第60話 「ツインフォア・ツインズ」

 国際ジュニア団体戦

 Dブロック 日本 対 イタリア

 第一試合 男子ダブルス 日本1-2イタリア(7-5、6-7、6-4)


 最初に勝利を挙げたイタリアの2人がチームベンチに戻っていく。ひと先ず役目を終えたロシューだが、勝利に気を緩めた様子はない。労いの言葉を口にする仲間たちに向けて、視力の戻らない片方の目を開いたまま、いつものように無愛想な態度で問い掛けた。


「首尾は?」

 自分たちが勝ったことなどどうでも良さそうに、短くいう。


「確保した。今、外の連中に任せている」

 ティッキーが答え、ロシューはそうかとだけつぶやいてベンチに入ると、奥で着替えを始める。リーチが慌てた様子で「目は冷やした方が良いんですかね? それともまず医務室へ?」と世話を焼こうとするが、ロシューは鬱陶しそうな表情を浮かべてあしらっていた。


(まったく、大した男だ)

 テニスの腕前を見込んでティッキーが仲間に引き入れたこの男は、出会った当初こそ不良と変わらない素行の悪さだった。それが今では、テニス選手としての実力は勿論のこと、荒事にも動じずティッキーのもとで力を貸してくれている。年下の女であるティッキーにプライドをへし折られるという最悪の出会い方をした2人だったが、ロシューの高いプライドは安易な仕返しを選ばなかった。まずは腕を磨き、然るべき時に真正面から雪辱を晴らそうとするだろう。男女という性差がある以上、ティッキーの敗北は避けられないだろうが、この男に敗けるならそれも悪くないなと彼女は密かに思う。無論、簡単にやられてやるつもりは毛頭なかったが。


「ぃよォし!ンじゃあ行ってくるぜ!」

 オレンジ色のバンダナを巻いた少女、ギル・エアロスが、細い身体に燃え盛る夕焼けのように獰猛な闘志を漲らせて気炎を吐く。その横では彼女と対照的に、夜の闇にも似た静謐な雰囲気と、冬の冷たい月明かりのように美しい銀髪をしたレオナ・ムーディが並び立つ。


「念のため外のメンバーを数名、スタジアム内に潜ませました。万が一また直接的な攻撃がきても、今度はもっと早く捕らえられます。発見次第、即座に大会運営へ連絡します」

 ジオが女性2人を安心させるよう、優し気にいう。しかしムーディがそのとび色の瞳に怒りの色を浮かべながら、冷たく言い放った。


「余計なことはするなよ。もし妨害行為の存在を理由に大会運営が余計な判断をしたらどうするつもりだ。妨害した連中だけを断罪してくれるとは限らない。火種を持ち込んだとかなんとか因縁をつけられる可能性もある。仮に妨害してきても、排除するだけでいい。運営の助力など求めるな」

 ムーディの一方的な言葉に、ジオは不服そうな表情を浮かべる。反論を試みようと口を開きかけたが、結局は言葉を飲み込み、判りましたと不承不承につぶやいた。その様子を見ていたティッキーが、さり気なくジオをフォローする。


「妨害の規模による。無いとは思うが、本当に命の危険を脅かすような手段に出てくるようなら、私はお前たちの安全を優先する。だが逆をいえば、そうでないと判断した場合は続行させる。いいな」

 ムーディはティッキーの言葉に、渋々ながらも頷いてみせる。


(やれやれ、大物政治家の娘とギャングの息子。まさに水と油か)

 人知れず胸中で嘆息するティッキー。致し方ないこととはいえ、ムーディにはもう少しジオに対して歩み寄って欲しいところだが、それも難しい。もし2人が男同士だったら、常に殴り合いの喧嘩が始まってもおかしくない。2人のぎくしゃくした関係は、正直いってティッキーの頭痛の種でもあった。


 第2試合の準備を促すアナウンスが流れ、女子ダブルスの2人はベンチを後にする。


「頼むぞ、ギル、ムーディ」

 気持ちに蓋をするように、ティッキーは2人を送り出した。


           ★


「すまねぇ! つえーんだわアイツら!」

 しかめっ面で戻ってきた日本ペアを、メンバーは温かく労いながら迎えた。優勢で試合を進行してはいたが、イタリアペアの気迫は見ていた者なら分かるほど強烈だった。手堅く勝利が得られそうな男子ダブルスでの敗戦は想定外だが、勝負に絶対は無い。


