第100話 「素顔のかけら」

 何も映さない、虚ろな瞳


 両の鼻から垂れ落ちる、血の雫


 汗ばんだ白い肌に張り付いた、黒い髪


 死んでいるのではと思ったほど、冷たい身体


――試合は終わり。失せなさい


 凶兆と不気味さをたたえた、無慈悲な金瞳きんどう


 思い浮かぶのは、どれもがそんな不吉なイメージばかり。



<ようやく出番だなァ? オマエの双肩に、チームの勝敗がかかってるぜ?>

 アドがいつもの調子で、聖を煽ってプレッシャーをかけてくる。


(あの兄妹、大丈夫かな)

<知るか。ンなこと心配してる場合か?>

 見事な大逆転を演じ、勝利を手中に収めた蓮司とミヤビ。しかしその結末は、マッチポイントが決まると同時に、対戦相手が意識を失うという後味の悪い形で幕を引いた。すぐさま医療スタッフが駆けつけ、搬送されたロックフォート兄妹。次の試合に入らなければならなかった聖は、彼らの容態について詳しく知らない。


<な~ンか、色々と関連付けたくなる気持ちは分かるけどよ、オメェがやらなきゃならねェことは至ってシンプルだ。違うか? ガキのクセに余計な事ゴチャゴチャ考えてっと、将来ハゲるぞ>

(分かってるよ)


 先にコートで待っていた聖に遅れて、対戦相手の弖虎・モノストーンが姿を現した。黒い髪に、白色人種コーカソイド特有の透明感のある白い肌。表情のせいか、それとも彼自身が持つ生来のものか、かもしだす雰囲気は、どこか厭世的で覇気が無い。しかしそれでも、以前より逞しくなった身体つきが、底のしれない迫力を聖に感じさせた。


<根暗のクセに、偉そうなツラしてやがンなァ。負けたクセによ>

(いや、勝ってないよ。途中で終ったじゃないか)

<バコり散らかして自滅した挙句、鼻血噴いてブッ倒れたンだ。こっちの勝ちに決まってンだろ~が。やーい根暗負け犬、ベ~ロベ~ロバ~>

 アドは弖虎から見えないのを良いことに、幼稚な煽りをこれでもかというぐらい披露する。いざこれから自分が戦おうという相手に、見えないからといってその態度はどうなんだと思う聖。しかし最近、聖はアドがこういう態度であることに、何かしら意味があるのではないかと思うようになってきていた。以前から、アドの露悪的な態度には感心こそしないものの、不思議と不快感を抱かない。何か本心を隠しているような、悟られまいとしているような、そんな気がしてならないのだ。それに、何が起きてもこのマイペースっぷりを崩さない姿勢には、学ぶところがあると感じなくもない。


<なンか、上から目線のクソ生意気な雰囲気を感じンだが、今は不問にしてやらァ>

(悪いけど、集中させてもらうよ)

<勝手にしろ、ボケナス。負けたらボウズだかンな>


 なんでだよとツッコミを入れる前に、アドとのリンクが切れる。会場の雰囲気は落ち着いたようだが、期待や興奮といった空気感とはほど遠いように感じられた。チームの勝敗数は一勝二敗と未だ劣勢。ここで聖が敗ければ、その時点で試合の決着がついてしまう。


「お待たせしました。試合を再開します」

 主審が会場へ向けて全体アナウンスを行うと、誰ともなく拍手が起こった。気を取り直して勝敗を見届けよう、そういう気持ちが込められた拍手だ。聖は小さく深呼吸し、気持ちを整える。少なくとも、彼らはお金を払って試合を観に来ているのだ。自分はまだプロではないにせよ、観客の期待に応えられるような試合をしなければと、自分に言い聞かせる。


