第55話 寂寥感

 若本に失恋したとは言え、高校、そして吹奏楽部を休むわけにはいかない。


 ただ若本に


「彼女にはなれない」


 と言われただけじゃないか!


 部活ではこれまで通りに接するように心掛けよう、もう神戸、伊野の前例のような、後を引き摺るようなことはしたくない!


 俺はフラレた傷は大きかったものの、なんとかその気持ちを表に出さないようにしようと心掛け、失恋翌日の部活に出席した。




 だが…


「上井先輩、元気ないですね。何かありましたか?」


 早速、俺の次くらいに音楽室にやって来た打楽器の1年、宮田京子に突っ込まれた。

 …なんだ、やっぱり隠せないか。でも本当の原因を言うわけにはいかないし。


「あ、宮田さん。やっぱり俺、疲れとるかな?」


「先輩、疲れとるんですか?」


「なんかね、最近なかなか寝付けなくて寝不足なんよ」


 こんなベタな言い訳が通用するだろうか?女性はその辺、鋭いとも聞くしなぁ。

 でも昨夜なかなか寝れなかったのと寝不足なのは本当だ。失恋したその日に快眠出来る訳がない。


「寝不足ですか?それならまだ良かったですけど。今晩沢山寝れば大丈夫ですもんね!アタシ、また先輩が悩み事を抱えたような顔に見えたんで、それでちょっと心配しちゃいました」


 俺は内心、ドキッとした。なんとかベタな言い訳が通用したようだが、宮田には実際のところ見抜かれてるじゃないか。そこへ、


「上井くん、早いね〜。また負けたよアタシ」


 その声は同期の広田史子だった。


「広田さんも早いって。俺はまあ、クラスにおってもやることないしね。修学旅行でまつりの曲の練習もマトモに出来とらんし、来週はまた中間テストで部活禁止期間に入るし」


「あっ、中間があるんじゃったね。アタシまだ修学旅行から現実に戻れとらんのかもしれん」


 と話す広田の表情をチラ見すると、俺の現状には気が付いていないようだ。俺と違って修学旅行は楽しかったんだろうなぁ。部内でも公にはなっていないが、大上と付き合って結構長くなってきたし、きっとディズニーランドで楽しい時間を過ごしたんだろうな。

 このまま俺の変化には気付かないでほしいが。


 そのうち部員も少しずつ集まってきたが、若本の姿が見えた時は緊張した。


(いや、これまで通りに…って自分で決めたんじゃろ?)


 と思い、あえて若本の方を見て声を掛けようと思ったが、若本は俺の視線に気付くと不意に視線を逸らし、斜め前にいた同じサックスで途中入部してきた、俺と同じ中学校の後輩、永野に声を掛けていた。


(…やっぱりこうなるんか)


 まるで高1の時の伊野沙織と同じ展開だ。伊野沙織にフラレた時も、俺は単なる友達、部員同士に戻ろうと告げたが、1年以上経過した今でも伊野沙織と直接は話せていない。目も合わない。若本ともこのまま、同じような関係になっていくのか?


(この吹奏楽部の中に、俺の失恋相手が3人もおるんか…)


 そんな事態になりたくないと思っていたのに、改めてその現実を思い知ると、俺の中でやっぱり恋愛なんて懲り懲りだ、好きな女の子など絶対に二度と作らないという思いが強くなる。


