第45話 「ミヤビのお願い」

「えーっと、アメリカ合衆国のフロリダ州マイアミガーデンズにあるスタジアム。元はアメリカンフットボールのスタジアムとして建設されていて、野球場としても使用していた。設立当初は野球チームのオーナーの名前を冠した名称だったが、数々の変更を経て現在はハンバーガーを中心にした飲食事業を手掛ける『ハードロックカフェ』が買い取り、名称が『ハードロック・スタジアム』になった、だってさ」


「別に会場の成り立ちになんざ興味ねェよ。つーか、オメェがどこに試合へ出向こうがオレの知ったこっちゃねェの。あぁ、クッソ出ねェな。もう20回は失敗してるぞ。ホントにコイツから源氏装備盗めンのか? ガセだったら許さねェ」


 エアコンを効かせた自室で、タブレット型端末に表示された記事を読み上げるひじり。今度行われる国際ジュニア団体戦の試合会場について、事前の下調べをしていた。こういう作業は一人で黙々と調べるより、雑談を挟みながらの方が捗ると思って聖はアドに話しかけているのだが、少年の姿を現しているアドはゲームに夢中で、真面目に話を聞こうとしない。


「東京からマイアミまでの飛行機代だけでも片道20万ぐらい。試合の開催期間は2週間だけど、準備とか調整やらなんやらで10日前には現地入りするらしいから滞在期間は約3週間。つまりホテル代とかもその分増える。もし大会で優勝できれば賞金が出るから、考えなくても良いといえば良いけど……」


「はァ~? おめェは一応あのクソデカセレブなスポーツクラブのエリート組だろ~? 選手の大会遠征費ぐれェ出してくンねェのか? エラソーな箱モノ構えてるクセして随分とケチだなオイ。これセーブのタイミングミスったら詰むンじゃね?」


「そこら辺、色々聞いたんだ。ATCアリテニは一応、国の支援を受けてるテニスアカデミーだけど、基本的な経営は民間企業と同じなんだって。そりゃ他のテニススクールとかとは全然違うみたいだけど、だからって慈善事業じゃないからさ。積極的に選手の支援はしてくれるけど、なんだかんだ色々条件があるんだよ。要約すると『結果次第』ってことらしい。申請すれば最悪立て替えてくれるらしいけど、手数料は取られるんだ。最終的にお金自体が戻ってくるんだとしても、一旦持ち出しであることには変わらないってさ。教えてもらった経費の金額も、かなり割引を利かせて減額されてるらしいんだけどね」


「はン、スポーツ選手らしくなってきたなァ? 勝てば官軍、負ければ賊軍ってな」


「親にも言ったけど、さすがに全部は頼めないからさ。八月は試合に出るだけじゃなくて、選手外活動サイド・ジョブで稼いでおかないといけない。幸い、ATCアリテニのメンバーと情報交換してあれこれ予定は組めたよ。少しでも足しにしておかないと。勿論、普通にアルバイトするよりはちょっと多めに稼げる、程度のものらしいけど」


「おーおー、働け働け。労働を知ってこの世の中がどれだけ大人達の頑張りによって作られているのかを思い知れ。親の金でのんきに学校行きながらテニスで青春してる自分がいかに恵まれた環境にいるのか自覚しろ。世間の、厳しさを、知りなッ! クッソまたダメだ何回やり直せば良いンだよこのボケ! 本当に小数点以下の確率で成功すンだろうな?!」


 ゲームしながら偉そうに文句を垂れてる少年の後ろ姿を見ながら、聖はげんなりした表情を浮かべるのだった。



「はーい、それでは今日は以上です! ご参加ありがとうございましたっ!」

 とびっきりの笑顔と爽やかさを全開にして、ミヤビが元気よく締めの挨拶をする。額に汗で濡れた髪が張り付き、白いウェアは肌を透かすほどの文字通り汗だくといった姿だが、不思議と不潔さは感じられない。ミヤビの姿には、森の小さな泉で水遊びでもしたかのような清々しさがある。インドアコートの明かり窓から八月の西日が差し込んで、彼女の周りを美しく照らしていた。


