第6話 「選抜試験(セレクション)②」
それは、
第1セットを奪い、続く第2セットも優勢で進行していたが相手が開き直ったのか猛烈な攻撃を仕掛けてきて逆転されてしまう。セットカウントが1-1となってファイナルセットに入る前、徹磨は冷静に相手の状態を分析し、自分から仕掛けるのを堪え、敢えて相手に攻撃させる方針に切り替える。
その作戦変更が功を奏し、序盤こそ猛攻を受けたものの徐々に相手のミスが増え始めて徹磨は勝利を手中に収めた。勢い任せにせず、腰を据えて戦うことで堅実に結果を出す事が出来た。そのことに徹磨自身は満足していたし、苦しい戦いではあったが精神的な成長も実感できてまずまずの成果だと自分では思えていた。
「なんか、思ってたより
しかし、シャワーを浴びている時にふとそんな声が徹磨の耳に入る。どこの誰が言ったのかは結局分からず仕舞いだったし、厳しいプロの世界を知らない素人の戯言だと思いさほど気にしていないつもりだった。
試合後、徹磨は同い年でテニス仲間だった
「そりゃ、オメーが悪いな」
徹磨自身、特に愚痴のつもりなど無かった。喉に小骨がつかえたのを咳払いで取り除こうとするような気軽さで話題に出したのだが、守治のその反応をみて思っていたよりも自分が不満を覚えていることを自覚した。
「なんでだよ。敗けたなら兎も角、なんで勝って文句言われんだ?」
徹磨は苛立ちが表に出ないよう努めたつもりだったが、守治はどう感じただろうか。
「プロってさ、勝てばそれで良いワケ?」
その物言いから、何となく守治の考えを察した徹磨は反論を試みる。
「何だァ?
テニスのプロには、下積み時代がある。プロになってすぐ、いきなりグランドスラムなどの大きな大会には出場できない。ランキングによる足切りがある為だ。無論、出場する全ての試合で勝ち続ければ不可能な話ではないが、現実的な問題として世界ランキング下位の選手がいきなり大きな大会に出場することはまず有り得ない。世界各国で開催される下部ツアーに参戦し、地道にポイントを稼いで世界ランキングを上げていく必要があるのだ。
守治も元々はプロを目指していた。だが、徹磨と違い彼は割と早い段階で自分の才能に見切りをつけ、普通に進学する道を選んだ。テニス事体は続けているが、それを職業にしようという気は更々なく、自分の人生を彩る手段の一つとして愉しむことにしている。
守治は不敵に笑って、気障ったらしくチッチッチと指を立てて舌を鳴らした。
「わかってないねェ、新米プロ。
昔からコイツは人を見下したり小馬鹿にしたような物言いをするが、そのほぼ全てがパフォーマンスだ。
「プロってのはさ、
むっ、と徹磨は眉間に皺が寄る。その考え方は徹磨があまり好まない考え方だ。徹磨がテニスをするのはあくまで自分の為であって、他人の為ではない。無論、応援してくれる人や支えてくれるチームスタッフ、スポンサー、関係者には心から感謝している。だが、根幹にあるのは自分自身がテニスでどこまで戦えるのか試したいという渇望だ。
「ンな顔すんなよ。お前の気持ちも分かってるっての。けどな、今日みたいな戦い方してっと、多分オマエ、どっかで躓くぜ」
珍しく真面目な表情で諭すように言う守治。
「勝つのは大事さ。新米は特にな。じゃなきゃ上にあがれね~し。でもよ、目先の勝利に拘る戦い方がクセになるのも良くねーんだよ。今日の相手なら、ギアマックスでぶちのめさねーとダメなヤツだろ」
「無理言うな。そんな甘い相手じゃねーよ。あんだけえげつない攻撃されて真っ向勝負なんざ自滅行為だ。意地で勝てるような次元じゃねーの。引いて戦うことも戦略だろ」
はン、と鼻で笑う守治。
「世界ナンバー1を相手に戦う時も、お前はそうやって
ギクリとした。すぐ反論を口にしようとしたが、先に守治が口を開く。
「お前はプロを、それも世界ナンバー1を目指すんだろ? 自分とほぼ同格、あるいはちょい格上ぐれーのやつを倒すために引いて戦うやり方で、更に上の奴らを倒せるのか? 自分の一番自信のあるテニスを押し通す勢いが無くてどーすんだよ。敗けない戦い方じゃなくて、自分のテニスで勝つ戦い方をしろよ。そうすりゃ、見てる客だって自然に満足するんだよ」
何も言い返せなかった。
プロである以上、勝つことに拘るのは当たり前だ。だが、今の徹磨にはまだ太刀打ちできないような連中がゴロゴロいる。それこそ大袈裟な表現ではなく、人間を辞めているのではないかとさえ思えるような怪物共が、世界の上位には大勢いる。そういう連中を倒し、いずれは自分がNo.1になりたいと徹磨は思っている。だからこそ、目先の相手に勝つためだけに、自分の一番自信のある戦い方を手放してはいけないと、守治はそう言っている。
