第123話 「ビギナーズ・ハンター」
アゼルバイジャン・オールカマーズ・ファイナル、当日。
「やぁ、今日はよろしく」
選手控室で、対戦相手のカリルが気さくに聖へ話しかけてきた。
「まだ16歳だって? すごいな、大したもんだ」
ザカリア・カリル。前大会覇者のウズベキスタン人だ。ウズベキスタンという国を、聖はこれまであまりよく知らなかった。ニュースかなにかで名前を聞いたことがあるような無いような、あったとしても、世界地図のどこにあるのかまでは分からない、その程度の知識。対戦相手の出身国でもなければ、興味を持つこともなかっただろう。国としての歴史は浅いが、その立地から紀元前より数々の重要な出来事の舞台となった地。アゼルバイジャンを含め、カスピ海周辺にある国は、大抵どこもそういう背景を持っているんだなと、最近学んだばかりだ。
「僕は日本が好きでね。何度か行ったことがあるよ。コニチワー、ね」
モンゴロイドとコーカソイドの血が入り混じるウズベク人の容貌は、比較的日本人に近い。カリルの顔つきも、そうと知らない状態で日本人だと名乗られたら、すんなりと信じたかもしれないくらい日本的だ。そのうえ、親しみやすい笑顔で人懐っこく接されるものだから、なおのこと。普段の聖であれば、何の警戒心も持たずに好印象を持ったに違いない。そのことを自覚した聖は、カリルの言葉に対し愛想笑いを浮かべて、出来るだけそっけなく受け流した。
<イイねェ、イイ感じに捻くれてきたなァ>
聖の心情を読み取り、アドが茶化を入れてくる。
(別に捻くれてなんかないだろ)
<そンぐれェで丁度良いンだよ。ちったァ大人になれ>
言いたいことはわかるが、アドがいうとどうも素直に頷けない。性格的に初対面の相手を疑ってかかる、というのはどうも性に合わない聖だが、さすがに今回は事情が違う。他人に対して誠実であろうとすることと、無警戒に、あるいは盲目的に信用することは別であると、昨日までの出来事で痛感した。自分にその切り替えができるかあまり自信は無かったが、少なくともできるだけ、警戒することを知らない飼い犬のような態度を慎もうと決めていた。
「じゃ、いい試合をしよう」
聖の態度をどう受け取ったのかは分からないが、カリルはそれ以上コミュニケーションを取ろうとはせず、先に控室を出た。気に障っただろうか、と少し心配になりながらカリルの後姿を眺める聖。身長は聖と同じくらい、身体つきはややカリルの方が大きい。プレースタイルはオーソドックスな
(レベルの高い選手だ。過去の実績でいうなら、徹磨さん以上)
カリルの最高ランクは元47位で、現在は150位。対する聖は500位を下回る。しかし、テニス選手の世界ランキングは、それがそのまま選手の実力を反映しない。あくまで目安にこそなるが、ランキング下位の選手が上位選手を破ることはざらにある。聖の場合は特にプロ初年度かつ、ポイントを獲得できる大会にはまだ1つしか参加していない。優勝はしたが、オールカマーズで得られるポイントは微々たるものな為、必然的にランキングは低いままだ。とはいえそれでも、ランキング上位、それもトップ50を切った事があるというのは、それだけ多くの大会で活躍した証でもある。実力の証明にはならずとも、その実績は確かなものであるといえるだろう。
それが、
(本当に、不正してるんだろうか)
試合に意識を向けようと努めてはいるものの、どうしてもそのことが頭にチラついてしまう。前日の出来事が無ければ、もっと前向きな気分で試合に臨めただろう。元とはいえ、トップ50を切った実力者と試合できる貴重なチャンスだ。しかし思わぬところでケチがつき、試合に対する緊張感とは異なる別の不安が、聖の中で渦巻いていた。
<仮に不正してるとしても、試合中にできることなンざたかが知れてる。ゴリラの兄貴がいうように、もし相手のインチキ野郎がドーピングをキメてるようなら、そンときゃあ、遠慮なく全力でブチのめしてやりゃ良いンだよ。何度も言ってるが、オメェの場合は事情がちげェ。そこに遠慮を感じるってなら、最初から望ンでなよってハナシだろうが>
アドが強い言葉で聖の闘争心を煽る。こういうやり取りは、これまでにも何度もしている。その度に、聖は自分に出来ることをやりきるのだと、自分に言い聞かせてきた。そしてアドの言う通り、聖は自分の願いを叶える為に、自らの意志で能力を手にしたのだ。ただ一点だけ、気になることがある。
(もし、僕が試合で能力を使ったら、カリルの成長を促すことになるの?)
