第128話 「ATPツアー250」
ヨーロッパ南西部、イベリア半島に位置する国、スペイン。その首都マドリード、第二都市バルセロナ、それに続く第三の都市バレンシアへと、聖は数時間前に到着した。前日まで滞在していたアゼルバイジャンよりも近代的な雰囲気の街並みだが、いわゆる日本のそれとは全く異なっている。石造りの厚い壁に小さな窓、開口部の上部に半円アーチを取り入れた、いわゆるロマネスク様式の建築物が、近代的なデザインの建物のなかに散見された、なんとも形容しがたい雰囲気。四月に入ったせいもあってか、街の中は人の活気と春の陽気に満ちていた。
「それでは、お時間頂きましてありがとうございました。試合、頑張って下さいね」
タブレット端末の向こうで、清楚な印象の女性が白い歯を見せて微笑む。
「はい、こちらこそありがとうございました。頑張ります」
画面に向けて丁寧にお辞儀し、聖は回線を切断する。思わずふぅとため息が出た。何やら視線を感じるので辺りを見回すと、公園に散歩へ来ていたらしい近所の住民が、遠巻きに聖の方をチラチラ見ている。急に恥ずかしくなり、聖はそそくさと片付けを始めた。
<なンでわざわざ、外でリモート取材なンだよ>
「いやなんか、ホテルの部屋より、スペインにいる感が欲しいって」
<イミフ。相変わらず終わってンな、日本のTV局は。カスしかいねェ>
お前が日本のTV局の何を知ってるというのか、というツッコミを飲み込んで、聖はひとまず後始末を終える。モザンビーク、アゼルバイジャンと連続でオールカマーズを制したお陰で、日本のテレビ局の目に留まり、リモート取材を受けていたところだ。
本来なら一度日本へと帰国する予定だったが、決勝戦で長時間に渡って能力を使用した反動で、思った以上に動けなくなり、スケジュールの変更を余儀なくされた。体調が整うと、スペインのバレンシアへと直接やってきた。訪問の理由はひとつ。聖はアゼルバイジャンでの優勝により、上部大会であるATP250、バレンシアオープンへの
<にしても、彗星の様に現れた期待の新人! つってバカ丸出しでチヤホヤしてくれてンのに、オメェはなンかつれねェ態度なのな。画面越しとはいえ、あんな美人がちょっとテニスで結果出しただけのクソガキに上目遣いで下手に出てくれてるっつーのに。ありゃ恐らくミス〇〇大とかの美人アナだぜ。知らんけど>
「単純に、僕はあんまり、TV局の人が得意じゃないだけだよ」
<はァ〜? 嘘こけコラ。つい一昨日まで甲斐甲斐しく面倒みてくれてたモモパイにはアホほど甘えてたクセしてよォ! オメェ、
「そんなことないってば。それに記者とTV関係者って別な気がする。あと、あの二人は別だよ。モモさんに至ってはテニス経験者だし。なんていうか、昔ハル姉を目当てにきてたTV局の人たちが、あまり印象よくなくて。全部を一括りにするのはよくないんだろうけど、話題になりさえすればあとはなんでもいい、みたいな空気がちょっとね」
将来を感じさせる幼い天才少女の存在は、大手メディアにとって格好のメシの種だ。本人は勿論のこと、その周辺にいる親族や友人についても、後々のことを考えて取り合えずネタを拾っておけ、という態度を隠そうとはしなかった。だから本当は、テレビ取材についても最初は断る気でいたのだ。しかし、聖が唯一打ち解けることのできた
「メディアとの関わり合いは、鬱陶しいって思うこともたくさんあると思います。でも、メディアを使って自分の活躍を発信することは、大事なことですよ。特にスポーツ選手、アスリートは、その活躍を一人でも多くの人に届けてこそ、本当の価値が生まれるんです」
