第3話 「アリアミス・テニス・センター③」
<オイオイオイオイオイ、オ~イオイオイオイオイオイ聖クン、キミはハル姉ぇ一筋じゃなかったのカイ? 確かにその小娘、なかなかの器量だよ? いやぶっちゃけ美少女だ。プロポーションは今一つだが顔と雰囲気だけなら間違いなく10000人に1人ぐらいの逸材だ。だからといって随分仲良くなるのが早すぎやしない、カイ? オメェ実はハーレムアニメの主人公ばりに得体のしれねェフェロモン出してやがンのか? エァァン???>
邪悪な笑みでも浮かべていそうなアドの声が聖の頭で聞こえてくる。
(知らないよっ! 言いがかりだろそんなの! ていうか黙ってろ!)
頭の中で反撃する聖。
<つーか、道を聞くにしても同世代の女子にいきなり声掛けるかフツー? そこら辺に話しかけ易そうなヤツ大勢いたよな? なんなら代表番号に電話して行き方聞くことも出来ただろ? なのにオメェ、ピンポイントで目が合った美少女に道聞くとか下心が無きゃなんだっつーの? いや良いんだぜ健全な男子高校生だから欲望に従ってくれて。イイのイイのそれはイイ。でもね? ついこの間、長年の想い人に『君に認められる男になるッ』って誓った舌の根も乾かぬうちにこんな美少女とお近づきになるなんざオメェいくら健全な男子高校生でも節度ってもンが>
<
「(カットでお願いします)」
<ちょオイ
ハァ、と大きく溜息をつく聖。その様子を見た雅が「緊張してる?」と心配そうに声を掛けてくれる。アドに余計なことを言われたせいか、先ほどまでは特に何も感じていなかったはずなのに、やけに雅の存在を意識してしまう。言われてみれば、確かに雪咲雅は美人だ。
はっきりとした目鼻立ち、シルクみたいに艶のある髪、人懐こそうな振る舞いにスラっと長い手足。歳もハルナと同じだし、背丈も近い。ハルナは笑うと目じりが下がり優しい雰囲気になるのに対し、雅は明朗快活でどちらかといえば気は強そうだ。しかしどこか雅の中にハルナと重なる何かを感じてしまい、そうなると聖の心に何かしらの感情が芽生えそうになるのだが、聖は頭を振ってそれを掻き消した。
「アキラちゃん遅いなぁ。いつものことだけど」
受付で聖が用向きを伝えると、近くの応接室に雅と共に通された。スポーツ施設というよりはもはや高級ホテルのような雰囲気の内装で、聖は落ち着かない。一方、半ば勝手についてきた雅は泰然自若とした様子で出されたアイスティーを飲み干し、口にストローを咥えたまま完全にリラックスしている。連れていたパスタという犬も、雅の足元で自宅同然に寛いでいる。
聖は
しかし雅が言うには、沙粧というのはここの最高責任者の名前で、普段はあちこち出かけていて滅多に選手と関わることはないという。応接室で待たされている間、聖は自分の携帯端末で
「あの、沙粧さんってどんな方ですか?」
なんとなく不安が募る聖は、雅に話しかけた。
「んーと、すっごい美人。私より美人」
ストローを咥えたまま答える雅だが、何の答えにもなっていない。聖がどうしたものかと思い悩んでいると、ボケ潰し?と雅が寂しそうにボヤいた。どうやら雅なりのボケだったらしい。
「聖クンてさぁ、いじられキャラでしょ?」
「えぇっと……」
短い間にすっかり関係性の優劣がついてしまったようで、雅の聖を見る目は完全に「面白そうな後輩」だ。周りに年上の女性が多い環境にいたせいか、聖は女性になんとなく強く出られない傾向がある。別に強く出たいというわけではないのだが、その影響からか同年代の女子にすらイニシアチブを取られることがしょっちゅうあった。モテるというのともなんだか違うこの微妙な扱われ方について、一度見直した方が良いと聖は人知れず反省した。
聖が自分の立ち振る舞いについて考えていると、ノックの音がした。
「どーぞー」
部屋の主でもないのに雅が勝手に返事をすると、ドアが開いて白いスーツを着た若い女性が入ってきた。
「お待たせしてごめんなさいね、あら、どうして雅がいるの?」
「ちょっとそこで知り合っちゃって。アキラちゃんの顔も見たかったから」
「そう。聞いたわ、昨日は頑張ったんですってね」
「大逆転しょーりでした。いつ帰ってきたんです~?」
沙粧と雅は仲良さそうに、簡単な近況報告をし合っている。聖はなんとなく場違いな感じがして微妙な表情を浮かべたまま様子をみていた。
「さて、雅、悪いけど外して貰える? 今日は若槻君と大事な話があるの。そうよね?」
いきなり話を向けられて戸惑う聖。慌てて返事をするが、つい雅に視線を向けてしまう。
