第11話 「アニテニ初日」
放課後になると、
聖の通う
そのお陰あってか、中学時代学校内でも成績は上位層に位置しており、人並みに受験勉強は力を入れたものの特に苦労せず希望の高校へ入学することが出来た。
自宅からは自転車で15分ほどで、高校から
高校にはテニス部が無いので、ラケットバックを背負って通学するのは少々目立つのだが、この近辺でテニス用のラケットバックを持っているということは
自転車を軽快に飛ばしながら
「高2の連中がトルコの遠征に出かけていてな。ジュニアのコーチ勢の大半がその帯同をしているからスタッフの手が足らない。それに、四月末から五月上旬は色々とイベントやら試合やらが立て込んでいるんだ。もともとは君の加入は予定になかったから、受け入れに少々時間を要する。正式な加入はGW明けになる」
篝コーチからそう説明を受け、暫くは歓迎会を開いてくれた同年代と練習メニューをこなすよう指示された。その同年代の連中も、中には聖と同じように高校へ入学しているものもいるという。年度の始まりということもあり人がきちんと揃うのがタイミング的に難しいという事情から、しばらくは選手による自主的なトレーニングと練習を課されているのだという。
篝コーチとの面談を終えると、他のメンバーが来るまで少し間があった為、聖は自転車で
<放置プレイってことじゃねーか。どうなってンだここは?>
身もふたもない言い方で突っ込むアドの言葉には多少同意しつつも、そもそも自分の加入がイレギュラーなことであるのが原因である為、聖は自分の境遇について文句をいうつもりはさらさらない。郷に入れば郷に従え、である。
<こっちゃあオメー日本No.1をぶっ倒した才能溢れる期待の新人だぞ?トルコだかトルネコだかしらねーがンな僻地の大会に行ってる雑魚共なンざおいてこっちの面倒見るのが筋だろうがナメてやがンのかクソったれが移籍すンぞボケ>
「うるさいなぁ……仕方ないだろ。それに少しでも時間があるうちに、僕は
<ケッ、日和りやがって>
「それにしても、広いよなぁここ」
聖は改めて、アリアミス・テニス・センターの広大な敷地に感心する。テニスコートの数だけでも40面以上、屋外もあればインドアもあり、中でもスタジアムコートは観客収容人数5000人を誇る。他にもフットサルコート、バスケットコート、武道場、イベント用の屋外設備、室内の温水プール、トレーニングルーム等、スポーツに関わる多くの施設が用意されている。
<スポーツ研究都市、だったか?大層なモンだぜ、ジッサイ>
木代市は国が指定する唯一の『スポーツ研究都市』だ。その中でも、アリアミス・テニス・センターの規模は他のどの施設よりも優れている。元々はスポーツの総合的な研究を推進する機関として始まったが、日本人によるグランドスラム達成を契機に国内でのテニスの注目度に比例し、徐々にその重要度が高まり研究の優先度も上がっていった。
「すごいね、これぞ人類の叡智ってカンジ」
自転車で敷地を適当に流しながら、
<人類の叡智、ねェ……>
なんとなく、アドのリアクションが気にかかった聖だったが、ちょうどそのタイミングで見知った顔が聖の目に映った。小学校から中学まで一緒だった
「あ!セイ君っ!」
姫子は聖の姿を見るや、嬉しそうに手を振る。
「やぁ、姫子」
「セイ君、身体はもう大丈夫なの?」
上目遣いに聖の身体を心配する姫子。聖の方が身長が高い為、必然的に姫子は見上げるかたちになる。見ようによっては愛想のよい犬が尻尾を振って寄ってきたような様子に似ている。姫子とは選抜試験が終わって倒れてからは顔を合わせていなかった。聖の歓迎会にも用があって来ることが出来ず、何故か姫子がメッセージで聖に謝っていた。
「もう平気だよ。心配かけてゴメンな。今日は練習?」
「うん、これから。セイ君は?」
「えぇっと、篝コーチからは皆と一緒に自主練するようにって言われてるんだけど」
「じゃあやろう!奏芽たちも来るから!私、セイ君とテニスするの初めて!嬉しいな!」
名は体を表すというが、姫子にはどこか上品な雰囲気がある。そのくせ、まだ幼さが残る顔つきで誰にでも人懐っこい。昔から男にも女にも好かれて大事にされる、皆の妹的存在として可愛がられていた。聖も年上の女性が身近に多かったせいか、もし妹がいるなら姫子みたいな子が良いなと感じているぐらいだ。
不意に嫌な予感がした聖は、考えるよりも先に頭の中で呟いた。
「(リンクカット)」
アドが何か言いたそうな、それもロクでもない聞くに値しないどうでもいいことを言い出しそうな気配を感じ、聖は頭の中で一時的にアドとの接続を切った。アイツは今絶対に、姫子に対して聞くに堪えない毒を吐き散らかしているに違いない。
「どうしたの?」
円らな瞳で不思議そうに尋ねる姫子。この子に対する悪評など、冗談ではない。
