Track 04 - Jealous Guy

「彼女はおれだけのもの」

 いつも開けっ放しだった部屋のドアが、閉められたままになっている。

 どうしてだろう? おれはドアの前で彼女のほうを振り向き、開けて? と声をかけてみた。だけど彼女は「ジェローム、そこはだめだよ」と云っただけで、ドアを開けてはくれなかった。

 おれはなんとなくそわそわとドアの前を往復した。そしてふと、その気配に気がついた――おや、中になにかいるぞ。

 ぴたりと動きを止めて、ドアの向こうに耳を澄ます。すると、微かにミィ、ミィという声が聞こえてきた。赤ん坊の声だ。それも、どうやらひとりではないらしい。

 まったく、ガキがどこから入りこみやがった。おれは彼女のほうをまた振り返り、注意を促した。おい、中にガキが入りこんでるぞ! おれとおまえだけのこの家に。まったく油断も隙もありゃしない。早く追いだしちまおう!

「どうしたのジェローム。……あ、ミルクの時間かな」

 彼女はそう云ってソファから腰を上げると、こちらには来ずキッチンのほうへ向かっていった。おれは慌てて後をついていき、彼女の足にまといつきながらどこへ行くんだ、なにをする気だ、部屋の中にガキがいるんだぞ、と伝え続けた。

「こらこら。おまえのごはんじゃないよ、ミルクを作るの。邪魔しないでね」

 キッチンに立ってなにかしている彼女を、おれは見上げた。なにをしているのか、手許は見えない。いつもおれを優しく撫でてくれる、気持ちいい手。大好きなその手は、やがて懐かしい匂いのする小さな容れ物をふたつ持って、あの部屋へと運んでいった。


 彼女は部屋に入っていくと、顔を押さえておれを閉めだした。

 なんだよ、おれなんかした? なんでこんなひどい仕打ちをするんだ。おれはカシャカシャカシャカシャと爪を研ぐようにしてドアを引っ掻いてやったが、彼女は「こらジェローム! いい子だからおとなしく待っててね」と声を返してきただけで、おれを中に入れてはくれなかった。

 おれはへそを曲げ、くるりと踵を返し隣の部屋に戻った。そして部屋の真ん中に置かれたソファに飛び乗ると、お気に入りのクッションを踏み整えながら一周し、落ち着く向きで丸くなろうとして――むしゃくしゃした気分で、ばりばりとクッションを掻いた。

 なんなんだ、なんなんだ。あの赤ん坊どもはまさか、彼女の赤ん坊なのだろうか。ここにずっと住まわせる気なのだろうか。おれはそう思い、そしてその可能性に気がついた。

 ――まさか、追いだされるのはおれのほうなのか?

 いやいやそんな。ありえない。おれと彼女はずっとここで一緒に暮らしてきた。いつからかはわからないけど、気がついたときには彼女はおれを膝に乗せ、喉やら頭やらを優しく撫でてくれていた。おれが気持ちいいよ、大好きだよと云ってやると、彼女もおれを見つめて微笑んでくれた。

 彼女はこの世で最愛の人だ。おれはその気持ちを伝えるべく彼女の手にも脚にも、頬にもお腹にも頭を擦りつけてしっかりと匂いをつけまくった。彼女はおれのものだ。誰にもわたさない。

 彼女がおれを追いだすなんて、そんなことはないはずだ。考えすぎだ。あの赤ん坊たちは、きっとちょっと置いてやっているだけで、昼と夜が一回か二回入れ替わったらどこかへやってしまわれるんだろう。きっとそうだ。





 あれから何度も朝が来て、何度もごはんを食べて夜の空を照らすものの形が変わるのも見たが、おれは追いだされず、あのガキどももどこへも行かなかった。

 そのかわり、あの部屋にはまた入れるようになった。彼女はあの部屋のドアを開け、おれを中に入れると赤ん坊たちをおれに見せた。

 まだ世界の決まりもなにも知らなさそうな小さなきょうだいたちは、檻の中に閉じ込められていた。檻の中には小さなトイレと暖かそうな毛布が入っていて、ガキどもはその毛布の上にいた。へっ、なあんだ。この部屋の中を自由にさせてもらってたりはしなかったのか。そんな狭い中でトイレまであって、おれとはまったく違う待遇だな。なにか悪いことでもして捕まったのか? おれはそう思いながら、ガキどもを眺めた。