えー、と不満そうな声をあげる雅だが、この展開は想定していたのであろう、特にごねるわけでもなくあっさり引き下がり「また今度ねー」と言い残し、犬と共に退室した。
雅が退室すると、妙な静けさが残った。
沙粧はしばらく黙ったままタブレット端末を操作していたが、すぐにローテーブルへおいて聖に向き直った。その美貌と力強い眼差しに射貫かれ、聖は思わずたじろいでしまう。
「初めまして、当アリアミス・テニス・センターの代表を務めます沙粧アキラと申します」
ゆっくりと、落ち着きのある口調で自己紹介をした沙粧は上品な仕草でお辞儀をする。思わずその様子に見惚れてしまったが、すぐに聖もそれに倣った。
自分より美人だと冗談めかして言った雅だったが、なるほど確かに、年端もいかぬ少女には無い大人の色気や妖艶さが沙粧にはある。しかしここの最高責任者というからにはもっと年上の人物かと想像していたが、どう上に見積もっても30代だ。化粧で良く分からないが、下手をすれば20代かもしれない。組織の責任者という肩書を持つ者としては、聖でも分かるぐらいの若さだ。
真っ白なスーツに、軽くウェーブのかかった漆黒の髪、艶やかに彩られた唇、何もかもを見通しそうな大きな瞳、少し前の開いたブラウスの隙間からは、胸の谷間がチラりと覗く。スカートではなくパンツスーツだが、身体のラインが浮き出るデザインで腰のくびれや足の長さが強調されてハッキリわかる。年上の女性が自分の周りに多くいた環境で育った聖だったが、ここまで露骨に女性としての魅力を全開にした人と間近で接したのは初めてだった。
そうした沙粧の容貌に圧倒されている聖の様子を、沙粧は当然のように受け止め、そして無視した。聖が落ち着くのに必要なだけの間を充分取ってから、彼女の方から話始めた。
「実はね、貴方から電話が来る前に、素襖さんから私に連絡があったの」
沙粧の雰囲気に圧倒されていた聖だったが、ハルナの名前が正気を取り戻してくれるように聖の中でハッキリと響いた。お陰でなんとか平常心を取り戻せた聖は、本来の要件に意識の焦点を合わせて沙粧の話に耳を傾ける。
「私の幼馴染が恐らくそちらへお邪魔すると思うから話を聞いてあげて欲しい、そう言われたの。彼女はここの出身ではないけれど、彼女は何度もここで開催された大会で優勝していたし、ここのイベントに参加してくれたりしていたから、知らない仲ではないの。彼女の現在のコーチを紹介したのも私の伝手だったわ。他ならぬ彼女の言う事だったから、こうして
優しく妖艶な微笑を浮かべながら事情を説明する沙粧。しかし聖は心のどこかで、自分の首に手を回されているような錯覚を覚えた。そしてその感覚を聖は
「本来、選手育成クラスというのは、将来有望な選手を私達の方からスカウトするの。
何の実績も無いお前が、安易に踏み込んでいい場所ではない。
そう言われていると嫌でも分かった。
「だけど」
そう呟き、沙粧は聖から視線を外した。
顎を手で触り、考え事をするように少し俯く沙粧。その仕草は可憐で、まるで恋に恥じらい悩む乙女のように見えた。しかし、ちらりと一瞬だけ聖に向けられた上目遣いの視線は、獲物を品定めする毒蛇のような鋭さだった。
「
そう聖に促す沙粧の様子は、さながら生徒の悩み相談に乗る教師か或いはカウンセラーのような雰囲気で、さきほど見せた毒蛇のような視線は気のせいだったのではとさえ思える。優しさと恐ろしさが不規則に入り混じる沙粧の雰囲気に気圧されはしたものの、聖は辛うじて堪え、小さく深呼吸して気を整えた。
この沙粧という人物は、全てを把握した上で自分と向き合っているような気がする。ハルナが一体どこまで自分との関係について話しているのかは不明だが、凡そのところは聞いている、もしくは察しているに違いない。仮にそうでなかったとしても、この人を相手にして納得させられるだけの建前や理屈を言い繕えるとも思えない。半端に気取った話をすれば一蹴されてそれまでのような気がした。それに、何か疚しいことがあるワケではないのだから、堂々とありのままを話せば良い。それでダメなら最初から何を話してもダメだろう。
「素襖選手、いえ、ハルナと約束しました。もう一度ペアになる為に、彼女にとって相応しい選手になるって。僕は、ハルナのことが好きです。だからハルナの一番近くにいたいし、僕が傍にいることでハルナが周りに胸を張れるような、そういう選手になる為に、プロを目指したいんです」
恥ずかしくは無かった。