「ミヤビちゃんありがとう、若槻わかつきくんも頑張ってね~」

「あの~、写真お願いしたいんですけど」

「今日の動画、SNSにアップしていいですか?」

「若槻くん、今度コート取るから遊びにきてよ」


 別れ際に挨拶していくのは老若男女さまざまなテニス愛好家たちだ。今日はミヤビの手伝いで、彼女が主催したヒッティングイベントに聖はアシスタントとして参加している。話を聞いた当初は、自分にコーチの手伝いなどできるかと不安になったが、レッスンではなくあくまで交流目的のイベントだから心配ないとのことだった。プロではないものの、現役の学生選手と一緒にプレーできるということもあって人気のイベントらしい。無論、人気なのはミヤビだからだろうというのは言わずもがなである。


「お疲れさま〜、助かっちゃった。急なお願いだったのにありがとね」

 片付けをひと段落させると、ミヤビが礼を口にした。普段から人当たりの良い彼女だが、その屈託ない笑顔を無防備なときに向けられると、社交辞令だと分かっていてもドキっとしてしまう。


「いえ、とんでもないです。ミヤビさんのお陰でやりやすかったですよ」

「聖くんコーチ向いてる気がするな。優しいし、気遣いできるし」

人妻オバサンにモテそ~>

「いやぁ、あはは……は?」

「え? どうしたの?」

「あぁいえ、別に! なんでも」

「ね、このあと予定ある?」

<アフターのお誘いキター!!>

「いえ、特には。自主練しようかなとは思ってましたけど」

「自主練? オーバーワークになっちゃうよ。アマチュア相手のヒッティングイベントだけど、朝からだったしきっと思ってるより疲れてると思うから。それよりさ、泳がない?」

「泳ぐ?」


 ミヤビの突然の提案が意味するところを、聖はすぐに理解できなかった。




<正直に答えやがれ。テメェ、お嬢と二人っきりでプールに行ったことは?>

「ナイデス」

<つまりこれは、オメェにとって人生初の水着デートってこったな?>

「ハイ」

<オレも鬼じゃねェ。極力邪魔はしねェからしっかりやれ・・・・・・。いいな?>

「ワカリマシタ」


 聖は内心で何をだよとツッコミを入れていたが、状況が状況で正常な判断を著しく欠いていた。理性では自分の思い人はあくまでハルナで、ミヤビに特別な感情を抱いていないということは確認できている。だが、理性は理性。人間は所詮、感情の生き物である。いくらこれまでハルナ一途できていたとしても、状況が、感情が今までの積み重ねをひっくり返してしまうことは充分に考えられる。高一の男子は、例え恋愛感情を抱いていない相手であろうと、一つ年上の美少女からプールに誘われ、断れるはずがない。それはそういうものなのだ。


「お待たせ~」

 ミヤビの声が耳に飛び込んだ瞬間、弾かれたように振り向く聖。冷静に、落ち着こうという理性はどこへやら、背筋は伸びて全身が緊張に支配されている。そしてミヤビの姿が目に映るや、時を忘れて動けなくなった。


 普段はその艶やかなセミロングの黒髪を、下ろすかポニーテールにしているが、今日は泳ぎやすいように三編み団子シニヨンに整え、白い花のようなシュシュで飾り立てている。水着は上下共にシュシュと同じく眩しい白で、胸元とお尻を隠すような花形裾付きフレアビキニ。身体が引き締まっているお陰か水着で覆っているところが強調されて見える。おなか周りの白さに反して、ほのかに日焼けしている手足が彼女の健康的な雰囲気をより生き生きとさせていた。


<百点満点の美少女ですわ~~~!>

 不覚にもアドの絶叫に賛同を禁じ得ない聖。以前、たまたま女子メンバーとプールで遭遇したときは、いわゆる競泳水着のようなデザインだったのを思い出す。あれはあれでスポーティな色気があったが、今日の水着は実に女の子らしい。