「では、トスを行います」

 聖と弖虎、そして主審の三名がコートに揃う。聖が弖虎に視線を向けると、応じるように弖虎も聖を見る。だが、どちらも言葉を発さない。日本で合宿をともにしているため、顔見知りではあるが、友達ではない。なにより、これから雌雄を決するべく戦うのだ。変に馴れ合うような態度はおかしいだろう。本音を言えば、聖はあの試合の後のことを尋ねてみたかったが、今はそういう気持ちに一旦蓋をして、目の前の試合に集中しようと心に決める。


「Head or Tail?」

Headおもて

Tailうら


 小さな音とともにコインが宙を舞い、コートに落ちて何度か弾む。


 チームの勝敗をかけた第四試合が、幕をあけた。


           ★


「メグ、いいじゃないそんなの。廃棄にしちゃえば」

 アメリカチームの女子シングルスを担う選手、カタリナ・ルージュ・ウーイッグは、大会の為に特設された治療室で、尊大な態度を隠そうともせず言い放った。壁に背を預けてもたれかかり、腕を組んだままの彼女に、医療スタッフは誰一人として目を合わせない。彼らは2台のベッドを中心に忙しなく動き回り、そのなかには、白衣を着たメグ・アーヴィングの姿もあった。


「そもそも、イタリア戦で異常が見つかった時点で、さっさとメンバーを変えるべきだったでしょうに。いくらこれまでで一番質の良い素体だからって、アーキアとの適合率が悪かったら話にならないじゃないの。弖虎にしたってそう。見込み違いじゃないの?」

 まったくこれだから大人は、とでも言いたげに、カタリナは呆れた様子でわざとらしい溜息を吐く。その態度は彼女自身の高いプライドと、生まれ育ちの高貴さを示すとともに、自分以外の全てを見下す傲慢な性格がよく表れていた。


「ひと先ず、可能な限り延命を優先して。アーキアは自然治癒力の促進補助に回せば良い。それから、PLEの測定と観察を並行して実施なさい。損傷率はモニタしてるでしょう? 逐次、データを私宛てに送って」


 スタッフへ矢継ぎ早に指示を飛ばしていたアーヴィングが、ひと段落したらしく一旦その場を離れる。ベッドの上に横たわるロックフォート兄妹は、目を閉じ気を失ったまま。生きてはいるが、果たして、もう一度使いものになるかは、まったくの未知数だった。


「ねぇ、メグ」

「カタリナ、貴女が口を挟むことじゃない」

 治療室をあとにしようとするアーヴィングに、カタリナが不満を漏らす。


「試合はどうする気? 別に、アーキアが無くても勝てるでしょうけど」

「少なくとも貴女はダメ」

「弖虎は? 最初にやらかしてるのはアイツでしょ」

「様子を見て判断する。戻りなさい」

 アーヴィングの態度に肩をすくめるカタリナ。

 アーヴィングは不満そうなカタリナを無視し、足早に執務室へ戻っていく。

 その後ろ姿を、頬を膨らませて眺めるカタリナ。


「やれやれ、化けの皮が剝がれてきた? 案外、小物かもね」


 離れていく背中に向けて、嘲るように呟くと、カタリナも踵を返した。


           ★


 対戦相手である聖の顔を、弖虎はあまりよく覚えていなかった。アーキアの動作不良によって意識が途絶えた影響で、日本で参加した合宿の記憶そのものが欠落していた。アーキアによって起こる副作用は多岐に渡るが、記憶障害は特徴的なものの一つに数えられるため、弖虎はどうでも良いことだと気にも留めていなかった。


(へェ、やるじゃん。日本人にしては)

 激しいラリー戦を展開する弖虎は、対戦相手の予想外の実力に、素直な賞賛を胸中で送った。殆ど記憶に無いが、自分はどうやらこの日本人に負けたらしい。体格といい攻撃センスといい、なかなか良いものを持っているなと弖虎は聖を評価する。


(けどまァ、一度勝ってるなンて思われンのは癪だな)

