空虚-2(死の上に咲く瞳について)

夜を告げる鐘が鳴る。部屋に戻ると、仕事を終えたらしい複製たちは既に揃っていた。揃いの寝間着には、例によってひとつだけ中身が入っていない。



寝台に集まって手を繋ぐ。指輪に刻まれた魔術紋がそれぞれに絡みあい、別の体にばらけていたカルロはひとつへ戻される。くみ分けられていた水が大樽で混ざるのにも似て個々の境界はとろけた。魚が水中を自在に泳ぎ回るように端々まで理解が及ぶ。どっぷり浸かった想起の海で、息をするためにカルロは口を開いた。

「『腕も足も欠けていて変な感じがする。減った部分が馴染んでないのだろうな』『この身ひとつでは何もできないというのが厄介だな』『未成熟の個体は不完全な状態で発生して、劣化と再構築を繰り返しながら死に向かうんだろう』『くそ、これも急な依頼をしてきた奴らのせいだ』『あんな生態は非合理の極みだ』『命令権も持たない連中のくせに忌々しい……』『ペタルはもう元のようには戻らないのか?』」

いくつかの口から考えていることがそれぞれに漏れた。『ひとつに戻る』ときの感覚は空にいた頃を思わせる。『繋がったうちの端のほう』が今でいうところの俺で、それに総体との明確な区別はなかった。幸福だったと今なら言える。三個目の頭をすぐ横にある背へ預け、カルロはつらつらと思い出していた。調査のために底へ降りたのち、人に紛れて観察をした。おそらくそれが始まりだ。判断することを知り、区別することを得て、総体の一部だったところから『俺』が分かれた。変容した俺は以前のことを覚えているが、その二つは本質的に違っている。


人に生まれ直してからは苦難の連続だ。開けども意思を伝えられぬ口、回りの悪い頭に重たい身体。動けるようになってさえ、足りぬ身の丈と弱い力が存在を容赦なく蝕む。子供というのは欠けていて、どこまでも不自由だった。物質や情報を継続的に取り込まねば完成へ近づけず、そのうえ変化は幾ばくかの苦痛をもたらす。最初から十全であればどれほど良いと思ったか。人間となることで得たいくつかの特権さえ行使することはかなわない。カルロ自身が今の形に戻るまでどれほど歯がゆく思ったか知れない。このじれったい回帰の道のりをペタルは成長と呼んだようだが、この十数年でカルロが得たものといえば、なんとか勘を戻した身体と、底のない無力感くらいのものだった。


だが、と思う。十代半ばもとうに過ぎた。再生産の時期にさしかかったカルロは望む『完成』に近付いている。特権を振りかざせるなら憂いを感じる謂われはない。そう、これは自由であり喜びだ。人の身を持ち自発的に増えること。以前のカルロでは絶対に得られない、特権中の特権が手の中にある。指令を下す上はおらず、全ての采配は自らで行える。判断、決定、支配。カルロという存在における最高司令は今やカルロ当人だ。己の複製を増やすたび望みは果たされる、これこそカルロの求め止まない、正しく『望んだ』行いのはずだ。だが、奇妙な不安は付きまとい、腹の底に苛立ちがわだかまる。空に帰れるとも思わない、復讐など望むべくもない。恨みもないのに何をしろというんだ? このまま穏やかに過ごせたらそれで十分だ。それなのに、どこか掛け違えたような違和感が影を差している。


あるいは、もっと増えろというのか。望みのままに何人ものカルロを作ってきたが、あまねく生命の本質は増殖への希求だと聞く。ペタルもチェイスも、そうだと直接言って来たことはないが。


思い返せば、チェイスやペタルには随分世話になった。魔術に馴染んだ者特有の逸脱は各所に見えたが、人の理外に由来をもつカルロにとってはそれさえ好都合だった。チェイスは鍛冶の仕事を全うし、生活の基盤を整えた。人間式の再生産は不毛だと言えばペタルは賛同し、円熟した個体の基礎を作った。つぎはぎの体を動かすのには精神転写の指輪が役立った。身体的制約を考えなければなんだってできそうな気さえした。もっと増えられたのならば。追加の指輪があればあるいは。そうなれば新たな金策が必要になると気がついて、カルロは顔をしかめた。身体が大きくなれば、食べる量も寝床の広さも変わる。そもそも指輪の対価だっているのだ。大きな身体を持て余すというのは、自分が子供の頃には考えもしなかったことだった。あの頃は無力さに喘ぐばかりであったから。

絡めていた手を放せば、カルロは再び千切れてばらばらになった。一つの身体が五つある。頭は一つ、手は二つ、口は一つで目は二つ。大勢のカルロは寝転がり、そこらに転がる枕をそれぞれに引き寄せて、疲れた頭を休めることにした。


◆◆◆◆◆


闇の中、薄目を開けて見る黒髪の群れは境が互いに溶けあっている。夜は深く、部屋には灯りの一つもない。カルロは控えめな足音が部屋の前で止まるのを聞いた。静かなノックのあとに扉が開き、外の光が薄く差す。