未来の可能性の撹拌。その言葉の正確な意味を、聖は知らない。初めて能力を使ったときから、恐らくそういうことだろう、という仮説は立てているが、アドやリピカからハッキリそうだと言われたわけではない。自分が
<カスの手伝いなンざゴメンってか? ま、言いてェこた分かるがな。そこも含めて、オメェが判断して、オメェの裁量でやりゃ良いさ。なンつーか、こっち的には別にオメェに手の平で踊って欲しいワケじゃねェ。カッコよくいやァ、オメェの自由意思を侵害する気はねェンだわ>
アドの言葉を、聖は意外に感じた。薄々そういうことなのだろう、とは思っていたが、言葉にされたのは初めてな気がする。能力自体が借り物であるが故に、聖はこれまでなるべく貸主である
(初めからそう言ってくれれば、無駄に迷うこともなかったのに)
<物事には機序ってモンがあらァ>
(機序?)
それをいうなら順序では、と聖が思いかけたところで、スタッフから声がかかる。
<オラ、さっさとブチのめして来い。もしくはブチのめされてきな>
なんだか釈然としない気分のまま、聖はコートへ向かった。
★
Azerbaijan All Comers Final
Zachary Caryl (UZB) VS Hijiri Wakatsuki (JP)
決勝戦が行われるコートに、選手二人が入場する。
天候は曇り、カスピ海方面からは、湿った強い風が吹き抜けてきていた。
対戦相手である日本人プレイヤー若槻について、ザカリア・カリルは早い段階から注目していた。ただしそれは、彼の実力を警戒したから、というようなことではない。カリルから見れば、若槻はプロになりたての、平和ボケしていそうな日本人の少年だ。連続でオールカマーズに参加することから察するに、活動資金面で課題を抱えている可能性が高い。ならば上手いこと懐柔して仲間に引き込み、中東エリアで行われる大会で
(ったく、どいつもこいつも使えねぇ)
だがカリルの目論見は外れてしまう。イヴァニコフが若槻に倒されるという想定外の事態に陥ったからだ。イヴァニコフ、チェティ、そしてカリル。彼らは数年前から、数々の下部大会で結託し、八百長を実行していた。公認されているものとは違う、裏のスポーツギャンブルを利用して、不正な収益を手にしていたのだ。無論、その経営母体が反社会的組織であることは重々承知している。
(チッ、とんだ厄介者だぜ、コイツ)
ラリー戦を展開しながら、カリルは悪態をつく。
テニスのギャンブルで行われる賭け対象は、試合の勝敗だけではない。獲得ゲーム数、トータルスコア、ブレイクポイント数、ウィナー数といった、細かいスタッツを当てることで、より大きな倍率で配当金を得られる仕組みがある。もっとも、表とは違う裏ギャンブルだからこそ、高レートの賭けが成立するわけだが。
(万全を期してクスリまで使わせたってのに、イヴァの野郎)
イヴァニコフが敗退したことで、チェティとの八百長が不可能になってしまった。それでも、最悪チェティが若槻を倒してファイナルに上がってきてくれれば、まだ取り返しようもあった。しかしそのチェティも、同じく若槻の前に敗れてしまい、当初の計画は完全にご破算となる。ケチがついた時点で撤退していれば、損害は最小限に抑えられただろう。だがこともあろうに、チェティが敗退後に若槻を脅迫しようとして失敗する。カリルに弱みを握られているチェティが、自己保身のために余計な真似をしてそれが裏目に出たのだ。
(目先のことに囚われやがって、クソ野郎)
だが悔やんだところで、もうファイナルは始まってしまった。諸々の失敗で発生した損害を少しでも小さくするには、この最終戦をどうコントロールするかにかかっている。若槻のこれまでの試合ぶりを見る限り、カリルは充分勝てると判断した。クスリを使ったイヴァニコフを倒したのは驚きだったが、自分なら足をすくわれることもないだろうというのがカリルの見立てだった。