 そんな事を考えながら部活に出ていると、やはり俺の態度に出るみたいだ。




「…以上で今日のミーティング、終わります」


 淡々とその日の部活を締め、部員を見送ってから音楽室の鍵を掛けて職員室へ向かおうとすると、久々に俺の制服の裾が引っ張られた。


「上井くん、少し時間ある?」


「あっ、ああ…野口さん。なんかこのパターン、久々じゃね」


 やはりそれは野口真由美だった。俺は弱々しく答えてから、屋上に通じる階段の踊り場へ野口と並んで座った。


「何かあったじゃろ?」


「俺に?」


「うん。今日の上井くん、変じゃもん」


 野口はストレートに聞いてきた。女子はやっぱり鋭い…。俺は無理やり何もなかった風を装い、答えを返した。


「いや?まあ寝不足じゃけぇ、ちょっと疲れとったかもしれんけど、何もないよ、うん」


 野口は俺の目を見つめた。妙にドキドキする。


「寝不足はウソでしょ?今の上井くん、悩み事を隠そうとしとるようにしか見えんもん」


「なっ、なんで?」


「今日、クラのパー練は音楽室。じゃけぇ打楽器の練習も見えるんじゃけど、広田さんと京子ちゃんの会話しか聞こえんかったよ。いつもなら上井くんも会話に入っとるのに」


「いや…それは…」


 地獄耳ではなく、その逆か?しかしなんとも痛い所を突かれた気がした。確かに今日は女子二人による女子トークが賑やかだった。俺はそのトークには混ざれなかった。


「でね、なんか気になったけぇね、ちょっと打楽器の方を見てみたら、上井くんってば下向いて考え事ばっかりしよった。たまに譜面見て少しティンパニーを叩いとったけど。ね、きっと何かあったんでしょ?アタシでよければ…いや、アタシに聞かせてよ。じゃないと上井くん…」


 そこまで野口は一気に言葉にすると、一息付いた。そして言った。


「アタシも悲しくなるから。親友じゃん、アタシと上井くんは」


 俯きながら呟くその声は、やはり心なしか寂し気だった。


「野口さんには…見透かされちゃうんだな、どうしても」


 俺もここまで言われたら、正直に昨日の出来事を明かさないとダメだろう。

 だが若本を好きだったということは、これまで野口だけでなく、誰にも言ったことがない。

 伊野沙織の時は、野口が応援団をしてくれるほど色々事前に相談したりしていたから、フラレた後も話をしやすかったのだが…


「あの…今から話すことは、これまで野口さんには何の相談もしてこんかったことじゃけぇ、驚くと思うんよ。それを念頭に置いて、聞いてほしいんよ」


「アタシはなんにも知らないこと?上井くんの友達や、吹奏楽部の誰かには言ったことがあるの?」


「いや、誰にも…。野口さんどころか、誰にも言ったことがないよ。自分一人で思い付いて実行して、失敗したこと」


「う、うん。じゃあ気持ちを真っ白にして聞くね」


 そう言うと野口は目を閉じた。俺は独り言を喋るように話し始めた。


「去年、伊野さんに失恋して、恋愛が怖い、女子の気持ちが分からない、そんな状態になったんよ。でも色々1年の間に起きて、彼女がやっぱりほしいな、高校時代に一度は彼女がいるって体験をしたい、そう思うようになったんよ」


 野口は目を閉じたまま、ジッと聞いてくれている。


「俺をそういう気持ちにさせてくれたのは、今年入ってきた1年生。女子なんか明るい子ばっかりで、無邪気で…。その中でも俺、若本のことが一番気になるようになったんよ」


 若本という固有名詞を出したら、野口はやはり驚いたように目を開け、俺の方を見た。そして何か言いたそうな感じだったが、俺はそのまま話し続けた。


「サックスで同じパートで過ごしながら、冗談言い合ったりしてて。そのうち、もしかしたら若本は俺に気があるのかな?って思うようなことを仕掛けてきたりするようになって…」


