Drakaina
閑谷
第1話 地下祭室
おかげで今日も授業中に船を漕ぎだし、その度に教師から注意を受けたが、生理現象なのだからどうしようもない。
(…………はぁ、またか)
今夜も案の定、大声で話す声が外から聞こえてきた。
それになんだか、寝返りが打ちづらい。右にも左にも行けず、もしやこれが金縛りだろうかと、寝ぼけた頭でぼんやりと考える。水平方向が駄目なら垂直移動はどうかと腕を持ち上げてみると、あっさり動きはしたものの、何かに音を立てて激突した。
その瞬間、人の話し声がぱったりと止んで静かになる。もしや今までのは全部夢で、手をぶつけたところで目が覚めたのだろうか。
よし、じゃあ寝なおそう。と思っても、今度は目が冴えてしまって眠れない。それに、手には確かに何かに当たった感触が残っている。ベッドに横たわる自分と天井の間には、遮るものなど何もないはずなのに。
そればかりか、目を凝らしても何も見えない。いつもなら、夜中でも徐々に目が慣れて窓から入る街灯や月の明かりで多少は見えるようになるはずが、箱の中にでも閉じ込められたように一切の光がない。
おそるおそるもう一度手を上へ伸ばすと、やはり何かにぶつかった。表面は平らで、少なくとも手が届く範囲には縦横どの方向にもずっと続いている。
まるで棺桶の中だ、と気付いてぞっとする。
なかなか起きないからといって、まさか死んだと勘違いされるようなことはないだろうけれど、もしかしたら夜のうちに一度心臓が止まり、病院を経て葬儀場まで運ばれ、たった今奇跡的に息を吹き返したのかもしれない。
十七年の人生の中で、葬儀は祖母と祖父とで一回ずつ経験している。細部は覚えていないが、たしかお坊さんがお経を上げたり親戚の伯父さんが挨拶文を読んだりといういわゆるお葬式の後で、火葬場に移動して棺ごと遺体を燃やしていた。焦げついた骨を長い箸で壺に納めたことは、はっきりと記憶に残っている。
(……も、もしかして、焼かれちゃう!?)
慌てて両手を突っ張り蓋らしきものを持ち上げようとすると、意外に呆気なく横へずれ、薄っすらと光が差し込んだ。
これだけでも周りは異変に気付いてくれるかと思ったが、相変わらず静かなままだった。葬式の最中に棺桶の蓋が外れれば大騒ぎだろうから、ちょうど周りに誰もいないタイミングなのだろうか。
仕方なく、そこそこ重い蓋を自力で押し開ける。ある程度横へ押したところで、大きな音を立てて蓋が落ちた。
これで一安心、と上体を起こすと、菖蒲は一目で全く安心できるような状況ではないことに気がついた。
一様に白い衣装を身につけた見知らぬ人々が、少し離れたところから、目を見開いてこちらを注視している。喪服を着た家族や親戚の姿はどこにもない。
誰か一人でも知っている人、知っている物がないかと見渡すが、見れば見るほど馴染みのないものばかりで途方に暮れる。やたらと柱の多い空間で、なんとなく地下放水路を思い出したが、それよりもずっと狭く、地下のような閉塞感があった。天井は隣り合う柱同士の間で弧を描き、いくつもの小さなドームが列柱に仕切られて並んでいるような独特の形状をしている。小さな窓から差し込んでくる光だけでは薄暗いためか、こちらを取り囲むように立つ白装束の彼らの多くは、燭台を手にしていた。
その中で一人だけ緋色の衣を纏い、茫然とこちらを凝視する背の高い金髪の青年と目が合った。絵本に出てくる湖のような、柔らかい乳青色だ。映画俳優かと思うほど整った顔立ちは、けれどこれまでに見たどんな俳優よりも美しい。抜けるように白い肌は見る間に紅潮していき、形の良い唇が僅かに開かれたまま震えている。騒然とする一団の中でも、明らかに彼が最も動揺していた。
(どういう状況!? びっくりしてるのはこっちもなんだけど……!?)