「目先の相手にも勝たなきゃあならない、この先戦う格上の連中にも勝たなきゃあならない、ついでにお客さんも愉しませなきゃあならない。全部やらなきゃならないのが、プロの辛いところだな? 覚悟はいいか? オレは……出来てない。だがお前は、どうだ?」
押し黙る徹磨を見て、少しおどけたように守治は言ったのだった。
★
「全部やらなきゃならないのがプロの辛いところ、ね」
守治とのやり取りを思い出し、徹磨は呟いた。
——あぁ、そうだ
オレは世界ナンバー1を目指している
例えこれが
自分の信じたやり方で勝つんだ
そうでなければ
徹磨は丹田 (人体急所の一つ。臍の下)を意識しながら、大きく深く息を吐き切った。
――
「ここからだ」
★
<●月×日、午前11時57分32秒を以て、撹拌事象を終了。
「ちょ、どういうこと?!」
聖は
「どうもこうもあるかよ。サービスタイム終~了ォ~ってこった」
ニヤニヤ笑みを浮かべながらアドはおちょくるように言う。
「撹拌事象って、この試合のことじゃないのかよ?!」
「だァ~れがいつそんな事言ったンだよ? 撹拌事象の時だけ、お前はノーコストで
「いやだから、撹拌事象って試合の開始から終わりまでなんじゃないの?」
「違うけど?」
知らない人に声を掛けられて、どちら様です?とでも言うような顔ですっとぼけるアド。普段から基本的に怒らない聖だが、この時ばかりは全力で殴り倒してやりたい衝動で頭の中がいっぱいになった。
「聞かなかったオメーの落ち度だろ~が。スターを獲れば一定時間無敵って話をしたのにその一定時間がどのぐらいなのかをなんで聞かねェンだよ? 気になるだろフツー」
「いやだって、どうせそれ聞いても答えられないっていうだろ!?」
「かもな~? だが答えられないって答えは得られるじゃねェか。とくれば、撹拌事象の終了タイミングを特定することはできねー、ってなる。であれば、自然に“試合が終わるまで保証されてるワケじゃない”って気付くンだよ。そうだろ?」
「それは、そ、そうかもしれないけど……」
力を貸して欲しいのはお互い様なのに、何故こうも騙し討ちするような真似をするのか全く理解出来なかった。それとも、今まさに起こっているこの状況こそが狙い通りの展開なんだろうか?
「つーかよ、そんな慌てなくてもまだ手はあるだろうが。言うなれば無料お試しガチャが終わって、テメェの持ち分でやる段になったってだけだぞ。そんなに
恐くて夜1人でトイレに行けないのを小馬鹿にするような調子で言うアド。確かに、手詰まりになったわけではないのだからそこまで焦る必要はない。幸い、あと1ポイント獲れば勝てるのだから。
「改めて言っておくがな、オレ等は別にオメーに勝利を授ける為に遣わされた守り神様じゃねェンだよ。あくまでお互いに利用し合う関係だ。青タヌキほど便利な存在じゃねェーンだワ。あの嬢ちゃんを追うのはオメーの意志であってオレ等にゃ関係ねェ。オメーが全身全霊、死ぬ気の覚悟でもって進むべき道だ。説明が足りねェだとか、ガキみてェにデモデモダッテなんて泣き言抜かすンじゃねェ。何がなんでもあのお嬢を追うつもりなら、オメーが主導権を握ってオレ等を利用すンだよ」
心の何処かで、聖には
そんなことでどうする。
拳を強く握りしめ、息を深く吐き出して、聖は覚悟を決めた。
「非撹拌事象に於ける
そう告げる聖の瞳に、ようやく覚悟の光が灯った。
それを見て満足そうな笑みを浮かべたアドが、いつもの調子で言う。
「別に何も。オメーが本当に何かを望む時、
それならば。
聖は一度息を整え、言った。
「マクトゥーブ」
<非撹拌事象に於ける
瞬間、再び聖は以前目にした書架に立っていた。
目の前には1冊の本があり、表紙に文字が浮かび上がる。
—— Diego Sebastián Schwartzman ——
<
<なるほど、
聖が新たに得た
<アイツの身長は176cmちょい、対してシュワルツマンは170cm。世界ランクトップ10入りを果たした選手の中じゃ最も背の低い選手だ。確かにこれなら、体格が上回っている分だけリサイズ率も下がるだろう。それだけ
★
ゲームカウント5ー5、ポイントは40-0で聖のマッチポイント。
撹拌事象で
(ためらっても仕方ない、このまま一気に行く!)
