第30話  全身卑劣

 視界の端でロクサーナたちを確かめると、彼女らは寧ろ余裕綽々しゃくしゃくの表情で得物を構えていた。


「殿下、一人当たり約五十名の謀反人を成敗する計算です」

「物足りないですね」


 メフルの報告に優雅な微笑みを返すロクサーナ。上品な口許に対して、その瞳はらんらんと輝き、魔物を統べる王者としての風格を既に備えている。

 あの様子だと、大丈夫そうだ。


「任せていいか?」

「早急に謀反人共を成敗し、そちらに加勢します。少し待っていてくださいね!」


 ロクサーナと視線が交錯する。

 アイコンタクトで自信を確認すると、モーニングスターを押し返した。


「あてが外れたな」

「わからぬよ。我々は一騎打ちを楽しもうではないか!」


 ガシェールムは跳び退ると、星を振り回し始めた。三つの星はそれぞれが別の生物であるかのようにぶんぶんと飛び回る。


「卑怯者のくせに、僧侶っぽい武器持ってんじゃねえ!」


 俺は若干右――敵にとっては武器を持たない左側――から巻き込むように間合いを詰め、そのままスキルを発動する。


「シューティングスター!」


 チートアイテムのアシストが入る前に長柄ブロードソードをスキル発動の位置まで持ち上げ、自分で突きの構えをとる。

 流星雨のような突きがガシェールムに向けて放たれる。

 ガシェールムはじりじりと後退させられつつも、風を切って唸るモーニングスターの星と柄、そして左手の籠手で受け流した。


「この私が、押し負ける⁉」

「舞台ツラまで押し込んでやるよ!」


 スキルを織り交ぜながらの、間髪入れない攻撃。

 ガシェールムも派手な棘の生えた籠手で受け流しつつ、モーニングスターの星を上下左右から叩き込んでくる。

 一進一退。

 手数を見せないようにスキルを節約するのも限界か?


 と、背後から足音。

 ガシェールムの顔が歪んだ。


「カイ!」


 この、響きだけで安らぎを与えてくる声。


「ロクサーナ!」


 視線だけは離さず声を掛ける。

 ロクサーナとメフルが歩み寄りながら武器を構え直す音が聞こえた。


「これで三対一です」

「ガシェールム様、お覚悟なされませ!」

「ふふっ」


 ガシェールムの口許が歪む。


「雑兵を何人倒そうとも、私の足元にも及びませぬ。勇者討伐の巻き添えを喰ってお隠れあそばされよ!」


 ガシェールムがモーニングスターを揺らして踏み込んでくる。柄を両手で持って大きく振りかぶり……


「っ!」


 ガシェールムの胸の下が光る。

 俺は反射的にバックステップする。


「『力場壁フォースウォール』!」


 魔法で不可視の盾を発生させ、ほぼゼロ距離から発射された閃光を打ち払った。


「くくっ、よくぞ見破った」


 ガシェールムの嘲笑。やや遅れて背後で轟音。逸らした閃光によって背後の城塔が一つ、斜めに切断されて崩壊していた。

 ロクサーナはメフルに庇われて伏せており、無事だ。


「ふん、暗器か。身体の隅々を通り越して武器まで卑劣な奴!」


 改めて剣を構え、ガシェールムを睨みつける。

 身長は奴の方が若干高い。側頭部からは小さなカモシカの角が生えている。頬骨の目立つやせぎすの顔と、身に纏う黄色い鎧の大きさが酷くアンバランスだ。

 そのロボットのような鎧から、ビームが発射された。

 とすると、奴の鎧は装甲と言うより、何らかの武器なのではないか、ということが予想される。あの黄色い鎧は一体何なのか、打ち込んでみて判断する必要があるな。


「ヘプタグラム!」


 七連攻撃のキーワードを唱えながら、一歩踏み込む。【神技を与える者】がスキルを発動して身体が急加速した。すり抜けざまにガシェールムの横顔が視界に入る。

 奴は……笑っている⁉

 ガシェールムの巨体が回転し、マントが巻き上がった。その縁に縫いつけられた金属の凹凸。縁が全てソードブレイカーになっている! 長柄ブロードソードに引き寄せられるように蠢くマントが、黒い刀身に喰らいついて絡め取る。