百年のいうことは理解できたものの、聖は自分がテニス選手として活躍をアピールするのに相応しいかどうか自信がない。というより、本来であればすべきではないとさえ思っている。しかしこれから先、大きな大会に参加して実績を上げていかなければならない以上、世間からの注目は避けられない。個人的な好悪はともかく、あくまで選手としての責務の一つと割り切って、ひとまず取材を受けることにしたのだ。
美人のインタビュアーは、常に絶妙な距離感で質問してきた。
「16歳にしてプロ転向。プロテスト制度を利用せず、大会の賞金で活動の諸経費を賄うという昔ながらの路線。オールカマーズを二連勝したことからその自信のほどは伺えますが、不安はなかったのでしょうか?」
公式的な経歴が殆ど無いため、取材は聖の経歴の確認が主に行われた。リハーサルで何を聞かれるかは知らされていたが、合間合間にアドリブの質問が挟まれたりもした。意表を突いて素の回答を引き出したかったのだろう。どうにか平静を保ち、当たり障りのない回答を返しながら、聖は取材を乗りきった。
<連中は、オメェの最大の目的についちゃ触れてこなかったな?>
聖が一番警戒していたのは、当然ながら春菜のこと。幸いなことに、TV局は聖と春菜の関係を知らなかったらしい。今年に入ってから順調に実績を積み上げ始めている春菜の話題も出るには出たが、特にあれこれ聞かれずに済んだ。
「今回はなんていうか、一応取材しました、みたいな感じなんじゃないかな。日本国内のテニス人気は昔に比べれば上がったようだけど、下部大会での優勝ぐらいじゃまだインパクトが無いんだと思う」
<ほーン。じゃ、次も勝ったら?>
想像し、聖はうーんと思い悩む。かつて、2030年代頃までは、上部大会に位置付けされるATP250での日本人優勝者はまだ数えるほどしかいなかった。しかし近年、
「仮に優勝したら、今よりは注目されるだろうね。でも僕は所詮、
テニスから長らく離れていた自分が、再開するや否や現役のプロに条件付きとはいえ勝利し、そのまま日本最高峰のテニスアカデミーへと所属する。努力を惜しまなかった自負はあるが、それでも半年と経たずトップレベルのジュニア選手と肩を並べるようになった。そしてプロを目前に控えた海外の選手と戦い、プロへ転向。下部大会とはいえ大会を二連勝して今ここにいる。だがテニスを再開してから、一度としてラクだったことはない。進めば進むほど、相手は強くなっていく。更に、中には許されざる手段を行使する者もいた。
「この先も、上手くやっていけると良いんだけど」
ぼやきながら、空を見上げる。当初のスケジュール通りなら、一度は日本へ帰国して休息するはずだったが、それは叶わなかった。別にホームシックになったというわけでもないが、肉体的な疲労よりも精神的な疲労を聖は感じてしまう。そのせいか、ふと春菜の顔が思い浮かぶ。
「もし、次を優勝できれば、世間的には胸を張れる実績っていえるかな」
上部大会、ATP250。時として上位ランカーも参加することがある大会グレードを制することができれば、世間的な評価はまずまずといったところだろう。そこまでいけば、一度春菜に報告してもいいかもしれないと聖は思う。無論、自ら報告せずとも何かしらニュースになって春菜の耳に届くはずだ。そもそも、聖は自分が具体的に何を達成すれば春菜と並ぶことになるのか、考えていなかった。ただ漠然と、彼女の横に並び立つのに相応しい選手になりたい、そう思ってプロの世界を目指した。
<ンだよ、志の低い野郎だな。ンなもんテメェ、
聖の胸中を見透かしたように、アドが釘を刺す。
「いや、それはさすがに……」
<オレの予想じゃ、あの天才お嬢はGS獲るぜ? オマエはそう思わねェの?>
痛いところを突いてくる。流れ的に仕方がなかったとはいえ、もっと早い段階で春菜に、自分が何を達成すれば追いついたことになるのか、話しておけばよかったと聖は今さらながら後悔してしまう。確かにアドがいうように、春菜の才能ならGSを獲るだろう。その彼女の横に立つとなると、ATP250では物足りないかもしれない。