 弖虎の攻撃に、一歩も引かない聖。その態度から相手の強い戦意を感じ取った弖虎は、更に攻撃のテンポを上げた。ボールの打感、指先から手首に感じる振動、筋肉のしなり具合、目に映るあらゆる情報、呼吸の深さと体重のバランス。それらすべてが調和するように噛み合い、滑らかな動きでもって強烈な攻撃を成立させていく。自身の感覚の良さを実感し、弖虎は更にギアを上げる。ベースライン後方から、目の覚めるような一撃をお見舞いし、鮮やかにポイントを奪ってみせた。その見事なプレーに、会場から歓声があがる。


(ったく、くだらねェ。いつまでやらすンだ、こンなこと)

 自分に向けられた賞賛の声や、万能感にも近い身体の動きとは裏腹に、弖虎の心は冷えたまま。こんなことは、出来て当たり前だ。普通に努力して普通にスポーツをしてる人間が、自分に勝てるはずがない。彼らが命を削って一生懸命努力したところで、命そのものを捧げてしまった自分に勝てる道理など、ひとつとして無い。


(茶番もいいとこだぜ。さっさと済ませろってンだ、クソババア)

 ポイントを取れば取るほど、ゲームを取れば取るほど、弖虎のなかで苛々が募ってゆく。わざわざこんな手順を踏まなければならないのはなぜなのか、理解できない。無論、理屈は聞いている。結局のところ、この身体に宿したアーキアと呼ばれるナノマシンは、まだ未完成なのだ。それを完成に近づけるには、より多くの実践研究が必要で、その為には金がかかる。研究施設に引きこもってのデータ取得では、資金の調達が間に合わない。多少のリスクを負ってでも外の大会に参加するのは、言ってしまえば金のため。それはそれで金はかかるだろうが、研究期間を短縮できるメリットはかなり大きいようだ。研究のためのモルモットに芸を仕込んで、金を儲けさせる。まったくもって、合理主義のアメリカ様らしいなと弖虎は自嘲気味に笑った。


 弖虎が立て続けにゲームを奪い、カウントが3-0となる。

 チェンジコートを迎え、選手二人は一旦ベンチに腰かけた。


 弖虎はふと、対戦相手の顔を見る。東洋人だからそう思うのか、幼く優し気な顔つきをしている。息を切らし、必死に負けまいと戦う姿は健気そのもの。もし彼をテレビ中継などで見掛けたなら、多くの人がなんとなく彼の応援をすることだろう。プロを目指して懸命に努力する、若きジュニア選手。可能性と希望に満ちた、未来を期待される者。


(分かってンのか? 結局、行きつく先はバカどもを喜ばすための見世物ピエロだぜ)

 正午を越え、徐々に陽は傾きつつあるが、未だコートの上は蒸し暑い。

 だというのに、弖虎は水分補給すらせず、ベンチから立ち上がる。


(お前等はなンで、プロ選手になンかなりてェンだ?)

 ボールを受け取りながら、弖虎はぼんやりと疑問を浮かべる。こんなくだらない茶番に、必死になって挑もうとする彼らの気持ちが分からない。自分の強さを証明したいのだとすれば、とんだ勘違いだ。スポーツの勝敗など、選手の実力以外のところで決まる。プロスポーツは特にそういうもの。中には、純粋で尊い勝負の場もあるかもしれない。だが、今のこのご時世、そんなものは幻想といっても過言ではない。持ち得る者が、勝つべくして勝つ。持たざる者が、負けるべくして負ける。その残酷な現実を、さも平等な勝負であるかのように演出し、価値のあるものだと思わされているに過ぎない。


(世間知らずなだけか。ご愁傷様)


 心が冷えて渇いてゆくのを感じながら、弖虎は相手のトスを眺めていた。


           ★


(クソ、やっぱり強い……!)

