詭妄-8(爆ぜる理外の種について)
手元にある五つの指輪を眺め、ベッドの上でカルロは黙り込んでいる。複製につけさせていた同期の指輪は全てカルロの手元に戻っていた。二つは計画的なもの、一つは突発でチェイスが潰した分、一つはフェーブの件で返されたもの、もう一つは先日の事故の分だ。屋根から転落して激しく損傷した身体は、チェイスに引き取られて剣となった。もう助からないというときにカルロはせめてもと思い、記憶の同期を提案した。苦痛と孤独に蝕まれる身を案じてのことだったが、きっぱりと拒まれたあげくに指輪も返されてしまった。カルロは目の前で分身の死を見送った。これで、カルロの身体は一人分に戻ってしまった。喪失の悲しみ、苦しみを肩代わりしてやれなかったふがいなさ。管理者として、役割を果たすことができなかった事実がカルロの心を苦しめていた。だが、そんな中でも食い扶持が減って安心している自分がいることに気がついて、カルロは愕然とする。
首の皮一つ繋がっただけの暮らしがずっと続いていた。食糧事情は回復の兆しを見せず、どうにもならない、と思いながら日々をやり過ごしている。手足である複製は失われ、現状では増やすことも叶わない。手を握り合わせる相手の居ないことがカルロに強い孤独を印象付けた。これでまた元の木阿弥だ。この欠落だらけの小さな身体で何ができるというのか。無力感に苛まれたままカルロは居間へやってきた。広いベッドの上にいると、孤独がますます際立つような気がしたからだ。
「カルロ、今良いか? 話したいことがある」
声をかけてきたチェイスの方を見ないまま、カルロは指輪をつけた手を差し出す。これはカルロが複製達と同期をするときの癖だった。さみしがりな手の平は揃いの指輪を待ち、曲げられた指は共有を急かす。
「おい……この手は何だ? 俺に跪いてキスでもしろっていうのか?」
問い返されて、ようやくカルロは我に返る。顔を上げれば、怪訝な顔をしたチェイスがそこにいた。
「……すまない、間違えた。少し、考え事をしていたんだ。耳を寄越すから説明を続けてくれまいか」
不可解そうに眉を動かしたチェイスは嫌悪を表情に滲ませたが、それも僅かのことだ。
「説明、ああ。カルロの配下に指輪をつけていないやつがいただろ。コインを飲み込んだやつ。この頃なんか太ってきてないか? 隠れて何を食っている?」
「……俺が知る限りでは何も。だが、確かにこの頃一番大きいサイズのズボンだけが洗いに出されている。ちょっと調べてみる必要があるかもな……」
「食料調達に改善があったなら成果をこっちにも流してくれ。あの太りようだ、ペタルのところで肉を食ってるのでもなければつじつまが合わない」
「……医者と肉にどういう関係がある?」
カルロは首をひねったが、チェイスが少し変な顔をして『冗談だ』と言ったので、そういうものなのか、と納得して話を終える。
「ペタルが俺に黙って何をするとも思わないが、俺には管理者としての責任がある。疑念を払うのは早いほうがいい、これから直接聞いてみるとしよう」
手招けば、チェイスは黙ってついてきた。
◆◆◆
丸く形作るように切られた黒い髪が歩くたびさらさらと揺れる。褪せたような紺色の薄いシャツは肩口がストンと落ちて縫い目にアタリが僅かに見えた。豪奢な造りの服ばかり身につけるのは身分通りだが、そのわりにはいつも同じ格好をしている。他の複製達が古着を着ている所を見るに、よほどのケチなのだろう。だが、それにしてはチェイスの腕を買い叩こうという風でもない。この男はなんなんだろうな、と考える。子供の身体を持つネクロマンサーであり、本名で活動しているらしき孤独な城主。親がいて、常識がなく、それでいて狂っているというわけでもなさそうな男。
「カルロ……いないのか……? カルロー……」
自身と同じ名を持つ複製を呼びまわるカルロのすぐ後ろを歩きながら、チェイスは変な顔をする。紛らわしいのもここまで来ると徹底している。普通、自分と同じ名前の人間をこうもてらい無しに呼び回るものか? どこに居るんだと思いながら屋敷の中を一通り回ると、二人の足は診察室へと辿り着いた。