 するとガキどもはじーっとおれを見つめて、ぱぁっと嬉しそうな顔をした。

 なんだなんだ。カシャンと檻にへばりついてくるガキふたりに、おれはおあぁぁ? なんだおまえら、と威嚇してやった。するとガキどもはびびってぴたりと動きを止め、おとなしくなった。へっ、ざまみろ。

「ジェローム、だめでしょ」

 頭にいつもの感触。おれは眼を細めてくいと顎を上げ、彼女とおれの仲をガキどもに見せつけてやった。

 わかったか。ここはおれたちの棲家なんだ。おまえらの入りこむ隙なんか、これっぽっちもないんだぞ!

「……ちょっとずつ慣らすしかないか。ねえジェローム、いい子だから、この子たちのいいおにいちゃんになってやってね」

 彼女の声は心地良い。おれは頭を撫でられていい気分になりながら、こっちをじっと見ているガキどもに向かって、尻尾を大きく振った。





 彼女はいつまで経ってもガキどもを追いだしはしなかった。それどころか、パキュッと音のするおれのごはんまでガキどもに与え始めた。

 ねえ、それおれのだよ!? なんでそんな奴らにやっちゃうの。おれは必死になって脚に縋りついたが、彼女は「あー、はいはい。わかってるよ、ジェロームもね」と、いつもの皿のおれのごはんを別に出してくれただけで、ガキどものぶんは取り返してはくれなかった。

 肚が立って、おれはガキの食っている小さな皿に顔を突っ込んだ。

「こらジェローム! おまえのはあっち! ちゃんとあげたでしょ、自分のを食べなさい!」

 何故か床の上をずるずると引き摺られ、自分の皿の前で首根っこを押さえられた。おれなんかしたか? なあ。

 まあ、奴らはほとんど食べなかったようなので、勘弁してやるとして……ああ、それはいくらなんでもだめだ。彼女はあろうことか、おれでさえ偶にしかもらえないあれを、彼女の手からもらう、あのうっとりといつまでも舐めていたくなるあれを、ガキどもに与えてしまったのだ。

「美味しい? よかった。缶のごはんもまだもっと柔らかいのじゃないとだめなのね。買ってこなきゃ」

 だめだめだめだめ。それ美味しすぎるから! それおれのだから! おれはガキを押し退けて、いつもよりもすごい勢いでぺろぺろぺろぺろぺろぺろとそれを舐めてやった。すると彼女は、その麻薬のような美味しさのそれを持ったまま手を高く上げて、もう一方の手でおれの頭をぺちんと叩いた。

「だめでしょ! 横から取らないの。おまえもあとであげるから、邪魔しないで」

 叩いた……叩いた。おれを。あのガキどもは叩かないのに。ひどい。

 頭にきた。おれはすぐ後ろにいたガキに寄るな! と威嚇し、一発パンチをお見舞いしてやった。ついこのあいだ走りまわるようになったばかりのガキは、その場にこてん、と転がった。

「ジェローム!!」

 聞いたことのない鋭い声にびくっと立ちすくむ。じっと凍りついたまま見つめていると、彼女はおれに向かって両手を伸ばしてきた。え、抱っこ? と思った瞬間、おれは後ろからひょいっと持ちあげられた。

 空を飛んでるみたいに視界が広がる。でもそれも束の間で、彼女は部屋の外におれを下ろすと「もう、ちょっとそこでおとなしくしてて!」とドアを閉めてしまった。

 え、またおれを閉めだすの? でもおれは悪くないだろ、おれの美味しいやつを食べたあいつらが悪いんじゃないか。っていうか、なんであげちゃったんだ。なんで、どうして。おれのなのに。パキュッっていうごはんも、あの美味しいやつも。それに、それに――

 おれはだーっと部屋の中を走りだし、ソファの肘掛けでばりばりと爪を研いだ。そしてソファに飛び乗り、背もたれの上を歩いてキャビネットに向かってジャンプした。

 くそ、くそ、くそ! おれのなのにおれのなのに! おれなんにも悪いことしてないのに! あいつらの所為で、あのガキどもの所為で……!