<分かってンのか? 彼女は今朝、いや、昨日の夜だな。今日の準備するとき、わざわざこの水着を選ンでいたンだ! イベントのあとにプールで自分の水着姿を見せるために! もしかしたらプールへの誘い文句も練習していたかもしれない。『暑いね、プール行かない? 違うな、このあと予定ある、かな?』つって! これは! もう! オマエに用意された約束された勝利の花道ウイニング・ロードだッ! 根暗小僧のことなンざ気にすンなッ! お嬢のことも今は忘れろッ! 彼女は間違いなくオメェに気があるッ! じゃなきゃこの状況は有り得ねェ! ここで行かなきゃ一生後悔するぞッ! 据え膳食「リンクカット」


 聖は頭の中で喚きたてるアドに向けて、無情なる一言を言い放つ。怒っているわけではない。むしろアドが喧しく騒ぎ立ててくれたお陰で、冷静さを取り戻すことができた。確かにミヤビは綺麗だ。人懐こいし優しくて、その笑顔を向けられると一瞬で心を掴まれそうになる。だが、彼女はいつだって誰に対してもそうだ。分け隔てなくどんな時もそうやって振舞っている。今日のイベントにしても同じだった。相手が男だろうが女だろうが、年寄りだろうが子供だろうが関係無い。彼女はあくまで、自然体でこうなのだ。それに対して変な下心を持ったまま接するのは不誠実だと、聖は自身の劣情の種を踏みつけた。


「似合いますね、水着。ミヤビさんモデルみたいです」

 お世辞ではなく、本心から聖はそう言った。ミヤビは聖の言葉が少し意外だったのか、少し驚いたような表情を浮かべたあとで、自慢げに笑って言った。


「ありがと、よく言われる」


 日中の疲れを癒すように、二人はプールの冷たい水としばらく戯れた。



「やっぱり、プールが好きだな〜。海も良いけど、潮風と砂がちょっと。聖くんは海派? プール派?」

 タオルで水滴を拭いながら、ミヤビが何気なく口にする。海は海で、磯の香りや生命の母たる広大なスケール、波の飛沫や砂浜で足を取られる感覚、照りつける太陽と青い空が魅力的だよなぁと聖は思う。


「泳ぐならプール、遊ぶなら海、ですかね」

「あはは、賢い答えだね」

 売店で飲み物を買い、プールサイドに設けられた席に腰掛け、二人は一休みした。ミヤビは頬杖しながら、楽しそうにあれやこれやと他愛も無い話題を振ってくる。一瞬、その姿がハルナと重なった気がして、気付かれぬ様に頭を振ってその想像をかき消す聖。ハルナとプールに行ったのは幼い頃だ。もし今彼女とプールにきたら、彼女とどんな風に過ごすだろうか。


「あ、その顔は他ののことを考えてる顔だね?」

 聖の表情から鋭くその心中を察したミヤビが、意地悪そうな顔を浮かべる。言い当てられて、さすがにドキリとする聖。ミヤビもそうだが、自分の周りにいる女性はやけに勘の良い人が多い気がすると聖は内心焦ってしまう。それとも、単に自分が分かり易いだけだろうかと無意識に頬をさする。


「ま、いいんだけどね。だから誘ったんだし」

「はい?」

「自慢じゃないけど、私がデートに誘うと大体勘違いされるからさ」

「おぉ、っと」

「自分で言うかコイツ、って思った?」

「いやでも、ミヤビさんならそうでしょうね」

 くすくすと満更でもない笑顔を見せるミヤビ。


「ホント、自分で言うと傲慢でしかないけど、お陰様でそれなりに評価高いんだ、私。男の人からもそうだし、女の人からもそう。誰からも好かれるザ・才色兼備の女子高生。まぁ、厳密には高校行ってないけど。あれ専門みたいなもんだし」


ATCアリテニが理事してるスポーツ選手向けの学校でしたっけ。でも制服持ってませんでした?」

「あれは先輩のお下がり。やっぱ憧れあるからさ。フツーのジョシコーセーに」


 会話を続けていると、聖はふとミヤビの雰囲気から、もしかすると彼女は自分に何か話があって誘ってきたのかもしれないと察した。ミヤビに対する印象からすると、ちょっと意外な気もする。彼女はいつも、言いたいことがあるときは言葉を選びつつもストレートに臆さず伝えるはずだ。そんな彼女が回りくどくこんな場を設けてまで話したいこと、今日のイベントの報酬に関する話題か、あるいは……。