「なんでもないよ。今日はどこで練習するんだ?」
笑顔で誤魔化し話題を逸らす聖。
「今日は外のコートでやるの。7番〜12番。着替えたら一緒に行こっ」
嬉しそうに答えた姫子に促され、聖はロッカールームへ向かった。
★
ロッカールームへ入ると、見知った顔が既にそこにあった。何故かパンツ一丁で妙なポーズを取っているマサキ、デカリョウ、ブンの3人だ。
「……えっと」
いわゆるヨガのポーズらしき構えをしている3人。果たしてそれが本当にヨガのポーズなのかどうか聖の知るところではないが、なんとなくそういう感じのポーズをとったまま3人はピクリとも動こうとしない。時折「コォォォォ」と腹から息を吐くような音が聞こえる。
これは一体なんの儀式なのか。自分は着替えて良いのかそれとも邪魔したらいけないのかどうしようか迷っていると、合図も無しに3人がカッと目を開き、同時に「ハッ!」と声を発した。
そして謎のポーズを解き、それぞれ深く深呼吸する。3人はそれぞれ目線を合わせると互いに不敵な笑みを浮かべる。この時点で聖は既にだいぶ引いている。
「腕を上げたな、マサキ」
「ブンこそ、技に磨きがかかってるぜ」
「マサキ、オメェいつの間にあんな」
「デカリョウ、今日は隙が多かったな」
聖には1ミリも理解できないやりとりを繰り広げる3人。ここへきてようやく、聖は奏芽が言っていた言葉を思い出した。曰く「コイツ等は生粋のアホだから真面目に相手するな」と。
取りあえず着替えを済ませようと恐る恐る一番近くのロッカーを開けようと手を伸ばした瞬間、鋭い声で呼び止められた。そんな気はしていたので案の定、ではあったのだが。
「オイ、新入り! お前はどう思った!? いや、何を感じた!?」
マサキがやけに目を大きく見開いて良く分からないことを言う。
「あ、えーっと……その」
「そうか! ビビったか! 仕方ねェなぁ!!」
「所詮は新入り、まだ精神の鍛錬が足らんようだ」
「見ろよ、アイツ高校の制服着てるぜ。高校生みてェだな」
一切の理解を許さない3人のやり取りに段々と怯えつつある聖。歓迎会の時は割と仲良く会話出来ていたはずなのだが、こうもノリが違うと戸惑ってしまう。気のいい連中というのは仮の姿で、実は新入りをいじめるタイプのやつらなんだろうかなどとそんなことを思っているとロッカールームの入り口が開き、やけに顔の濃い人物が入ってきた。
「アニキ!」
3人は突然気を付けの姿勢をしてビシっと敬礼をする。聖は全くついていけない。アニキと呼ばれた男は鋭い目付きでその場にいた4人を一瞥し、聖に視線を定めると強烈な目力を発揮させて凝視してきた。そして芝居のかかった口調でいった。
「若槻、オマエは青学の柱になれ」
それだけいうと、男はロッカールームから出て行った。
「……な、何しにきたんだあの人」
訳が分からず混乱していると、いつの間にかテニスウェアに着替え準備を済ませた3人が次々に
「オイ、ボケっとしてんなよ!」
「集合時間に遅れんじゃあねーぞ!」
「40秒で支度しな!」
と矢継ぎ早に言い残してさっさと出て行った。1人ポツンと残された聖は、唖然としたまま動けない。
「僕、馴染めるかな……」
思わず、不安をつぶやくのだった。
★
着替えを済ませてコートに行くと、十数名の男女が集まっていた。聖がコートに入ると、一斉に注目の視線を浴びる。歓迎会に来てくれていた人もいれば、初めて見る顔もあるし、どう見ても年下の少年少女も混じっている。気を利かせた高3のメンバー
「篝サンに言われてるよ。今日から一緒に練習だな。一応、挨拶してくれ」
合図も無しに全員が適度な間隔で輪を作るように並ぶ。聖のいる位置からだと全員の顔が見渡せる。歓迎会で見知ったメンバーはそうでもないが、見掛けなかった人や明らかに年下の子たちは興味津々といった様子で聖に注目している。
聖は一歩前に出て咳払いをすると、声がうわずらないよう下っ腹に力を入れて言った。
「今日から一緒に練習する若槻聖です。15歳で時葉高校所属、それから、え〜と、
言うかどうか迷ったが、どうせきっと後から聞かれるだろうと思い切って自分から口にした。何も恥ずかしいことではないはずだ。ここにいるのは全員プロを目指している選手たちなのだから。
取りあえず言うことは言ったぞと思い、仕切りを千石にバトンタッチすべく目配せしようとした瞬間、恐らく小学生ぐらいであろう少女が行儀よく手を挙げて言った。
「ハイ! 素襖選手のフィアンセって本当ですかっ」
「!?」
それを聞いて思わず噴き出した奏芽が、横を向いて誤魔化すのが見えた。その隣にいる姫子は嬉しそうにニコニコしている。
「ハイ!! アガシみたいなライジング出来るってほんとですか!」