 おわぁああもう、肚立つ! とおれは一声鳴くと、キャビネットの上の観葉植物をからだでぐいーっと押して、床の上に落とした。

 がっしゃんという音が響いて、土の匂いが拡がった。やばい。怒られる。おれは首を竦ませながら、彼女のいる部屋のほうを見た。けれど、いつまで待っても彼女は慌てて部屋を飛びだしてきたりせず、いつもみたいに大きな声で吠えられたりもしなかった。

 怒られずに済んだぞ。ああよかった。

 なのに、なんだか気分はちっとも晴れなかった。




       * * *




 ガキどもはすっかり大きな顔をして、部屋の隅から隅までを自由にうろつきまわるようになった。

 あいつらが来てからいったいどのくらい経ったのか。ああ、おれと彼女だけの、安全で平和な部屋だったのに。


 ――結局、おれは諦めたのだった。

 おれがあいつらを邪険にするたびに、彼女は困った顔でなにか一所懸命に話しかけてきた。残念なことに彼女はおれたちの言葉が上手じゃないので、おれには少ししかわからない。でもその眼が、なんだかとても哀しそうだったのだ。だから、おれは彼女が困った顔をすることを、一切やめた。


 来たときほんの赤ん坊だったガキどもは、今ではごはんもたくさん食べるようになり、からだもずいぶんと大きくなった。弱々しかった声は今ではやかましいほどで、部屋の中のどこでもなんでも触るわ登るわで、危なっかしいったらありゃしない。

 それだけではない。ガキどもは何故かおれに懐いてしまって、ごはんの時間と眠っている時間以外は、ほとんどおれの傍から離れない。ああもう鬱陶しいと尻尾を振ると、喜んでそれにじゃれつく始末だ。くそ、なんでおれが子守みたいな真似をしなくちゃいけないんだ。おれは苛つき、フローリングの上を掃くようにますます尻尾を大きく振ってやった。すると。

「ジェローム、いい子ねー。遊んでやってるんだ、えらいぞ。ふふ、ジェローム、おとうさんみたい」

 心地良い声が降ってきて、おれは眼を細めた。

 ねえ、もうこいつらのことは諦めたから、そのかわりに毎日美味しいやつをちょうだい? 彼女にそれが伝わったかどうかわからなかったけれど、いつもの気持ちいい手がおれの頭や背中を撫で始めた。

 ああ、そこそこ。そこ、自分では掻けないんだ。もっと、もっと毎日いっぱい撫でて? おれは愛しくてたまらない手に額を擦りつけた。眼のあいだも耳の後ろも、喉ももっと、もっと。

「いい子だね、ジェローム。大好きよ」

 ああ、気持ちいい。愛しい手。おれだけの、好きで好きでたまらないこの手の主。この幸せな気持ちだけは、あいつらに分けてやるもんか。

 そう思ったばかりなのに、背中を撫でていた手が離れた。ん? と見ると、ガキどもが一丁前に、おれと同じように撫でてもらっている。

 ええぇ……。ショックを受けたおれは呆然として、彼女の顔を見上げた。すると。

「ぷっ。やだ、ジェロームなにその顔。眼をまんまるにして……おっかしい」

 ……よくわからないけど、彼女がなんだか楽しそうなので、いいか。

 おれはふいとその場から離れ、いつも彼女が坐っているソファに飛び乗ると、お気に入りのクッションを踏み整えながら一周し、落ち着く向きで丸くなった。







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♪ "Jealous Guy" Donny Hathaway, 1971

 (Originally recorded by John Lennon, 1971)

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