 生半可な剣などへし折るであろう力。振り飛ばされた俺は柄を握ったままロクサーナとメフルの横を通り過ぎ、その背後に落下した。


「くはっ……」


 肺が息を叩き出す。

 半ば本能的な受け身のまま石畳を転がる。

 ガシェールムが満足そうに鼻で笑う音が鼓膜を擦った。


「さあて、今のうちに女騎士をいたぶるとしよう!」

「殿下、お下がりください!」

「メフルったら、なにを言うのかと思えば!」


 石畳を叩く足音。

 三つの星と四つの刃が交錯し、打ち合う。

 剣戟の響きを放っておけず、胸を撫でつけて無理矢理身体を起こす。


「糞っ……遠心力のせいか、それともロボット鎧のせいか」


 見れば、ロクサーナとメフルは百八十度近く広がって左右や前後から打ち込んでいるにも関わらず、ガシェールムの防御を抜けずにいる。


「この攻撃を一人でいなしていたとは、勇者めは恐るべき男にございますね」

「わたくしたちもお喋りできているのですから、余裕ありますよ?」


 拮抗している。寧ろ若干二人が有利だ。チャンス……

 走り出しながらチートアイテムに意識を集中し、スキルを発動する。


「ソニック・スラッシュ!」


 キーワードとともにスキルが発動し、身体が急加速する。ダメージではなく、意識を逸らす目的で肩当て目掛けて袈裟懸けに剣を振る。


「ぬうっ!」


 ガシェールムは籠手の棘で剣を受け止める。


「剣が五本ならどうよ!」

「勇者め。私のささやかな楽しみを!」


 ガシェールムの足元からモーターのような甲高い音が鳴る。

 危機感を呷る音に、無意識に三人が呼吸を合わせて打ちかかる。しかし――


「ぬはあっ!」


 ガシェールムの身体が高速で遠ざかる。

 跳んではいない。地面と平行に遠ざかった。

 ロクサーナが気味悪そうにショーテルを握ったまま口許を抑える。


「な……なんですか⁉」

「……車輪だ」


 脚甲から車輪が生えていた。ご丁寧にも、倒れないように踵の後ろの車輪は三十センチメートルくらい飛び出している。


「この……隠し芸野郎が!」

「全く、つくづく邪魔な男だ……まあ一人増えようと私の勝利は揺るがない!」


 車輪を収納したガシェールムが勝ち誇った表情で仁王立ちする。

 振り回すモーニングスターの回転が徐々に速くなり、距離を詰めて……来ない。

 代わりに飛来する、モーニングスターの星が三つ。


「スリングだったのか!」


 襲いかかってくる星を紙一重で回避しようとし、またしてもモーターのような奇妙な音を察知する。

 まずい!

 さらに大きく身体を反した目の前を、手裏剣状に刃を生やした星が回転しながら通り過ぎていった。だが、二つ目の星が胸元を掠める。

 シャツが裂け、血が吹き出した。


「また暗器か!」


 三つ目は目の前だ。

 さらに身体をひねる余裕はない。俺は危険な回転体を斬り払う判断を下す。刃がどこに飛ぶかわからないが、直撃するよりましだ。


 星は意外なほど呆気なく、真っ二つに切断された。

 内部からこぼれ落ちた粉末が急速にオレンジ色を帯びていく……!


「ちっ! 『飛翔体反転リバースミサイル』!」


 咄嗟に防御魔法で弾き飛ばしたが、大して距離を取れずに爆発が起きる。

 顔を庇った両手に灼熱感が突き刺さる。

 直後、全身に叩きつけられた衝撃によって後方に吹き飛ばされた。


「きゃあ!」

「殿下!」


 ロクサーナの悲鳴とメフルの叫びが爆発音に混じる。

 最悪な隠し芸だ。

 視界は朱色……相当ダメージを喰らったようだ。身体の節々が痛む。

 剣を杖にして立ち上がる。【命の器】がなければ即死だったろう。


「メフル! メフル!」


 背後でロクサーナの叫び声が聞こえる。

 その声の先には、いつの間にか出現したボロ布に覆われたメフルが横たわっていた。


「わたくしをかばって……!」

「殿下、私は……大した怪我では……ありません。布で防御して……おりますから。全ての繊維は……私のしもべ……ですから」


 メフル……安心させようとしているが、爆発と打撲のダメージがかなり入ってるみたいだ。

 一方でガシェールムは満身創痍になった俺たちを満足そうに見下ろしていた。


「おっと、仕留め損ねたか」

「倒れない……お前を潰すまではな!」


 俺が生き残ったことが酷く不本意であるように肩を揺らすガシェールム。まるで見ず知らずの犬に吠え掛けられたかのように顔中の筋肉を歪めている。


「やはり、全力で直接とどめを刺さねばならんな」


 ガシェールムがモーニングスターの柄を捨てる。そして両手を軽く振ると、籠手から一メートルほどの湾曲した刃が伸びた。


「今度こそ……終わりだ!」


 脛当ての部品にバネでも仕込んでいるのか、巨体に似合わない踏み込みを見せるガシェールム。今度は踏みとどまる素振りを見せない。動きが緩慢になっている俺に、直接とどめを刺そうという魂胆か。