一度春菜の前でも同じ事を言っているし、散々アドにも茶々を入れられていたから抵抗無く言えた。何年もずっと心の中で
聖の言葉を受け、沙粧はきょとんとしていた。妙な間ができ、聖は何か言葉が足りなかったかと思案し始める。すると
「あ、あの」
「びっくりした」
堪らず声をかけようとした聖を遮り、沙粧はつぶやいた。
「あぁ、驚いた。もう、可愛い顔して大胆なのね。恥ずかしいわ」
顔を赤らめながら上目遣いにそんなセリフを吐く沙粧。言った事に恥じらいは無かったものの、彼女のその反応を見るとつられて羞恥心が高まり、気付けば顔が熱くなるほど聖も赤面していた。聖が何も言えなくなっていると、一足先に心持ちを整えた沙粧が話し始めた。
「ごめんなさい、思っていた以上に素直に話してくれたから驚いちゃって。別にバカにしているつもりは無いの。気を悪くさせたならごめんなさいね」
そう言いつつも若干表情が緩んでいる。聖は何故自分ではなく沙粧の方が恥ずかしがるのか理解できなかった。
「そう、大好きな人と一緒になりたいからプロになりたい、のね」
あ、そうか。
聖の視点で言えば、ハルナが好きで一緒に居たいのは勿論だが、それだけではない。自分が不甲斐なかったばかりに、聖とペアを組みたかったハルナの希望を叶えられなかったことや、周囲の目が気になってテニスから逃げてしまったこと、そのせいでハルナを1人にしてしまったことを償いたくて決意を新たにしたのだ。しかしその辺りの細かい事情については聖の中で燻っていただけのことだし、言ってしまえば後付けの理由に過ぎない。聖の事情を一言で要約したら「好きな子を追いかける為にプロになりたい」だ。
聖が仮に他人の立場からこれを口にする人を見たなら「オイオイ凄いな」と苦笑いしただろう。本人にとっては大真面目で恥ずかしくないことであっても、聞かされる側からすれば反応こそ人それぞれとはいえ戸惑うのも無理はない。自分の振る舞いについていくら自信があろうと、他人がどう感じるかは別だ。アドがしつこく茶化すハズである。そんな反省を頭の中でグルグルしていると、いつの間にやらその様子を眺めて楽しんでいたらしい沙粧が小さく咳払いして話を再開した。
「貴方の決意はよく分かりました。ちょっと異例だけど、特別に選抜テストを設けましょう。他ならぬ素襖選手の口利きですし、私も少し貴方に興味が湧きました。日程等は追って連絡するわね」
それだけ言うと沙粧は席を立ち、去り際に「ごちそうさま」と一言添えて出ていった。
一人取り残された聖はワケもわからず、取りあえず残っていたアイスティーを飲み干して大きく溜息をついた。一瞬だけ見えた沙粧の胸元が頭の中でフラッシュバックしたが、頭を振って掻き消す。取りあえず、第一関門はクリアという事だろうか。
<アホ。まだスタートラインですらねェよ>
アドの声が急に響いたが、特に驚かなかった。
「ごちそうさまって何のことだ?」
<ありゃ皮肉だ>
妙に気になった聖は自宅に戻って調べると、のろけ話に対する皮肉や嫌味で使われる事があると、初めて知ったのだった。
★
執務室に戻った沙粧はいくつかの雑務を処理した後、アドレス帳を呼び出して一人の人物にアクセスした。ステータスがオンラインになっていたので通話を試みると、相手はすぐに応答した。
「急に御免なさいね、今いいかしら?」
「あぁ、大丈夫です。何か?」
「帰国一日早められる? 1件セレクションをお願いしたいの」
「はぁ? オレが?」
「勿論、その為だけの人選じゃないわ。でも、面白い子よ」
「悪い声になってますよ」
「
「好きそうだな、アンタそういうの」
「目途が立ったら連絡なさい」
一方的に通話を終わらせる。
沙粧はこれまで幾人もの選手を見てきた経験から、若槻聖のレベルは大まかに予想できている。加えて、素襖春菜から連絡があった時点で彼については既に部下を使って調査済みだ。それらを踏まえると、若槻聖は選手育成クラスのセレクションに合格出来るレベルでは有り得ない。
だが。
——きっと沙粧さんを楽しませてくれますよ。
そう言った素襖春菜の言葉と、実際に若槻聖をこの目で見て感じた印象から沙粧は僅かながら可能性を感じていた。彼はもしかすると、面白い役回りを演じるかもしれない。なんら根拠なく、ただ漠然とそんな予感を沙粧は感じていた。
「いざとなれば、
そう独り言ちて、彼女はほくそ笑んだ。
続く
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