「ん~、いや、まぁ、えぇ~……?」
真剣に頭を悩ませる聖。
<オマエのそういうクソ真面目なとこ、嫌いじゃねェワ>
冷やかすように、アドが言った。
★
聖がアゼルバイジャンで決勝を戦っていたちょうど同じ頃。ドイツ、シュットガルトで開催されているオールカマーズ大会に、イタリア人選手、ジオ・ヴラン・ルーノの姿があった。聖の参戦したアフリカや中東地域と比べ、ヨーロッパで行われるオールカマーズは、参加選手のレベルが高い。立地的な要因はもちろんのこと、スケジュール的により規模の大きい大会の前哨戦として位置付けられているのが、その主な理由だ。僻地のオールカマーズでは、主にランキング三桁台の選手がエントリーする、というのが暗黙の了解だが、ここにはそれが無い。ランキング二桁台の選手が当たり前のように
「んだよ、決勝が終わったっつーのに、盛り上がんねぇな」
オレンジ色のバンダナを頭に巻いた小柄な少女ギルが、不平を漏らす。
試合が終わった瞬間でさえ、まばらな拍手があった程度だった。
「拍手があっただけマシ。フランスじゃブーイングだった」
美しい銀髪を指で梳きながら、レオナが皮肉げにいう。隣にいるティッキーは、二人の会話に参加せず、通用口へ向かうジオの背中を目で追っていた。スコアは3-6、3-6のストレート。今はランキングを80位台に落としているものの、キャリアハイでは20位台を経験しているベテランを相手に、ジオは危なげなく勝利してみせた。マイアミ以降、彼の選手としての成長は、留まることを知らない。
「戻るぞ」
短く言って、ティッキーはさっさと出口へ向かう。
ギルとレオナは慌てて立ち上がり、その後を追った。
「よおジオ、やったな! さすがだぜオマエってやつは!」
控室へ戻ったジオを、眉が太く顔の濃いグリードが満面の笑みで出迎える。勝利したジオ以上に嬉しそうで、そのストレートな感情表現にジオは面映ゆさを感じてしまう。グリードがハイタッチを求めてくるので、ジオは抱えていたトロフィーや賞状を床に置いてから、やれやれといった様子で応じた。
「入ったばかりの、面白いニュースがあるぞ」
金髪をオールバックに撫でつけたロシューが、おもむろに携帯端末を向ける。
画面には、次のような見出しが表示されていた。
『日本の若槻、アゼルバイジャンオールカマーズ優勝。アフリカに続き二連勝』
それを目にして、ジオは何やら不敵な笑みを浮かべる。
まるでその報せが、自分が試合に勝つこと以上に重要な事であるかのようだ。
「やはり勝ちましたね、若槻」
彼なら、必ず勝つと思っていた。勿論、それはあくまで根拠のない予測に過ぎない。ただどうしてそう思うのかを問われたとしても、ジオは具体的に答えることができない。言ってしまえばただの勘でしかないからだ。しかしそうであったとしても、ジオはこれまで、その勘を外したことがなかった。
「相手のカリルってやつは、カスピ海エリアで八百長だのなんだのの仕切り役をやってるヤツだよな。リッゾからそう聞いてるぜ。どうやら、試合で若槻にも何らかのアクションを起こした臭ぇぞ。ロクなやつじゃねぇ」
「試合の最中、若槻は警告を取られてるんスよ。見当違いの方向にサーブを打って。それで放送機材の設備が一部破損したみたいで。なんか怪しいスよね」
ロシューの言葉を、パイナップルヘアのリーチが補足する。
それを聞いて、ジオは大まかに事情を把握した。
「妨害があったんでしょう。それを振り切っての勝利。大したものです」
「買いかぶり過ぎだ。たかが下部大会のオールカマーズを二つ勝っただけだぜ」
先週フランスのオールカマーズを制したロシューが辛口に述べる。