「おい、ここってペタルの部屋だろ。こんなとこにいると思うか?」
「残った部屋はここだけだ。ペタル、失礼する……」
「待てよ、勝手に入っていいのか? 怒られたってかばわないからな……」
連れ立って戸を開けた二人は凍り付く。部屋の中には探していた複製のカルロがいた。だが、彼は今ペタルと取っ組み合いの真っ最中だった。カルロの方は半裸で、白っぽい肌についた消えることのない縫合痕は痛々しい。何事かを怒鳴り合っているが、互いが興奮しているのか叫び声は支離滅裂で言葉の体を成していない。チェイスは思わずカルロの方を見る。数秒、目を見合わせる時間があった。どちらからともなく頷き、扉を閉める。
「と、取り込み中みたいだな、出直そうか……」
「おう……」
部屋を離れ、なんとも気まずい空気のまま元来た方へ歩いていく。俯いたカルロがぼそぼそと呟くように喋るので、チェイスは身を屈めてやらねばならなかった。
「ペタル達は何をしていたんだろうな。ああも叫んで、どこからあんな元気が出てくるんだか……」
疲れた様子のカルロを眺め、人間が二人、部屋で人目を忍んですることなんざ一つしかなかろうよ、とチェイスは思う。だが、どうもそういうふうではなかった。あれは情交というような生やさしいものではなく、放っておいたら殴り合いに発展するような怒鳴り合いの大喧嘩だった。
「言い争いだろ、何があったか知らないが。……大丈夫か?」
「ああ…… いや、なんだろうな、少し疲れているみたいだ」
誰の目に見ても明らかなことを、カルロはたった今気がついたとでもいうように言う。なんだか哀れになって、チェイスは鏡を見ろという代わりにもう少しまともなことを口にする。
「……ペタルの方は俺が時間をみて聞いておく、しばらく寝てたらどうだ」
「世話になる…… ああ、食事は水屋に作り置きがあるから、三人で分けてくれ。俺の分も食べてしまって構わないから……」
「了解した……」
◆
どうしたものか、と思いながらチェイスは時間を潰し、ペタルの部屋へ足を向けた。扉を叩く。どうぞ、と返る声が一人分であることを確かめてチェイスは戸をくぐった。
「ペタル、さっきいったいここで何してたんだ? もめ事なら相談に乗るが……」
言いながら踏み込めば、台の上にはばらばらになった手足が乗っている。白い肌には時折目にする縫合痕。振り返ったペタルは外科手術に使うようなエプロンとマスクをしていた。むっと立ち上がる血と臓器の臭いにチェイスは顔をしかめた。
「いや…… ペタル? 何してるんだ本当に。それ、城主の大事な持ち物じゃないのか? 勝手に潰したのか? 理由も、断りもなく?」
「妙なことを言いますね? ……複製のカルロがいたでしょう? いたというか、ここにいるんですけどー…… 少しエラーが出たようだったので、解いてみたんです。製造とメンテナンスは任されているわけですし、変な事はないんですよー?」
随分と簡単に言う、とチェイスは思った。権限が付与されているようなことを言うが、要は無断でやったということだ。ペタルは使い終わったらしい道具をカチャカチャと消毒していた。見学希望ならマスクをつけてくださいね、と言うので、チェイスは棚からマスクを一枚出して顔を覆った。
「最近そいつの腹が出てきていたって話、知ってるか? 俺が気付いて、原因をカルロと聞きに来たんだ。二時間くらい前だな。お前は喧嘩をしていて、今来たらこれだ。……どうなっている?」
「ああ、チェイスは知っていたんですねー? 自分は全然気付かなかったのですがー。子供ができたと言ってきたんです、彼」
「え? ……は?」
チェイスはしばし黙り、言葉を探した。ペタルはバラしたパーツに針先を通し、すいすいと淀みなく縫っていく。チェイスは作業の邪魔をしないよう、離れたところから様子を見ていた。
「死体だよな? できるものなのか? ……そもそも誰の種だ? 俺はやっていない、城主本人か?」
知れず、語気の荒くなるチェイスへ、ペタルは苦笑した。
「驚くのはわかりますが、落ち着いてくださいね。何か誤解があるようなのですが、男同士では子供はできないんですよー」