一見した限りでは、日本人らしき風貌は見当たらない。もしかしたら国籍は日本だったり日本語を話せたりする人もいるかもしれないが、これだけ西洋人風の人々が集まっているのを見ると、あまり期待しない方が良さそうだ。
かと言っていつまでも膠着状態を続けるわけにもいかないと思い、菖蒲は意を決して口を開いた。
「…………は、はろー?」
辺りは水を打ったように静まり返った。先ほどまでざわついていた人々が、完全に沈黙してしまった。
何かまずいことを言っただろうか。金髪碧眼を前に思わず英語が出てしまったが、もしやフランス人だったのか。
混乱する頭で、ボンジュールか、ズドラストヴィーチェかと迷っていると、静寂を破って白づくめ集団の一人が叫び声をあげた。
「シャ……シャベッタァァァァァア!!」
それを皮切りにして、地下ダンジョン中に悲鳴とも歓声とも取れるどよめきが堰を切って溢れ出した。
「えっ!? なになに!?」
未だ状況が飲み込めず、戸惑う菖蒲の視界の端に、赤いものが映りこむ。棺桶のすぐ脇へ、先ほど目があった美しい青年がほとんどよろけるようにして跪いた。鮮やかな緋色の装束が床石に擦れるのも気に留めずに、菖蒲の方へ恐る恐る手を差し伸べている。
「えっと……握手です、か――!?」
その白く長い指は何故か菖蒲の頬に伸び、菖蒲は反射的にその手を叩き落とした。
「――!」
「あっ、すみません! びっくりしてつい……! もしかしてそういう挨拶でした!?」
ライトブルーの湖面が揺れる。やってしまった。きっと相手の頬に触れて歓迎の意を示すのがこの地の慣習なのだろう。周りの人々は何がそんなに嬉しいのか、未だ歓喜に沸いていて菖蒲達のやりとりなど気にも留めていない。
「本当にごめんなさい! 私ここに来るの初めてで……!」
「お許し下さい!!」
青年は額を床石に擦り付け、そのままのめり込みそうな勢いで謝りだした。
「感激のあまり、とんだ御無礼を……! イーリス様の御尊顔にこのような卑しい手で触れようとするなど……!」
謝罪の気持ちは伝わるものの、彼が何をそれほど慌てているのかわからず、菖蒲は暫く呆気に取られてその様子を見つめていた。
「ヴェルナー様、よろしいでしょうか」
金髪青年の狼狽ぶりを見兼ねてか、後ろから一人の男性が声をかけた。よく見ると彼も、白づくめの集団の中では珍しく色のついた服を着ている。
「え? あ、ああ……、申し訳ありません…………」
その声に、挙動不審な美青年はようやく顔を上げた。
ピンチヒッターとして出てきた赤茶色の髪の男性は、様付けで呼ばれた彼よりも一回りは年上に見える。
「ええと……」
彼は見た目も挙動も落ち着いてはいるものの、困惑したような目を菖蒲に向けた。
「イーリス様、とお呼びすればよろしいのでしょうか?」
天弓菖蒲というフルネームに一文字も掠らないどころか、およそ日本人の名前とは思えない響きに面食らい、菖蒲は黙ったまま目を
「ヴェルナー様が取り乱しておられますので、僭越ながら司祭の私がお話させて頂きます」
気付けば先程まで狂喜乱舞していた人々は、威儀を正して整然と並んでいた。ヴェルナーという青年だけが地に膝をついたまま、そわそわと期待に満ちた眼差しで菖蒲を見つめている。
「ええっと……すみません、聞きたいことが多すぎて混乱してるんですけど……まず、ここはどこですか?」
司祭を名乗る彼は、覇気のない垂れ目を見開き、少し驚いたような顔をして答えた。
「プルウィウス・アルクス大聖堂の
高校受験の社会科の知識を総動員してみるが、全く心当たりがない。知っている大聖堂といえば、アニメ映画で見たノートルダムくらいだ。
「……ごめんなさい。ちょっとわからないので、今スマホで調べて――あ痛っ!?」
定位置を探った手は、棺の側面にぶつかった。
「スマホがない!? なんで!? 寝る前に枕元に置いてたのに……!」
そもそも枕もベッドもない。慌てて棺桶の中をひっくり返して探すが、当然出てこなかった。
「で、でもっ、皆さん日本語をしゃべってるってことは、ここは国内……日本ですよね? ね!?」
「そのような地名は存じ上げません。この地の今の国名はドラセナです」
聞いたこともない国の名前に、菖蒲は更に混乱した。
「……じゃ、じゃあ、日本まで飛行機でどれくらい、とか……わからないですよね……」
言いながら、日本を知らないと言われたことを思い出した。
「申し訳ございません。私どもにはわかりかねます」
謝罪の気持ちよりも戸惑いの滲む声で一蹴される。
「えっと、じゃあ、なんで私がここにいるのかとか……あっ、すいませんそれこそ知るかって話ですよね――」
「我々を救って下さるためでしょう?」
よく通る声が響き、部屋中の視線が一斉にそちらへ集中する。
「この逼迫した戦況を好転させ、我が国を勝利へ導く。今貴方が目覚めたというのは、そういうことではありませんか」
場の注目を一身に集めながら、自信に満ちた顔つきの若い男が悠々と現れた。無造作にまとめられた銀髪にすら気品が漂い、豪奢な服装からも高貴な身分だろうことが一目でわかる。その後ろからは、少し遅れてカンテラを提げたいかにも付き人然とした人が続く。
「ツェーザル殿下!」
金髪青年ヴェルナーがはっとした様子で名前を叫んでも止まることなく、殿下と呼ばれた男は硬質な靴音を響かせながら菖蒲の方へ近付いてくる。
「目覚めたのならば、さっそく御力をお貸し願おう――軍神イーリス」
菖蒲の二の腕を乱暴に掴んで棺の中に立たせると、躊躇なく肩に担ぎあげた。
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