(勝つのは前提として、問題はスコアだ。理想は6-4、7-5)
関係者を通じ、そのスコアで試合を終えるとマフィアに伝えてある。シナリオ通りに試合を終わらせることが出来れば、絶望的な状況は避けられるはずだ。ひとまずここを乗り切って、次の大会で足りない分を補うのがベストな選択だと、カリルは頭の中で算盤を弾く。
(その為にはまず、イニシアチブを握る)
コートの上で、懸命にボールを打ち合う両者。
手の内を見せず、腹の探り合いのようなラリーが続く。
若槻の打ったボールが、ネットにかかる。
しかし相手は意に介さず、その闘志が衰える様子はない。
(まるで格上相手に挑戦する者、ってツラだな)
その青臭さを、小さく鼻で嗤う。
(そんな風にいられるのも、今のうちだけだ)
出場する試合のグレードはおろか、自身の勝敗さえ意図的にコントロールするようになって数年。かつては世界ランキング50位を突破したことのあるカリルだが、そのラインを超えたときに己の限界を思い知った。下部大会であれば安定して勝てるようになったカリルは、当然さらに上を目指して出場する大会のグレードを上げて挑戦した。しかし、彼を待っていたのは極めて非情な現実だった。それはいっそ、絶望と呼べるものですらあった。
『世界ランキングは、それがそのまま選手の実力を反映しない』
そんな通説は嘘であるかのように、カリルは勝てなかったのだ。
特に、トップ10の選手からは1セットさえ、獲ることができなかった。
(アホらしい。人間じゃねぇんだよ、あいつら)
どこに打っても、何を仕掛けても、平然とボールが返ってくる。
かたや、相手の攻撃はいっそ笑ってしまうほどあっさり決まる。
同じスポーツをやっている気がまるでしない。圧倒的な実力差。
(真面目にやるだけ損だ。意味がねぇ)
負けず嫌いな性格を自負していたカリルだったが、無理だと悟ってからは諦めるのは早かった。さっさと引退して、肩書を客寄せの看板に掲げて、母国でコーチ生活でもするか。そんな風にセカンドキャリアを考え始めた頃、転機となる誘いが舞い込んだ。上を目指して戦うことの意味を見失ったカリルは、軽い気持ちで話を受ける。指定の大会で指定のスコアで負ける。簡単だった。相手と示し合わせていれば、造作もないこと。それでいて普通に勝つよりも実入りが良いのだ。それはまるで、これまでのカリルの努力を報いるために、神が用意してくれたボーナス・ステージに思えた。
(笑えるよな。真面目に上を目指すより稼げるんだから)
開き直ってからは、随分気持ちがラクになった。
(
カリルが他の選手と違ったのは、今でも時おりハイグレードな大会に参加している点だった。上にいくことを諦めていなかった、のではない。あくまで選手としての体裁を保つために、彼の副業を誤魔化す隠れ蓑として参戦していたに過ぎない。その甲斐あってか、彼は自分の腕前を更に磨くことができた。『勝利に拘らない戦い方』で、常に冷静に相手を分析し、試合の流れを正確に読み解く術を身につけていった。
カリルは攻撃のチャンスが訪れても、敢えて攻撃せず様子を見る。
(まずは主導権を握り、試合を支配する。心配いらない。新人プロの扱いなら慣れたもんだ。せいぜい、格上であるオレにリスクを負って向かってこい。それに――)
膠着状態に焦れた聖が、やや強引に攻める、が、再びネットに阻まれてしまう。
(いざとなれば、奥の手はある)
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます