第4話.勝つのは偶然、負けるのは必然。
結局その日の団体戦は、最後の最後まで負け知らずのまま、優勝してしまった。
さすがに決勝戦は苦戦した。先鋒の窪田先輩があっけなく二本負けしたときはどうなるかと思ったものだった。
しかし三木先輩が引き分けで持ち越して、黒崎先輩が抜き胴の一本勝ち。これで勝者数が並んだが、久川先輩がギリギリまで粘ったところで、相手に小手を許してしまい、余計不利になってしまう。
剣道は団体戦の場合、基本的な勝敗は入った本数よりも勝った人数で比較される。もちろん勝者数が同数だった場合、入った技の本数で比較されるのだが、これも同数だったとき、双方最も体力と実力のある代表者が前に立ち、代表戦を展開するのである。
ちなみに代表戦は他とは違い、三分一本勝負となる。これで決まらなかったら、決まるまで戦う延長戦になだれ込むのだ。
だから北島先輩は、まずストレートの二本勝ちをしなければならなかった。
礼。三歩前に出る。ソンキョ。
ふつうの選手ならビビってしまいそうなピンチにおいて、なお北島先輩は堂々と構えていた。そして開始の合図とともに、腹の奥から吹矢のごとき鋭い発声を吐き出した。
北島先輩の低い声と、相手の大将のしゃがれた声が絡み合う。小技と小技が複雑に錯綜し、何度も
戦い方としてはなかなか意地汚いところがあるが、相手のやり方は戦略としては正しかった。なにせ勝つ必要はない。負けなければチームが勝てるのだ。余計なリスクを背負うよりは、粘着的な防戦一方に持ち込むのが妥当だった。
だから、北島先輩が鍔迫り合いを離れようとしても、すぐさま間合いを詰めていく。面を打って反撃するも、近い距離では面金という防具の前方を守る金具に当たって、有効打突になりはしないのだ。
しかし鍔迫り合いに持ち込めば行けると相手の考えは甘かった。数えきれぬほどの駆け引きの果てに、北島先輩はぐるりとからだをひねって、今日一番で目を瞠るほどの
これには他校の生徒も拍手をしたぐらいだった。すでに決勝戦にたどり着けなかった学校の生徒たちが、せめて決勝戦ぐらいはと周囲を取り巻いて観戦していたのである。
さて、二本目。
これは思ったよりもあっけなかった。たん、たん、たたん。小学校の音楽の先生が手拍子を打つみたいに連続した踏み込みがあったかと思うと、北島先輩の、目にも止まらぬ速さの担ぎ面が、相手の大将の脳天を打ち抜いたのだった。
そしてどよめきの中での代表戦。
こちらは北島先輩で、相手はなんと副将だった。
沈黙の中、両者合間見える。
「始めッ!」
相手の甲高い発声と、北島先輩の声とが見えないバリアを張り合った。剣道における発声とは怪獣映画における怪獣の鳴き声にも似た、独特な雰囲気を醸し出す。
声が会場を占め、相手に圧を与えるものほど先生方は喜ぶけれども、発声の仕方は個々人の選手の個性が出る。窪田先輩の場合は喉を枯らしたような声だし、黒崎先輩は昔流行った怪獣映画によくいた翼竜っぽいヤツがよく叫ぶ、キャーッと耳をさっと貫くような甲高い声をする。
北島先輩のそれは、余裕があるときはサアサアと受け応えるような、切羽詰まっているときは地声に近い、低いところから高いところに急上昇するような発声をする。
いま、まさに後者の発声をしていた。腹の底から迫り上がるような叫びが、一瞬相手をビクつかせると、すかさず先輩の竹刀が相手の剣尖をまたいでなだれ込む。面、面、小手、面と立て続けに間合いを詰めながら打つのに対し、気の緩みから逃げの一手をたどった相手は、しかし北島先輩の竹刀を巻き込んで、接近戦へと体勢を立て直した。
鍔迫り合いにもつれ込む。竹刀の手元が互いの懐へと牙を立て、隙を見れば捩じ切らんとガンを飛ばす。静かながらの激戦状態。足は休まず延々と動き回る。それも、静かに、ゆっくりと。
とたん、相手の竹刀が引き面を繰り出す。見事に北島先輩の不意を突いてきたが、面金で打ちが浅い。おまけに残心が緩く、引いた速度が遅いものだから、北島先輩があとから追いついて、すわと竹刀を振りかぶる。
だがこれを見越さぬ相手ではない。引き技は打った直後に隙が出る(と、飛田先輩から教わった)。だからその瞬間に面なり小手なり胴なりを打ち込めば、きれいに決まる。そんなことは少し考えれば当たり前だと言わんばかりで、相手は北島先輩の猛攻を遮って、またしても鍔迫り合いになってしまう。
ぐ、ぐぐと力で押し合う時間が、約五秒。
これ以上やっても仕方ないと悟った両者は、ゆっくりと互いに距離を取る。しかしこれは諸刃の剣で、下がったところを打ち込むのが勝利の極意とされる中学剣道であるからして、鍔迫り合いの別れ際はハイエナがよだれをたらさんばかりの隙のオンパレードとなりがちだった。
一歩、二歩、三歩と距離を取っていく様子は、さながら西部劇映画のガンマンの早撃ちの決闘そっくりだった。
あっ、という間もなかったのである。
いつからその間合いだったのかはわからない。どこから行けると判断できたのかもわからない。とにかく北島先輩がほんの一瞬、相手よりも速く攻勢に出た。相手も同時に面を打とうした。
しかし北島先輩の竹刀はすでに相手の面を思い切り打ち込んでいて、ちょっと鈍感なギャラリーが相打ちかと思った時には、北島先輩のいるほうに旗が上がっていたのである。
以上が団体戦のいきさつだった。
あとは閉会式と、顧問の夏野先生からのお話である。
「勝負事を甘く見るな。勝つのは偶然、負けるのは必然だと心得ろ」
要約するとそういうことだった。とにかく夏野先生は勝ったにもかかわらず勝ち方に不満があるようで、北島先輩以外の、主に二年生の先輩方のこれからを憂いてだいぶ説教をした。ぼくと中嶋はそれに付き合いながら、勝っても叱られるのかとドン引きだった。
さて、翌日。個人戦の話だ。
出場する選手は昨日と打って変わって、窪田先輩と黒崎先輩、飛田先輩と北島先輩の四人が出場することになっていた。
「おまえら知らないだろうけどな、おれだって強いとこ見せてやるからな」
飛田先輩はそう言って、三回戦まで勝ち上がった。先輩の剣道歴は中学入学以来の、いわゆる〝初心者組〟 だったのだが、もともと空手をやってたらしく、それに見合った壮絶な気合で二人までは勝ち抜いていた。なにせ体育館の端から端まで聞こえそうな大声なのだ。ここまでやられるとちょっと引く。
一方、黒崎先輩は二回戦で強豪とぶつかって敗退した。ぼくから見ると、団体戦ですごく安定しているように思えた先輩が、個人戦ではあっけなく負けるとは意外だった。
「いやあ、勝たなきゃいけないってのが、やっぱりしんどいんだよな」
「先輩もそう思うんですか?」
「当たり前だよ。すげー緊張すんだから」
なんか、こういうことを強い人から聞くとホッとする。いや、まだぼくは試合場に立ててすらないんだけども、なんか、そうだな、自分と同じ世界の人だと感じちゃったからなのだろうか。
けれども、三木先輩とかが黒崎先輩をイジっているのを見ると、やっぱり人それぞれなんだなとは思う。負けん気が強い三木先輩は、あーすりゃ勝てただろ、とちょっとだけ説教モードに入りつつある。
とはいえ、今度は選手が四人で、トーナメントでブロックが違ったから、ぼくも先輩方の試合をすべて見てたわけじゃない。
予想外だったのは窪田先輩だった。なにせどこまでも勝ち抜いていたのである。
「クボちゃんやるぅ」
久川先輩がニヤニヤしながら腕組みする。ぼくはその傍らで、トーナメントに試合結果を記録する。小手を打たれるも、面と小手で二本取り返した。こりゃ凄い。
「まあトーナメント運もあるよ。団体戦にも同じこと言えるけどさ、強いやつとぶつかるのが後になれば、上がりやすいし」
窪田先輩はそう言ってへらへら笑ってた。まんざらでもなさそうなのがこの人らしかった。
「さて、ようやく準優勝っすね」
中嶋が楽しげに窪田先輩に言った。ぼくもちょっと興奮した。というのも、このまま先輩方が勝ち抜けば、決勝戦で窪田先輩と北島先輩とがぶつかるからである。
だが、その前に──
「あ、おれの相手黒崎負かしたやつじゃん」
ちらと黒崎先輩を見る。先輩はあっほんとだ、と至極どうでも良さそうに言った。
「んじゃ、敵討ちしてきてよ」
「良いけど、それでリベンジした気になるなよー」
へらへら笑う。なんかちょっとカッコいいなと思ってしまった。
そんな調子で、準決勝は女子剣道個人戦のそれと同時に始まった。
言い忘れてたんだけど、地区予選における個人戦では男女とも同じ日に行う。だから体育館の中の六つの試合場のうち、四つは男子で二つは女子で使うことになっていた。
ちなみに公式戦では、男子と女子とは戦わない。あくまで体格とか腕力とか、いろんな都合で別々になるわけだ。
とは言っても、ぼく自身女子剣道というものがあることは知ってたし、漫画とかで読んだけども、実物としてまじまじ見る感じではなかった。実際のところ自分の学校の先輩方の試合を見て、記録を取るので精一杯だったので、結局何が何だかよくわからないままだったのだ。
ということで、男子個人戦の準決勝のお話に戻る。
北島先輩は一分四十秒ぐらいで二本勝ちを決めてしまった。だから、見ててハラハラもし、楽しかったのは窪田先輩の戦いだった。
相手は黒崎先輩を負かした人で、背丈は窪田先輩よりも頭がひとつ大きい。よそから見る限りそんなに速くないのだけど、面と胴を打つ時の手首の返しが鋭くて、黒崎先輩はそれでやられたのだった。
身長差は、剣道においてはちょっとしたアドバンテージを示す。
背が低い人から背の高い人に向けた面は角度的に浅くなりがちだが、逆に背が高ければ余裕で面が後頭部まで打ち込める。そういうことを飛田先輩や佐伯先輩が合間合間に説明してくれたのだが、それってつまり、窪田先輩はかなり不利ってことだ。
実際開始十秒も掛からないところで、いきなり面を取られた。足の動きがロボットみたいにジグザグしてたのだけど、面の入りは完璧だった。この人はこういう背丈と手首のアドバンテージで勝ち続けたみたいなところがあったのだ。
それでも負けじと窪田先輩が踏ん張って、小手を盗む。試合時間で言えば二十秒。同じ頃北島先輩はせっせと剣尖を交えて緊張した時間を過ごしていた。
ところが一分が経った頃から、窪田先輩の戦い方は苦しくなっていく。足をせっせと動かして相手を翻弄し、得意の面を封じてみせたかに思えたが、かえって自分の足元が定まらず、逃げ回っているような構図となる。
時折面を打っても、身長差が邪魔をして硬い音しか鳴らない。そのまま残心を決め込もうとするも、相手の体格に押し切られて床に転倒を繰り返す。一度は相手に押されて、場外に吹っ飛ばされてもいた。
剣道において場外は反則となる。他にも試合中に自分の竹刀を取り落とすだとか、体当たり以外で無理やり押し出そうとするとかも反則行為のうちに入る。
あとで聞いた話だが、剣道はとにかく礼節に厳しい。一本取った直後にガッツポーズをしただけでも、礼儀に反するとされて取り消しとなる世界だ。特に相手の身体と竹刀に対する礼儀も大切で、相手の竹刀を不当に粗末に扱ったり、相手に足掛けをしたりするのも反則。あくまで礼に始まり、礼で終わるべしなのだ。
ところで反則は二回取ると相手に一本分を与えることになる。つまり変な話、体当たりで四回押し出せば勝てるわけだ。そういう勝ち方がかっこいいかは、別として。
窪田先輩はいま、ひょっとするとそういう負け方をしそうな瀬戸際なのである。
自分ごとじゃないのに、ひやひやする。
正座する脚がちょっと痺れてきた頃、準決勝のラストスパートが掛かっていた。窪田先輩は相手の面を防ぎながら、抜き胴に逃げ込むも、有効打突にはなりきらない。むしろ抜けたところで相手の追い打ちに遭いかけ、へっぴり腰になりながら、鍔迫り合いへと自分の安全地帯を見いだす。
足を動かすことは、中学高校の剣道ではとても重要なことだ。しかしそれはつまり、足が止まった途端に敗北が追い縋ってくるということで、試合中は常に自分自身とかけっこをしているようなものなのだった。
負けたくない?
だったら、その足を止めちゃいけない。
これはのちのちまで口酸っぱく言われることだったんだけど、ぼくはこのあと、足を止めずにいることがいかに辛くて努力の要ることなのかを、痛いほど思い知ることとなる。
が、それはまた別の話。とにかく、窪田先輩はもうへろへろで、腰が引けていて、ほんの一瞬でも気を許せば相手の面を打たれるに違いない、とわかるところまで、追い込まれていたのである。
互いの竹刀が力なく肩に掛かる。そのままゆっくりと間合いを開き、剣尖がふたたび交わろうとする。
この瞬間が、勝負どき。そりゃまあ、何個か試合を見ればわかってくる。ぼくはこのとき、次の一手できっと決着がつくに違いないと予感せずにはいられなかった。
それは、当たった。
パッと上がった旗は、窪田先輩に上がった。相手に面を打たれてはいたものの、それよりも速く、捨て身の勢いで小手を打っていたのである。
──勝つのは偶然、負けるのは必然。
夏野先生の言葉が急にフラッシュバックした。ぼくはふと、窪田先輩が負けるほうに自分の予想を付けていたことに驚いた。たぶん理屈の上では負けていたのだ。しかしそれ以上に、負けるもんかと飛び出した気持ちが、先輩を決勝戦へと引っ張り上げたのだ。
「クボちゃんやるぅ」
久川先輩がにやにやしていた。なんかその笑顔が自分ごとのように嬉しかった。
こうして迎えた決勝戦、窪田先輩と北島先輩との対決は、一対二の本数で北島先輩の勝利だった。
けれどもぼくにとって重要なのは、二本負けしたことではなく、一本は取ったという、窪田先輩なりの足掻きのほうだったのだ。
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