 右上と左上から同時に振り下ろす斬撃。

 気力だけで剣を振り、柄頭と刀身で受け止める。爆発の打撃で全身の筋肉が悲鳴を上げた。ガシェールムの刃が、既に血で染まったシャツにじわりじわりと近づいてくる。


「う……け……止めたぞ」

「止めたぞ! 頑丈なだけが取り柄の忌々しい剣を!」


 高揚したガシェールムの叫びと共に、巨大な肩当てが前後に開く。中から現れたのは……腕だ! これが今まで隠し通してきた武器……


「さらば、勇者!」


 俺の剣と押し合う二本の刃の上から、さらに二本の刃が振り上げられる。鍔迫り合いで動けないところに突き込む気か!

 手が足りない。力が足りない。時間が足りない。

 ガシェールムに押された俺の剣が自分に刺さるまであと数センチ。


 押し返せない……っ!


「カイ!」


 そのとき、俺を呼ぶ声が鼓膜を叩いた。

 その涼やかな声色を聞き間違うはずもない。


「ロクサーナ……」

「口を動かす余力はないはずだ」


 ガシェールムが刃を振り上げながら、なお執拗に鍔迫り合いに力を込める。


「安心しろ。魔皇帝の娘は、半分とは言え魔族の血を引く者。殺したり売り飛ばしたりせず、適切に飼育してやる……繁殖用としてな!」

「何だと……!」


 下卑た言葉に、全身の毛がざわりと逆立つのを感じた。血管という血管が脈打ち、脳が煮えたぎる。

 全身の痛みが、波が引くように消え失せた。

 胸元に突きつけられた長柄ブロードソードを押し返し、反対にガシェールムの反り返った刃を顎元に突きつける。


「に……人間風情が……」

「父親を殺すだけでは飽き足らず、ロクサーナの心も殺す気かっ!」


 我知らず、吠える。

 ガシェールムの眼球が小刻みに揺れた。


「貴様も仲良く死んでやれ!」

「ふざけるな! ……ウィル・オー・ウィスプ!」


 地下で仲間になった霊体を呼び出す。光の塊が左腕から飛び出し、ガシェールムの顔に特攻をかける。パチンと音がすると同時に、ガシェールムの全身の筋肉が跳ね、俺を押さえつけていた刃の力が弱まった。タイミングを合わせて刀身を傾け、ガシェールムの力を逸らす。片方はうまく流れたが、もう片方の刃が胸を抉ってきた。痛みは感じない。そのまま切っ先を流したのと反対側に踏み込む。


「ペネトレイティブ・ギガンティック・ソニック・ノナグラム!」


 長柄ブロードソードが大量の魔力を飲み込む。そして瞬きよりも速くガシェールムの懐を、背の後ろを駆け抜けた。それと同時に剣先は装甲を割り裂き、俺を投げ飛ばす強度を持っていたマントをボロ布に変え、今しがた俺を突き刺そうとしていた四本の刃を折り飛ばしていた。


「ぐ……げぇ」


 ガシェールムは醜い呻きと共に膝をつき、仰向けに倒れた。

 鎧の隙間から、黄緑色の液体がどろどろと溢れ出ている。何か隠していた武器が、俺のスキルで破壊されて、鎧の中で液漏れでも起こしたのかも知れない。


「カイ!」


 ダメージが蓄積したオレンジの視界の中、ロクサーナが駆け寄ってきた。躊躇いもせずに血にまみれた俺の胸元を撫でる。


「ああ、こんなに出血して……」

「ロクサーナ、手が汚れちゃうよ」


 そんな俺の言葉に耳を貸さず、ロクサーナは俺の胸に顔を埋めた。


「カイ……ありがとうございます」

「さあ、お母さんを助けよう」


 頷くロクサーナ。

 震える手を取り、痛む身体を引き摺って磔台へと歩み寄る。

 質素なロングスカートから覗く裸足が、俺の目の前にある。華奢な足だ。染み一つなく滑らかな肌はまるで陶器のよう――


「勇者、そこから離れろ!」


 野太い声。ログスにも負けていない。

 反射的に磔台から跳び退く。剣を捨て、【顕術けんじゅつ】でギリシアの重装歩兵が持つような大盾を創り出すと、その陰にロクサーナを抱いて転がり込む。

 直後……


「嫌ぁーーーっ!」


 ロクサーナの叫びもかき消すような轟音と共に磔台の皇后が爆発し、俺たちは大楯ごと宙に巻き上げられた。

 金属製の盾にぶつかる大小の瓦礫や小石の音が遠のいていく――

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