「いえ、そんな事はありません。きっと彼は、ティッキーなどと同じように、何か強い運命の星のもとに生まれた人物だと、僕は思っています」
「オイオイ、
ジオの若槻への評価は、グリードにも意外だったらしい。
大きな目をさらに大きく見開いておどけてみせた。
「僕は
ジオは仲間たちから、
それはなにも、神に選ばれし者や、特殊な能力を持つ人間がいる、ということではない。同じ人間の中には、時として大きな事象の中心に立つ人物がいる、という意味だ。ニュアンスとしては、表立って目立つ存在、例えば政治家やアイドル、ミュージシャンが近いが、厳密には違う。本人が直接そういう性質を持つこともあるが、より深い部分に携わる者がそれに該当する。芸能の分野でいえば、陰でヒットを支えるプロデューサーや、脚本家のような存在だ。その人物がいたからこそ、その事象が起こった。結果としてその人物が事象の中で目立ったかどうかは、重要ではない。
例えばジオの目から見て、仲間のティッキーがまさしくそれにあたる。彼女の持つ強烈極まる意志の強さは、彼女自身のみならず、周囲の者を巻き込んで多くの出来事を動かしていく。彼女が行動を起こすと、まるで彼女が要になっているかのように、世界へ大きな影響を与える。大なり小なり世界に影響を与えるという意味では、全ての人間が等しくそうだが、影響力の強さが違う。俗な言い方をすれば、極めて強いカリスマ性を秘めていると言い換えられるだろう。ただしそれは、いわゆる「人を惹きつける」という狭義のカリスマ性ではなく、「事象に影響する」のだ。人を惹きつけるのは、あくまで副産物に過ぎない。そしてジオは、その傾向を若槻に対しても見出していた。
(ただ彼は不思議だ。いかにも普通で、そんな気配は無い。ティッキーのように、物事の中心となって動かしていくというのとも違う。しかし彼が関わることで物事が大きく動いているのも事実だ。まるで台風の目の中に彼がいて、彼が近づくことで周りのあらゆることが無理やり動き出すような、あらゆることを
端末に映る若槻の写真を見て、ジオは彼について考える。最後に会ってから数か月。少し顔つきが逞しくなっているようだ。とはいえ、ロシューがいうように、今の段階で若槻の評価を決定するのは、まだ気が早いかもしれないと、一方では思っている。
「確かアゼルバイジャンの大会には、副賞がありましたよね」
「あぁ、スペインでやるATP250バレンシアオープン。その
それを聞き、ジオは思わず小さく鼻を鳴らす。
「これも巡り合わせかな」
「ん? なんのことだ?」
ジオの言葉の意味が分からず、グリードはロシューとリーチを見る。
どうやら二人もよくわからないらしく、疑問を示すように首を傾げた。
「僕らは所詮、荒れ狂う大海を彷徨う航海者に過ぎません。世界の流れを意図的にコントロールすることなど、できやしないんだ。だが、潮目を読み、波に乗り、どうにか目的地にまでたどり着いてみせる。その為なら、どんな状況であれ、誰であれ利用するべきだ」
言いながら、ジオは床に置いた荷物から、一枚の封筒を取り出す。
「今日の僕の対戦相手ですが、実は先週の段階で母国からある大会の
世界ランキング上昇に必要なポイントが得られない代わりに、オールカマーズでは副賞が用意されることがある。封筒から書類を取り出すと、ジオはそれを仲間へ見せた。
「おお、マジスか、すげーじゃないスか!」
「おもしれぇ! やっぱ、おめぇこそ持ってるヤツだぜ!」
「もしそこでオマエに勝つなら、ヤツの実力も
ジオの掴んだ幸運に、三人はそれぞれの反応を見せる。
(願わくば、僕らと彼の利害が、ぶつかることなく済めば良いんだが)
書類には、こう書かれている。
『ATP250バレンシアオープン
続く
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