 ここまで話すと、若本との間で起きた出来事がサーッと脳内に思い出された。


 バリトンサックスを譲る時に、間接キスになっちゃいますね!とか言ったり、不意をついて髪の毛の分け目にチョップしてきたり、夏の合宿で二人きりで夜に会話したり…


 そんなことを思い出していたら、つい数日前まで仲良く、脈アリじゃないかと思っていたのに、目線すらワザと合わせなかった今日の若本が別人にしか思えなかった。


 言葉に詰まった俺を見て、野口が声を掛けてくれた。


「ごめんね、上井くん。辛かったんじゃね…。でも、サオちゃんの傷で、もう恋愛は嫌だとか言うとったじゃん。そこからは一度は抜け出せたんじゃね?」


 野口は言葉を選びながら、俺の方を見てそう言ってくれた。


「う、うん。野口さんに何も相談しとらんけぇ、どこから話しゃええのか、みたいなのはあるけど」


「いつ…から?」


「若本を意識しだした時期?」


「そう」


「文化祭の頃かなぁ…」


「文化祭かぁ。もしかしたら上井くん、バリサクから打楽器へ移る頃?その頃に若本さんと何かやり取りしてて、上井くんの心に響くようなことがあったんじゃない?」


「それは…ある」


 まさにマウスピース越しの間接キス発言が飛び出たのはその頃だ。

 今思えば、若本は俺をからかっただけなんだろう。なのに恋愛恐怖症の俺には、劇的な薬になってしまったのだ。


「やっぱり、何かあるよね。何もないと上井くんの頑なな心が動かんもんね」


 野口は再び俺の方ではなく、少し俯いた姿勢になった。


「上井くん、もしもう言いたくなかったら止めても…」


「いや、ここまで喋ったのに、結末まで言わないのは…俺も困る」


 弱々しく苦笑いを浮かべつつそう言うと、俺は昨日の出来事を一気に結末まで話した。


「ね、こんな結末だよ。これが、今日の正体を見破られた答え。なんかね、もう俺なんて…」


 野口は悲しげな表情を浮かべると、俺の喋りを止めるかのごとく話しかけてきた。


「上井くん!吹奏楽部、辞めないでね!」


「えっ?」


 思わぬ言葉に驚いたが、野口の言い分は、


「上井くん、本音ではもう吹奏楽部なんか、って思ってない?いつも上井くんは部活のために一生懸命頑張ってるのに、辛い思いばかりしとる。若本さんだって、上井くんが直面したいろんな問題に、悩みながら立ち向かってきたのを見てるはずじゃん。そんな上井くんに、色々とチョッカイ出してきたら、気があるって思うのも無理ないし。それでやっと上井くんがさ、女の子…恋愛に頑張ってまた踏み出したら、そんな終わり方だなんて。アタシが上井くんだったら、もう嫌だ、逃げ出したいって思うよ、きっと。上井くん、どう?」


 野口が一気に思いの丈を告げてくれた。確かに神戸千賀子にフラレてから伊野沙織、そして若本直子と、惨めな連敗を喫している。吹奏楽部内に3人も失恋相手がいるのだ。それだけを客観的に見たら、確かにもう逃げたくなるような環境かもしれない。


「野口さん、俺に寄り添ってくれてありがとう。でも退部なんかしないよ。あまり大したことも出来てない部長じゃけど、部長が退部する理由が失恋じゃなんて、孫の代まで笑われるよ。じゃけぇ、退部なんか考えとらん。大丈夫」


「ホンマに?」


「うん。当たり前田のクラッカー」


「もう…上井くんってば!何を言い出すのよ」


 野口は泣き笑いのような表情になった。そうそう、俺は明るく楽しい部活作りが元々の目標なんだ。ここが踏ん張りどころじゃないか…


「でも野口さん、ありがとね」


「え?何が?」


「俺の愚痴…っていうか、情けない話を聞いてくれて」


「情けなくなんか、ないよ。これからもアタシは、上井くんを応援しとるけぇね」


 野口はそう言うと立ち上がり、


「絶対に高校卒業するまでに、アタシに『彼女出来た!』って言える日がくるのを祈っとるけぇね!じゃあね、バイバイ!」


 そう言って何故か最後は俺の顔を見ないようにして、小走り気味に下駄箱の方へと向かった。


(彼女が出来たよ…なんて言える日が来るわけ…)


 恋愛に自信喪失気味な俺は野口にそう励まされつつも、そんな日が来るとは思えなかった。それどころか…


<次回へ続く>

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