今度は元気の良さそうな少年が同じように手を挙げて質問する。それを皮切りに、少年少女の質問攻めが始まった。全員目をキラキラさせながら興味津々で、聖の答えなどお構いなしに聞きたいことを投げつけてくる。いつの間にか囲まれてしまった聖はオロオロするばかりだ。
「ゴラァ、オメェ等! 後にしろ後に! 練習終わってから相手してもらえ!」
見かねたトオルが、本性を現すかのようなドスの利いた声で一喝する。驚いた少年少女たちは、犬に追い立てられる羊のようにそれぞれコートへ散って行った。残っているのは大体が歓迎会に来ていた同年代から上のメンバーだ。
「若槻は奏芽と同窓だっけ?んじゃ奏芽、任せるぜ」
「ウィーッス」
「あァ!?」
「ハイッ!」
少年少女達を一喝した時とはケタ違いの怒気を孕んだ千石の一言に、背筋を伸ばして軍人みたいに良い返事をする奏芽。チラリと聖を見て舌を出す。どうやら、緩み過ぎた空気を締めなおす為にわざと怒鳴らせたようだ。
メンバーは特に指示もされずにそれぞれ荷物を持って各コートへ向かう。どうやら事前にやることは決められているらしい。奏芽が言うには、基本的に自主練は各々が自分に必要だと思うメニューを淡々とこなしていくシステムなのだそうだ。
アドに言わせれば放置プレイなどと評価しそうだが、奏芽曰く、個人競技であるテニスの練習には団体種目のような協調性はそこまで必要ないというのが
技術指導、戦術指導、フィジカルトレーニング、メンタルトレーニング、座学トレーニングなどにそれぞれ専門のコーチやトレーナーが在籍しており、選手は自分で自分に必要な練習メニューを組み立てて練習に励む。そういった
「コーチやトレーナーにもランクがあってな。一番上のS級コーチは事前に申請して選手がその都度金払ってレッスン受けるんだ。アメリカやヨーロッパのアカデミーから引き抜いてきた超エリートコーチだから、割と値が張る。だが極論、ここじゃ金さえ積めば世界トップクラスのレッスンがいつでも受けられんのさ」
「だから、株なんかやってんだ。奏芽」
「まぁそれだけが理由じゃないけどな。プロアスリートは結果ありきの世界だ。だけど、そこに行きつくまでには莫大な金がかかる。そんじょそこらの中流家庭じゃ到底払い切れない額がな。しかも、それを払ったところで結果が出せるようになるかどうかは保障されない。ギャンブルと同じさ。だけど、ひと一人の、下手すりゃ家族の人生まで巻き込んだギャンブルなんて冗談じゃねェだろ? 努力も才能も当然必要だけど、同じくらい運も絡んでくる。だから、
資金があり、才能があり、環境に恵まれていようとも、花咲けず退場していく選手はいる。怪我もあれば、運もあり、或いは途方もない怪物の餌食となって心折れるなど、理由は様々だ。日本では昔から『スポーツの出来る子はスポーツだけをやれば良い』という風潮が罷り通っていた時期がある。スポーツ特待生、などと称されて有名大学が才能溢れる子供たちをかき集め、日夜トレーニングに励ませその才能を磨いた。その結果として、その子供たち全員がプロ選手として大成したか?そんなはずは無かった。才能があると見込まれかき集められた選手達は、更にそこで熾烈な争いに放り込まれ、そこで生き残った者たちだけがプロフェッショナルとして表舞台に出ることが出来る。
では、そこで敗北した者たちはどうなったか?彼らに残ったのは、プロで活躍は出来ないが
「昔は、今ほどテニスが盛んじゃなかったからさ、割と酷かったって聞くぜ。普通のテニスコーチなんて薄給もいいとこだし、テニス人口そのものが少なかったんだよ。少ないパイの奪い合い、スター選手の登場も一時のことで、日本じゃテニスは世界ほどメジャーじゃなかったからな」
その流れを変えたのが、東京五輪での日本の活躍とグランドスラム達成のニュースだ。
「んでま、そういう昔の負の遺産っての? 悪い慣習をぶっ壊すために、いわゆるアメリカ式をなんとか取り込んだんだとさ。オレも詳しくねぇけど、アメリカじゃ学生のスポーツ選手は勉強を疎かにすると試合に出さねーっていうルールがあるらしくってさ。選手のセカンドキャリアをちゃんと考えた上でスポーツをやらせるやり方を見習ったんだと。それがここじゃ学業じゃなくて
「へぇ~」
聖は感心するより他無い。そういった業界事情には全く無関心だった。
「おうテメェらぁ〜!サーブ練だからってお喋り多いんじゃあねぇか~?」
レシーバー側のマサキがよく通る声で聖と奏芽に声を掛ける。
「うるせー!講義中だバーカ!」
「あんだとコラァ!アゴで刺すぞ!!」
こちらに向けて尖ったアゴを突き出すマサキ。それを見て大笑いする奏芽。
「ま、その辺の事情についちゃまた今度な」
そういうと奏芽は話を切り上げ、マサキに向かってサーブを打った。
春の夜風が、冬の名残を乗せて吹き抜けていった。
続く
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