「カルロ? 起きていますか?」

「……その声はペタルだな? 待ってくれ、今そっちへ行く……」

応じてから辺りを探り、誰かが枕にしていた杖を適当に引き抜いて戸口へ向かう。扉の外ではペタルが待っていた。手にはランタンを持っていたが、芯には火が付いていない。

「こうも暗いと目が開かんな…… こんな時間になんの用事だ? 問題か?」

「あたらずとも遠からず、ですか? 近頃あまり具合が良くないようにみえたので、様子を聞きにきたんです。カルロ自身には思い当たることってありますー?」

カルロは首を傾げるように左を見て、うーん、と言いながら顔を戻す。ペタルのことが気がかりだとは思っていたが、流石にそれを本人へ伝えるのは憚られた。

「……立ち話もなんだ、入っていけ」


招き入れたあとに扉を閉めたら真っ暗になってしまったので、ペタルの手を引き、唯一位置を覚えている寝台へ向かう。管理の悪い縄みたいに手足を絡ませた複製たちを適当にどかし、縁へ座るよう勧めるとほんの僅か戸惑うようなそぶりが見えた。だが、それもいっときのこと。腰を落ち着けたあと、続く話を促せば、返る声音は常通りだ。

「ええと。それで、調子はどんな具合ですか? 良くないというのなら薬も出しますが」

「んん、どうなんだろうな。年が変わってからどうにも浮き足だったような感じがして神経に障る。しかしまあ、すぐに収まるだろうよ。考えることもたくさんあるが、困っているというほどでもないし、そっちは順次どうにかしていくさ……」

なんでもないように答えれば、隣り合って座るペタルは少し考えるように眉根を寄せた。何をいうでもなく見ていると顔がこちらへ向けられる。表情はいつもとなんら変わりない、見慣れた人好きのする微笑みだ。

「なるほどー? 気力に満ち溢れていますね? 身体の方がついてこないってこともありますし、念のために今日の所は少し診ておきましょうか」

「またか? いや、この身体では初めてのことか…… 同期の時に記憶が混じってしまったな。判断は任せる、素人の俺がどうこうするよりは専門家の目に委ねたい」

「信頼していただけてなによりです。他のカルロも眠っているようですし、ベッドから離れたところでやりましょうか。椅子に座って待っていてくださいねー」



明かりを入れるためにペタルがカーテンを開けた。暗闇に慣れた目に月光が眩しい。その後、用意のできたらしいペタルから服を捲るように指示を受け、カルロは足まで届く裾を絡げてのけた。待っていてば、ひんやりとした聴診器がぺたぺたと胸を探る。術士の服というのは化粧着だ。雨や風を凌ぐのには用をなさず、いうなれば屋敷というローブの中で心地よく身体を泳がせることを目的に仕立てられる。おおっぴらに外へ出られない反面、こういうときは便利だと思う。あまり意識こそしないが、立襟の着脱というのはあれで存外面倒なものだ。

「うーん、悪いところはなさそうですね? 体温は平熱で、喉にも目にも異常は無いですねー。胸もちゃんと動いていますし」

「問題はないってことか? ペタルがいうなら安心できる。この身体を扱うのにも慣れてきたとはいえ、まだまだわからないことは多いからな……」

「相変わらず気の長いことですね? 普通はこの年頃くらいにもなればだいたい全部わかったような気にだってなるものですが」

カルロはまくり上げていた裾を直し、椅子の上で足を組んだ。

「そうは言うが、俺が生を受けてから、元の姿でいた時期の半分も経っていない。辛い時間だから長くも感じたが、それでもまだ十五年だ。ペタルに縫わせた身体だって、使いこなせているかと言われれば違う。俺自身、こうなる前はもっと上手く『使われて』いた。……まあなんだ、精進するさ」

「応援していますが、あんまり根を詰めないようにしてくださいねー?」

カルロはペタルをじっと見た。手を組んで以来、ずっとおかしなことをしているというのに、こういうときばかりまともなことを言ってくる。視線に気がついたのか、ペタルは不思議そうに首をかしげた。カルロはなんでもないと手を振って、部屋へ戻って眠るよう勧める。納得したのかペタルは頷き、おやすみなさいといって立ち上がった。カルロはペタルを戸まで送る間に様々なことを考えた。支援への感謝、あるいは、引き込んでしまったことへの負い目。

「ペタル」

「なんですかー?」

いうべき全てを飲み込んで、カルロは戸口に立つペタルと向かい合った。ペタルは言葉を待っていた。カルロはいくらかの後ろめたさから、顔を扉へ向けた。それだけで、背の高いペタルの顔は見えなくなった。

「……眠りに安らぎを」

「ええ、カルロも。よい夢を」

挨拶を交わせばペタルは去った。戸を閉めて舌打ちを一つすると、カルロはカーテンを閉めて狭苦しい寝台へと身体をねじ込んだ。ペタルの様子を思い出しては喪失感に苛まれる。頭が熱くて苛々したが、なんとか目を閉じ、意識を落とすよう努める。強く閉ざした瞼の裏に慈悲深い眠りがやってくれば、心持つカルロは波間に沈み、寝台の上で無造作に絡まりあう手足の一つとなった。

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