「そういえば、ビックリしました。国際ジュニア団体戦の会場がアメリカだって」

 ミヤビの表情に少し固さが出たように見えて、自分がいま口にした話題こそミヤビが話したかったものだと聖は確信する。しかし、それに関連して話し難い内容のことというのが何なのか想像がつかない。邪推だが、やはりお金の話だろうか。


「行ったことあるけど、すごい良いところだよ。まさに高級リゾート地。アキラちゃんに連れてってもらったけど、日本とはスケールがケタ違いなの。来てる人も全身からセレブオーラ全開でさ、水着なんてセクシーどころかあれはもうほぼヌー……って、そういう話はよくて」


 前のめりになって喋り始めたかと思えば、急に口をすぼめるミヤビ。さすがに自分になにか魂胆があるということが相手に伝わっただろうことを察し、露骨に言い辛そうにしている。はっきりと言葉にされたわけではないが、ここまでくれば聖も促しようがあるというもの。


「何か、相談でしょうか。失礼ですけどその、お金のこと、とか……?」

 ミヤビの家庭環境については、ざっくりしたことを奏芽かなめ蓮司れんじから聞いている。親元を離れて寮生活をしている選手は蓮司の他にも複数いるが、実親を亡くしているという者はミヤビの他にはいない。親族はいるそうだが、諸々の事情でお金が必要らしく、ミヤビはそこを離れこうしてプロ選手を目指すべくATCアリテニで暮らしている。とはいえ、だからといって彼女がお金に困っているという風には聞かない。選手として名の知れている彼女にはメーカーのスポンサー契約や、日本テニス協会からの支援がある他、自身でもあれこれ選手外活動サイド・ジョブを通じてそれなりのお金を稼いでいるはずだ。だが、ミヤビがここまで話し辛そうにすることについて聖には他に想像が及ばない。もし仮に聖の想像通りなら、言い辛くなる気持ちは理解できる。なので聖は、失礼を承知で切り出してみた。すると、ミヤビは少し苦笑いを浮かべたあと、首を横に振った。


「あはは、まぁそういう想像になるよね。ごめんね、気を遣わせちゃって。お金はね、大丈夫なんだ。その辺りは烈花れっかさんが相談に乗ってくれたりするから」

 たっぷり入ったアイスティーを少しだけ口に含んで、ミヤビはためらいと共に飲み込む。彼女の細い首の真ん中で小さく喉が動く。白い素肌、鎖骨のあたりを水滴が伝ってきらりと光る。ぼんやり綺麗だなと思っている聖だったが、自分の視線がもろに彼女の胸元に向いていると気付いて慌てて顔を上げる。するとミヤビと目が合い、彼女はくすりと微笑んだ。


「話したかったのはね、団体戦のオーダーなんだ」

 なるべく自然に、大した話ではない様につぶやくミヤビ。聖にはピンとこない。


「試合は、男女シングルス、男女ダブルス、混合ミックスの5戦。GWに出た時と同じ試合数。ただ、今回は1試合につき3セットマッチ。各国のまだプロ登録していない若手選手が戦う、言うなれば新人戦みたいなもの。一種のお祭り的な側面もあるけど、どの国も割と本気でタイトルを獲りに来る。この大会で活躍した選手って、殆どがすぐプロになって良い成績を残してるんだ。いわば、登竜門みたいなものかも。12月に同じフロリダで開催されるオレンジボウル国際テニス選手権の団体戦バージョン、かな」


 大会に関するその辺りの評判や位置付けは聖も調べて知っている。基本的に開催国は持ち回りで、今年は日本の予定だったが急遽アメリカに変更となった。事情は良く分からないが、どうやら各国のテニス協会同士の何らかの思惑があるらしい。なんだかんだ、開催国はホームとなるため、他の国よりも幾分か有利に進むことが多いという噂がある。


