欠乏-5(思い出の万華鏡について)
明け方、食卓につく中にペタルが紛れているのを見て、チェイスは目を見開いた。
「ペタル、きてたんだな……」
「おはようございます。昨日の夜に着いたんですよー」
本当はもう少し早くに到着する予定だったのですが、と答えるペタルは憂いの一つもないような微笑みだ。この男がカルロと寝ている? そんなわけはない。だが、夜に人目を忍ぶようにして訪ねるところを見たし、ペタルの物言わぬ視線を知っている。気まずくなったチェイスはもごもごと相槌をうち、朝食の皿を気にするような素振りで目を逸らした。丁度のタイミングで渡された皿にチェイスが飛びつけば、中には得体の知れない茶色のドロドロが満たされていて、チェイスはそれ以上余計なことを考えずに済んだ。
「……なあカルロ、今日の食事のこれってなんだ? いや、本当、何を煮たんだこれ…… 食えるのか?」
よく見ようと顔を近づければ、嗅ぎ慣れない臭いが鼻をつく。顔をしかめ、チェイスはエプロンを着た男へ再度中身を訊ねた。紺のネグリジェに前掛けという奇妙な格好で配膳をする男は、ペタルや他のカルロに器を手渡しながら面倒そうに答える。
「食えるかどうかは食えばわかる。家禽の内臓肉だ。見たことがないのか?」
「チェイスの来る前はよく食卓に上がっていましたよ。肉より安く手に入るんです、家計の味方ということですねー」
にこやかに引き継いだのはペタルだ。なれなれしい物言いと、俺にはわからないだろうという前提の置き方が頭にきた。だが、不興を買って食事抜きを言い渡されるのはもっと困る。夜明け前からお預けを食らっていた哀れな胃袋は、俺と違ってすでに文句を言う元気もない。席につき、カルロを待つ。
「なんだ、お前たち、見ていないで冷める前に食え」
全員分の配膳が終わったらしいカルロが自分の皿を持って戻ってくる。エプロンを外して椅子の背に放り、やれやれと席につくと椅子との対比で小柄な身体が余計に目立った。手に余るようなスプーンを握り、しかし自分こそが普通の大人だという顔をする。
「ここのところは肉の値も高騰しているからな。手に入るのはこればかりだが、出回る総量も減っているように思う。どうも状況は悪くなる一方だ」
話は終わりだと言うように、カルロは皿へ匙を入れた。つまるところがこの得体の知れない食い物は、経済的な事情ゆえということらしい。怖々と匙を取り、手を合わせる。緩い汁の下にはねちゃねちゃした弾力のある鶏皮がいくらかと、ざらざらした粉っぽい塊が入っていた。事実、腹が減っていたので何も言わずに噛んで飲み込む。食べても食べてもなくならないのはありがたかったが、あまりうまいものでもない。机の向こうではペタルが寝間着のカルロとくだらない問答をしていた。にこやかに微笑むペタルはやはり、演技でそうしているようには見えなかった。
匙を突き込む口元が次第にペタペタとくっつくようになる。いったい何が入っているんだと思いながら顔を上げると、カルロが目を伏せ、隣へ何かを囁いているのが見えた。ペタルはゆっくりと頷いている。ぼそぼそとこちらに聞こえないような声量で喋るのが、どうにも当てつけがましかった。
「気持ち悪いな、なんなんだ……」
「おや、口に合いませんかー? 臭みや弾力が気になるという方も多いんですけど、栄養があるんですよ。とっても身体に良いんです」
濃い味付けにすると食べやすいのですが、それもまた好みが分かれますからねー、と口を覆ってペタルは言った。甘く、持って回ったような話し方は自分の記憶にないものだ。チェイスは器をさらって空にする。心のつかえはたまる一方で、黙るべきか迷ったが我慢の限界が近かった。
「……飯じゃない、お前たちの距離感がだ。暇さえあれば目線を絡ませて、今も小声で密談か? 仲が良いのは結構だが気色の悪い真似はしてくれるなよ。ペタルはともかく、術士連中はこれだから信用ならない」
カルロとペタルは話をやめ、驚きに開いた目を見合わせる。余計なことを言ったと思うも、放った言葉を取り消す術はない。なにより、ここでわざわざ言い直して、術士への不信を強調するのも避けたかった。今回ばかりは怒られるかもな、と思って待っていれば、返ってきたのはとぼけたような声だ。
「なんのことです?」
答えたのはペタルだった。カルロは今ので二人分の返事だとばかりに底の読めない顔で黙っている。
「ぐ……そういう所だよ、示し合わせたように……くそ、何でそうも親密なんだ? 不埒な申し合わせがあるんじゃないだろうな……」
眼鏡の奥から睨めど、カルロは平然としていた。あるいは平静を保っているのか? これはあからさまに顔を曇らせて口を噤んだペタルとは対照的だ。隣で数度瞬きをしたカルロは、弁明の必要があると判断したのか、ふーっと不満げに息を吐いた。
「俺たちが何をするって? 給金は滞りなく支払っているはずだが。帳簿を見るか?」
「いつ、俺が、金の話をしたんだ! この流れなら一つしかないだろ、夜な夜な招いて鋭い笏杖を研がせているんじゃないだろうな!」
叫ぶように言ってからはっと口を噤む。普段なら流せるような言葉を無視できない。引っ込みがつかなくなったとはいえ、性的な冗談を好まないペタルからの心証は悪いだろう。というか、気安いといっても相手は城主だ。気まぐれで俺は殺せまいが、立場を考えるなら飲み込んでおくべき台詞であった。苦い気持ちでいると、剣呑な眼差しが向けられる。眉根を寄せて、チェイスを咎めたのは意外にもペタルの方だった。
「変な言いがかりはやめてください、食事中ですよ…… それとも、朝から感情的になってしまうほどお腹がすいているのですか?」
再会してからずっと作り笑いばかりをしていた男の真顔がそこにあった。柔らかな発音も、顔の作りも変わらない。だが、かけられた言葉は明らかな拒絶であり、優しく聞こえる物言いはこれ以上踏み込むなという警告だ。偽りなく向けられた鋭い目つきが過去のペタルと重なって背筋の冷える思いがする。だが、ここで声を荒げるのがペタルであったそのことが、チェイスへ奇妙な安堵をもたらした。彼の中に、苛烈な部分が未だ残っていたということにも。
「あ…… ああ、そうみたいだ。ペタル、悪かった。カルロもだ。変な事を言ってすまなかった……」
そしてペタルが城主カルロのお気に入りなら、さっきの言葉は助け船になる。不躾な意見を撤回させ、謝罪の機会まで作ってくれた。根回しの機微に内心で詫びる。聞いているのかいないのか、カルロの表情は変わらない。チェイスは再び頭を下げた。
「悪かった、本当に」
「……別にいい、難癖なら嘆願と違って対処しなくて良いからな。仕事が減るなら万々歳だ。それより、腹が空いていると言ったか。余ってるのを全部やるから必要なだけ食べてくれ、チェイスは大事な稼ぎ頭だからな」
「え、あ、助かる。ありがとう……?」
噛み合っていない会話に頷いて、チェイスはなみなみ注がれた皿へもう一度匙を押し込む。盗み見るペタルは既に普段通りの微笑みへ戻っている。砂糖を囓り茶で流す男は、底の読めない顔で城主を見ていた。視線が合うと呆れたように目が細められたので、チェイスは目を伏せて再度の謝意を示した。
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