「うぉぉぉん! うぉぉぉん!」

 両手を合わせてチームメイトに謝罪するマサキをよそに、デカリョウは戻ってくるなりバッグを開けてタッパーから巨大なおにぎりを取り出すと、泣きながらむさぼり始めた。一体どこで用意したのか、大きさはソフトボールぐらいある。


<お、おにぎり、お、お、おいしいんだなぁ、とか言いそうだなコイツ>

 アドのよくわからない感想を聞き流し、ひじりはマサキに声をかけた。


「お疲れさま。相手、強かったね。デカリョウのサーブをあんな前で取るなんて」

「ぐおおお! おえあおっおいっあいいええあああ!」

 聖の言葉に反応したデカリョウが、口いっぱいに米粒を含みながらいう。


「なんて?」

「オレがもっとしっかりしてれば、ってよ」

「よくやってたと思うけどなぁ」

「付け入る隙はあったさ。だけど、気迫に押されてちまった」

「気合い負け、か」

「そんなとこ。負け惜しみにしかならないが、地力だけならこっちが上だったと思う。でもなんつーか、勝負に対する覚悟の質がまったく違った」

「覚悟の質?」


 なんつーかなぁ、とつぶやいたきり、マサキは黙ってしまう。


「モチベーションが違うんでしょ」

 桐澤姉妹の姉、雪菜が腕を伸ばすストレッチをしながらいう。ウェアはエメラルドグリーンを基調とした可愛らしいデザインで、頭の右側に同系色のリボンをつけサイドテールを結んでいる。


「うちの2人は優しすぎるんだよ」

 男子ペアへのフォローを妹の雪乃が口にする。ウェアのデザインは雪菜と同じだが、こちらは色違いのコバルトブルーで、サイドテールは左に結っている。みどりあお。それが2人のフェイバリットカラーのようだ。


「ま、お手本を見せてやりますか」

「やりますか~」


 いつもの調子でそういって、双子のペアはベンチを後にした。


           ★


「はァ~ン? 同じ顔が2つ並んでらぁ。クローンか?」

「お生憎様、一卵性双生児です。幼稚園児アジロニーロには難しいかな?」

「あァ!? 誰が幼稚園児だコピー人形!」

「よせ、ギル。すまないな、うちのが」

「お姉さんは大人ですね。それとも、お母さんかな~?」

「なにぃ?」

「両ペア、口を謹んで。あまり酷いとペナルティを課します」

 ネットを挟んでさっそくイタリアペアから舌戦を仕掛けられ、負けじと応対する桐澤ペア。そのまま派手な罵り合いが始まりそうな剣呑な雰囲気になるが、すぐさま主審が注意して、仕方なく両ペアとも口を閉じる。


<いや~、女子ってコエ~な~。男よりよっぽど血の気が多いじゃねェか>

 セリフの割に嬉しそうな声色でいうアド。普段、ATCアリテニではムードメーカーな2人だが、試合形式の練習では相手が誰であろうと容赦しない。そういえば、5月に参加した団体戦でも、素人の中学生相手に一切手を抜かず打ちのめしていた。


「勝負に対するモチベーションの高さは、桐澤姉妹から学ぶことは多いかもね」

 コート上のやり取りを見ていたミヤビが、笑いをこらえながらいう。


「負けず嫌いでいうならあの2人はナツメと張るよな」

 奏芽かなめが少し茶化すようにして、ナツメを引き合いに出す。


「オイ、あたしはあんな挑発いわねーぞ」

 低い声で凄むナツメに、奏芽はすぐさま冗談だよといって降参する。


「やっぱり、負けん気の強さって大事なのかな」

 素朴な疑問を口にする聖。すると、何を当たり前のことを言ってるんだと、チームメイトたちから総ツッコミを食らってしまう。どうやら、負けず嫌いであることはスポーツ選手にとって言うまでもなく重要なことらしい。