聖は構え、トスを上げる。
その様子を見て徹磨と篝は即異変に気付いた。
(フォームが)
(変わった?)
放たれたサーブはセンターへのフラット。
徹磨はサーブのフォームが変化している事に気付き警戒したが、反応を遅らせることなく精確なタイミングで聖の
徹磨のリターンに対して機敏に反応した聖。
だが、ここで先ほどまでとの違いを実感した。
——
「くっ……!」
聖はスイングの始動が遅れ、本来打ちたかったタイミングよりもかなり遅れてボールがラケットに当たってしまう。完全に振り遅れてボールを打つというより弾かれてしまい、衝撃がモロに手へ伝わった。痺れた様な痛みを両手に感じながら。さっきまで、こんなとんでもないショットを返し続けていたのかと、聖は慄いた。それと同時に、あと1ポイントが恐ろしく遠い存在のように感じられた。
★
「おぉ、ガネさんナイスリー!」
二階の観覧席で見ていた選手たちが微かに色めき立つ。
「今……」
「何か変えようとした? こっからじゃ良く分かんないな」
ミヤビの呟きに蓮司が感想を述べる。微細な変化ではあったが、2人は聖のフォームが変わったことに気付いた。2人の他にも、表情から変化に気付いた者が数名いるようだ。
「降りる?」
蓮司が小声でミヤビに提案した。
一瞬迷ったミヤビだったが、すぐニヤリと笑って目配せする。
2人はそそくさと観覧席からコートサイドへ向かった。
★
ボールに対する機敏な反応、先ほどまではそれが自分自身の感覚であるかのように感じていたが、その“反応速度”は借り物の力だった。
(ボールを打つ技術だけがプロの力じゃないってことか)
単純に反射神経というだけでなく、相手がボールを打つ前からフォーム、ラケットの傾き、立ち位置、自分が打ったボールの速度、軌道、回転、リズム、その他様々な情報から返球方向を察知し、尚且つ研ぎ澄まされた感覚と鍛え抜かれた肉体でもって最適な位置へ自分自身を運びボールを捉える。聖が借りているプロの能力は、動作の一つ一つが厳しい鍛錬の末に磨かれたまさに結晶だった。
無論、いま宿しているディエゴ・シュワルツマンもアガシ同様トッププロの1人だ。個性の差こそあれ本来の力を発揮すれば先ほどまでと遜色ない反応は可能なのだろうが、今は聖の肉体に同期させる関係で
(大丈夫、感覚の違いに驚いただけだ。次は返せる)
ボールを拾って再びポジションにつく聖。
カウントは40-15。まだ3回チャンスはある。
構えをしながら、打つべき方向を定めようと相手コートを見つめる。ここでも、聖は先ほどまでと違う感覚に気付く。まるで集中力を失ったかのように、どこへ打てばいいのか分からなくなった。
(さっきまで
テニスにおいてサーブは圧倒的に有利なターンである。
(クソ、ボールを打つことばかりに気を取られて、どこにどう配球してるかなんて考えもしなかった。ここはやっぱり
打つ方向を決めた聖はトスを上げて身体の感覚に任せてスイングした。
バシンと音がして、ボールがネットの白帯に衝突すると自陣側へ落ちた。
聖はこの試合、初めてサーブがネットに阻まれた。
(焦るな、もう一度)
ポケットからボールを取り出して数回地面でつくと、聖は再びトスを上げる。
打つ瞬間、徹磨の身体がワイド側へ一歩動いたのを聖は視界の端で捉えた。
(まずい!)
徹磨にボールを触らせまいと初めに狙った場所よりも更に外側にボールを打とうとした結果、聖のボールは再びネットに掛った。
ダブルフォルト。これで40-30
上手くいかない。
撹拌事象が終了した途端、一気に歯車が狂った。
(いや、違う。これが本来の実力差だ)
ボールを拾いながら、聖は落ち着こうと深呼吸を繰り返す。
その程度の力で世界ランカー相手から1ポイント。
聖は苦虫を嚙み潰したような思いをしながら再度ポジションについた。
改めて対角線上に聖は徹磨と向き合う。
撹拌事象が終わり
調子に乗っていた。
相手を下に見るような気持は無かったものの、心のどこかで勝利を期待していた。だが現実はそんなに甘くない。非現実的なチカラを自分だけが手に入れようと、そう易々と思い通りに事が運ぶものじゃなかった。
自惚れるな。僕は
対して相手は、自分とは桁違いの研鑽を積み重ねている。
まだチャンスはある。頭を下げるな。ボールは前から飛んで来るぞ。
頭の中で自分を鼓舞し、聖は眼前に立ち塞がる強大な敵を睨みつけた。
続く
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