「蓮司にね、シングルスをやらせてあげたくて」

 ミヤビは目を伏せ、聖の目を見ようとしない。彼女が口にした言葉は聖に対してだけでなく、それ以上に、他ならぬ蓮司に対する無礼であると理解しているのだろう。年下の男の子をプールに誘い、二人きりの時間を過ごしたのは彼女なりの打算ということのようだ。しかし目的であったであろう言葉を口にした途端、ミヤビの表情は夕立が降る前の空のように、どんどん暗くなっていった。


『シングルスを辞退し、蓮司に譲ってくれ』

 ミヤビの希望を一言で表すなら、つまりそういうことだ。


「えっと」

 聖は言葉の接ぎ穂をどうするか、迷ってしまう。


「正直、僕としてはオーダーにこだわりは無いです。っていうとちょっと語弊があるかな。確か今回の大会って、団体戦だけどオーダーの試合には個別のITFポイントがつきますよね。シングルスならシングルス、ダブルスならダブルスって。だからまぁ、シングルスのポイントがつくのは僕にとって大事ではあるんです。けど、なんていうか」


 聖は少しでも早く、ITFランキングを上げたい。現状、聖には虚空のアカシック・記憶レコードという切り札ジョーカーが手元にある。それさえあれば、日本中、いや世界中の誰よりも早くプロへの階段を駆けあがることが出来るだろう。しかし、冷静に考えると彼らの助力がいつまで受けられるのかは未知数だ。


『未来の可能性の撹拌』という命題を聖は担っているし、聖がそれを達成する過程で自身の願いは叶うと彼らは言った。だが、それらは全て口約束に過ぎず、聖の想定していない何らかの事情によって突然助力を失う可能性は充分に考えられる。ゆえに、聖には思っているほど余裕はない。厳密に言えば悠長に構えていては機を逸する可能性がある。期限が明確に定められているのであればかえって予定は立てやすいが、そうではないからこそなるべく早く自身の目的に向かって進まなければならない。


 そして期限が明確でないせいで、もしかしたらそんなに急がなくても良いのではないかという考えもまた湧いてくる。突然の闖入者ちんにゅうしゃのようにATCアリテニへ入った聖が、これまで必死に努力を積み重ねてきた人間たちの間に割って入って誰かの目標の邪魔をする。自分にその資格があるのか、自分の願いはそれをするだけの価値があるのか、そんな風に聖は時おり考えてしまう。自身の目的の為に覚悟を決める、聖はそう何度も決意を新たにしては、時間が経つと気持ちがぶり返して思い悩んでしまう。テニスを再開して数か月、聖はそれを繰り返している。


 ミヤビの望みに応えるのは容易い。むしろ、聖は本来自分が身を引くべきだとさえ思っている。他人には証明できない超常の力を手に、自分だけが望みを叶えようと邁進できることへの罪悪感を、なんらかの形で払拭したいという欲求が聖の判断を鈍らせている。


「ごめんっ、今の忘れて」

 聖が言葉を続けられずにいると、ミヤビがそう言った。


「ごめんね、こっちから話振ったのに。なんていうか、そういうお願いをしたかったわけじゃないんだ。うまく言葉にできなくて……」

 ミヤビの表情からは、自分が口にしたお願いに対する罪悪感の他に、何か別の気持ちが隠されている。聖はそんな風に感じ取った。良く考えてみれば、そもそもオーダーについて意見具申するなら聖ではなく、まずコーチであるかがりに話をするべきだろう。既にしているのかどうか聖には分からないが、ミヤビの様子を見るにまだのような気がする。この話をミヤビが他人にしたのは、今日これが初めてに見えた。


「あのね、怒らないで聞いて欲しい、んだけど」

 この上まだ更に言い辛いことなどあるだろうかと、聖は不思議に思う。だが、ミヤビの話に対して聖はまったく不快感を覚えてなどいないため、冷静に先を促すことができた。するとミヤビはおずおずと聖の様子を窺うようにしながら言った。


「聖くん、団体戦のシングルスに、どうしても出たい・・・・・・・・と、本気で思ってる?」


 細い剣で心臓を一突きされたような、そんな感覚が聖を襲った。


続く

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