「ま、聖も確かに根が優しいからなぁ。プロ目指すんだったら、あの2人の試合は参考になるぜ。ガチでやりあう勝負の場でのメンタリティはすげぇから」

「あの2人可愛い顔してるけど、中身は鬼もかくやだから。試合のときは特に」

 奏芽とミヤビがそれぞれ双子への評価を口にする。


「それはミヤビも一緒じゃん」

 蓮司れんじが珍しく、冗談を口にする。少し得意げな顔をしていて、本人としては上手いこといじってやったつもりなのだろう。


「え? 蓮司はキナ・キノの方が好み? あたしよりあっちが好き?」

「なんだよ、おめー双子を両手にはべらせたかったのか? 意外と男じゃん」

「え~?! レンレンあたしは〜? あたしは可愛い~?」

「なっ」

 蓮司の言葉に動じることなくミヤビが言い返し、ナツメとスズナが追撃を食らわせる。あっさりカウンターとトドメを食らった蓮司は、言葉を失い赤面してしまう。軽率に藪をつついたら、蛇どころかドラゴンやら鬼やらが出てきてしまった。


<ここの女ども、良い性格してンなァ>

 内心でアドに同意しつつ、聖は冗談でも彼女たちをいじったりすまいと心に誓った。


           ★


 国際ジュニア団体戦

 Dブロック 日本 対 イタリア

 第2試合 女子ダブルス

 桐澤雪菜&桐澤雪乃 VS ギル・エアロス&レオナ・ムーディ


 キノが放ったサーブは、無回転フラットに少しスライス回転を加えたクセの無いもの。矢を射るように正確な軌道で、狙った場所へとボールが飛んでいく。サーブを打った直後から、キノは草原で敵襲に備える草食獣のように、広い視野で相手2人の挙動をつぶさに観察する。


(反応、良し)

 リターナーの反応速度、バランス、リズム、タイミングは勿論のこと。相手の前衛がボールと関わっていない時間にどう動くかまでを、余さず観察して情報を頭に入力していく。相手2人の情報について調べたが、生憎と公式戦でこのペアが参加した記録は見つからなかった。試合をしながら、クセや戦術パターンを解析していく必要がある。


(位置取り、良し)

 ムーディが放ったリターンは、彼女の体格に見合う強力なもの。海外の女子選手らしい、実にパワフルなものだ。今後もっと身体が仕上がっていけば、そんじょそこらの男子をゆうに越えてくるだろう。


(威力、良し。1stでも叩けるなら攻撃してくるのね)

 キノが打ったサーブは決して甘くないが、ムーディからすれば打ち頃の速度。リターンは強く鋭く、威力はキノのサーブと遜色無い。2ndになればより強力な一撃が待っていると考えても良いだろうと、キノは頭の中の戦略ノートへ書き込んでいく。


(悪ガキちゃんは、良い子にステイか。ま、出だしだもんね)

 前衛のギルが強襲攻撃ポーチプレーに出ないことを察したキノは、ひとまず手堅くクロスへ返球。敵陣のコートの端っこアレー・コートへ正確に着弾させる。深さ、高さ、申し分ない。ムーディはそれを、再びキノがいるクロスへ同じように打ち返す。まるでボクサーがジャブを使い、お互いの間合いを計るようなやり取りが続く。


(威勢の割りに、二人とも冷静だ)

 てっきり初っ端からガンガン攻撃してくるだろうかと思っていたが、キノの予想に反し立ち上がりは実にクレバーな雰囲気だ。お互いにお互いが攻撃し辛い展開を作り出し、出方をうかがっている。だが次の瞬間、きっかけが訪れた。


(! よし)

 キノの打ったボールが、敵陣のラインの上に落ちてわずかに滑る。小さな流れの揺らぎを、キノは見逃さない。少し当たり損ねたムーディの返球が甘くなった。不意に訪れたささやかなチャンスを利用し、キノは角度をつけたショートクロスへ速球を打つ。それを接近の為の一打アプローチショットとし、同時にネット前へと距離を詰める。妹のキナとほぼ横並びするような陣形となり、平行陣ツー・トップを形成。


 予測不能なイレギュラーバウンドによって相手にチャンスを与えてしまったムーディは、角度のついた速球を打たれやや外に追い出される。彼女の身体能力をもってすればすぐにリカバリーできたが、あえてそれをせず、ボールを自分の届くギリギリの範囲で捉えた。長い手足を有効に使い、バランスの崩壊を最小限に留めながら、体勢を保つ。


(来るか?)

