参りしてみよう。
欄干で囲まれた舞台の横を通って屋根の下に入り、拝殿の前に出る。その奥が本殿で三女神が祀られていた。立札によると、
さてどうしよう。ふと横を見ると、お札やお守りを売っている授与所があり、先ほどの内侍さんが参拝者に細長い紙を手渡していた。おみくじの担当らしい。神頼みついでにおみくじを引いてみようとそちらへ近づく。
「あら、先ほどの。どうですか、解決の方法は見つかりましたか?」
にこやかに話しかけてくる。
「それが、全然わからなくて」
「えっ……」
なぜか、意外そうな顔をした。
「素直な気持ちで見つめ直してもわかりませんでしたか?」
「素直な気持ちになって考えたのですけど……。それで、おみくじを引いてみようかなと」
「そう……ですね。おみくじは神様のお導きですから」
内侍さんは木でできた筒を取り出す。
「おみくじはこれを振って選ぶことになります。その前に……」
にっこりと微笑む。
「二百円お納めいただけますか?」
「あ、はい」
お金を払って筒を受け取った。
「よく振ってから、ひっくり返して出て来た棒をお渡しください」
五、六回振ってひっくり返し、出て来た棒を内侍さんに渡す。
「二十六番ですね。はいどうぞ」
小さな引き出しが並んだ箱から短冊くらい大きさの紙を取り出して俺に渡した。
運勢は中吉、その次に四文字の漢字が書かれ、その後ろに個別の判定が並んでいた。願い事のところには『心を尽くせばかなう』とあった。もっともな言葉だが今すぐ役立ちそうには無かった。四文字の漢字が気になったので内侍さんに聞いてみる。
「この四文字の言葉は何ですか?」
「ここには、厳島八景、厳島の八つの名所を並べた江戸時代の漢詩ですけど、その一行を載せています。このおみくじだと『
脳裏にさっき入り口で見た光景がよみがえる。参道に鹿がたむろしていた。やっぱりあれが神のお使いだったのだろうか。
「鹿は神のお使いなのですか?」
内侍さんはげんなりした表情になった。
「違います。昔から島にいる生き物なので大切にしていますけど、神の使いではありません。柵を作って境内にはいってこないようにしているぐらいですから。神の使いの生き物は別にいらっしゃって、厳島八景の別の行に描かれています」
「他の行に……、それでは他のおみくじに出てくるのですね?」
「はい」
「もう一度、いや必要なら何度でもおみくじを引きます。神の使いを書いた言葉が出てくるまで」
内侍さんは小さくため息をついた。
「それがお望みというのであれば、お示しするのも神慮でしょう。では、二百円申し受けます」
「はい」
次のおみくじに書かれていた言葉は『厳島明燈』だった。
「これは
「神のお使いでは無いのですね」
「ええ」
「では、次のおみくじを」
こうしたやりとりを何回か繰り返した後、遂に出て来たのが『弥山神烏』だった。
「神の、ええと、これは鳥ではなくて
「はい、
「はあ……」
「参拝入口の左右にある石燈籠の笠の上にもこの神烏様の像が載せられています。ご覧になられましたか?」
全然気づかなかった。でも、石燈籠の上にあるということはその下に……。
「俺、すぐ、その像を見に行ってきます」
歩き出したところで内侍さんに呼び止められた。
「申し訳ありませんが、廻廊は一方通行にさせていただいています。一度、西側の出口に出られて、神社の背後を回って入口にお回りください」
「は、はい」
仕方ない。とにかく急ごう。俺は廻廊を西に向かって駆け出した。
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青年が廻廊を曲がり、姿が見えなくなると内侍は小さく肩をすくめた。
「問題の難度が高すぎたのかしら」
袂(たもと)からスマホを取り出し操作する。ディスプレイに同じ問題文が表示された。
『廻廊の入り口からすぐの処、神のお使いの足の下』
「外の人にはわからないのかしらね。おまけで問題文の中に『からす』って入れてあるのに……。あら」
廻廊に小さな影が差しこみ、左から右へ横切った。内侍は空を見上げる。
「神烏様がお出ましになった……のかねぇ」
彼女の視線の先で、二羽の烏が数回羽ばたき、神社の背後に聳える弥山の方向へ飛んで行った。
「たちまち、瑞稀に連絡しとかんといけんね」
内侍はスマホを操作し始めた。
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