「言われなくてもわかっている。だが、本当にそいつが男かどうだか俺は知らない」
「確かにそうですね? この個体は確かに男でしたよ、縫った自分が言うので間違いありません。中身を見ますか?」
「要らない、見てもわからない。俺がそんなものを見て喜ぶとでも思っているのか?」
「どうでしょうねー? 自分はチェイスのことを一から十まで知っているわけではないので」
真意の読めない返事には無言を返し、いくらかありそうな要因の候補についてチェイスは考える。だが、男の腹が膨れるなど、そうそう起こっていいことではない。チェイスはふーっとため息をついた。息が漏れて曇った眼鏡を、チェイスは袖で拭う。
「……ここでは不可解なことばかりが起きる。ペタルに思い当たる節はないのか?」
ここでもしペタルが自分のせいだと言ったなら、チェイスは飢え死にしようがなんだろうが屋敷を出ようと思った。信義に反し、子供どころか死体にまで手を出すようになった男と一緒に暮らすなど、チェイスにはとうてい耐えられない。否、重要なのはそれがペタルだということだ。しかし、続くペタルの発言は怖れたような言葉とは違っていた。
「そうですねー、彼、ずっと喋らなかったんですがー。指輪が外れてから自分の口で話すようになったんですね。関係あると思います?」
「……医者の見立てを無下にはできないが、そこに関連性は、ない…… ように思うが……」
「ですよね? でも引っかかるんですよ、なんででしょうねー?」
「知るかよ……いや待て、コインを飲み込んだやつか? 腹の中は探ったか?」
「見ましたけど、コインそのものはどこにもなかったですね。何か思うところが?」
「貨幣を使ったまじないのやり方があるだろ……考えすぎか、忘れてくれ。俺は、おまえがその死体人形に廃棄物を食わせているんじゃないかと思ってた」
「ああ、脂肪で膨らんだのだと? まさか! やりませんよー」
「だよな、安心した」
一度やりとりが途切れれば、そのまま言葉が返ることはない。チェイスは微笑んだような真顔で針を操るペタルをじっと眺めていた。手術道具、消毒の瓶、綿、冷えた黒っぽい何か。机の上に乗る見知ったようなそれは動かない。話し声はなく、ワタの詰まった腹は縫い閉じられていく。
「終わりましたよー、待ちましたか?」
暇に飽かせて棚に並ぶ薬剤をぼんやりと眺めていたチェイスは、ペタルの一言で現実に戻される。縫い終わったペタルは細い鋏で余った糸を切った。飛び散った血を拭い、縫製痕だらけの裸体へと布を掛ける。手袋の取れた手が紐を引き、換気扇を回す。しんと静まった部屋で、ペタルだけがいつも通りの空虚な微笑みを浮かべている。
「まだ動くとは思いますが、これ、よかったらチェイスが片付けてください」
「……ペタルが縫ったとはいえ、元は城主の持ち物だろう。返さなくて良いのか?」
「子供ができたなどという話をカルロにされては困りますのでー。指輪を外してから様子もおかしかったですし、この際あなたに委ねようかと」
つまりそれは一度は現世に戻った個体から改めて命を奪うということだ。チェイスは頭をがしがしとかいた。
「委ねるのはいいが、説明するのはペタルがやってくれよ。前に一度、無断で潰して睨まれている」
ものいいたげに黙りこむカルロを思い出し、チェイスは嫌な気分になった。汚れ役を引き受けるなど頼まれたって御免だった。城主におもねることで城内のトラブルをやり過ごし生きてきたチェイスにとっては尚のこと。
「伝えるのは構いませんよー。そういえばカルロはどこに?」
「調子が悪いといって寝にいった。多分部屋だろ、他に『寝る』ところがあるんでなければ」
股で慰めを得たり与えたりしている、という含みを持たせたチェイスだったが、振り返るペタルはきょとんとしていた。
「子供がいなくなったと思ったら出窓をアルコーブにして寝ていた、という話はたまに聞きますねー? カルロの体格であればそういうことはないんじゃないですかー?」
「……だよな。バカなことを言った」
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