 弖虎の強さは、聖の想定を超えていた。


(前に戦った時は、あのライン際に連続で叩き込むストローク、あれを安定させるため序盤は調整していた。でも今回は、最初から照準が合ってるみたいだ。しかも、テンポが以前よりも早くなってる)

 ラリー戦は聖も得意な方だが、引くまいとすればするほど、弖虎の攻撃は苛烈さを増す。このままではまずいと、前回の試合で効果のあったスライスを織り交ぜるようにしたが、弖虎は戸惑うどころか逆に勢いに乗ってしまった。聖がそうするのを待っていたのかもしれない。あっという間にゲームを3連取され、聖は劣勢に回る。幸い、まだ試合は序盤。ここで食らいつけばまだどうしようもある。逆に言えば、ここで突き放されると一気に苦しくなってしまう。


(ラリー戦もダメ、スライスも対応される、となると……)

 聖は次の手を考える。すぐに別の戦術を思いつくが、弖虎の強力なストロークを考えると、かなりリスキーかもしれない。だが少しでもプレッシャーを与えることが出来れば、彼の精度の高いストロークにくさびを打ち込める可能性もある。


(迷ってる場合じゃない。やれる時にやらないと)

 聖は腹を括り、狙いを定める。スピードよりも確率。威力よりも回転を重視。

 大切なのは、相手を崩したうえで時間を作ること。トスをあげ、一気に振り抜く。


(行くぞッ!)

 ラケットでボールを捉えた瞬間、手応えを感じると同時に聖は距離を詰める。


 電光石火の先手必勝サーブ&ボレー


 狙いは弖虎の身体側ボディ

 非利き手バック側から利き手フォア側へ軌道を変える逆回転スライス


(ドンピシャ、狙い通り!)

 聖は着弾と同時に速度を落とし、リターンに備える。常に強気な攻撃をしてくる弖虎のスタイルを考えれば、パッシングで抜いてくる可能性が高い。次点で聖の身体を狙うボディショットもあるだろう。ややオープン気味の自陣左側アドサイド、自分がいる狭い自陣右側デュースサイド、そして身体の三方向どこに来ても反応できるよう、聖は重心を下げる。


(来いッ!)

 弖虎の強烈な一撃を想定し、聖は迎撃の構えをとる。

 だが、弖虎は全ての予想を裏切り、ラケット面を合わせて返球した。


 高く弧を描く一打ロビング・リターン


(――やられたッ!)

 サーブ&ボレーをする際に最も警戒するべきロビングだが、弖虎がその選択をとるのは聖にとって完全に予想外だった。重心を下げたことが裏目に出てしまい、一拍遅れてボールを追うが間に合わない。傍目から見れば、速度を落としたサーブで前に出た挙句、いとも簡単に頭上を抜かれてしまった形だ。いくら弖虎のプレッシャーが強いとはいえ、初歩的なミスをやらかしたものだと、聖は情けなくなる。


(なんだよ、今日はやけに冷静じゃない……か?)

 聖は悔しさと恨めしさから、弖虎に視線を向ける。すると、その場で立ち尽くす弖虎の姿があった。てっきり、つまらなさそうにしてさっさと次のポイントに備えていると思ったが、彼はまるで自分のリターンが信じられないと言った様子できょとんとしていた。


(? なんだ?)

 狙い通りでは無かったのか、はたまたなにか違和感があったのか。聖には知る由もないが、少しのあいだ、弖虎は自分のラケットを見つめていた。そしてすぐ、自嘲気味に口元を歪ませると、いつものどこか覇気のない雰囲気に戻った。


(なん、だったんだ……?)

 弖虎の見せた様子が、やけに引っかかる聖。

 そしてそれが、初めて彼の表情らしい表情を見たせいだと気付く。


(でも、それの一体、なにが意外なんだ?)

 違和感や不自然さと呼ぶには、弖虎が見せた表情はあまりに些細なものだ。しかし以前目にした、凶兆と不吉さを併せ持つ気配とは、まるで違った気がする。大げさにいうなら、聖はさきほどの一瞬、初めて弖虎の顔をハッキリみたような気がした。年相応の、微かにあどけなさを残した、普通の表情。


 その意味を、聖はどう受け止めたら良いのか、分からなかった。


                                 続く

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