 警戒を強めるキノ。コートの外側へとボールを運んだ場合、相手を外に追い出し、バランスと陣形を崩すことが期待できる。しかしその一方で、相手はさらに角度のついた返球をし易くなってしまう。甘くなった相手の返球は日本ペアにとって幸運であったと同時に、相手がリスクを負って反撃に転じるリスクを同時に孕んでいるのだ。チャンスはピンチと表裏一体。逆もまた然り。


 だが、ムーディは無理な反撃には転じず、キノがネット前へと詰めたことで広くなった日本ペアの後ろに、絶妙なタイミングとコントロールでロブを放つ。守勢に回るでもリスクを負うでもない。相手の警戒の虚を突いた妙手だった。


(上手い)

 前衛のキナは、瞬時にそのロブの高さが自分の守備範囲外であると見切る。ムーディが優れていたのは、スイングのギリギリまで何をどこへ打つのか相手に悟らせないその隠匿技術マスキング・スキルの高さ。


 だが、前面平行陣ツー・トップを形成するうえでロブの警戒は必須事項。外側へ接近の為の一打アプローチショットを放ったキノは、当然のことながらクロス、センター、ストレートの3パターンを想定したポジショニングをしている。ロブが上がった瞬間、桐澤姉妹はお互いに何の合図もせず、しかし完璧なタイミングでポジションチェンジ。2人がコートの上で交差する一瞬、キノは右手に持っていたラケットを左手に持ち替える・・・・・・・・


 見事にコントロールされたムーディのロブに対し、キノは最短で落下点へ入る。まるでコートの上にマーカーでも表示されているかのように、正確な足取りで移動。到着と同時に彼女は地面を蹴って、コートの外へ向けて斜め方向に跳躍。


 斜飛の粉砕する一撃ブロード・スマッシュ


 オーソドックスなスタイルとは異なる、斜め方向に跳躍しながらのスマッシュは、イタリアペアの2人が立つど真ん中を貫いた。ムーディが狙ったロブは、相手が右利きならテニスの中でも非常に難易度が高いとされる非利き手の高い打点バック・ハイで処理せざるを得ない絶妙な配球となるはずだった。しかし、キノは両利きである己の特性を活かし、瞬時にラケットを持ち替え、左手の利き手側フォアハンドへスイッチすることで、難しいバック・ハイをフォアとして処理したのだ。


 両利き手ツインフォア・の双子ツインズ


 既に海外でも活躍している日本女子ジュニア屈指の2人を、周囲はそう呼ぶ。


 続くポイントでも、桐澤姉妹はセオリーに忠実なプレーを軸にしながら、要所でフォアをスイッチする。そうすることで相手の機先を制し、常に先手を取ってあっという間にファーストゲームをキープしてみせた。



「チッ、めんどくせぇなー、アレ」

 ギルが桐澤姉妹を睨みつけながら独り言ちる。

「聞きしに勝るとはこのことだ。相当に厄介だぞ」

 ムーディも同じように、日本の2人へ視線を向けながら頷く。利き手の持ち替えをあの姉妹は自在に駆使する。しかも常にフォアで打つのではなく、相手がもっとも嫌がる場面を正確に読み取ってから使用してくるのだ。さっきまで非利き手側バックハンドだったのに、突然利き手側フォアハンドに変わるのは、対戦相手が突然変わったかのような錯覚さえ憶えてしまう。噂に聞いて知ってはいたが、聞くと見るとでは大違いだ。


「にしても、お行儀の良いテニスしやがるなぁ、日本人は」

「あぁ、セオリーに忠実だ。私らとは違う・・・・・・

「んじゃあ次はこっちの番、だよな?」

「当然だ。そう簡単に勢いづかせてたまるか」


 第2ゲーム。イタリアペアはムーディのサーブ。


「え?」

 相手の立ち位置を見て、驚きの表情を浮かべる桐澤姉妹。サーバーのムーディがコートのほぼ中央センターに立っている。そしてなによりも、前衛であるギルの立ち位置もほぼ中央センター。自陣サービスラインを跨ぐようにして片膝をつき、ネットに身を隠すぐらいの低い姿勢で、2人が一直線に並んで立っている。


 アイ・フォーメーション


 縦に並んだその陣形は、勝利への道筋を示すかのように、真っ直ぐ歪みなく伸びていた。


                                 続く

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